第4章:アンケート調査による学習者の意識と背景


 現在の社会学教育に対して、学習者側に立った社会学教育の目的論を構築するに当たり、実際社会学を学ぶ学生の声を調査する必要性があると考える。そのような状況において社会学を学んでいる学生はどのようなきっかけや思いから社会学と出会い、志望し、学び、どのように考え(疑問や不安)、それをどう評価しているのか。その一端を明らかにするとともに、新たな社会学教育のかたちを提案するため、前章で述べた仮説を検証すべく、東洋大学社会学部社会学科・社会文化システム学科に学ぶ学生の意識を調査した。


 調査の概要


 東洋大学社会学部第一部社会学科は2001年度で779名(男:420/女:359)が在籍している。東洋大学の社会学部創設は比較的早く、文学部社会学科から1959年(昭和34)に独立して創設された。当時の社会学科は、第一講座:社会学理論研究(講座担任田辺寿利)、第二講座:社会誌学研究(同鈴木栄太郎)、第三講座:民族社会学研究(同呉主恵)であり、当時から「社会調査・社会調査実習」を必須としているカリキュラムが特徴的といえる。2000年度(平成12)入学生より5学科体制をとっており、社会学科は、社会文化システム学科(主に文化研究系統)が分離して現在に至る。2002年度の4年生以上は旧カリキュラム・3年生以下は新カリキュラムとなっている。両者の違いについては、主に新カリキュラムでは、社会学科が卒業論文を必修とし、全学科で社会調査実習が年次から履修可能になった点が挙げられる。

調査対象:

宇都宮京子助教授担当  「社会学基礎論」          (社会学科一年次)
中山伸樹教授担当          「社会学史」                  (両学科二年次)
                                 「社会学演習U.V」  (社会学科三・四年次)
大坪省三教授担当          「社会学演習U.V」  (社会学科三・四年次)
松本誠一教授担当          「社会学演習V」「社会文化システム論演習U」(両学科三・四年次)
細井洋子教授担当          「社会学演習V」「社会文化システム論演習U」(両学科三・四年次)

調査方法:     集合調査法・アンケートによる自記式質問紙法

実施年月日:

2002年(平成1411月8日、1120日、1122日、1127

有効回答数:315         回収率:67.3%




  調査結果


Q1 学年

A.1年生 157 (49.8%)
B.2年生  75 (23.8%)
C.3年生  54 (17.1%)
D.4年生以上  29 ( 9.2%)


Q2 性別

1.女性 155(49.2%)
2.男性 160(50.8%)


Q3 あなたが大学に進学した主な目的を二つ挙げてください

1:仕事や生活に役立つ実用的な知識・技術が学べると思って。 174 (55.2%)
2:将来の仕事に活かせる資格が取れると思って。  73 (23.2%)
3:「大卒」の学歴が欲しいと思って。 157 (49.8%)
4:大学院に進んで大学の教師や研究者になりたいと思って。   8 ( 2.5%)
5:社会の矛盾や問題を分析し、解決方法を模索できると思って。  67 (21.0%)
6:大学で行いたい部活動・サークル活動があったので。  22 ( 7.0%)
7:先生や仲間と利害抜きの交流できると思ったので。  46 (14.6%)
8:その他                           63 (20。0%)

その他内容・・・別紙

 この設問は、日本社会学会社会学教育委員会による1997年科研費による「社会学教育の課題と現状」の調査における。「四大(引用者注:四年制大学)社会人学生対象の調査」の「問12」を参考にしたものである。
 本調査からは、「仕事や生活に役立つ実用的な知識・技術が学べると思って」が最も多く、わずかな差で「『大卒』の学歴が欲しいと思って」が続いた。両方とも、全回答者の約半数が選択している。次いで、「将来の仕事に活かせる資格が取れると思って」「社会の矛盾や問題を分析し、解決方法を模索できると思って」という結果となった。
 また、その他においては、積極的・消極的に分かれるものの「モラトリアム期間」を求めてという答えが目立ったほか、「行くのがあたりまえと思っていた」というような、自己主導的ではない要因も見て取れた。

Q4 あなたが社会学を専攻にした主な理由を二つ挙げてください。

1:学んだ知識・技術がこれからの仕事や生活に役立つと思って。  96 (30.5%)
2:将来の仕事に活かせる資格が取れると思って。  23 ( 7.3%)
3:たまたま社会学科に合格したから。  35 (11.1%)
4:自分自身を見つめなおす視点を養えると思って。  70 (22.2%)
5:社会の矛盾や問題を分析し、解決方法を模索できると思って。  70 (22.2%)
6:社会のことを一通り幅広く勉強できると思って。 143 (45.4%)
7:「社会学」というイメージに惹かれて。  84 (26.7%)
8:高校時代までの「社会科」が好きだったので。  26 ( 8.3%)
9:高校・予備校の教員、家族などからすすめられて。  15 ( 4.8%)
10:特になし  11 ( 3.5%)
11:その他  37 (11.7%)
その他内容・・・別紙

