第5章:学習者本位の目標による再生―先行実践事例

 前章までで述べたことをまとめてみる。第1章のような状況で行われているような社会学教育における、最大の障碍が、受験生・学生・そして市民と社会学界との、「コミュケーションギャップ」にあることと、第2章において、それを埋める方法として、学習者の特徴から、青少年教育の課題との共通性を指摘し、第3章において、ライフヒストリー研究や自分史などによる「自分探し」教育によって、学習者の「自分探し」課題への大きな助けと、社会学教育の再生が図れるのではないかという理論仮説を立てた。

第4章において学生の意識を調査し、その結果に対して、学習者の意識形成の背景には、現状の単線的な日本の教育制度と、「学歴社会」によって市民・国民によって無意識のうちに肯定され、支えられた大学システムにあるという状況について考察するとともに、モラトリアムの中で少しでも有用な知識・技術を求めつつも、なかなか思うように社会学から学びだせずに苦労している学習者の姿と、調査仮説としての「自分史」へのニーズの高さを確認した。


1 学習者の視点


 本章ではそれを受けて、前章において指摘したような、教育制度、とくに大学システム、学制改革等も重要な要素であることに違いない。したがって、学習者が受けている圧力の要因を改善するという考え方もできると思う。しかしながら、そういった問題について、また、学習者に起因する問題についてもあえて受けとめて、社会学それ自体において何ができるかということ、共有できる「目的」の具体的な部分は何かということを考察したい。
 その際には、学習者の考え方を大いに参考にしなければならない。大学において、学習者である学生の視点、ニーズに立って考えるべしとの議論は、学生による「授業評価」に関しての研究書に見られる。([安岡他1999]等)これに対して「学生への迎合」という否定的意見、批判が加えられるが、学習者との契約関係によって、学校法人そして教員が成立しうることを考慮すれば、学生に教育目標を提示しその支持を受けていくことが本来当然という論考([安岡他1999][中山1996]等)を私は支持するからである。



2 リアルな目標の提示


  学習者の調査から、「目的の喪失・不在の問題」と「慣性の法則」は学習者をも巻き込んでいるといえよう。浅羽通明は以下のように述べている。

 目標喪失=指針喪失の影響がもっとも深刻に現れつつあるのは、教育の領域かもしれない。経済成長の恩恵によりあずかれる、より大きな会社「世間」のサラリーマンへのパスポートは、長らくまず有名大卒の学歴だった。ここに「勉強=さらなる豊かさ獲得条件」という図式が成立し、偏差値教育は相当な普遍性があるものとして、一般に(マスコミや識者にでない)認知された。ところが、成長幻想のストップは、偏差値教育の本音としてあったリアリティを薄れさせた。競争システムを根幹から揺るがすかもしれない少子化の過激な進行はこれに追い討ちをかけよう。常に何らかの強制でしかない教育においては、その強制が理由のあるものとして普遍的に受容されるか否かが成功の鍵を握る。勉強しても出世できない、収入も変わらない、大して上昇できないとなれば、もはや誰が好き好んで努力などするだろうか。」[2000p.78]

  しかしながら、第3章における調査結果[1]から見るならば、大学に替わる価値の迷いは資格・スキル志向に形をかえながら、「慣性」になっているようである。
  学習者側・教育側双方に目的がなく、慣性のなかで教育―学習活動が繰り返されている結果が「1部社会学科は、みんなが大学に行くから私も、という風潮と新奇なものに惹かれる人が一定割合存在するという事実とに依存して発展し、順調に受験生を獲得し続けていた。逆説的なようだが、この順調さが社会学教育を停滞させている」[中山1996:p.210]という状況にある。
  人間の集合体である社会を対象として研究する社会学は、人間(市民)と直接距離はおきつつも、全く疎外されてはならないはずだ。そのためには、『A』という人間が、社会学教育を受けて『A´』になるという、「A´」にあたる人間像、つまり「現実的かつ身近な目標(目的)」が必要ではないだろうか。大切なのは、「リアリティ」があるということだ。学習者にとってあまり遠いものでは意味がない。



