第3章:「ライフヒストリー・自分史」の活用

1 ライフヒストリー研究の応用

この「自分探し」という教育課題を、社会学教育のなかに位置づけるにあたり、その方法論として取り上げたいのが、「ライフヒストリー」研究の手法である。
 ライフヒストリーは「生活史」とも呼ばれ、『社会学小辞典』の「生活史 life history」の項[1]によれば「一個人の生活の歴史あるいは一つの集団の全過程を、個人的記録や生活記録を用いて、研究者が社会的文脈とかかわらせて克明に記録したものをいう。」とし「のちクラックホーンは自伝と個人誌を一括して生活史と呼んだ。それを広義に解するときには、手紙・日記・写真・作文・創作なども入れる。社会学における生活史の研究法に関する評価は、統計調査法との対比において大きく分岐する。生活史法(life history method)の強みとして、桜井厚はつぎの3点を挙げている。@個人がもつ主観的現実、内的経験を明らかにする。A生活史がもつ混乱・矛盾・曖昧さの発見に役立つ。B個人をその経験総体の中に位置づけ、ついで個人と社会の相互規定の関係、個人の状況の中での主体性と成長の理解に役立つ。[p.347]とされている。
  したがって、ライフヒストリーには、インタビューによる口述を研究者が記録した「口述生活史」と、対象者自身が執筆した「自伝」もしくは「自分史」もそれに含まれるということである。ライフヒストリー論の中での、自分史、自伝、生活記録、口述生活史との概念の整理については、[川又:2002または:1999]が詳細に語られており割愛するが、(図)を引用しておく。


図1 ライフヒストリー資料の区分

(対象の立場)

著名/公人


                                                                                     

               本人                                                                                                        他人
                                          自 分 史                        口 述 史


無名/私人


出典:川又俊則『ライフヒストリー研究の基礎』2002 創風社 p.40より

社会学におけるライフヒストリー論の展開[2]について、「日本の社会学においてライフヒストリーという方法が、方法論議の水面に挙がってきたのは、1970年代も後半になってからであろう。とりわけ中野卓編著の『口述の生活史』(197710月)の刊行の意義は大きかった。」[(佐藤健二)中野・桜井1995p.13]としている。 それについては、中野自身が「個人の生活史を研究することが、今の社会学を自己革新するために、もっとも必要なことであろうという確信」 [前掲書:p.14] を述べている。
 「ライフヒストリー=生活史」の「生活」という概念の社会学的意義について、佐藤健二は、以下の3つの特徴を挙げている。@社会という概念の抽象性に対抗する具体性を目指し、個人の身の回りの関係=構造を対象と示すためのこと。Aいままでの政治史や事件史が扱ってこなかった[3]、私的な領域である「私生活」にも、歴史的・社会的な規定力が刻み込まれている内実の探求に重要な役割を果たすこと。Bさまざまな表象を通じてモノのように考察され、対象化される。と述べられている。[前掲書:p.13]



2:ライフヒストリー研究と「自分探し」

青少年教育の課題を取り入れ、「生活史」研究の要素である、自分の生活を対象として分析する営みを経ることにより、社会学的に意義のある学習を行うと同時に、青少年学習者の学習課題である「自分探し」の助けになるという目標が設定できる。このことは、社会学教育への学習者の期待する学習内容とも合致しているのではないだろうか。

