『父と戦争』
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← 上の写真の裏書き。 前段のカタカナ混じりの文は記録。 後段は長兄と母親に宛てて書いているらしい。 文章が多少 キャプションと違うのはご愛敬だ。 |
↑ 2 日記の一節 7月13日 晴 時々夕立 隆化鎮へ 山西特有の地隙が 吾々を阻む 敗敵を追って師団は 急追 主力の渡河だ 駒ぞ元気で征け。 ○砲隊 ○砲隊の 馬の援助で急坂を 泥濘の道を進む 焼ける様な日でした 時々猛烈なスコール |
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左写真の裏書き |
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8 7月27日 晴 南保村→陵下村(翼城西4粁(キロメートル)) 大行山脈と大岳山脈の波の合する所 地隙深く道路は再び泥に近い |
番号が「2」の次に「8」となっているが飛ばしたわけではない。父がアルバムに整理した通りの順番にしてある。この後3・4番が出てくる。 |