『父と戦争』
page 6




14.7. 増城縣
輜重隊の真骨頂が表れている。
テッパチ、小銃、その他装備をすべて外して、ただただ荷車を押す。
これは兵隊というより労務者である。
急峻な峠を越えれば この様な荒れ果てた道。 たどり着けば 瓦礫と化した街。
昭14春?
北支 保定の東 約8K ?村
BK変じて 騎馬隊となり
□警備隊、、白洋湖?
湖賊討伐隊の後援隊となった
宿舎にて 山本分隊長(大崎村)と

こヽで
四種混合ワクチン注射で発熱
いらい目にあった
道路工築、橋梁工築、
青年団教育、などといった所
二ヶ月か三ヶ月居た様に記憶する


北支 保定(パオチン)は北京に近い。
ここでも「BK」が出て来た。
警備隊って何だろう?旗が立っているから中隊本部か?
湖賊って何だろう?
馬賊・匪賊と言う言葉は知っている。湖賊は湖族なのか?

ワクチンなんて概念がその当時あったのだろうか。帝国陸軍にその種の情報と治療法が拡充していたというならば、ジェンナーは大いに喜んだ事だろう。

「いらい目」とは「えらい目」のことである。越後弁の特徴である。
「い」と「え」がハッキリしない。発音でも、書き言葉でも。
私自身も経験した事がある。新潟大学のえらーい医者の手術所見に「出血で 良くみない。」というのがあった。「良く見ない」のことである。当然 そのように発音される。

道路・橋梁工事などと来れば、現在の自衛隊PKOと変わらないではないか。六十数年前の父に 思わず「がんばれ」と念じてしまった。

それにしても、山本分隊長に比して顔も身体もでかい。

戻る    目次へ戻る    次へ


BACK TO THE TODOMAN'S HOME