この場合、社会学教育の学習者が、社会学教育の過程において自分史を作成するという行為は、ライフヒストリー教育と平行されることにより、研究者が自分を対象としたライフヒストリーを作成する営みということになる。それについて、自ら『中学生が見た昭和10年代』『「学徒出陣」前後』で自らの体験を自分史としてまとめて発表している中野卓は、次のように述べている。
  ライフヒストリー研究者自身が自分を調査対象として、研究目的のために作成した自分史、すなわち被調査者である「もう一人の自分」に聞き取り調査するという態度を厳しく守り、面接調査に答えるつもりで自問自答しながら執筆し、それゆえ用い得る自他の資料をも活用し、細心の注意を払った研究者自身のライフヒストリーを、ここでは「自己の自分史」と略称したい。「自己の自分史」がオーラル・ライフヒストリーと一番違う点は、面接時間のなかでインタビュウアーにうながされながら録音されて話すのではないから、しばしば記述を中断して文献資料を引用または参照するなど、自分だけの時間を有効につかい、自分の速度で記述を進め得ることである。そして何よりもこれは、初めからヒストリーとして注意深く書かれたものである。ライフヒストリー研究者自身が自分史を執筆した「『学徒出陣』前後」[1992、新曜社]はひとつの実験としての「自己の自分史」の試みであった。これは自問自答の自己調査が期待できる点、他者の伝記よりも「口述生活史」に近似する方法であるとともに、自伝や他伝の場合と同様に、ライフ・ドキュメンツや近現代史などの文献資料で傍証できる利点をも兼ね備えている。 [前掲書:p. 198]
 さらに、中野は「ライフヒストリーは、自分史、自伝だけでなく、他者の伝記(他伝・バイオグラフィ)にしても、個人の人生という歴史的現実を記述したものである限り、個人史として社会史と交差しており、両者は互いに補強しあうことができる。それが可能な理由は、たとえどちらも物語性を示すとしても、架空の物語ではなく、共に本人・研究者双方にとって歴史的現実としての信憑性を備えた歴史として再構成されたものだからである。社会学・社会人類学と歴史学の学際的協力が可能なのもこのためである。また精神医学などで対象者のライフヒストリーの再構成が診断や治療に役立つのも、そのライフヒストリーがフィクションではなく、自分の人生の現実を本人が自己の経験に即して語った信憑性あるものだからである。」[前掲書:p. 193]と語っている。
 それでは、「教育」という点ではどうであろうか。「自分史」を教育の場においてどのように使われてきたのかを振り返るとともに、自分史の教育的効果について論じたい。


3  自分史教育の沿革


 「自分史」という用語は、1975(昭和50年に出版された、色川大吉の『ある昭和史―自分史の試み』において使用されて以来、広く一般に認知されるようになってきたとされている。色川は、「歴史に埋もれた人民の思想の地下水を探ろう」と無名の民衆の精神史の発掘作業から、民衆から全歴史を捉えなおす方法を獲得する課題にこたえる「自分史」に着目した。『ある昭和史―自分史の試み』のあとがきには、「独白や口承を文字化することによって、人は自分を相対化し、自分以外の人生を生きる他者や世界を発見し、人たることの深遠な意味に到達する。同時にそれは自分の経験を理論化し、精神的な共有財産にもかえさせる。私が全体史と個人史のはざまで、さまざまな自分史を試みたいと願ったのはそのためである」と語っている。これは、前節の中野卓の議論の最終的目的においての類似性ともいえよう。
 これ以前しかし、「自分史」という言葉には表現されなかったものの、類似の活動は行われてきた。例えば、戦前の一時期東北地方での作文教育として盛んに行われた「生活綴り方」教育は、戦後の「民主教育」のもとで見直され、学校国語教育などで利用された。これを原型に、学校外の教育においては、1950年代初頭から「大人の自己教育の方法」として「生活記録」運動が成人学習・婦人学習が広がったものの、60年代に急速に退潮し多くの批判を受けた。[4]その中でも細々とした再評価の試みが続く中で、この「自分史」が産声をあげ、枯れかけた源流を社会教育職員のネットワーク等を通じて広がりを見せてきたのである。
  上田幸夫によれば、1968(昭和43)年に神奈川県茅ヶ崎市で「ふだん記」のグループが発足しているが、主催者の橋本義夫は、その10年前から単独で「ふだんぎの会」を立ち上げ、『平凡人の文章』を旗印に「下手に書く」ことを説き、それに関わった市民と社会教育職員との交流の中で、市民サークルから、市民教養講座の中で、地域と住民との関係が、地域の歴史研究と個人の歴史との関連に位置づけられる形で、1978年『地域・くらし・そして「私」の発見』という自分史学習の講座がスタートした。同様に埼玉県草加市においても、「文章教室」から、1982(昭和57)年「昭和史を学びあすを考える。」という講座がスタートしている。
  いっぽう、長野県下伊那地域では、1977(昭和52)年後藤総一郎による「遠山常民大学」が始まっている。「自分史を書くことは、そのまま郷土史~日本史、世界史、人類史にまでつながる。」と語る後藤は、柳田國男の民俗学を学び、「生活者が自分の歴史、あるいは地域の歴史を認識していく。それを通じて自分とは何か、という自己認識を深めることになると考えるようになっていた」と述懐し、その源泉としては、1960年代の「民衆精神史」研究から、70年代に入って、地方史研究と民衆思想史研究との結びつきに流れてきた経過がある。
  両者に共通するのは、民衆の視点から見た歴史研究と、地域の歴史研究が相互に関連しあう形により、「全体―個人・中央―地方」というある種のパラダイム転換の帰結として、このような運動が起こってきたということである。同時に、「現代の民衆の自己認識の方法として意義深いものであるという捉え方もまた広がっている。社会教育でもその動きは進んでいた。」という、「自己」へのアプローチという側面もすでに現れていた。これら多くの反響は、主に、後半生を迎えた戦争経験世代の共感を得て広がり、「自分史」という言葉が定着するに至った。