3 「自己分析」の時代的要請


 たとえば、社会学教育の学生にとって、及び保護者にとっての大きな関心事に、学卒後の就職の問題がある。調査によれば、少数ではあったものの、社会学専攻を選択することについて、「就職が心配」と言う理由で反対された学生もいるほどである。[2]
 第2章で指摘したように、就職難[3]の現在、「自己分析」の重要性の指摘と関心は高い。[4]また数多くの指南書が出版されている。そのうちの一つである『ここからはじめる自己分析―自己分析と業界』を見てみる。
 同書によれば、「就職活動とは自分探しの旅である。」の物言いとともに「自己分析」の意義について、就職活動の挫折や早期離職者の原因のひとつとして「徹底した自己分析の不足であ」るという。そのため、「就職を控えた学生が、まず取り組むことは、企業情報をかたっぱしから集めることでもなく、OB訪問のためのアポをとることでもない。『徹底した自己分析』をすることである。「自分の特性は何か」「自分の武器は何なのか」「自分は何をしたいのか」「自分の強点・弱点は何なのか」を考えることである。」[p. 16]と就職活動以前の問題として、自己分析を考えるよう説いている。さらに、「こうした自己分析が、自己発見、自己理解を深め、職業意識を生み、初めて「仕事に就く」という考えが芽生えてくる。つまりこれが「自分探しの旅」のスタートラインに立つということである。人生イコール自分探しの旅そのものかもしれない。だから、就職を企業に入ってしまえば何とかなるという単なる目先のことととらえるのではなく、これから社会とどうかかわっていくのか、どう生きてゆこうとしているのかという広い視野で考えていただきたい。」[p.17]という。


図3『ここからはじめる自己分析2003年版』の構成

シート1 ライフプラン 自分の人生設計を立ててみよう

シート2 職業観 自分の人生で職業の占めるウェイトを確かめてみよう。

シート3 社会人シミュレーション 社会人となった自分をシミュレーションしてみよう

シート4 自分史 自分のこれまでを振り返ってみよう

シート5 他人から見た私 他者による評価を参考に自己を客観的に見直してみよう

シート6 私の特性 自己の性格上の特性を把握しよう

シート7 適職をさがす 自分の適職を探そう

シート8 ぴったりの会社発見 関心のある企業について自分なりの尺度でチェックしてみよう。

シート9 行きたい会社研究 行きたい会社について研究しよう

シート10 行きたい会社マッチングチェック 希望している会社が求める人材としての自分の適性をチェックしよう。

シート11 自己PR 自己分析の総まとめ―自分の言葉で自分を表現しよう

また、自分史作成の解説の中には、「社会の中の自分という視点」というチェックポイントもある。以下の部分などは社会学入門書の一節と表現しても違和感がないかもしれない。

 ふだん、自分の日常生活と、ニュースや新聞で報道される出来事とは、ちょっと離れたものとしてとらえているかもしれない。特に子どもの頃には、社会で何が起きているのかなどには、興味がなかっただろう。シートに、自分に起きた出来事と、世界や日本に起きた出来事を並べて書いてみて、約20年という時代の変化のなかで生きてきたことを実感できたのではないだろうか。 社会の中の自分が今後就職して企業にはもちろん、社会にどう貢献していくかの視点も持ちたい。[p.55

 以上のようなことから、「自己分析」に応えられる社会学教育は、学卒後の就職を考えている学習者にとって、それを先取りし、しかも専攻科目内においてという位置づけのもと学習できる。また、それを意識した学生生活を送ることが加われば、さらに学習者の利益に資することができる。「自分探し」のツールとしての自分史のニーズが高い[5]ということは、学習者のほうでもその効用について良く知っているようだ。[6]
 その点からいえば、学習者の「自分探し」を目的とした社会学教育は、進路検討と就職活動に「役立つ」という面を発揮できるといえる。



4 「生活史」社会学教育の事例


 社会学教育を受ける学習者の「自己分析」「自分探し」を目指す視点での教育目標の創出について、その有効性の論証として、一部試行的に実践されている「社会学教育における生活史・自分史教育」の事例について論述する。
 第2章の教育実践例は、心理学的アプローチからの自分史教育の事例であったが、社会学教育における生活史教育の事例を見て行く。
 村田貞雄(江戸川大学)は、ゼミナールの受講者に、ライフヒストリー調査を課題とし、卒業論文にまとめあげることを目標としている。これは、以前はテーマや方法を限定せずに行っていたが、「学生の社会的経験の貧しさ」は、基本的な知識の未熟以前の、明確な動機の「薄弱・不徹底」により、卒業論文は仕上げるのが精一杯で、「生き生きした動機や創造の喜びを見出すことは希であった。」
  そこで、「生活史」を書かせることとし、ゼミ募集で取材対象の心当たりがあることを条件とした。そして、対象は同年代の学生と同居の親族は原則不可とした。
  このような条件下で、学生たちは、恩師や知り合い、両親の郷里の祖父母等にインタビューを行い、論文として完成させている。その際の対象者との関係の構築や維持などの作業が、社会的経験としてのスキルアップも企図しているという。受講者の感想の中には、この経験が就職に役立ったというものもあったという。[村田:1998][川又:2002]



