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折々の記 2008 A
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】05/03〜
【 02 】05/11〜
【 03 】05/17〜
【 04 】05/26〜
【 05 】06/10〜
【 06 】06/18〜
【 07 】06/24〜
【 08 】07/02〜
【 03 】05/17〜
05 18 橋本屋裏の畑作り始め
05 20 カネの亡者・ドバイ
05 21 悲しい災害【地震・洪水】
05 24 ヒマワリの栽培
正木屋さんが無人家屋になり、禰宜屋から借りて耕作していた土地(橋本屋裏の畑)を借り受けて耕作を始めた。
予定ではヒマワリを栽培して、ヒマワリ油を作るために借り受けた。
先日テレビを見て、今の世相の頂点を象徴するようなドバイの姿に愕然としました。
これは望ましい人のあるべき姿とは、どう考えても似合わないのです。
何もない砂漠に忽然として金に飽かした巨大都市を作り上げたのです。
建設中のブルジュ・ドバイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B8%
E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4
ブルジュ・ドバイ(??? ??? , Burj Dubai, ドバイの塔の意)は、アラブ首長国連邦第二の都市ドバイに
建設中の超高層ビルである。地上162階建、尖塔高818m・軒高643.3mとなる予定であり、2009年
6月30日竣工予定。2007年7月21日には台北101を抜き世界一の高さのビルとなっており、現在
着工されている超高層ビルの中で最も高い。2008年5月4日現在、高さ643.3mまで到達している。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4
ドバイ - Wikipediaドバイ(アラビア語:??? Dubayy、英語表記:Dubai)は、アラブ首長国連邦(UAE)
を構成する首長国のひとつ。 また、ドバイ首長国の首都としてアラビア半島のペルシア湾の沿
岸に位置するUAE第2の人口を擁する都市。 一般的には後者の用法で使われることが多い。
連邦を構成する7首長国
アブダビ …… ドバイ …… シャールジャ …… アジュマーン
カイワイン …… フジャイラ …… ハイマ
歴史の概要 … 上記ドバイのURLを開くと歴史の概要がある
@ 興り
漁業や真珠の輸出を産業の主とする小さな漁村であったこの地に、アブダビの首長ナヒヤーン家と同じバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が、1830年代にアブダビから移住。これに伴ってドバイ首長国が建国され、ここに今に至るドバイの歴史が始まりの時を迎えた。1853年に他の首長国と同時に英国の保護国となる。
A 近代
統治を担った英国はこの地を、東インド会社に到るための貴重な中継地とした。20世紀になると、歴代の首長の推進をもとに自由貿易の政策を採ったことで、周辺地域の商人達の拠点となりゆく流れのなかで、中継貿易港としての色合いを濃くしてゆく。
B 勃興
20世紀も半ばに迫った頃、この地を近代的な都市にすることを夢見た当時の首長・シェイク・ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥームの推進により、1959年のクウェートからの借金をもとにして社会資本の近代化が図られてゆく。1958年のアブダビにおける油田の発見に続く、1966年の海上油田の発見はこの動きに大きな力を与えた。
