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折々の記 2006 C

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】11/19〜        【 02 】12/25〜
【 03 】00/00〜        【 04 】00/00〜


【 01 】11/19〜

  11 19 翻訳のソフト
  11 28 いじめ…勧酒 対酒 道樹寺
  12 08 きょうは78歳の誕生日

11 19(日) 翻訳のソフト

ワープロからパソコンへと文字のタイピング化が進んできた。書いて読む文字からタイピングから文字に変わってきた。読む作業は変わっていないが、手を使って書くのとタイプを打って書くという文字化の手段がガラリと変わってきている。

この結果、現代の若い世代の人たちは漢字を書く力が貧しくなってきているという。時代の推移によって文字化の手段が変わってきているのだから仕方のないことではある。

夏目漱石の漢学素養はすばらしいものといわれ、ことに漢字を多用した作品「虞美人草」の漢字でこれはと思うものを書き出したことがあった。虞美人草でなくても漱石の作品を読むときには、気に入った漢字を書き出していく方法は漢字語彙を豊かにしていく。

昔、英語を学んでいる頃には英和辞書は欠かせないものであった。今では電卓形式のものまであって辞書はあまり使わない。どちらのほうが記憶するのによい方法かは別として、都合よい時代になった。

ここで、めっぽう便利な翻訳ソフトがある。勿論ただである。


   http://honyaku.yahoo.co.jp/transtext

  <Yahoo!翻訳>
    英・中・韓・日4か国語に対応。文章、ウェブページ、Yahoo!検索を翻訳    .


11 28(火) いじめ…勧酒 対酒 道樹寺

どうしてこのタイトルに辿り着いたのかちょっと説明しておこう。最近いじめによって自殺する子供が多くなった。

水源調査は道なき山に分け入って調べなければならない。

「自殺」に対処するには水源検査と同じく、いじめる人:いじめられる人:いじめを見ている人:いじめの話をきいた人、少なくとも四つの立場の人が<どのような環境の中から育てられたか>を詳しく調べ、<どのような環境の中で育つのがよいか>をつきとめなくてはならない。ですから並大抵のことではない。

世の中がどのように進んだとしても、人の価値観は<どのような環境の中で育ったのか>によって規定されてくる。そして、その人のもつ価値観によって人は幸せにもなるし不幸にもなる。

いじめの根源は親子関係がおかしくなっている。その一点にかかっています。

昔習った言葉「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」は、わが身を省みるとき親子関係の言葉として直ぐに脳裡に浮かぶものです。

この言葉を調べていると、生死にかかわって「勧酒」の 花發多風雨 人生足別離 や「対酒」の 蝸牛角上争何事 石火光中寄此身 など思い出します。いずれも燻し銀の処世観だと思います。


     勧  酒

  勧君金屈巵   君に勧 スス む金屈巵 キンクツシ

  満酌不須辞   満酌 マンシャク 辞するを須 モチ いず

  花發多風雨   花發 ヒラ けば風雨多し

  人生足別離   人生別離 ベツリ 足る

    ※金屈巵=黄金製の盃の一種で、椀ような形に柄がついていてそれを持って飲む贅沢な酒器。
    ※不須辞=辞退する必要はない。
    ※足=たっぷりあること。多いこと。「足るを知らざる者は富むといえども貧し」

  于武陵 (晩唐の人) 杜曲(長安の南)の人。名は業という字にオオザトを書いて“ぎょう”
    と読む。通常は字である武陵でよばれていた。
    官界の生活に望みを絶ち、書物と琴を携えて天下を放浪し、時には易者となったこともある
    ということである。洞庭湖付近の風物を愛し、定住したいと希望したが果たされず、崇山の
    南に隠棲したとのこと。

人生には別れもあれば、出会いもある。晴れの時もあれば、嵐の時もある。大切なのは、《今、此処》である。この時この一瞬が私の人生を成している。この時この一瞬以外にわが人生はない。だからこそ、《今、此処》で飲もうじゃないか、と于武陵は云った。