5 短大での事例


 川又俊則(東洋大学短期大学)は、一般教養科目の「社会学」において、ライフヒストリー調査を課題として行った。
  数回の講義とインタビューやテープ起こしの練習をしたのちの実施で、いままで、原稿用紙5枚も書いたことがなかった学生が、50枚以上書いた事により、自信となったこと、インタビューやテープ起こしの苦労や、感想として対象者である母親のライフヒストリーについて、今まで知らなかった人生を知り、改めて尊敬したという話も紹介されている。そして、社会学を学んだ事がない学生に課したことによって、「社会学的視点が十分、入り込んでいるとは言い難い」ことを認めた上で、対象者との出会いと、困難な作業を終えての充実感という意味で、「彼ら/彼女らに、与えるものは大きいことが確認された。」としている。[川又2001][2002p p.220-222]



6 学習者の共感と批判


 横家(田口)純一(名古屋大学・椙山女学園大学)は、「社会学講義」という授業において、ライフヒストリー調査を行い、そのレポートをまとめて出版している。このうち、『こころの運動会−女子大生たちのライフ・ヒストリー研究』では、5つの事例が紹介されており、いずれも労作である。
 横家は、「半年間の短大での講義において、標準的な社会学の教科書を消化することに限界を感じ、さらに、そのような社会学の学問的蓄積―つまり、抽象概念による社会分析―の、学生たちへのインパクトのなさを痛感し、<他者理解>を通して人間社会の把握をめざす「ライフ・ヒストリー研究」に取り憑かれた」[田口:1994  p.251]という。
 そして、中野卓らの研究を読み会うなかで、その対象者(他者)の生き方に対しての感想が、自己へのまなざしとして「反省的」に注がれる営みから、自分の生き方を問い直そうとする厳しい自己認識が生まれる可能性を指摘、[p.256]さらには、実際のインタビューを経験し、その前後で対象者への見方が変化したことが、自己の「こころ」の能動的な動きによってはじめて、「他者理解」動くということを自覚しているようだと分析している。
 このような結果を総括するように、授業初期、アルバイトの面接に緊張しつつ挑戦したが断られた学生の「自分史の現在」を導入として、彼自身の社会学教育についての、考え方を述べている。やや長いが引用する。

  最近の日本社会では大学生のアルバイト要員化は、常識的ですらあるが、右の例は、それにさえ成功していない。本人及び家族の希望と、資本の論理が噛み合っていないことが、失敗の主因であろう。そしてこう述べた後で、そのバイト探しを口実に、「本業」がおろそかになり、テキストが十分読めなかったと、素直に告白している。「学校社会」を飛び出し、バイトに精を出している学生はまだ幸せである。右の例のようにいろんな事情から、そのような「社会」とすら出会えない状況がある。そのような中で、社会認識の方法を説く社会学が役に立つはずがない。仮に一歩引いて、役に立つかどうかという実用性の追求は放棄したとしても、「社会」との緊張関係のない学生に社会学を教えるのは困難この上ない。しかし、ライフヒストリー研究の一部である「自分史」を勧めることによってそのような行き詰まり状況を切り開くスベがみつかるかもしれないことを次のレポートは示唆している。[p.263-264]

 横家はここで、社会学を学ぼうとする学生自身が「社会」との関係意識が希薄であることが、問題の一つとしてあり、それを「自分史」によって解決できる可能性を示唆するとともに、高校生までの「優等生」から、短大に入って「遊びまくった一年」を反省的かつそれを分析し、あえて肯定する学生の自分史に対して、その主体的・個性的生き方には、「社会の中で自分がどのような状況に置かれているのかについて、冷徹に読み取るスベをすでに心得ている」として「もはやライフ・ヒストリーの授業を必要としていないといっても過言ではない」とさえ述べている。[p.265]

