御薬園の名称は、会津松平藩の二代正経が寛永10年(1670)に園内に各種の薬草を栽培し、特に
三代正容の享保年間(1716-1736)には朝鮮人参を試植し、後に民間に広く奨励したことから「御薬園」の
名で広く親しまれるようになったそうです。
さぁ、それではこの↓「冠門」をくぐって園内に入ってみましょう!!
←左手には「重陽閣」があります。
これは秩父宮勢津子妃殿下ご一家が泊まられた新滝旅館が昭和48年に移築されることになり、
最もゆかりの深い御薬園の敷地内に移築されたそうです。建物の
名前は妃殿下の御誕生日が9月9日であったことから「重陽」の名とされたようです。
←正面には薬用植物園があります。
会津産薬草199種、他地方、外来薬草65種など
約400種に及ぶ薬草、薬木が植栽されています。
右手には↓御茶屋御殿があります。
御茶屋といわれる建物は、室町時代の上級邸宅にみられる泉殿的な性格を持ち、すべて畳敷とした四畳半以上の広さを持つ茶座敷をいうそうです。
御薬園の御茶屋御殿は専ら藩主の休息のほか、上席の役人や藩御用達頭取の元締などが招かれ、お褒めの言葉や
御酒を賜る時などに利用されたそうです。
心字の池を挟んで、楽寿亭があります。楽寿亭は主に藩主や藩重役等の納涼や観光の場であり、茶席や
密議等の場としてもつかわれていたようです。
楽寿亭の命名は三代正容によるもので、自然の造化のなかにも仁者の「寿」と智者の「楽」のあることを感じ「楽寿亭」の名を付けられたそうです。
今秋、楽寿亭は約20年に1度の屋根の葺き替えをしていましたので、春に撮った楽寿亭の全景を
↓下に載せてみますね。
国指定 名勝庭園の御薬園は、回遊式の技法をとり入れた写景庭園の林泉庭型に入るといわれています。
横長の池の形が「心」の字に似通っていることから、心字の池と呼ばれています。
↓春の楽寿亭です。
“秋風に荷葉うらがれ香を放つ おん薬園の池をめぐれば”
園内南東の涼風舎の傍らに、歌人与謝野晶子の歌碑が建っています。
(荷葉はカヨウと読み、蓮を指します)
如何でしたでしょうか? 御薬園を簡単にご案内致しました。お付合い頂きありがとうございます!
四季折々美しい姿を見せてくれる御薬園に、是非1度お越し下さいね♪
(2001.12.1)
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