 この設問も、「社会学教育の課題と現状」の調査における。「四大社会人学生対象の調査」の「問13」を参考にしたものである。
 ここでは、「社会のことを一通り幅広く勉強できると思って」という回答が半数近くある。次いで、「学んだ知識・技術がこれからの仕事や生活に役立つと思って。」、以下「社会のことを一通り幅広く勉強できると思って」、「自分自身を見つめなおす視点を養えると思って」「社会の矛盾や問題を分析し、解決方法を模索できると思って。」がほぼ並んでいる。
 その他については、「おもしろそう」という漠然としたものや、「経済、経営などと違いあまり専門的なことをやらず自由なイメージがあったから」のような特定の分野にこだわらない「学際性」をもとめてという回答があった。
 このQ3/Q4の傾向からは、いわゆる「実学志向」は見られるものの、単なる資格技術にとどまらない、社会への興味・関心を持ち合わせ、それと重なるイメージとして、社会学を選択しているように読み取れる。


Q5:あなたは社会学を専攻する学科(大学名・学部・学科名は関係なく)が第一志望でしたか

1.はい 235 (74.6%)
2.いいえ  78 (24.8%)
無回答   2 ( 0.6%)

 第一志望という回答者が全体の3/4に及ぶほどの人数であり、これは予想よりかなり多かった。志望した大学ではなくとも、社会学を学ぶ事自体は志望と合致している学生が少なくないことを示している。


    Q5で「はい」と答えた方に伺います。
Q5SQ あなたが「社会学を学びたい」と思うきっかけとなった出来事(個人的なこと・社会的事件など)はありましたか。


235回答中
1:あった  89 (37.9%)
2.ない 141 (60.0%)
     無回答    5 ( 2.1%)


「いつ」「どのような出来事」・・・自由回答別紙

 第一志望者の約4割弱が、自覚した「きっかけ」を持っているようだ。
 「いつ」という時期の問題では、「高校時代」が約60%で、具体的な年代を挙げた回答でも、年齢から逆算すると高校時代となるものもあった。
 「どのような出来事」については、多様な回答があったが、「少年犯罪」の「多発」の情報をきっかけとしたものが目立つほか、「マスコミ」業界への就職を目指すためという回答もあった。
 
 
Q6 あなたは大学で社会学を専攻しようすることに対して誰かから反対されましたか。また、その理由はどのようなことですか。

1. はい  26 ( 8.3%)
2. いいえ 288 (91.4%)
無回答   1

  反対された理由:別紙


 「はい」という回答は、8%にとどまり。調査者の予想よりは少なかった。反対された理由は、「就職への不安」と、「社会学で学ぶ事が見えない」という理由が多かった。

Q7 あなたがこの大学に入学して、社会学を学ぶ上での自分の中の目標(目的)はありましたか。またそれはどのような目標(目的)でしたか。

1.ある 124 (39.4%)
2.ない 189 (60.0%)
無回答   2 ( 0.6%)

目標(目的)の内容・・・別紙

 「ある」「ない」はほぼ4:6に分かれた。「目標なし」が6割のなか、4割の目標は、主に、「就職用能力の習得」、「具体的分野の興味」、「社会学的視点(幅広い知識・広い視野・相対的思考)獲得」、「社会認識」、「自己修養」に分かれる。


Q7で「ある」と答えた方に伺います。
Q7SQ その目的は達成できたと思いますか。


124回答中
1.ほとんど達成できた。  1 ( 0.4%)
2.半分くらいは達成できた。 24 ( 5.7%)
3.あまり達成できていない。 56 (19.7%)
4.ほとんど達成できていない。 44 (16.3%)


 1年生が対象者に多かったせいもあり、学年が上がるほど「達成」回答が多いが、目標の内容から考察すると、現状の社会学教育では、フォローしていない部分が多かったため、全体的に「達成」回答は少ない。


Q8 あなたの興味のある分野(または研究テーマ)に「○○(の)社会学」という表現をするとどのようなものですか。
『                (の)社会学』

自由回答別紙

社会学者の数だけ社会学があるなどといわれるが、その言葉どおりの結果となった。

Q9 大学で社会学に触れる前に持っていたイメージと、実際に触れてみて、そのイメージとギャップはありましたか。

1.大いにあった  71 (22.5%)
2.多少はあった  99 (31.4%)
3.どちらともいえない 107 (34.0%)
4.ほとんどなかった  31 ( 9.8%)
5.全くなかった   4 ( 1.3%)
無回答   3


 「どちらともいえない」が最も多かったが、「大いにあった」「多少はあった」をあわせると、53.9%と半数を超える。「ほとんどなかった」「全くなかった」は1割強にとどまった。男女差・学年差はほとんどない。