 しかし、横家は最後に、このような授業は決して、オールマイティーにはならない事に留意するように「自重」すべきとし、慎重な自己診断を求めている。横家は後年、「ライフ・ヒストリー授業へのひとつの“反乱”」という論文を発表し、この授業についての学習者の批判をまとめている。「はっきり言って、先生が大嫌いだった」ではじまる「A級の反発者」[田口1996:p.1]は、たとえ親兄弟、恋人であっても入ってほしくない心の領域に「ズカズカ土足のまま入ってきた」事に対し、「今でも嫌いだ。」と感想を述べている。このような「A級」反発者が回答者114に対して、23もあり、その予備軍ともいえる「B級」が21人いたということにより、受講者の約4割が反発したことになる事から、もはや「反発ではなく“反乱”と呼ぶべき事態」[p.2]になっていたという。
 この一方で、授業評価での「共感グループ」がほぼ拮抗している状況について、「共感グループ」では、授業の中で、自己表現のつたなさへの気づきと、それを受け入れる、「新しい自分の発見」に対する喜びと楽しさや、快感になった緊張感のなかから、自分が成長していける場としてみることができている。これに対し、「反発グループ」は、自分がすでに豊かな個性をもち、自分に対する自信から、他人の個性を認めることはできているが、両者の個性が反発と協調を繰り返しつつ、相互作用していくことで社会が存立していること、したがって、そこに自分の目を向けることが、「社会の重層する大状況を見据えること」になるというところにまで認識が展開されていない。「自分の殻」にとじこもって、個性やスタイルをそのまま受け入れてくれる、「極めて小さな友達集団」の中でしか生活できないと分析している。
 これと同様の拒否反応は、本論文における調査の自由回答においても多く見られる。[7]しかし、逆に考えれば、それも教育の課題なのである。あるいは、それになじまない学習者がいても無理強いするものではない。


7 「自分史」社会学学習者の声


 上記3例は、インタビューを通じて、「他者」の生き方に触れるという行為から、自己そして社会へのまなざしを研ぎ澄ますとともに、その経験を学卒後の、自己の生活に生かすことへの可能性を秘めている点は共通しているといえよう。

一方で、ストレートに学生に対して「自分史」を課した例を紹介する。東洋大学社会学部社会学科[8]・中山伸樹ゼミの例である。
 中山は、ゼミナールでの課題を論文執筆とし、学生本人のテーマについての論文のほか、「地獄めぐり」と題する自分史論文の執筆を選択させ、特に1年次配当の「社会学基礎演習」の履修者には「地獄めぐり」と称して自分史を執筆するように勧めている。
 ここで、2001年度の中山ゼミ履修者1・2・3・4年生の論文の一部から、自分史執筆前後の自身の変化について述べている部分を抜き出し、分析してみる。

※「自分史」(「地獄めぐり」)に取り組む「きっかけ」と「感想」の部分を抜粋し、読みやすいように一部改行した以外原文のまま引用する。


「地獄めぐり」論文から一部抜粋   

事例1(事例2以降のサンプルとして提示された論文)

 

私は、今限りなく後悔している・・・。ゼミで論文をかけといわれた時、どうして研究のテーマを自分の興味関心のある出来事についてにしなかったのだろう。どうして様々な文献を読み、拾い集め考えるという作業を、選ばなかったのであろうか。初めは、児童心理と、女性の社会進出について、書きたい、調べたい、学びたいと思っていた。しかし、このテーマを通じて本当に考えたかったのは、自分の人生についてだということに、書籍を読むうちに気づいた。女性の社会進出、そして、その後における選択など、自分の未来に対して全くわからず、年月を重ねてゆくことが、大人になってゆくことが、恐いと思い始めていた自分が根底にいたから、このテーマについて調べてゆきたいという気持ちになったのだと気づいた。たくさんの不安と、どんよりとした未来を前に限りなく長いため息を毎日もらしていたのが、三年の初めのころだった。それならいっそのこと、自分をみつめなおす、という意味で大きな意味を持つことになるであろうこのレポートを書こうと方向を転換した。