4  自分史教育における青少年育成の視点


 これらの成人を対象とした教育活動に対し、青少年を対象とした自分史学習について、上田は、1970年代から青年学習の講師・助言者を続けてきた那須野隆一による。「生い立ち学習」を紹介している。
 那須野は、「都市のサークル活動―なかんずく中小企業勤労青少年を主体とする都市のサークル活動―の運営精神の基本は、成員各人の生活史(生い立ち)の発表=劣等感の告白 →家族の生活史(生い立ち)の検討=社会問題の把握  →社会の歴史の学習=社会観の確立  →人生論(生き方)の討議 →人生観の修得、というサークルの中で、勤労青年の劣等感や孤独感を社会的に―つまり仲間や集団の中で―克服していく筋道をさし示すことである」と述べ、自分たちの抱える劣等感や問題を「社会とのかかわりで認識し、現在のおかれている立場を客観的にとらえる」という「生い立ち学習」を提唱し、各地の青少年サークルを通じてじわじわ広がりを見せた。
 例えば、1977(昭和52)年から長野県連合青年団では、「生い立ち学習」をとおして自己認識を深め青年団の役員のなかで「自己形成史」を書こうという運動をおこしていた。その方法としては、「自己形成を自分自身でやる抵抗」から「取材方式」による実践も試みられているほか、サークル内の人間関係や近現代史の知識・学習の問題も提起されている。
 そして那須野は、生活史学習を三領域に具体化と構造化を図った。「生活史とは、単にその日暮らしの生活を綴り合せたものではなくて、形成過程を中心に歴史的・社会的にとらえた生活過程のことであり、その過去の部分である生い立ちと、その現在の部分である生きざまと、その未来の部分である生き方とを総称したものである。」と規定し、したがって生活史学習は、@過去の生活・形成過程を客観的に把握するための学習(生い立ち学習)A現在の生活・形成過程を自覚的に検討するための学習(生きざま学習)B未来の生活・形成過程を展望的に追求するための学習(生きかた学習)からなると主張した。


図2:那須野隆一による生活史学習の三段階

   「生い立ち学習」 → 「生きざま学習」 → 「生きかた学習」

 これら自分史教育の社会教育における実践について、上田は「自分史を書く」広がりと、「自分史学習」の広がりとが全く別のことであり、後者、特に青少年学習では、未だにひろく実践を生み出す方法をなおも模索しているとも指摘している。上田は、自分史学習の意義として、以下のように述べている。

 自分史学習というものは、一つには「歴史」の学習であり、「書くこと」をおり込んでいる。とはいえ、その「歴史」も、「書くこと」もここでは学習の目的ではなく、あくまで方法である。といってまた単なる方法でもない。学習の方法を示しつつ、学習のあり方を追求しているところにその特徴があるといえる。この方法に基づく学習の内容は、総じて歴史学習であるものの、単にそこにとどまるものではなく、歴史を学びつつ、歴史のなかの「自分」をみつめること、すなわち自己認識を深めることにある。それをとおして、権利主体としての自らの自覚を促すことになるというものである。 [p.11]

 これは、社会教育における自分史学習の目的といってよいだろう。確認しておきたいのは、「自分史教育」は必ずしも、歴史教育でも、書く教育だけの目的でなく、学習者の「自己」へのまなざしのほうがむしろ重要であるということである。


5  「自己の自分史」とアイデンティティ


  いっぽう、ライフヒストリー=生活史のフィールドにおいては、「自分探し」の要素について、有末賢は、生活史の研究と、「アイデンティティ」の関連について、興味深い指摘をしている。
 「『自分自身が何者であるのか』、『自分の生き方はどのようなものであったのか』という根源的な問いかけを、調査者と被調査者とが共有していく過程も、ライフヒストリー研究の重要な一側面である。すなわち、自我同一性(self identity)にかかわる議論である。アイデンティティを確立していくという課題は、エリクソンのいうように、青年期特有の課題であろうが、現代社会がモラトリアム期を長期化させたり、社会的役割の多様化から、現代人にとっては、青年期のみならず、成人期においてもアイデンティティの危機という現象も見られる。そうであるならば、現代的なライフヒストリー研究においては、捜し求めるアイデンティティの軌跡を見つめ、それを社会的・文化的文脈の中で再解釈していくという課題が存在している。」[中野・桜井1995:.180] と、青少年のみならず、成年をも対象としうる範囲で「アイデンティティ」の探索が課題設定として可能である。
 有末の議論を、本論における「自己の自分史」に置き換えるならば、「ライフヒストリーをアイデンティティの揺らぎから見つめなおすことでより個人に即した理解が可能」[前掲書:.170]になるという効果は、調査者と対象者が同一である点で、自分史教育においても起こりうるといえよう。次節においては、「自己」にまつわる探索における自分史の利用及び、教育における生活史・自分史利用についての先行研究から、その実践を企図したい。