1971年の英国軍のスエズ以東からの撤退に伴って、同年の12月2日、他の6の首長国とともにアラブ首長国連邦をこの地に結成。その副大統領兼首相となったラーシド首長を指導者に据え、原油依存経済からの脱却の取り組みと産業の多角化を進めてゆく。その流れのうえで1981年(1985年)に開設に至った『ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)』という名の経済特区、およびナショナル・フラッグ・キャリアとしてのエミレーツ航空の開港は、国外資本や外国企業の進出とあわせて『人』と『物』の集積地としての発展を急速に促していった。
C 繁栄
21世紀に入る頃には、従来からの近代化の波を経て、中東における貿易・商業の最大の中心地と呼ばれるまでのメガロポリスに変貌していた。1970年代からわずか約20年のうちに起こった変化は、都市外観のそれのみならず、経済の石油依存率は半分以下に減じ、GDPの伸びは30倍に達するなど、『中世から近代への急変』との表現をもって語られる激変そのものであった。
D 現代
2003年以降の発展は特に凄まじく、2004年の後半から続く原油高がその発展を更に後押ししている。2005年度の経済成長率は16%に達し、総数120万の民の都市となったドバイは、摩天楼の連なる幻惑的な百万都市を擁する都市国家として中東でも随一の繁栄を誇っている。
私見
ブルジュ・ドバイは「砂上の楼閣」となるだろう。
なぜならば、それは欲望によって作られたものだからである。
それは、仏の国でもなく神の国でもなく、汚れた凡欲に満ちた金によって人為的に作られた街だからである。
「イワンのバカ」(岩波少年文庫)の教えを察するとよいし、
ヒルティの『幸福論』(岩波文庫)を学ぶのもよい。
そして、般若心経に準拠することがよい。
トルストイの考えやヒルティの考えに耳を傾け、お釈迦さまの教えに耳を傾けて、自分の考えを築こうとする者にとっては、「ドバイの塔」は「砂上の楼閣」ではないかと危惧することが当然なことなんです。
●地震災害
@5/20付けのNIKKEI NETによれば、死者は4万人を超え、行方不明者は3万余人と報じています。
この日経サイトを開きますと‘「中国・四川大地震」記事一覧’の索引があって12日の地震発生から今までの報道がまとめられており、大変参考になります。
(5/20)四川大地震、死者4万人超える・二次災害の恐れも強まる 05月20日 22:03
【北京=高橋哲史】中国・四川大地震の発生から8日たった20日、中国政府の災害対策本部は死者数が同日午後6時(日本時間同7時)時点で4万75人になったと発表した。被災地では余震への警戒が続いているほか、大雨の影響で湖やダムが決壊して二次災害が発生する恐れも強まっている。
同日正午時点の行方不明者数は3万2361人。生存者の発見は一段と困難になっており、死者数はさらに膨らむ公算が大きい。
国営の新華社によると、四川省地震局は今回の地震の余震が20日午前11時までに7000回以上発生したことを明らかにした。被災地では同日午後から降雨が激しくなっており、地震に伴う土砂崩れで川がせき止められてできた「湖」が決壊する恐れも出ている。
|
地震関係のデータを Google で調べてみると次のサイトも参考になりました。
A四川大地震<出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
このサイトでは地震の概要にはじまって、地震活動の詳細が地震のメカニズム、本震、余震、規模を説明し、さらに被害、前兆、国内外の反応、日本の国際緊急援助隊の派遣、などにわたって説明しています。
Bまた、四川大地震<読売新聞・ホーム>特集>四川大地震>も参考になります。
この読売のサイトは日経のサイトと同様、地震発生からすべての報道をまとめています。
地震の被害は凄い。 地震・雷・火事・親父ということわざは、地震・洪水・火事・親父に替えなければなりません。 火事・親父は気をつけていけば被害は個人的でもあり大したことでもない。
ところが地震・洪水は天災であり、避けることはできないし、その被害は想像を絶することになる。 洪水は地球温暖化によるシッペガエシとみることもできますから、人類が共有する責任であると言えます。
いずれにしても、怖いものの成句【地震・雷・火事・親父】は、【地震・洪水・火事・親父】に替えなければなりません。