その時の私は想像さえしていなかった、自分を振り返るという作業がどれだけの苦痛をともないどれほど恥ずかしい行為であるかということを・・・。中山先生がどうして「地獄めぐり」とよんでいらしたか進めていってやっと実感が湧いた。本当は、ごく簡単に単純に就職活動の助けになれば、進路を選ぶための手がかりとなればいいという考えのもとこれを選んだ。しかし、それはものすごく甘かった。自分というものを振り返る作業はまるで自分で自分の首を、絞めていくような作業だ。過去を引っ張り出しては、自分の選択のミスや、行動言動などのいたらなさ、配慮や思慮の足りなさを、思い出しては悔やみ考え途方にくれる。自分がどんどん嫌いになってゆく、ちっぽけな自信なんて音を立てて崩れてゆく。そして、生きることが苦しくなって、どうしようもなく不安になる。このゼミ論の事を考えるとどうしようもなく不安で、逃げ出したい気持ちが私の心を埋め尽くした。夏ごろからそんな状態を迎え、かなりの鬱状態になった。多くの葛藤があった、いろんな迷いもあった。自分について書くということは、非常に簡単なようでいて大変にむずかしい。振り返った所で本当に自分が見えるかなんて分からないし、自分の今後に役立つかも定かではない。独りよがりの自分かわいさにただの言い訳がましい文章に偏ってしまう確立は高い。自分が見えてきて絶望感がより深まったらどうしよう。自分は見栄をはってうそを書いてしまうのではないか。自分の大きな間違いに気づいてしまったらどうしよう。悪い欠点を、目の前に突きつけられて、どうしたらいいのだろう。何が大切だったのだろう。何をしたいのだろう。どんな自分でありたいのだろう。自分には、何が出来て何ができないのろう。どうしたら幸せになれるだろう。何が自分にとって幸せというのだろう。何を一番大切にするのだろう。どこを目指して進むのだろう。誰と生きてゆくのだろう。五年後は、十年後は、三十年後は、五十年後は笑っていられるだろうか。幸せだと感じられるか。どんな子供だったのだろう。どんな子供を産むのだろう。どんな奥さんになるのだろう。どんなお母さんになるのだろう。どんなおばあちゃんになるのだろう。考えてゆくと限もなくてうんざりする。

しかしどこに逃げても自分は自分だし誰かと変わるわけにもいかないし、これから死の瞬間までずっと自分と付き合っていかなくてはいけないのだ。この不安たちが少しでも解決し、明るくなってゆくなら、振り返ってゆっくり自分と話してみる事も悪いことばかりではないかもしれないと思い直し、何より自分からは逃げられない事に、最近になってやっと気づいたので、直ぐ見つめなおす事に腹をくくった。 

 現在の私は・・・・・  自分が何を求めているのかがわからない。どんな自分になりたいかが見えてこないし、何がしたいかもわからない。何のために生きていってどんな風な未来でありたいか、どんな事にこだわっていきたいか具体的な形が見えない。自分にとって何が幸せで何が不幸せなのだろう。どこが一番落ち着ける場所で、何を一番大切にしたいのだろう。どんな人と出会いどんな未来があるのであろうか。しかし、何より毎日が息苦しくて今の私にはたまらなく居心地が悪い。流行に踊らされて得意になる自分、一緒だと妙に安心するくせに自分だけ特別でありたいと思う。やりたいことがあっても、努力もしないから何でも出来るような気持ちになって勘違いしている自分がいる。安定を望む反面、多少危険であっても、キャリアになりたい自分。何かを選ぶと言う行為は同時に別の可能性を切り捨てるということでもあるのに、両方捨てきれない中途半端な自分。変わりたいのに現状に甘んじている。全くの迷路みたい。本来考え方一つで、どうにでも感じられるけど今の私には、プラスに考えられない。就職という目前に迫ってしまった期限が、余計に私の考えを悪いほうへ、悪いほうへ、とひきよせてやまない。

今まで学校に通わせてもらっていることは、ごく当たり前の事のように感じていた。感謝こそしていても、自分の中にあった当たり前という感情は否定できない。学校に通わせてもらい、本来通える距離なのに無理いって一人暮らしをさせてもらって、仕送りをしてもらい、事あるごとに守り助けてもらっていた親から、今度こそ一人で自立しなくてはならない。今になって初めて、「生きていく」という事の大変さが身にしみてきた。うちの親は常々「普通に生きることが一番難しい」といっていたが、最近になってこのいみがやっとわかってきた。今までの私は「平凡な人生なんてつまらない」と思っていたのだ。しかし私にも大切な彼氏の存在を私の未来に考えるようになって初めて繰り返す毎日の中に、健康を保ち、平凡でいることの意味を見出せるようになった。この年になって初めて生きる事の難しさがようやくわかってきた。自分でお金を稼いで、生活をしていくということは、並大抵の事ではないし、好きな事楽な事ばかりしていては生活は成り立たない。私は今でも心の片隅には、夢がありそれが、かなって、食べていけたらと今でも思ってしまう自分がいる。努力もしてないから、なれるわけがないし、頭ではわかっていてもあきらめきれていない自分もいて今就職活動の時期を迎えているのにも関わらず、まだ迷う気持ちがある。幼いころは無我夢中でこれになると漠然と思っていたけど、少し大人になった私は現実がみえて、地に足がついてなんかここ最近本当に臆病になったように思える。そんな私と、昔のままの無鉄砲で、元気すぎる私のなかのギャップが、今私を何よりも戸惑わせている。

