オパールが私の元へ来てからこの7月でちょうど4年になる。 盲導犬オパールラブラドールレトリバーのメスで、この8月には6歳を迎える。目が大きくて愛らしく、色白の美人(と、聞いている)まさに働き盛りのお年頃である。
父はオーストラリア産、母はイギリス産のいずれも盲導犬の繁殖犬の間で、文字通り盲導犬になるために産まれた犬である。
2年間、札幌にある北海道盲導犬協会で、パピーウォーカーや訓練士によって厳しい訓練を重ね、視覚障害者である主人が安全に目的地にたどり着けるよう、犬としての本能をも捨て、涙ぐましいまでに懸命に働いてくれる。こうして私とオパールの新しい生活が始まった。
ところが、オパールが私の元へ来て1年もしないうちに彼女は一躍マスコミの脚光を浴びることになった。
1999年(平成11年)4月、統一地方選挙で私は初めての市議会議員選挙にオパールとともに挑戦することになった。スタッフのチームワークのとれた強力な支えもあって、誰もが考えてもみなかったトップ当選を勝ち得た。落選こそすれ、まさかと誰もが思ったに違いない。視覚障害というハンディを、マイナス要因として特別視しなかった長岡市民の良識を、その時あらためて強く感じたものである。3763票。その時いただいた票の重みが、常に私を励まし続け、背中を押し続けてくれている。
そして同時にオパールの存在が、今でも私に勇気を与え、活動に対する自信を与えてくれている。
盲導犬が日本で初めて本会議場に入った。マスコミは地方選のほほえましく、また新しい政治の流れのトピックスとして一斉にトップで報道した。
オパールが私の元へ来た時、私は思った。「これで失った自由のひとつを取り戻すことができる。」その時、身も心も開放され、涌き出るエネルギーを感じることができた。
そして同時に「この子と頑張ってゆこう。この子が居ればきっと頑張ってゆける。本物のオパールの宝石よりも、ずっと大事な宝物として…」
盲導犬が良い仕事をするには主人が時分自身にも厳しく、しっかりしていなければ駄目。「一緒に頑張って、きっとお前を日本一の盲導犬にしてやる。だから一緒に頑張ろうな」と話しかけたものである。
私の後援会の名前は「プラスワン」。 スタッフの皆さんがつけてくれたものだ。プラスワンのワンは盲導犬をも意味している。
それから何年か過ぎたが、内実はともかく、とりあえずオパールはその時に、日本一、有名な盲導犬になってしまった。
|