●洪水の災害
詳しい報道がないのが残念です。 ビルマの軍事政権担当者たちはとんでもない自分勝手な政治をしています。 働いている人たちが気の毒です。
Google で‘ミャンマー 洪水’で検索してみても十分なデータが手に入りません。 次のものなどアウトラインしか手に入りません。
@ミャンマー大洪水緊急救援活動 <ガンバNPO>
5月末から断続的に降り始めた大雨により、AMDAがミャンマーでプロジェクトを実施しているメッティーラ県では、6月の初めに、この75年間で初めてという大規模な洪水が発生しました。多くの犠牲者と被害を出したこの自然災害に対し、AMDAは緊急救援活動を開始。生活物資の供給やトイレの建設、巡回診療など数多くの活動を行ないました。
今後は被災者の復興支援として、流失した地域保健センターの建設や公立小学校を再建し、子どもたちが安心して学べる環境を整えたいと計画しています。
みなさまからのご支援をお願いいたします。
Aミャンマー・サイクロン洪水被害 <地球観測研究センター>
図1 サイクロン「ナルギス」による洪水の被害地域(左:災害前、右:災害後)
平成20年5月2日夜から3日にかけてミャンマーを襲った大型サイクロン「ナルギス」による洪水の被害状況について、JAXAは「だいち」による緊急観測を行ないました。
Bミャンマー連邦洪水災害に対する国際緊急援助について <国際緊急援助隊><JICA-緊急援助ニュースリリース>
ミャンマーにおけるサイクロン被害に対する国際緊急援助について(第3次) 2008年05月16日
JICAは、15日の政府の決定を受けて、5月7日、11日の物資供与に加え、緊急援助物資供与(第3次)を実施します。
記
災害状況 5月13日、OCHA Situation Report No.9報告)
死者数 31,938名
負傷者数 670名
行方不明者数 29,770名以上
被災者数 1,500,000名以上
追加援助物資内容、シンガポール倉庫分
約4,300万円相当の毛布、ポリタンク、簡易水槽(2000L、3000L)、発電機、コードリール
(これまでの物資供与の累計 約1億700万円)
輸送日程
5月17日05:00シンガポール発(LLL263便)、同日09:00ヤンゴン着のチャーター便にて輸送予定。
引渡
木村仁外務副大臣が日本政府を代表して5月18日に引渡し予定。同副大臣はその後、ミャンマーのサイクロン被害を受けてシンガポールにおいて開催されるASEAN特別外相会合に際し、各国要人との会談を行う予定です。
C肥さんの夢ブログ 2008年 5月 8日 (木)
ミャンマーの洪水被害
死者2万2000人,行方不明4万人といえば,ものすごい被害が出ていることがわかる。
ミャンマーのサイクロンによる洪水被害の話である。
このニュースに触れて,私はいくつか考えたことがある。
(1) 今回の災害も行方不明者の多くが死者に加わると予想される。
6万人の死者が出たと考えて,早急に国際支援を図るべきである。
(6万人は東京ドーム満員以上の人数だ!)
(2) 「5000平方キロが水につかったまま」
=約70キロ四方で,東京都と神奈川県を合わせたより広い地域の水没。
=この地域への食料の陸上輸送は不可能。
=餓死者がでないか心配。
(3) ミャンマーは熱帯の国だ。
30度を超える炎天下の状態では,伝染病など2次災害的なものも発生する可能性が高いと考えるべきである。
(4) 今回のサイクロンは,かつて日本を襲った伊勢湾台風以上の規模だ。
やはり,地球温暖化による海水面の温度上昇が引き金となっているのだろうか。
私はミャンマーには行ったことがない。
わずかにアウン・サン・スーチーさんなどのニュースを通してしか知らない。
しかし,「困った時はお互い様」という言葉の通り,こういう時に救いの手を差しのべるのが
真の隣人ではないかと思い,私のできる「ブログで書く」という行為からまず始めたいと思った。
ヒマワリ栽培の勉強のため、ウェブを調べてみる。
@ Himawari's homepage ………このページの解説が一番よい………
