すべての生物は海から生まれ、動物は陸上へ、鳥は大空へと進化していったといわれている。
だから人はその母なる海にあこがれ、海に安らぎを求めるのかもしれない。
海水の成分と母親の羊水のそれとは同質である事は衆知のとおり。そもそも「海」という字は海を表すサンズイに、冠の下には母という字が当たっているのもうなづける。
だからという訳ではないが、今回の私の物好きとも言えるスキューバダイビング体験の理屈を言えばこうなる。それにこの春、障害者スポーツ指導員の資格を取った私にとって、趣味がマラソンだけというのはどうも、と言う思いもしていた。
言い訳はともかく、ずっと以前からの強い憧れでもあったダイビングをしにオパールと一緒に佐渡へ向かった。早朝5時起きして8時のジェットフォイルに乗る。興奮しているせいか睡眠不足の割には眠くない。新潟港からちょうど1時間。佐渡の玄関口両津に着く。主催者である新潟県障害者スポーツセンターの迎えのマイクロバスが待っているターミナルへ直行。参加者は私を含め12人。家族や介助者、それにセンター職員やボランティアの学生さんらも含めると総勢30人近くなる。下肢麻痺などの肢体不自由者や知的障害の子供たちも何人かいる。脳性マヒで車椅子のMちゃんはすっかり舞い上がっていて、さっきから大声でバスの中で「私、チョーうれしーい!」を連発している。
1時間強で会場である小木海洋センターへ。昨日までの雷を伴った雨空とは打って変わって今日は快晴となった。海からの風が心地よい。
既に数人のインストラクターが酸素ボンベなどを揃えて待っている。12人の参加者を数班に分けて潜る。私は後の班らしく、時間があるのでボランティアでスポーツカレッジの学生であるH君と一緒にオパールを海岸に離して遊んだり、早い昼食をとったりして時間をつぶす。
お昼を過ぎる頃になって、「藤田さん。お待たせしました!」の声に誘われ、はやる気持ちを抑えながら海辺へ向かう。どうやらテレビ局のカメラが追ってきているようだ。憧れのウェットスーツを身に着け、ボランティアに誘導されながら海に入る。私の指導をしてくれるインストラクターは、声の感じからするとどうやらまだ若い女性のようだ。上越市の生まれなのだが海が大好きで、ここに移り住んでもう数年になると言う。名前をHさんと言う。
酸素ボンベを背負わせてもらい、水中メガネをかけ、15分ほどの手ほどきを受けるといよいよダイビングだ。
顔を水につける。頭をもぐすとゴボゴボと言う自分の吐き出す空気の音が強く耳に反射する。もう全く他の音は聞こえてこない。耳からの情報が殆どの私にとっては、チョッと不安な気分におそわれてしまう。
インストラクターの手が私の片手を引いて海底の水草や岩、貝殻に触れさせてくれる。そう深くは無いらしいのだが、私は以前テレビの映像で見たように足ヒレをゆっくり動かして前へ進む。「ウン、これだ。これだ。」と納得しながら暫く泳ぐ。まだ水が暖かいのでそう深くはないと感じる。「まだ大丈夫ですか?」とHさんから合図が来る。目で合図ができない私たちはお互いの手の触れ方で会話をすることにした。上がりたかったら手の親指をまっすぐに立てると言った具合だ。私は右手の親指と人差し指で丸を作った。
そのうちにインストラクターのHさんが私の指先に何か手渡した。海中で話し掛けた言葉をようやく聞き分けることができた。貝の肉だと言う。手を引かれて暫く泳ぐうちに何かが指先の肉をツンツンとつつくのがわかった。魚が肉片を食べに来ているのだと言う。どうやらシマダイのようだ。私は思わず片方の手でその魚たちを触ろうとしたのだが、残念ながらとうとう最後まで触れることはできなかった。Hさんによると頭を出して泳いでいるうちは魚は警戒して寄ってこないが、ボンベを着け、体全体で潜って泳いでいると、相手も自分の仲間だと思い込んで安心して寄って来るのだと言う。大歓迎を受け、次々とやって来る魚たちに貝をやっているうちに、私はいつの間にか我を忘れ、魚になって泳いでいる錯覚に陥ってしまった。ほんの10数分の体験ダイビングの間、私は魚になってしまった。
無事に海から上がった私に、陸上で不安そうに海を見つめて待っていたオパールが、嵐のような大歓迎をしてくれた。
(ふう)
(2002-09-01) |