Q9で「大いにあった」「多少はあった」と答えた方に伺います。
Q9SQ  そのギャップとはどういうことですか

    
自由回答・・・別紙


 ギャップのなかで、大きく分かれたのが、肯定的なギャップ(予想より良かった)と否定的ギャップ(予想より悪かった)、中立的(評価を含まない・いままでと違った点)である。
 肯定的なギャップ(予想より良かった)では、「社会学の奥深さに驚き、また生活に密着している学問だなと思った。」「思っていたより身近」とともに「意外とさぼっても単位がとれてしまう。」といった回答があった。
否定的ギャップ(予想より悪かった)では、「思ったよりむずかしい。」「今だに社会学とは何なのか説明できない。こんなにつかみづらいものとは思ってなかった。」「理解しにくい」という等の回答が代表的である。また、「実際はモノの視点をかえたり、あらゆる方面から社会の出来事を分析するというような機会授業が少ない。」「もっと今の世の中についての知識が増えると思ったが、そんなことはほとんど習ってない。」「思ったほど実用的ではないと思った。」というような回答もあった。
 中立(評価を含まない・いままでと違った点)では、「高校までに習っていた「社会科」とはまるでちがう分野のように感じたので。」「哲学っぽいところが多い。」という回答があった。


Q10 あなたは「社会調査士」のような、社会学を学んだ人だけが習得できる資格を制定することについてどう思いますか。


1. 大いに行うべきと思う 106 (33.7%)
2.やらないよりはやったほうがよい 121 (38.4%)
3.あまりやらないほうがよい   8 ( 2.5%)
4.全くやるべきではない   5 ( 1.6%)
5.わからない  74 (23.5%)


 ここ数年日本社会学会などで論議・検討され、一部の大学では、大学認定の資格として導入されている、「社会調査士」資格の制度化の問題について、質問した。
「大いに行うべきと思う」「やらないよりはやったほうがよい」合わせて70%を超えた。この全てが習得したいということではないであろうが、「大いに行うべき」という積極的な回答が30%以上になることは予想以上であった。


Q11 あなたは、社会学の基礎的なことはある程度学んだ自信はありますか?

1.大いにある   2 ( 0.6%)
2.多少はある  58 (18.4%)
3.どちらともいえない 162 (51.4%)
4.ほとんどない  80 (25.4%)
5.全くない  12 ( 3.8%)


「どちらともいえない」が半数で、1年生が多いことからか評価を留保する傾向があった。こちらも学年が上がるにつれて「ある」がわずかに増加している。

Q12 あなたは、社会学を学んだことが自分の人生にとってプラスになると思いますか。

1.大いにプラスになる  88 (27.9%)
2.多少はプラスになる 172 (54.6%)
3.どちらともいえない  42 (13.3%)
4.多少マイナスである   1 ( 0.3%)
5.全くマイナスである   0 ( 0.0%)
無回答  12 ( 3.9%)


 自分の生き方のなかで、社会学教育はどのような影響を与えるか、「役に立つ」=「プラスになる」と考えているかを問うた質問である。
「大いにプラスになる」「多少はプラスになる」あわせて82.5%という結果から、総合的にみれば低くはないが、「多少はプラスになる」が50%以上という数字をどのように評価するかである。
 私は「実用性」「多少」と「大いに」の間の距離をより縮めることが必要と考えている。


Q13 あなたは周りの人から「社会学ってどういうことを勉強しているの?」と質問されたとき、どのように答えていますか。


自由回答別紙


 この質問は、調査実施主体自身がかつて問われて説明するのに苦労した経験から、同様の経験をしているだろう学生に問うた。無回答が多数となることを覚悟の上の質問であったが、回答者はかなり力を入れて回答してくれている。
 この回答には、いままで学んだ自分なりの「社会学観」をわかりやすく要約して、「社会学を知らない人」に伝達しなければならないことから、学習者の考えが端的に現れていると思われる。内容は、まさに「社会学学習者の数だけ社会学の定義がある」というように多岐にわたっている。
 「幅広く一口でいえない」「社会についていろいろ」「視野をひろげる」などの回答とともに、「言葉に詰まる」「答えられない」というものもあった。



Q14 あなたが大学に入ってから現在までの間に得たことで、最も収穫があったと思うものから順に番号を並べてください。

1.サークル活動やアルバイト・ボランティアなどによる社会経験
2.学内外の社会人との人間関係の構築
3.家族関係の再認識
4.先輩・後輩・友人関係の構築
5.専攻した学問
6.よい先生との出会い
7.その他  

内容・・・別紙

 

無回答

最も収穫

80

23

15

94

24

 4

10

14

2番目

67

49

25

68

28

10

 3

14

3番目

30

57

42

40

45

27

 6

17

4番目

30

39

50

25

56

40

 4

20

5番目

14

36

51

13

68

53

 5

24

6番目

20

32

57

 9

20

99

 2

25

7番目

 7

 7

 3

 4

 3

10

70

160



 この質問は、大学生活全体の経験のなかで、「学問(=社会学)」はどの程度重視された位置関係にあるかを測るために行った。

 「最も収穫があったこと」で一番多かったのは「先輩・後輩・友人関係の構築」で、次いで「サークル活動やアルバイト・ボランティアなどによる社会経験」である。

 「2番目に収穫があったこと」で一番多かったのも「先輩・後輩・友人関係の構築」で、次いで「サークル活動やアルバイト・ボランティアなどによる社会経験」である。

 「3番目に収穫があったこと」で一番多かったのは「学内外の社会人との人間関係の構築」、次いで「専攻した学問」である。

 「4番目に収穫があったこと」で一番多かったのが、「専攻した学問」、次いで「家族関係の再認識」である。

 「5番目に収穫があったこと」で一番多かったのは「専攻した学問」、次いで「よい先生との出会い」である。

「6番目に収穫があったこと」で一番多かったのは「よい先生との出会い」、次いで「家族関係の再認識」である。

「7番目に収穫があったこと」では、無回答が多く、「その他」がそれに次いだ。

また、「最も収穫があったこと」を7ポイント、「7番目に収穫があったこと」を1ポイントとして換算し平均値を出した。

ポイント換算(数値が高いほど収穫があったことが多い)

