『父と戦争』
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昭 13.正月元旦  山東省  臨清

捕虜収容所の朝 ではない。そう見えるのは、全員丸腰、軍帽なしの まるで緊張感のない食事風景だからだ。
サンダルを履いているヒトもいる。(斉藤鍛工長)  忙中閑有り 元旦の祝賀行事であろう。
華北平原の真ん中 臨清(リンチン)で何をしていたのであろうか。あの様な広大な国土では 兵站は重要であり、過酷であったであろう。しかし、自分達の正月を祝う物資もあったということだ。

堀田少イは左端の列(「メーンテーブル」とある)左から5人目。その隣はあの石田中隊長殿。ご健在であった。
前ページにもいた峰岸獣医・羽賀主計・鈴木軍医殿もおられる。
キャプションの括弧の中には出身地などが書かれている。仙台・福島・長岡・高田・栃尾・地蔵堂など、新潟県内は詳しい地名が記されている。日大・中大などとあるのは、当時としては相当のインテリであった為か。北沢一等兵は「堀田当番」と書かれている。父の従卒ということか。

階級ではなく職能を記載してあるものも多い。
鍛工長(たんこうちょう)とは鍛冶屋のことか。おそらく馬の蹄鉄を管理しているのだろう。実際、「第2テーブル 馬取扱兵 及 其他」とある。獣医殿の同行もその為だ。他に 看護長・ラッパ・鞍工長・木工長などの記載がある。山口木工長は長岡出身のせいか父とウマが合ったらしく、これ以後も頻繁に写真に登場する。

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