『父と戦争』
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「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」
銃器も携帯せず弾帯もはずし、テッパチもかぶらず、ただただ荷馬車を泥の坂で押す。兵士達も自分自身を兵士と感じていなかったのは当然だ。
6ページ冒頭の小さな写真もこんな場所だったのだろう。もしかして、この坂の下からのアングルか。

5 日記の一節  7月23日 晴
東陽嶺(2500米H)
沁水よりの帰路 坂路上小休止  昨夏[自動車]部隊の苦戦の地。 敵の常に使っている退路だ
上の写真の裏書き
「陽」ではなく こざと偏と「鳥」の旁らしい。達筆の父の文字でも、これは間違いないと思う。漢字に詳しい父が間違うはずがない。
(以後「陽」の字をあてておく。)
「自動車部隊」の所を 上のキャプションではマークになっている。

後段は上キャプションと違う。
学友馬渕少尉激戦の地
○○−○○道 敵の常にねらってゐる退路だ
皇軍の護りは固し 敗敵は一歩も侵し得ず


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