4:5.64      先輩・後輩・友人関係の構築

1:5.33      サークル活動やアルバイト・ボランティアなどによる社会経験

2:4.42      学内外の社会人との人間関係の構築

5:4.23      専攻した学問

3:3.85      家族関係の再認識

6:3.09      よい先生との出会い

7:2.23      その他

 これによれば、「学問」は「4番目に収穫を得た」という回答が平均になる。この結果は高いとは言えない。また、学内外の社会人との人間関係の構築は高いのに対し、「よい先生との出会い」は低いという点も学習活動の比重が高くないことの現われであろう。

Q15  あなたはこれからの社会学教育の方向性についてどちらを支持しますか。

1:もっと社会の背後に潜むような「原理」を極める教育であるべき  72 (22.9%)
2:もっと仕事や就職・生活に役立つ教育であるべき  90 (28.6%)
3:一概には言えない 140 (44.4%)
無回答  13 ( 4.1%)



 この設問は、「社会学の課題と現状」の調査の社会人学生用、問20と同じ質問である。結果は、日本社会学会の調査では、「1:原理」48%、「3:一概には言えない」35%、「2:役立つ」16%だったが、今回「3:一概にはいえない」が最も多く、「2:役立つ」「3:原理」の順であった。両者を比較すると、こちらでは「原理」への志向はやや弱いといえる。学年比較でもほとんど傾向は変わらない。


Q16  あなたは、現在のところ社会学を学んだことに満足していますか。

1. 非常に満足している  40 (12.7%)
2. どちらかといえば満足している  90 (28.6%)
3. どちらともいえない 126 (40.0%)
4. どちらかといえば不満である  41 (13.0%)
5. 非常に不満である   4 ( 1.3%)
無回答  14 ( 4.4%)

 この質問も、日本社会学会の調査(問18)と同様の設問である。「非常に満足している」「どちらかといえば満足している」をあわせて、41.3%であり、社会人学生調査の77.6%に比較するとかなり低い。いっぽう「どちらかといえば不満である」「非常に不満である」をあわせると14.3%と、社会人学生調査の4.2%を上回っている。
 Q5の「第一志望かどうか」との関係では、第一志望の学生は、「非常に満足している」「どちらかといえば満足している」をあわせて、46.6%で、「どちらかといえば不満である」「非常に不満である」は11.4%であった。いっぽう第一志望以外の学生では、「非常に満足している」「どちらかといえば満足している」は31.0%で、「どちらかといえば不満である」「非常に不満である」24.3%であった。



Q16SQ1 満足している理由をお聴かせください。

自由回答・・・別紙

満足している理由としては、「自分の興味・関心と合致している」「新たな知識を得られている」というものが多く、大学生ならではの「知的生活」を送る楽しみを挙げる回答もあった。


Q16SQ2 不満な理由をお聴かせください。

自由回答・・・別紙

不満の理由としては、「興味・関心との不一致」「役に立たない」「理解できない」という回答がほとんどであった。


Q17 社会学の授業のなかに、「自分史」のような、自分のこれまでの人生を振り返りながら、その歴史に存在した社会との関係を探り、解き明かしていき「自分」を改めて発見することを目指す授業があればよいと思いますか。

1:大いに思う  86 (27.3%)
2:少しは思う 131 (41.6%)
3:あまり必要に思わない  49 (15.6%)
4:必要ないと思う  31 ( 9.8%)
5:わからない  17 ( 5.4%)
無回答   1 ( 0.3%)


 「大いに思う」「少しは思う」をあわせると、68.9%となり、「あまり必要に思わない」「必要ないと思う」あわせては25.4%である。比率では約7:3になる。男女差はほとんどなく、学年別でも若干3・4年が高い程度であった。志望順位別では、第一志望が74.4%に対して、それ以外では、52.5%にとどまった。目標の有無では、「あり」%71.7、「なし」67.1%とどちらも高い。ギャップの有無とでは、「あり」(大いに・少しは)74.1%、「どちらともいえない」62.6%となった。そして、満足度と関係では、「不満」(大いに・多少)の回答者の62.5%、「どちらともいえない」の69.0%が「自分発見」の授業を支持している。


Q18 「自分史」などの社会学教育が、これからの自分の生き方や、進路の検討に役立つと思いますか。

1:大いに役立つと思う  110 (34.9%)
2:少しは役立つと思う  135 (42.9%)
3:あまり役立つと思わない   40 (12.7%)
4:まったく役立つと思わない    8 ( 2.5%)
5:わからない  21 ( 6.7%)
無回答   1 ( 0.3%)