6 「自己実現」の事例


 青少年や大学生の「自分探し」、「自己理解」「自己実現」と「自分史」教育との関連を研究した先行例として、心理学的アプローチによる以下を紹介したい。しかし、そこの実践例並びに教育理論には学ぶ部分が多い。
  土井敏彦『自己実現と自分史』では、自己実現(self-actualization)との関係から、「青年期の自己認識、自主性を自覚する手段としてまたは青年心理学の方法のひとつとして「自叙伝」が戦前のドイツやアメリカで用いられた伝統」を踏まえ、「自分の過去から現在までの歴史を資料によって補い、記憶によって証言にまとめることで自己を反省し分析し、さらに青年期においては将来の生き方についての展望にもふれることによって「自己を知る」だけでなく、生きる意欲を高めることを狙いとするものである。」と教育的効果に注目している。
 この場合の「自分史」について、「自伝あるいは自叙伝の中に含まれる」として古くは司馬遷の『太史公自序』、アウグスティヌス『告白』、新井白石『折焚く柴の記』をあげながらも、
「多数の読者を予定する近代の自伝」とちがって「自分自身と家族などの少数の人々に自分を語るといった動機である」。とし、「「生活綴方」との比較で重要な点は、前者が書くだけでなく、集団づくりとも関係が深く、自分史はこれに対して、語り伝えるという動機を主としたコミュニケーションの方法となっている」とコミュニケーション手段としての両者の共通点を挙げている。
 また、青年心理学者、津留博の論を引き、青年心理学の方法としての自叙伝法(autobiographic method)に触れている。
  自叙伝は回顧録(retrospective records)と同義とし「自ら記録した個人の生活記録であり、自分の生活体験を主観的に回顧したものである。」そのため「叙述するものの自己意識およびその生活態度によって、自己に関する問題の把握および表現の仕方を異ならしめる」特徴のほか、回顧的態度で記述される性格が強いため、過去の経験や事件とその結果と考える事象や感情について「大局的批判的に眺めることができる」点にも注目している。



7 高校における事例


 そして、兵庫県立北須磨高校・山形重助教諭の教育実践の事例を紹介している。その内容は、社会科の「現代社会」の授業の中で「自己形成の自覚」という単元を設け、自分史をつくらせ、「今、ここにある私、その私はどう歩んできて、どんな私なのかを考えさせようと」する目的であった。そして、「@:私たちの生きてきた時代(誕生から今日まで)の社会状況を調べ。A:その時の私(記憶、アルバム、日記の見直し、親なからの聞き取りなどで)B:10年後の私、または15歳(16歳)の人生観をまとめさせた」という。受講した140人の生徒のほとんどが、数10ページにわたる部厚い自分史を提出したということである。
  受講した生徒の感想については「自分史は、ただ作って過ぎ去りし日をなつかしむことではない。自分というものを見ていなかった、ある意味では、わざと避けていた自分をいやでも見つめざるを得なくさせられた。(以下略)」」という。これに対して土井は「受験体制の中で自分を見つめさせる教育は困難が多いと考えられるが、この自分史づくりの授業は大きな示唆を含む事例であるといえる。」と評価している。さらに、教育的方法として自分史を用いる場合、何を目的として「自分史」を書くのかには「自叙伝」の利用とは異なった点が問題となることに注意する必要があると指摘し、再び津留博『青年心理学』[p .44]青年心理の研究法を引用している[5]
  最後に「自分史を書くことは、自己確立、さらには自己実現に至るための青年期のひとつの通過儀礼とみることもできるであろう。」と結んでいる。「「生活綴り方」や「生活記録」の教育的効果についての報告に比べて、「自叙伝」についてその教育的効果について研究したものは多く見られない」なかで、この論文はその理論的基盤になり得る貴重な論考といえるだろう。



