『父と戦争』
page 10



上の写真の裏書き。

前段のカタカナ混じりの文は記録。
後段は長兄と母親に宛てて書いているらしい。

文章が多少 キャプションと違うのはご愛敬だ。
 

日記の一節
7月13日
晴 時々夕立
隆化鎮
山西特有の地隙が
吾々を阻む
敗敵を追って師団は
急追 主力の渡河だ
駒ぞ元気で征け。
○砲隊 ○砲隊の
馬の援助で急坂を
泥濘の道を進む
焼ける様な日でした
時々猛烈なスコール


左写真の裏書き

7月27日 晴
南保村→陵下村(翼城西4粁(キロメートル))
大行山脈と大岳山脈の波の合する所
地隙深く道路は再び泥に近い
番号が「2」の次に「8」となっているが飛ばしたわけではない。父がアルバムに整理した通りの順番にしてある。この後3・4番が出てくる。

戻る    目次へ戻る    次へ


BACK TO THE TODOMAN'S HOME