★この詩についてはわが郷土が誇る文豪井伏鱒二氏の名訳があります。

   コノサカズキヲ受ケテクレ
   ドウゾナミナミツガシテオクレ
   ハナニアラシノタトエモアルゾ
   サヨナラダケガ人生だ

★更に耳学による歌もある。

   指触るる ことのみばかり 思えただ
            返らぬ昔 知らぬ行く末



    対  酒    酒に対す

  蝸牛角上争何事   蝸牛(カギュウ)角上(カクジョウ)何事をか争う

  石火光中寄此身   石火(セッカ)光中(コウチュウ)此の身を寄す

  随富随貧且歓楽   富に随い貧に随いて且(シバ)らく歓楽せん

  不開口笑是痴人   口を開いて笑わざるは 是れ痴人

    そんなチッコイ領地を争うて何してはりまんねん
    人間生きてられるのんは、ほんまにアッ!と言う間だっせ
    金持ちは金持ちなりに、貧乏人は貧乏人なりに、おもしろうやろやおまへんか
    思いっきり、よう笑わんような奴は、ほんま、“アホ”やで

蝸牛角上:魏と斉が常に争っていた時、「カタツムリの左の角には『触氏』という国があり、右の角には『蛮氏』という国があって、たえず領土を争って数万の戦死者が出た。」というたとえ話をして、魏の恵王を諌めたという。無窮の世界に心を遊ばしている者から見れば、どんな大国もカタツムリ角の先くらいでしかない存在である、ということ。― 荘子の「則陽」篇に見える ―
石火光中:火打ち石を打った時にほんの一瞬出る火花。そのように短い時間の事。

白楽天は病のため辞職したが、太子賓客分司(多分閑職でしょう)となり、半ば隠居暮らしの生活をはじめた58歳頃の作。無窮の世界から見れば人間なんて小さな物、人生なんて束の間、貧富の差もあるけれどもそれなりに面白おかしく過ごそうではないか、という、楽天の字を持つ作者の人生哲学。
ほんまに、せやせやと思うのであります。

白居易(字・楽天)は李白の没後10年、杜甫の没後2年の西暦772年に鄭州(河南省新鄭県)に生まれ、846年、75歳で洛陽の履道里に没するまで「白氏文集」をはじめ多くの詩を後世に残し、平安以後の日本文学に大きな影響を与えました。
若い時は“諷喩詩”といわれる施政者を誡めるための詩「軽肥」「塩商婦」など、晩年には静かに心を安んずるの詩“閑適詩”を多く作りました。肉親の縁薄く、40歳の時一人娘を3歳で亡くし、老年にいたって老荘思想・仏教思想に傾倒して行きました。


更に調べていますとお坊さんの話にぶち当たりました。「一筆法話」と題するものです。これは将に親も子もともに学ぶべき具体的事項だと思いました。この法話集を見ていったとき<人はどのような環境の中で育つのがよいか>という問に対する答の直接ルーツだと思いました。

人は、知育・徳育・体育・食育 という四分野の成長を図らなければならないと言われています。人と人との関係は、人生観を築く大事な要素であり、幸せな生活を生み出す大事な情緒の基盤であり、慈悲の根幹、愛の根幹でもありましょう。これは徳育の分野ですね。心の分野でしょう。

「一筆法話」は徳性を磨き望ましい人柄を築いていこうとするときの好伴侶となります。是非ともページを開いて学んでいきたいものです。


   <http://www.ktroad.ne.jp/~dojuzi/ippitu81.html>………「一筆法話」   .


ページの下部に法話の総ての項目と Web が出ています。参考にすればいい。

●いじめについて何をどう考え実践したらよいのか、それについての対応の仕方として「一筆法話」によって自分の考えを見直すことを取り上げてみました。

いじめということの根源は、子育ての方法が間違っていたことに始まる。そしてその間違った子育ての結果が、随所に顔を出しているのです。 それで………こう考えることが白州次郎のいう principle の考え方に叶うのでしょうね。

間違うきっかけになったのは、精神生活と物質生活の考え方のアンバランスがその一つでしょう。

個人の経済生活が豊かになってくると、どうしても美味いものを食べるようになるし、綺麗なものを着たくなるし、テレビでも自動車でも携帯でも良いものを持ちたくなります。これは自然の成行きですね。 では、みんなが親切になり、優越感から遠ざかり、困っている人を助ける、そんな気質が高まってきたかというと、逆に精神生活は堕落の一途をたどってきているのです。

ですから、仏教が指摘している煩悩、その煩悩すべてでなくてもいい、人として謹まなければならない煩悩を乗り越え、人からよろこばれる品性を身につけたいものです。

「金儲けをして何がわるい」と開き直る人もいました。一万円とか三万円とかの騒ぎではなく、何千万円とか何億円という金額ですから、素直に「金儲けしてもいいのですよ」とはお義理にも言えなくなってしまうのです。