 「大いに役立つと思う」「少しは役立つと思う」合わせて77.8%に上り、「あまり役立つと思わない」「まったく役立つと思わない」合わせては15.2%にとどまった。学年別では、学年が上がるごとにさらに「役立つ」の割合が上がり、4年生では93%になる。男女差では、女性82%・男性73%、志望別では、第一志望81%、それ以外67%、満足度と関係では、「不満」(大いに・多少)の回答者の64.4%、「どちらともいえない」の79.4%が「役立つ」と考えている。
 また、Q17とQ18のクロス集計では、「必要ないと思う」「あまり必要に思わない」と回答しつつ「少しは役立つと思う」「大いに役立つと思う」という回答が1割以上あった。



Q19 あなたがこれまで社会学を学んできて、あなた自身がいい意味で変わったと思うのはどのような点ですか


1:社会の動きや矛盾、問題の本質が見えるようになってきた  87 (27.6%)
2:自分の生活史を見つめなおし、自分の進路が定まった   7 ( 2.2%)
3:人間関係が豊かになり、家族、友人、同僚と
  心を開いてつきあえるようになった。  14 ( 4.4%)
4:学んだ知識・技能が生活の中で活かせるようになった   7 ( 2.2%)
5:その他  11 ( 3.5%)
6:変わったところはない  42 (13.3%)
7:今の時点ではわからない 109 (34.6%)
8:それが社会学を学んで変わったことなのかどうかわからない  31 ( 9.8%)
無回答   6 ( 1.9%)

その他内容

色んな角度からものごとを見る視点が1つ増えた。
生きやすくなった面もある。
知らなかったことを知ったり、いろんな問題に改めて向き合う状態になった。
教養も増えた。
社会の問題に目を向けるようになった。(興味、関心がもてるようになった)
自分の考えをちゃんとまとめて言葉にできるようになりつつある
多くの疑問が生まれ、それについて考える時間が増えた
世界を見る視点が増えたこと
まだ分かりません
以前よりものをみる視野が広がった
新しい考え方に巡り会えたこと
意識して考えるようになった。
かなりかたよった考えだったのが様々なケースを考えられるようになった。


 この設問も学会調査の問17を参考とした質問である。学会調査では「変化があった」が63%、「わからない」31.8%、「変わらなかった」3.6%であったが、この調査では、「変わった」と自覚しているもの(1,2,3,4,5,8)が49.7%、そのうち、社会学によって変わったと自覚しているのが39.9%、「変わったところはない」は13.3%、「今の時点ではわからない」が34.6%であった。
 両者を比較すると、「わからない」の比率は大きくは変わらないが、「変化があった」「変わらない」で10ポイント程度の差がある。


Q20 あなたが今まで履修した社会学の科目で、良い授業、悪い授業を一つずつあげてください。

良い授業:科目名・内容等

理由

自由回答・・・別紙

悪い授業:科目名・内容等
     
     理由


自由回答・・・別紙



 良い授業では、「楽しかった」「わかりやすかった」が多いが、特にゼミナール(演習)を挙げた回答には、「他者の意見や考え方を聞けた」という評価も複数あった。
 
 悪い授業では「つまんなかった」「役に立たない」「わかりにくかった」という回答がたいへん多い結果となった。


Q21 就職活動において、あなたが社会学を専攻したことによって生じたと思う「メリット」もしくは「デメリット」を一つずつあげてください。


メリット
なし
特になし
少しでも社会について知れる。
フットワークが身につく。
社会の見方が幅広くなった。
視野が広くなった。
幅広く様々な問題に対して自分なりに興味をもてたので、知識が広がって面接などで話せた。
現代社会の実象を取り上げて考えていく時間が増えたので、就職の筆記試験の際、時事問題に強くなった点。
話題を広げることができた。
自分の行きたい業界の研究をすることができた。
あまり精通した人事担当者はいないので、自分がよく勉強していなくても深く突っ込まれない。
視野が広くなり、興味のある業種が増えた。
ISOのこととか話せた。
社会問題についての質問には、より多くの事を話せて、面接官と対等に会話が出来た。
時事問題等で独自の考えを言える?
「おもしろい」と言われる。(デメリットなのかもしれませんが・・?)
選択肢が広い。
社会問題を身近に考えていたことによって、自分のやりたいことが明確になった。

デメリット
なし
特になし
広すぎて全てが学べない。
ものごとを深く考えすぎる。
経済にうとい。
経済などの知識がありません。
具体的に何を学んだかはっきり言いにくいところ。
専門分野を仕事(アピール)に活かしきれない。
専門分野というものが特になかったので、他の学部の人に比べて深い知識を持てなかった点。
やはり実益的でない点から、資格に結びつかないし、法、経済、経営等と比べ、入社後に生きるアピールがしづらい。
専門的な知識が薄い。
あまり使えない
実務に直接つながらない。
実務に直接つながる事が余りない。
「社会学」って何と聞かれたことに対する答え。
仕事能力に直結する学問ではないこと。
具体的、現実的、資格につながりにくい。
社会学からはずれた分野においては、全く勉強不足だったので、その業界への活動は難しかった。例えば住宅、建築、不動産など。
学びたいことを学びきれてないので、自分の自信の持てる分野があまりない。



