『父と戦争』
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昭12.7.25
充員召集
仙台 雫下
民泊、
佐藤埋木班
本部、
父は明治40年11月生まれ。(1907年) 昭和12年7月(1937年)には29才。
写真中の唯一 栄養過多の悪ガキのような人物が父だ。(右端)
全員の額が光っているのは クーラーも無い時代、7月25日という盛夏の時期のせいだろう。
民泊とあるから、個人のお屋敷だろう。両脇の軍人さん以外はその家のご一家に違いない。目、眉などが似ておられる。

仙台動員完結
出発
宇品発釜山
釜山から汽車
8月の豪雨の為
平壌の手前
新幕でストップ
五日ほど足止となる

2D, 2BK
この写真でも一番顔の幅が広いのが父だ。
第二小隊長とある。けっこう偉かったのだ。

父の膝の間にいる子供の 小さい方が私・・・・のわけはない。未だ生まれていない。 じゃあどこの子供だ?
新幕消防団長森本喜久男という人物が一人だけサーベルを立てて写っている。そこらへんが鍵だ。きっと消防団長の子供だ。滞在している帝国陸軍の将校団との記念撮影を願い出て、ちょうど居合わせた子供も一緒に並んだ・・・。
もしかして、写真撮影に並んだ軍人さんを珍しそうに見ていた団長ご子息、ご令嬢を 父が「おめさんがたも来なせや」と自分の前に立たせたのだろうか。いや、きっとそうだ。
してみると、後の黒塀の家は団長のお屋敷なのだろう。

中隊長殿が一番小柄で少年の様に見えるのが気になる。肩幅も膝の開け幅も一番狭い。
軍刀を握っていないのもひ弱な感じを与える。だいじょうぶか石田三郎中隊長殿!

「2D, 2BK」とは何かの略号らしい。「第二師団、第二輜重大隊」か?
この後にも出てくる。

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