貧乏の体験がなくなっているために、「我慢する」という高潔な気性を養いがたくなってきています。

それより何より、‘俺のほうが勉強ができる’‘私のほうが何々ができる’‘あの人はかっこいい’‘あの人は良いものを持っている’‘この人は顔立ちがいい’‘彼は教育を受けている’‘彼女は教養がある’‘私も何々をほしい’………………あまりにもこうした情緒や感情に流されやすくなっているのではないだろうか。

優越感、劣等感、無知と偏見に心の中がかき乱されて、本来の自立心は出来にくい。そして周囲の状況や目まぐるしく変わっていく流行に流されやすくなっているのではないだろうか。

ですから 「先ず隗より始めよ」と言うとおり、私たち一人一人の親が心身を正して人の品性を作り上げなくして、どうしていじめの手立てができるというのだろうか。ゆがんだ優越感、劣等感、無知と偏見を親みずから正さなければなりません。

日暮れて道遠しというけれど、どうしても「 priciple なくしていじめの改善はありえない」と思います。

12 08(金) きょうは78歳の誕生日


 1928(昭和3)年は戊辰で、本命星は、九紫火星
 1928(昭和3)年12月8日は、土曜日 壬午 赤口  旧暦十月二十七日

 12月8日は、こんな日です。
 太平洋戦争開戦の日
   1941年(昭和16年)のこの日、日本海軍はアメリカの太平洋艦船の根拠地ハワイの
   真珠湾を急襲、太平洋戦争の火ぶたが切っておとされた。
 成道会
   成道会(じょうどうえ)は釈迦が悟りを開いたとされる日とされ寺院において法会
   が行われる。。臘八会(ろうはちえ)とも呼ばれる。
 御事納め
   その年の農事等雑事をしまう日。江戸時代には、里芋・こんにゃく・にんじん・小
   豆を入れた「御事汁」を食べた。農事を始める「御事始め」は2月8日。
 針供養
   裁縫を休んで、折れた針を集めて豆腐等の柔らかいものに刺し供養を行う。一般に .
   は2月8日に行われることが多い。
 円覚寺
   北条時宗が円覚寺を建立(1282年)
 津田梅子(1864〜1929)教育者 誕生日
   1871年(明治4年)日本最初の女子留学生5人の中の最年少として8歳で渡米、11年
   の勉強の後帰国。華族女学校、東京女子高等学校教授になった。7年後再び渡米、
   女子教育制度などを研究等1900年(明治33年)帰国し女子英学塾(のちの津田塾大
   学)を設立。
   英語教育を特色とする個性尊重の教育により、女子教育の発展に力を尽くす。
 シベリウス(1865〜1957)フィンランド 作曲家 誕生日
   ヘルシンキ大学の法科に学んだが、まもなくヘルシンキ音楽院に転じる(ここでピ
   アノ教師をしていたブゾーニと知り合う)1889年音楽院を卒業後ベルリンとウィー
   ンに留学。帰国してから本格的に作曲活動に入り熱烈な国民主義の立場で作曲する
   ようになる。初期の作品は「フィンランディア」に代表されるように非常に民族色
   が濃いが少しずつ洗練された絶対音楽へと移っていった。しかし、あくまでフィン
   ランドの民族性に基づき、これを大形式にまとめ新しい個性的な表現にまで達して
   いる。


●妻の誘いにより座光寺の中国料理店‘the煌's(ザファンズ)’で誕生日祝いの食事をした。この頃は「怒りっぽくなった」と妻から忠告されるようになった。

年老いてから妻には気の毒に思う。心が不安定になっているからであろうか、もともとの性分であったのだろうか。こんな風だと、カバの糞散らしのようになっているんだろう。悲しいことです。

年寄りを弁明するつもりはないとは言うものの、成年の頃に感じた年寄りのイメージそのものを自分で感じている。弁解はすまい。

括弧内を詳しく調べるとすれば次のものがいい。

http://www.nnh.to/12/08.html <12月8日 今日は何の日〜毎日が記念日〜>
 
http://www.soudosha.com/nandata/20011228.htm <日米開戦記念日に寄す(12/24) 創土社>

http://www.engakuji.or.jp/contents/about.html <円覚寺>

http://www.sunlotus.org/season/joudo/joudo01.html <釈尊成道会>
 
http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/gyoji/jodoe.html <成道会・蝋八会>

http://www.tsuda.ac.jp/ja/guide/ume_dream.html <津田梅子/大学案内/津田塾大学>
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%AD%90 <津田梅子 - Wikipedia>

●検索→<シベリウス>(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』がよい)

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