 4年生の回答が少なかったので、数は多くないが、示唆に富む回答があった。メリットでは「社会問題についての質問には、より多くの事を話せて、面接官と対等に会話が出来た。」「社会問題を身近に考えていたことによって、自分のやりたいことが明確になった。」という答えのほか、「あまり精通した人事担当者はいないので、自分がよく勉強していなくても深く突っ込まれない。」という回答があった。
 デメリットでは「専門分野を仕事(アピール)に活かしきれない。」や本調査の質問にあったような「「社会学」って何と聞かれたことに対する答え。」との回答もあった。


Q22 あなたは、後輩などから「大学で社会学を専攻したいんだけど」と相談されたとき、どのように答えますか。


自由回答・・・別紙


 この設問にも自由回答ながら多く回答があった。後輩などに社会学を勧めるかどうかという観点からの、社会学教育に対しての評価この回答を6項目に分類した結果、「無条件にすすめる」(49)「条件付きですすめる」(49)「釘をさす・慎重」(35)「すすめない」(13)「中立」(30)「わからない」(9)となった。



3 結果のまとめ

  この結果を改めてまとめてみる。

@ 大学進学の目的には「実用的な知識・技術」「大卒学歴」「資格の獲得」の獲得という理由が多い。
A 社会学専攻の理由としては、「仕事や生活に役立つ」が多いが、単なる資格技術にとどまらない、社会への興味・関心と重なるイメージを持っている。
B 社会学を第一志望とした学生が多い。その4割が、何らかのきっかけをもっている。
C 全体の1割弱が社会学専攻に反対されている。
D 社会学を学ぶ目標は4割が持っている。「目標なし」が6割。
E 社会学を学んでみて、約5割が学ぶ前とのイメージとなんらかのギャップを経験している。
F 「社会調査士」等資格制定について、70%が支持し、うち30%以上が積極的な回答であった。
G 社会学を学んだことについて8割以上が、自分にとって何らかのプラスになると答えている・
H 大学生活全体のなかで、「学問から得た」ものの順位は高くない。
I 社会学教育は「原理」「役立つ」どちらを重視するかは、判断を留保している。
J 社会学を学んだ事に対して、4割が満足を感じている。
K 満足の理由は「興味関心との一致」「新たな知識を得られている」「単純におもしろい」などの理由。
L 不満足の理由は「興味関心との不一致」「理解できない」「役に立たない」「つまらない」などの理由である。
M 「自分史」社会学教育について、7割弱があるとよいと感じ、うち3割はより積極的である。
N 「自分史」社会学教育について、7割以上が進路検討等に「役に立つ」と考えている。
O 対象者の約4割が社会学を学んだ事によって、自分がよい意味で「変わった」と感じている。
P 良い授業は「楽しかった」「わかりやすかった」、悪い授業は「つまんなかった」「役に立たない」「わかりにくかった」という回答が多い。
Q 後輩に勧めるという答えは多いが、条件をつけるもの、慎重な判断を忠告するものなども少なくない。



4 調査仮説の検証


  ここで、第3章で立てた仮説に対して検証する。

@ 学習者の目的と合致するのではないか。

大学進学の理由や社会学専攻の理由では、重なる部分が多いが、目標なしが6割を占めるという状況では、目的と一致するという仮説を検証するまでは断言できない。しかし、残りの4割のうちでは「自分の生き方」を模索しようとする回答、もしくはそのよすがとしての社会学をマスターしようという回答が多い。