ここでやはり今までの自分を振り返っていったい何が変わってどんな風であったのかを、思い出していこうと思う。それによって自分は本当は何がしたいのかが見えてきたらいいという期待を込めていきたい。

 

(中略)

 

自分の悪いところが見えてきたらかえってすっきりした。あとは、よくなるだけだ。この論文を書き始めるに当たって私はいろんな事を考え、振り替える事が自分にとってプラスになるとは、あまり思っていなかった。ただ自分の悪いところが明るみにでて、恥ずかしいやらなにやらで、また自分を嫌いになるだけだと、心のどこかで思っていた。しかし、こんなにすっきりするとは正直思わなかった。本当に今まで目をそらしてみないようにしていた自分を、こういう形で省みたら、自分のやるべきことがみえてきたように感じた。反省する、自己を省みる心が、大切だということがわかった。今まで自分の悪いところを、反省して見詰め直すようなことを、その都度やってこなかったから迷いが自分の中に生まれて、そこにどっぷりつかって抜け出せないままでいた。しかし、結局はどんな状況にあったとしてもやる人は、やるのだ。私は昔も今もやるべき事からただ、何か理由をつけては、逃げていただけだった。だから、自分の生きていく責任から逃れられない今の時期にこんなに憂鬱になっていたのだった。この論文から得たものは、大きかった。結局どこでもいつでも自分の納得するように後悔のないようにしないと、いつまでたっても夢だけ見ている中途半端なままになって幸せになんてなれないということがわかった。周りをうらやんでいるひまがあるなら自分を磨いたほうが自分の為だと言う事もわかった。文句をいわず、改善する努力をしたほうが早いとも思った。この悪いところはすぐには直らないかもしれないが心がける事によって変わっていく事もきっとあると信じたい。この論文を書いて考えた多くの事を、今後の糧としていきたい。後悔のない選択をし、納得のいく人生を送りたい。

 

 これは、以下紹介する事例の参考に紹介された2000年度以前の論文である。

自分を振り返ることの苦しさと困難さを通じて、自分を反省することの大切さを自覚したという。

 

 

 

事例2

私はこのゼミで、論文か地獄巡りを書くことになったとき、絶対論文を書こうと思っていた。なぜなら、私にとって過去を振り返るということは本当に地獄巡りであると思ったからだ。人に自分の忘れたい過去を話したことなどほとんどない。たいしたことじゃないから、話してみようとは思ってもどうしても人に話せずにいた。私は今までの自分の人生は確かに楽しいこともあったけれど、人に誇れるような充実した人生ではないと思う。今までの自分の人生はあまり好きじゃないし、昔の自分は本当に大嫌いだ。だから、ゼミの一番初めに提出した自分史の過去の多くの部分は嘘を書いたところが多い。

なぜ今回、自分は地獄巡りを選んだのだろうか。初めに言った通り、私は論文を書くつもりでいた。私は映画が好きなので、映画に関するテーマでゼミ論を書こうと思ったのだが、具体的なテーマを考え出すことができず、私は一体何がしたいのか、私にとって映画とは何なのか、私は本当に映画が好きなのか、という壁にぶつかってしまったのだ。だから、その答えを見つけるという意味でも、今自分自身を振り返り、映画に興味を持った頃のことを思い出したり、逃げてきたこととも向かい合いあったりしたらいいのではないだろうかと思う。そして、これがこれから進むべき道を決める上での一つの判断材料になればいいなぁとも思っている。また、今回自分と向かい合う勇気が出たのは、昔に比べて今がとても充実し、自分に少しは自信がもてるようになったからでもある。これは今私の周りにいるたくさんの大切な人達のおかげであり、感謝しなければならないなぁとあらためて実感した。

( 中略 )

今までの二十年間の自分の過去や、自分の思っていることを言葉にしてみたけど、本当に言葉にするのは難しい作業だった。これでは、自分が書こうとした思いの十分の一ぐらいしか伝えることが出来ていないような気がした。また、結局本来の目的である自分の本当にやりたいこと、進むべき道についてもはっきりとした答えを出すことができなかった。 でも、この作業は自分にとって意味があることだったと思える。やっぱりみんなに公開するのは一部になってしまうのかもしれないが、今まで避けて通ってきたことと向かい合いそれを言葉にしたことで、幾つものトラウマとなっていた過去が大したことでないように思えてきたからだ。これをそのまま見せることは出来ないけど、今まで誰にも言えずに心にしまっておいたことを人に話していけるような気がした。

