日ざしが日増しに強くなってきたと思ったら、もう毎日がぎらつく太陽に明け暮れるようになってきた。 雪が消え、草花が芽吹き疲れた体を癒してくれた日が昨日のように思われる。 今、私たちは草と聞くと雑草と思う人が大半ではなかろうか。 庭、田畑の除草に明け暮れる日が続く。 労力、除草剤を使って。 しかし、私たちは草というものに対しての考え方見方をかえてみようではないか。 草を憎悪し、敵視するよりももっと親しみをもとう。 そして、偉大なる味方としようではないか。「ひえ、あわ」のように。 草に親しむという事は、いま新しくいうことではない。 遠い祖先がすでに長い間、友とし生活を共有してきた。 ただ、私たちが今、それを忘れかけているだけであるというべきである。 牛馬の飼料。薬草。そして目、心に潤いをもたせてくれる草花。忘れるわけにはいかない存在である。その草が一体私たちに何をしたのだろう。そのものを一方的に踏みつけ憎しみ続けているのである。 都会の人たちは休みとなると野山に出かけ、草花いじりで目の保養。生活空間を使ってガーデニング。自然を求めてあがき続ける。 私たちはこの地に生まれその環境に比べれば、なんと幸せなことか。 もういちど、まわりを見直そうではないか。 そして、今まで気づかなかった小さな小さな草花にも愛情をもとうではないか。 (K) |