『父と戦争』
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昭13.2.23.24  山東から河北省の石家荘に帰る。
猛兄の友  塩原軍医が突然訪ねて来る   渡辺看護長同道 町へ外出

石家荘(シーチャチョワン)帰る とあるからには、父の部隊の本拠地はここだったのだろう。
「猛兄」とは父の兄 堀田猛雄のこと。友人の消息が知れるほど、支那国内での帝国陸軍の通信は充実していたらしい。

占領地なのにこの軽装。軍刀しかつるしていない。余程治安が良いのだろう。
市場を冷やかし、子供達をかまう。父の笑顔も見える。のどかな雰囲気である。
どこかの新聞が宣伝している「残忍な侵略者 帝国軍」のかけらも見えない。
昭13.冬の間に山西へ
楡次の宿舎で



楡次(ユイツー)は山岳地帯らしい。相当冷えるのだろう。防寒靴がでかい。
この写真にキャプションは
無い。
30才になっているはずだ。
顔が肥満しているのがわかる。後年発症する糖尿病の下地がこの頃作られたのか。

階級章が中尉になっている。
石家荘
迫 教育


迫撃砲の訓練


右は珍しくシュールな作品。
長靴は将校用。兵士はゲートルだった。で、大きい方は誰の・・。

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