また、将来進むべき道のことだけど、就職活動だからといって焦るのはやめることにした。目標は大きく持ち、自分が納得できないことはしない、これをやればあれになれるとか合理的なことは考えない、本当に好きなこと、やりがいがあることを地道にやっていくのが遠回りだけど近道だと思う。単に最近知り合った人からの受け売りの言葉だけど、いろいろ考えても今の時点で答えは出せないという答えが出たのだから、先を急いで焦らずに自分のペースで一歩一歩進んで行こうと思う。

 

 この事例では、過去を振り返る事への嫌悪感から、自分史への拒否反応があったが、それは、過去の自分を否定したい感情があったからという。しかし、論文テーマの選定作業に入った際に壁にぶつかる。自分が研究したい課題は、「なぜ自分が研究したいのか」という背景を見つめる必要性が出てきたからという。そこでこの学習者は大学生になった自分が持った少しの自信が生む勇気をもって自分を振り返る事ができた。その結果、答えはまだ出ないが、作業自体は、過去のトラウマの克服という点で有意義だったとしている。

 

 

事例3

 今回のこの地獄巡りをやっていて苦しいと思ったことはそんなに無かった。“あ〜こんな事もあったな〜”と感じる程度であった。それは自分の嫌な所が見えていないからなのかもしれない。嫌な所を見ようとすることは良いことなのか、と思うこともあり、でも嫌な所を知りそれを改善することが自分をより良くすることに繋がるのではないか、と思うところもある。本当にここで終わりにして良いのか、まだまだ書くことはたくさんあるのではないか、となかなか納得して終わることができないのが事実である。

結局自分はこの地獄巡りをやったことによって何が変わったのか、と考えてみてもいまいち分からない。そう考えるとやっぱり嫌な自分というものを意地でも見つけださなくてはなのか、と思ってしまう。そう、実はこの悩んでいる姿の中に“やはり自分の嫌な場所は見たくない”という気持ちが明らかに見受けられることが分かった。自分はこのままこの論文を終わらせてしまって良いのか?本当に良いのか?もう分からない。

こういう気分の自分は、諦めがとても早く、嫌なことからはうまく逃げ出すことをよくする。これが自分の悪いところであろう。自分はこの自分を前々からよく知っている。知っているがこのやり方がとても楽なためなかなかやめようとしない。もしやめたら自分はもっと優れた人(ちょっと抽象的すぎるが)になれるのか、自分の毎日がもっと素晴らしいものになり、もっと毎日の生活の苦しみが減ってくれるのか。これははっきりと“YES/NO”と言うことができない。

自分はとても保守的な性格のため、高い確率で成功するというときにしか事を実行しない特徴がある。だからその嫌な自分を分かっていても自分はたぶんこれからも嫌なことからはうまく逃げていくことを続けるだろう。非難されるかもしれない。でも自分はそんな冒険的なことをしたくないのだからしょうがない。正直言ってびびっているのだから。

でもいずれどうしても冒険的な選択をせざるを得ないときがやってくるだろう。その時はしょうがない。選択をするだろう。でもその選択をするときでさえも、自分はあらゆるデータを集めて自分の人生をどうにかうまく保っていこうと努力をするだろうと思う。無駄なあがきかもしれないが、自分にできることは全てやるつもりだ。

自分の考えを説いていくとどんどん自分の世界に入っていってしまうことも自分の悪いところかもしれない。

自分を振り返ってみると、本当に様々な出来事が自分の周りで起き、またそれにより様々な心境の変化が起こった(心境の変化から様々な出来事が起こったのかもしれない。どちらでも言えるけれど)。今まで自分の身に対して起こってきたあらゆる出来事は、結局全て現在の自分を形成するために何らかの影響を与えてきた。良い出来事、悪い出来事、幸運な出来事、不運な出来事。今現在の自分に対して満足をしているのなら、結局それらは全てうまくいっていたのだと思える。

“もしあの時こうしていれば”と思うときがたまにある。しかし、その時違う決断をすれば、その時点においては良い結果が得られたかもしれない。けれど、結局その後はどうなっていたか分からない。しかし、そんなことを言ったら、それでは結局今の自分に満足していれば、それまでの過程はどうでもいいのか、実はもっと早くこの満足にたどり着けたはずなのに、あそこであんな選択をしてしまったからこんなに遅くなってしまったのだ、となってしまうかもしれない。また今は満足しているかもしれないけど、実はその満足は次なる不満足のための準備段階かもしれない、とも思える。