A 学習者の「自分史」を学ぶニーズは高いのではないか。

 かなり高い。特に社会学教育にイメージとのギャップ、不満を感じているに多い。

 B 学習者自身が、「自分史」が「自己」を知ることへの有用性を認識しているのではないか。

これについても、「役立つ」との考えが多い。この回答の背景・判断根拠はどのような情報源によるものかは、今後の課題であるが、少なくとも「期待値」は高いといえる。



5 学習者の意識の背景


 このような結果に現れた学習者の意識の形成には、どのような原因や背景があるのかを分析する。
 まず@、A、Dについて、つまり「学歴」や「資格」、「目標なき大学教育」の問題についてである。
  第一に日本の高等教育の位置づけの歴史がある。近代の大学の機能として、「職業教育」は、大きな要素であるが、とりわけ日本における「大学」の歴史は、明治維新後、「欧米技術訓練校」としてスタートし、西洋文明の「知識・技術」を伝達することを教育目的とし、その知識を得ることが近代日本の『立身出世』の手段となることで発展してきた。その構図が「学歴社会」神話を形成する理論的根拠となったわけである。その後、1917(大正7)年「大学令」発布以後も、制度的に変化した戦後の新制大学発足においても、大学への教育人口が横ばいか緩やかな上昇に留まった時代までは、教育目的には大きな変化はなく、現在でもないといっていいかもしれない。
 一方において大学に対する権威という点では、戦後の大衆化がもたらした問題として、それまでの大学像が、大学の自治を主張した学生運動によって、大学の自治というベールに守られていた大学の価値相対化と、「沈静化」以降の「レジャーランド」化によって相対化は完成されたといえる。そして「学歴神話」だけが「学校歴神話」と形をかえて残った。これが現在の大学であるといえるだろう。
  第二に、教育制度的問題。日本の教育システム自体に起因する問題として、高校が後期中等教育、そして大学が高等教育機関と規定されているが、人文・社会科学学科の場合、高校と大学の間に大きな断絶があることがある。
 具体的に社会科学系では、「物事を批判的に考察し、レポートを書く・討論する」という基本的な訓練が十分になされぬままに中等教育が終了し、高等教育に移行することの問題点は常に指摘されている。基礎知識の不十分さ、レポート論文の書き方などのリテラシーが身についていないという指摘は多い。[1]また、浅羽通明は「高校生に大学の学部や学科を選択せよと言う無理」を主張し、「新制大学が失ったもの―5つの不条理」[2]を挙げている。
  また、高校での教育目的が事実上『大学入試の突破』になっていて、高等教育で行われる教育の基礎を教える機会がほとんどなく、大学側も入学後に必要となる基礎知識・技能などについては入試で問うことがない。無論これは、入試問題は高校での学習内容から逸脱してはならないという制約によるものであるが、いわゆる「学力」(それも「受験学力」なのだが)を入試、センター入試で測り、入学しているという現状である。入試制度が変わらない限り、高等教育の基礎を高校段階で学ぶ機会は皆無といっていいだろう。
  しかしながら、大学入学によりほぼ「目的」は達成されていると考えるのであれば、「大学の学問」のために、改めて基礎を身につけようと考えるのはよほどの「物好き」に成ってしまうだろう。浅羽はそのような行為は教育(学習/研究)より重要な大学生活を無駄にすると忠告すると同時に、これらの原因として、戦前の大学予科・旧制高校のような「緩衝地帯」が戦後存在していないことを挙げている。
 
