『父と戦争』
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聞喜(Wenxi)は山西省の南端に近い県(日本で言う村のこと)だ。

門口の掲示に 「祝慶 漢口陥落」とある。
歴史書で調べれば時期は特定出来るだろう。

軍装を解いてくつろいでいる様子から、宿舎であろう。










山西、聞喜で
北原広男君と


木工長殿の乗馬記念写真

これは一番上の写真と同じ場所らしい。
門口の形。掲示物。壁面の孔。木の葉の具合。全て揃っている。
ということは、同じ日時にフォトセッションがあったのだろう。
おそらく、内地の家族に送る為に。
上の写真のやうに、リラックスした姿で家族を安心させようとしたり、この写真みたいに乗馬姿で出世した姿を見せて喜ばそうとしたに違ひなひ。
あるいは、一部喧伝されている様に 他の部隊では武勇を誇りたい為に 偽りの処刑写真を演出したりしたこともあったのだろう。
今よりよほど写真が貴重であった時代である。
聞喜 山口木工長(長岡)

同じ長岡出身ということで仲が良かったらしい。
丸坊主・ヤギヒゲの容貌魁偉な木工長殿は、同じく容貌魁偉、筋骨隆々、巨漢の父と良いコンビだったのだろう。

この木工長なる階級はどういうものなのか。
輜重部隊ということであるから、様々な梱包をすることはあると思うが、木箱などもあるのだろうか。又は、工兵並みに橋でも造るのだろうか。とにかく有用な職能であったらしい。
兵士のはずだが軍刀を持っている。将校の証しの長靴を履いていない、がゲートルでもないようだ。ベルト付きのちょっと変わったゲートルだ。このサイズでは階級章は判別出来ない。
準将校扱いの下士官あたりだろうか。

聞喜全景

右文字で書いてあるから、これは当時の観光絵はがきのようなものに違いない。
現地で買い求めたのだろう。

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