A ひまわり栽培暦
●作型と品種 ●本ぽ施肥例 ●病害虫防除 ●販売概況 ●栽培の要点
B ひまわりの標準栽培法
ひまわりの標準栽培法
【指導参考事項】
1.課題の分類
2.研究課題名 ひまわりの標準栽培法
3.期 間 (昭和58-61年完了)
4.担 当 中央農試畑作部畑作第二科
病虫部病理科
北農試作物第二部特用作物研究室
農芸化学部泥炭地研究室
5.予算区分 中央農試 受託
北農試 経常,大型別枠
6.協力分担 ホクレン農総研 |
7.目 的
ひまわりは世界的にみると、寒冷地において大豆につぐ重要な油料作物である。北海道では、昭和50年代に入ってから、畑作地帯の輪作作物あるいは稲作地帯の転換作物として,試作が開始された。その結果、昭和56年ごろより、空知管内北部を中心に栽培が定着して、その作付面積は昭和61年には約150haまでになり、栽培指針が求められるようになった。
このため、これまで道内試験機関等で実施してきた試験成績を暫定的にとりまとめ栽培技術の確立に役立てる。
8.試験研究方法
1.品種特性に関する試験 供試品種 中央農試:16 北農試:27
2.播種期に関する試験 播種期:3〜5水準 供試品種:早生,中生,晩生
3.栽植本数に関する試験 栽植本数:3,000本〜7,000本,畦幅:3水準
4.養分吸収特性と施肥に関する試験 N:6水準.P205:4水準とK20:2水準を組合せた用
量試験,Nの追肥時期:3水準,追肥窒素形態:2水準
5.収穫,乾燥,脱穀に関する試験 播種期:3〜5水準,収穫期:2水準
6.搾油および剥皮に関する調査
7.病害防除に関する試験 菌核病に対する薬剤探索,散布時期,散布濃度と散布量
9.結果の概要・要約
1.品種 油料用では早生の「IS907E」と中生の「IS897」、食品用では中生の「IS924」が良かった。
2.播種期 5月上旬から中旬に播種すると子実重が良かった。
3.栽植本数 油料用は5,000〜7,000本、食品用は4,000〜5,000本、畦幅は共通して70cmの子実重が良かった。
4.養分吸収特性と施肥 土壌診断をして施肥量を決めることが望ましい。土壌診断しない場合には転換畑を含む一般畑土壌の標準施肥量をN-P2O5-K2Oで6-10-10とする。
5.収穫、乾燥、脱穀 収穫期は花托が鈍い黄色を呈した時価よく,脱穀に適当な水分は子実が30%,花托が75%以下が望ましい。
6.搾油および剥皮 搾油方法には圧搾法と抽出法があるので、用途によって搾油法を考慮する。
7.防除法 | @菌核病の発生量は、子のう盤の開盤盛期とひまわりの開花期間との関連により決定される。本病の発生を 少なくするためには、病原菌密度の高い時期の開花を回避することが必要であろう。 |
| A薬剤散布は開花揃から開花終りまでの間に頭花前面に集中的に行うと効果的である。(ビンクロゾリン 水和剤500倍〜1500倍、プロシミドン水和剤500〜1500倍、10a当り200〜250L散布…いずれも未登録) |
10.主要成果の具体的数字
表1 品種特性調査(昭和58年〜61年の平均)
用
途 |
項目
/品種 |
開花期
月日 |
成熟期
月日 |
子実重
kg/10a |
菌核病発病株率
% |
中央
農試 |
北
農試 |
ホクレン
農総研 |
中央
農試 |
北
農試 |
ホクレン
農総研 |
中央
農試 |
北
農試 |
ホクレン
農総研 |
中央
農試 |
北
農試 |
ホクレン
農総研 |
油
料
用 |
1.IS897 |
8.1 |
8.8 |
8.6 |
9.8 |
9.9 |
9.11 |
100
(236) |
100
(225) |
100
(188) |
7.3 |
24 |
63 |
2.IS7000 |
7.25 |
8.1 |
- |
9.1 |
9.4 |
- |
92 |
80 |
- |
9.7 |
3.6 |
- |
3.IS907E |
7.26 |
8.2 |
7.28 |
9.3 |
9.4 |
9.3 |
113 |
102 |
101 |
4.0 |
25 |
46 |
4.IS7775S |