戦前の教育制度では、5年制中等学校の上に2年制高等学校、もしくは私立の場合には大学予科が置かれ、高等学校では学部を選ばなければ事実上フリーパスで帝国大学(3年制)へ進学できた。また、中学4年終了時で旧制高等学校入学試験受験資格ができ、合格すれば1年飛び越して旧制高等学校に進学できるという、5()−2−3システムになっていた。そして旧制高校では、エリート養成を目的とした、教養教育と語学教育が中心に行われていたほか、自由な雰囲気でモラトリアム的な機能も持ちえていたといわれる。
  それが、戦後[3]の教育改革により3−3−4制となり、新制中学・高校・大学の単線システム化される。占領下行われたこの改革では、アメリカ教育使節団などが、帝国大学卒業者の特権的待遇を修正し、国民大衆に「higher learning=高等なる学問」へ進む権利を与え、少数者の特権ではなく、多数者の機会としての自由な高等教育を目指していた。また、日本側の改革を担当した「日本教育家委員会」においても、人物養成としても、語学教育としても旧制高校の機能を否定し、階級性の打破、社会的平等のための効用を認めて廃止を提言した。[4]
  当時から、旧制高校廃止による学力低下を心配する声はあったが、各方面で「旧制高校廃止に伴う大学1年分の減少は、新制高校の最終学年と、新制大学1年次で補う(日本教育家委員会)という考え方に集約されていた。また、『旧制高校の長所を新学制に活かす』(教育刷新会議)のような考え方は「前期大学」構想の源流となり、専門学校の「前期大学」への昇格が「短期大学」へとすりかわって、女子高等教育の受け皿として固定化していくわけである。
 いずれにしても、このときの構想は50年以上経過して、非常に歪んだ形で受け継がれてきてしまった。急激な経済発展に伴う大学の大衆化と、少子化の進行によって、その根本が変化してしまいながらなお多くの影響を与えている。
  第三に「学歴」付与に関する国民的コンセンサスがある。学習者にとっての大学が「大卒資格」、さらには「○○大学卒」の称号をとるための場であることが、目的の主たるものとして、大学が持つ「価値付与機能」の享受者となっている。京都大学が実施した「京大卒業生の意識調査」において、「学問・教育の内容には満足していないが、京大に在籍したことはプライドを持っている。」という傾向が如実に示している。[梶田:p. 164]
 したがって、教えられる学問内容は重視されない上に、研究を主としてきたため、教育は軽視されてきたという歴史がある。そして日本国民・市民の意識としては、「大卒」であり、有名大学の出身であるということが「ハク」となり、「偏差値と就職こそが世の中一般から見た大学への評価である」[浅羽1996]という状況。その背景として戦後「学歴の向上イコール生活の向上という神話が国民に広く浸透した」[苅谷1995]という「学歴神話」[5]の問題がある。これらは、「学歴社会」を無意識に支え、「目的なき教育」を黙認してきたのである。
  大学のレベルが、知名度とそれに関連した就職状況(一流企業に多く入っているか)という実利的側面と、イメージ的側面による人気によって構成されており、大学の学問教育の実績は必ずしも人気に結びつかないということが問題である。「大学レベル=知名度&就職レベル」ということが浮き彫りになる。大学案内を見る限り魅力的なカリキュラムを構築している大学が、偏差値ランキングでは「F」ランク[6]になってしまう。
  バブル崩壊以降、企業の学歴信仰も減少し、「能力主義」採用が増えたといわれてはいるが、景気低迷によって採用人数を絞った企業はかえって「学歴」に頼る傾向もある。
  また、「能力主義採用」における「能力」とは、「日本の高等教育は、企業内教育にある」[浅羽1996.88]と豪語される教育を先取りした人間の「能力」であり、大学で「学問」を勉強しない人向きにつくられたシステムといってよいだろう。「専門的な大学教育は不要であるばかりか有害でもある。」といった言説は形を変えて生きているといえる状況が続いている。しかも、就職協定の廃止によって就職活動の開始時期も早まったということは、大学における学業が占めるウェイトはますます軽んじられていることの証左であろう。
  これは、C、L、P、Q、にも関連する影響であろう。「役に立たない」―これは短期的に就職や資格に対してということであろうが、事実上大きな価値判断になっている。
  また、P、QやDの自由回答の内容に関連するものとして、知」に対する相対化の問題がある。伊奈正人によれば、戦後日本社会における知を取り巻く社会の変化について述べている。「「社会」が「テレビ化」するという論点を提起し」たことに触れ、80年代以降、「テレビ番組のなかで、旧来の「教養」「知」に、テレビのスタイルが染み通っていき、「テレビ化」していく。すなわち、自然科学、社会科学、人文科学など、さまざまな学問が、新機軸により、番組化してゆく。その傾向は今日まで続いていると言ってよいだろう。」[伊奈1999.28]
 そして、80年代以降の「劇場()犯罪」などの発生によって、「社会」や「知」―ないしは「リテラシー」それ自体―が「ワイドショー化」し、「ワイドショー的なもの」でなければ表現・解釈できないものが、今日たくさん出てきているということである。」[前掲書:pp .29-30]と中野収『メディア人間』の主張を整理している。伊奈はこれを補い、「「知」や「社会」の「サブカルチャー化」ということもできる」[前掲書:p. 30]とした。
 また伊奈は、浅田彰が提起した『チャート式の学問』は、「晦渋で「どうだわからないだろう」という衒学的な知を破壊し、わかりやすい知を目指していた。」[p. 199]と述べ、その代表格としての「受験知」や、「資格」「スキル」と提起している。裏返せば、石飛和彦の文を引いて説明すると「現代社会において、アカデミックな知というものが決してそれ自体として正当性を持たずあくまでも学歴社会という文脈の中に埋め込まれることによって初めて意味を持ちえているということである。[石飛1997]という見方になる。
 たとえば「ワイドショー的社会」で起きている問題に対する、ワイドショーとは異なった視点からの分析や解釈を、「わかりやすく」知るための「マニュアル」として社会学を求めるようなニーズも現れてきた。[7]これは、「ワイドショー社会学者」とでも名づけられるようにメディアへの露出機会が多い、宮台真司(東京都立大学)や稲増達夫(法政大学)らの「功績」であろう。
  しかし、そのような流れに対して、旧来の社会学教育は、その期待に応えられていない状況が発生してしまった。その結果として、『チャート式』に比べると「まだるっこしい」「わかりにくい」と見られるものは、その批判を避けようとすればするほど、より細分化した分野に、悪く言えばマニアックな、社会学界に留まる範囲における議論に、内向きにシフトしていき、集中してしまい、「疎外」を一層深めている。ということができるだろう。
 「わかりにくい知」を全否定する気は全くない。しかし、「わかりやすい知」が社会学に求められているなら、市民に開かれ、理解されるために、その社会と、そして学習者とコミュニケーションをとって付き合っていかなければ、社会学の意味はないのではないだろうか。





[1]  [野村1995]でも大部分の紙面をその教授に当てている。

[2] @高校までと違う大学の授業の聴き方について、ほとんどオリエンテーションがなされていない。A中身がわからないのに、学部・学科、授業を選択させられる。B教養語学では、受験英語レベルからみても、物足りなく、かつ非実用的な訳読ばかりやらされる。Cある学問のダイジェストでもエッセンスでもない、より細分化された一部の講義を、一般教育科目として聴かされる。D成績評価が大雑把に思え、また評価の基準もさっぱりわからない。[1996 pp. 49-50]

[3]  1935年頃から各方面より、大学・旧制高校・専門学校・師範学校・高等師範学校などを統廃合して、3年もしくは5年制の大学を創設し、旧制高校を廃止する案が出されるなどしていたが、実現できずに終戦を迎えた。この影響が戦後の改革のさいにもあったようだ。[海後・寺崎]

[4]  敗戦直後で、当時の大学進学率はヒトケタ台であり、さらにそのなかでの帝国大学に進む旧制高校進学者はほんの少数であった時代背景を考えれば無理もないことではある。また、エリートの養成を目的にした旧制高校に女子の入学は認められないことや、「デカンショ」に代表される哲学偏重など長所だけがあったわけではないことも考えなければならない。

[5] 苅谷剛彦がデータに基づいて『大衆教育社会のゆくえ』で述べている。

[6] 河合塾調べ・平均偏差値32.5以下で、定員割れに陥っているランク

[7] これは、本調査における、「社会学専攻を目指すきっかけとなった出来事」にもそのような回答が見られる。