『父と戦争』
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↑3 日記の一節 7月14日晴 時々夕立 地隙の中の泥海 蹄鉄がぬける 膝を没した馬は動かぬ 轍痕の泥の中に没した敗敵の屍、腕が足が 蒋の甘言に乗った善良な敵兵よ 何時の日か地下に誤りを正し得るか 赦せ吾等の進む馬蹄にかかるとも 東亜の光はぢき近い 兄等の父母兄弟は聖戦の眞の意義を解し得る日は近い ←4 7月15日 豪雨後晴 地盤はゆるむ 地隙に片輪を落した鎮舟車輛は あやうくひっかかって 落下を喰い止む 続け 事故車は後続だ 輪をくれ 吸いつく泥道 馬よ足をとられるな |
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上写真の裏書き 突然 ものすごい文章である。 数日前の戦闘で戦死し、放置された敵兵が、連日のスコールで泥濘に埋没していたらしい。「蒋」とあるから、国民党軍だろう。 善良なる兵士の御霊に「赦せ」と念じて通過する部隊。合掌した将兵もいたことだろう。 「東亜の光は近い」「聖戦の意義」を信じて戦場に赴いた帝国軍人のひとりが 父であった。 |
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下写真の裏書き 師団は急いでいる。 ここでの輜重隊の遅れは、前線兵士の弾薬・糧食の欠乏につながり、兵士の志気・生命に影響する。 「事故車は後だ」と叫び、後続車輛の前進を号令する父が見えるようだ。続いて「輪をくれ」と事故車輛復旧の手配をし、「馬よ足をとられるな」と軍馬をも激励している。写真の様な場合、指揮官といえども荷車を押した事もあっただろう。父は当時としては巨漢の居丈夫であったから当然だろう。 左端の文章は突然ローカルだ。 右の道路脇に立ってゐるのは 北魚沼大塩の○住 山本軍○○ 殿町郵便局の親類也 |