こう考えてしまうと、その場その場には満足できなくなってしまう。その場その場に満足できなくなってしまうと、ではいつ満足することができるのか、その瞬間その瞬間がいいかもしれない。つまり良いことがあったら満足して、嫌なことがあったら不満に感じる。人として自然な感情だと思う。

しかし人はとっさに感情通りに動かない。考えることをして、それから動くことが社会の中では多い。感情を表していると、社会の中で大多数の普通と呼ばれるような人たちから仲間はずれにされてしまうことが多いから。それでは瞬間ごとに満足・不満を感じていては仲間はずれにされてしまう。だから人は結果が出てから始めて満足・不満という感情を表すのである。

 

この学習者は、自分の過去を振り返る事は苦しくなかったとしているが、振り返った後、全てを見つけていない不安感と、自分に与えた出来事の認識(社会的自己の発見)と今後の不満足への覚悟・準備を意識している。

 

(これ以外の事例は資料を参照)


 これらはいずれも、「自分史」をつづるという「地獄めぐり」のなかで、過去を振り返り、現在そして未来を探る「自己」の営みに格闘しながら、様々な反応をしている。どのような反応でも、自分を振り返る苦しみを経験した事によって、自然で、新鮮な反応である。具体的なテーマを研究するにしても、いかにしてテーマに選んだのかを導き出したのかということを考えなければ意味がない。「うすっぺら」である。その壁から自分探しに入り、多くの事例で「自分を振り返る」ことの大切さと、未来へのまなざしを再認識している。その点で、「自分探し」の課題の助けになっているという仮説は証明されたといってよいだろう。
  また、プライバシー保護の観点から、それぞれの内容は公表できないが、若年層の学生でも、さまざまな「経験」をしている。高度情報化社会に生きる若者にとっては、「青春」の一語で済むような牧歌的な出来事にはとどまらない。「いじめ」「受験競争」「友人の死」などの「負の部分」も決して少なくない。こういった事象を相対化して記述する作業は、「自己」を、「社会」や「他者」との関係性からみつけるということを目的にした社会学教育の実践といえ、社会問題・構造発見の一助となるという、社会学本来の役割にも合致するものではないだろうか。




[1]  調査Q3Q10を参照

[2]  調査Q6を参照

[3]  厚生労働省・文部科学省調べ:2003年春大卒就職内定率64

[4]  各大学の就職セミナーには講座が設定されている。また、インターネットyahoo Japanで「就職 and 自己分析」で検索すると約16400件がヒットした。(200212月)

[5] Q18を参照

[6] Q17Q18の結果を参照

[7]  調査自由回答を参照

[8]  この他、大坪省三は昭和36年から、「子どもの生活史」として学習者の幼児期の自分史を書かせる試みを続けているという。

[9] 筆者は、「総合的な学習」もしくは「生きる力」教育について、全面的に支持しているのではない。そもそも文科省が「例示」という形で実質的に指導・監督している文教行政について批判的である。

[10]総合的な学習の時間の学習活動を行うに当たっては,次の事項に配慮するものとする。@自然体験やボランティア活動などの社会体験,観察・実験,見学や調査,発表や討論,ものづくりや生産活動など体験的な学習,問題解決的な学習を積極的に取り入れること。Aグル−プ学習や異年齢集団による学習などの多様な学習形態,地域の人々の協力も得つつ全教師が一体となって指導に当たるなどの指導体制,地域の教材や学習環境の積極的な活用などについて工夫すること。

[11] 実用性の議論については、「プラグマティズム」=「真理の基準を有用性に置く」『社会学小事典』などに準拠している。

[12] 調査結果Q1・Q

[13][千石1997]を参照。

[14]日本の伝統的成長・成熟観といえる『守・破・離』は剣道や茶道で修行上の段階を示したもの。守は型、技を確実に身につける段階。破は発展する段階、離は独自の新しいものを確立する段階[日本国語大辞典]守を修めて「達人」、破に至って「名人」、離に至ることによって「名人中の名人」という見方もある[倉沢行洋『芸道の理念と修行』日本の美学30ぺりかん社]この概念に対する新基軸である

[15] 学習者個人の履修計画ではなく、学年配当の撤廃という形での。

[16] この方法は、ある研究(者)分野だけを狙い撃ちして内容を拘束するのではなく、各研究分野の教育における目的と出発点を統合することによっての収斂を図るということでもある。

[17] 調査結果

[18] 調査結果Q20を参照。