先ず隗より始めよ(まずかいよりはじめよ)


 紀元前4世紀の末頃、燕(えん)の国は隣の斉(せい)の国に国土の大半を占領され、国王までもが殺されてしまいました。そこで、次に即位(そくい)した昭王(しょうおう)は、何とか国の力を回復させようと優れた人を集めようと思い、宰相(さいしょう−王様を助け、政治を行う人)の郭隗(かくかい)という人に相談しました。すると、郭隗はこう言いました。


「昭王、こんな話があります。

昔、ある君主が千金を出して1日に千里を走る名馬を買おうと思いましたが、3年たっても見つける事ができません。すると、宮中にいたある男が進み出て、買ってきましょうと申し出たので、その男に千金を渡して買いに行かせました。その男は千里の馬を見つける事ができましたが、惜しくもその馬は一足違いで死んでしまっていました。すると、何を思ったかその男は、死んだ馬の骨を五百金で買って戻ってきました。君主は、死んだ馬を五百金も出して買ってきたことを怒りました。しかし、その男は言いました。

『少々お待ち下さい。死んだ馬でさえ五百金で買い取ったのですから、生きた馬であればもっと高く買ってもらえると考え、続々と良い馬が集るでしょう。』

と、はたして1年も経たないうちに千里の馬をたずさえた者が3人もいたそうです。

 今、昭王が賢者を集めたいとお思いならば、まずこの隗を重く用いる事です。あの隗でさえあんなにも厚遇(こうぐう)されているのならばと、私よりも優れた人物が集まる事でしょう。」


 昭王はその話を聞き、隗のために立派な宮殿を建て、礼遇(れいぐう−礼をつくし、丁寧にもてなす事)しました。すると、そのうわさは各国に伝わり、趙(ちょう)国の名将である楽毅(がくき)や政治家の劇辛(げきしん)、陰陽学者(いんようがくしゃ)の鄒衍(すうえん)などの優れた人物が集まりました。そして、ついに昭王は斉の国を破る事ができました。

 この話は「戦国策(せんごくさく)」という書物に書かれています。本来この意味は、「手近な私から始めなさい。」という事ですが、現在では、「言い出した人から始めなさい。」という意味で広く使われています。