7.31 |
8.5 |
8.4 |
9.9 |
9.8 |
9.11 |
99 |
88 |
75 |
11.0 |
35 |
68 |
5.SB254 |
8.2 |
8.9 |
8.8 |
9.8 |
9.10 |
9.9 |
89 |
90 |
111 |
11.5 |
32 |
47 |
注)ホクレン農総研は昭和57年〜60年の平均。( )は実数。
表2 播種期の生育と子実重
品種名 |
播種期 |
開
花
期
月日 |
成
熟
期
月日 |
子実重 |
油
分
% |
kg/10a |
比 |
IS907E
早生 |
5月上旬 |
7.29 |
9.5 |
317 |
100 |
46.1 |
中旬 |
8.8 |
9.13 |
291 |
92 |
45.0 |
下旬 |
8.11 |
9.15 |
267 |
84 |
41.1 |
IS897
中生 |
5月上旬 |
8.3 |
9.10 |
236 |
100 |
45 |
中旬 |
8.11 |
9.16 |
248 |
105 |
44.8 |
下旬 |
8.14 |
9.21 |
211 |
89 |
42.5 |
6月上旬 |
8.19 |
9.28 |
178 |
75 |
45.5 |
IS3107
晩生 |
5月上旬 |
8.10 |
9.16 |
202 |
100 |
45.7 |
中旬 |
8.13 |
9.20 |
201 |
100 |
45.1 |
下旬 |
8.18 |
9.25 |
172 |
85 |
45.5 |
注)昭和58年〜61年 中央農、北農試、ホクレン
農総研の平均
表3 栽植本数別の子実重(IS897)
栽植本数
(本/10a) |
中央農試 |
北農試 |
kg/10a |
比 |
kg/10a |
比 |
3,000 |
173 |
76 |
247 |
87 |
5,000 |
228 |
100 |
283 |
100 |
7,000 |
248 |
109 |
286 |
101 |
注)畦幅は70cm 中央農試 昭和58〜60年平均
北農試 昭和59年
図1 ひまわりの窒素吸収量と子実重の関係 (北農試)
11.普及指導上の注意事項
1.ビンクロゾリン水和剤およびプロシミドン水和剤は菌核病防除に有効であるが現在未登録である。
ひまわりの標準栽培法
項目 |
実施方法 |
注意事項 |
品種 |
油料用
早生「IS907E」
中生「IS897」
食品用
中生「IS924」 |
雑種一代種子のため、毎年更新
すること。 |
耕起・砕土・整地 |
発芽を整一にするため、砕土は
ていねいに行う。 |
|
施肥
(kg/10a) |
一般畑土壌では要素量で
N:6,P2O5:10,K2O:10 |
窒素肥沃度の低い土壌では、
N3kg/10aの範囲内で増肥する。 |
播種 |
1.播種期 5月上・中旬
2.播種法 点播で1〜2枚
3.覆土 3cm程度 |
覆土と鎮圧は均一に行う。 |
栽植本数 |
油料用 5,000〜7,000本
食品用 4,000〜5,000本
畦幅は70cm前後 |
|
管理 |
間引きは発芽揃に行う。
畦幅70cm場合2〜4葉期にロー
タリカルチ1回程度と除草を1
〜2回行う。 |
遅くなると残す株の根を損傷す
るため、ホー等で切断する。 |
菌核病防除 |
1.土壌伝染による発病を防止す
るため、連作を避ける。
2.本病の発生量は子のう盤の
開盤時期をの開連により決定
される。本病の発生を少なくする
ためには、病原菌密度の高い
時期の開花を回避することが
必要である。 |
その他として次の病害がある。
空洞病、褐斑病、黒斑病、灰色
かび病。 |
収穫 |
収穫期は花托が鈍い黄色を呈し
た時期がよい。 |
菌核病の増大に対処するため、
約1週間早く収穫しても約20%の
減収である。 |
乾燥 |
収穫後はできるだけ早く、風通
しを良くして乾燥する。 |
頭花は、堆積すると腐敗の進行
が速い。 |
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