8 「自己理解」の事例と理論仮説


 椙山女学園大・中西由里による『自己理解のための自分史作成』は、「体験主体のケースメソッド」と題し、討議中心の授業実践を報告している。その目的については、「自分自身を対象(事例)とし、心理学の各種の技法を用いて、自分をよく知り、理解すること」とし、最終的に、「自分自身のライフ・ヒストリーを記述することを目指している」[中西1992:p.208]という。講義内容は、心理学的実験を重ねた中での集大成として、自分史を作成するという流れである。そのなかでの感想を見てみよう。
 「実習課題4−自分の生育歴を調べる。」では、学習者の生い立ちを、家族にインタビューすることによって調査することを課している。「ここで生育歴を調べる範囲を就学までとしたのは、特に自分自身に記憶のあまりない幼少期のことについて家族と話し合う中で自身の育ちについて振り返り、確認し、また家族との新たなコミュニケーションの展開を期したからである。」という目的である。その感想として以下の2例が紹介されている。


「レポートを書くために母に私が小さかったころの話をたくさん聞いた。はじめての子供でどうやって育ててよいかわからず不安だったと話していた。私は特に夜泣きがひどい赤ん坊だったらしく、私が大きくなるまでぐっすりと眠ったことがなかったと聞いて大変な苦労をかけたんだなあと改めて実感した。 3年 TA 

20年も昔の事を聞いてと言われながらいろいろ聞いたが、3人も子供を育てると誰がどうだったか混乱してしまっていて、父と母で言うことがまったく違っていたり、アルバムに書いてあることと違うことを言ったりしていた。最初の子だったので鼻水がでただけでも病院に連れて行ったとのこと。・・・・アルバムをみると私を大切に育てているという感じの両親が写っていた。・・・・両親の私への思いが少しわかったような気がする。3年 MA 

 最終課題の「自分史を書く」については、「様々な角度から捉えてきた自分自身についての総仕上げ」として位置づけている。

  一年目は「枠組みを示さ」なかったせいか、短い内容のものが多かったが、二年目に「原稿用紙10枚以上」の規定を設けたところ、「平均15−16枚、多い学生は40枚近い」力作を生む結果となっているという。そしてまとめとして、「自分自身の生い立ち、歩みを文章化することで、もちろん、体験としてあっても文章化できないこともあるのだが、自分自身のことだけではなく、家族のこと、友人のこと、学校生活のこと(ここにはかなりつらい体験も含まれている)、自身の取ってきた選択の道などが振り返られ、確認されている。」と述べている。[.223]

 ここまでの、文献研究及び先行事例から、「生活史」「自分史」を取り入れた社会学教育は、青少年学習者の課題である「自分探し」「自己分析」の大きな助けになるという理論仮説をあらわしたい。



9 調査仮説の提示


 以上の「ライフヒストリー(生活史)」「自分史」の研究及び教育の沿革と、実践報告をもとに、調査仮説を立てる。
  社会学教育に、青少年教育の課題を取り入れる事により、このような「ライフヒストリー」「自分史」教育の位置づけを高めることは、その有効性の先行理論に依拠することにより、社会学教育においても、@ 学習者の目的と合致するのではないか。A 学習者の「自分史」を学ぶニーズは高いのではないか。そして、B 学習者自身が、「自分史」が「自己」を知ることへの有用性を認識しているのではないかということである。





[1]  同種のものとして、イヴェントヒストリー分析がある。「社会学において新しく開発された歴史的・縦断的な研究方法。分析単位は個人や集団ではなく、社会生活において起こった重大な事件・出来事である。転職や失業、配偶者の死、被災などの重大事件が人生史に与えたかかわりを分析する。[社会学小事典』p.13]

[2] 一方で私小説をめぐる文学評論、綴り方教育をめぐる教育論議、『菊と刀』評価、『貧困の文化』評などが関連し先行するという議論もある。

[3] 歴史研究における政治家の日記分析、犯人の生活歴分析は詳細に行われてきた。

[4] 退潮した原因として、高校進学率の上昇と経済状況の急速な変化という指摘がある一方、必ずしも退潮しなかったという議論もある。

[5]  これは、社会学の自分史教育のシステム構築における大いなる参考となる指摘であると考えられるので、やや長いが引用する。「@:出来上がった自叙伝を用いる場合は、それがどんな人が、どういう意図の下にどんな状況でいつ頃書いたものであるかを十分調べること。その結果・・・研究資料としての価値が決定されよう。Aこれから資料としての自叙伝を書かせる場合は、書く者に研究者の意図を十分に了解せしめ、その協力的態度を待った上、記述はできるだけ即物的に止め、作者の主観は別項に述べさせるようにする。B書く者の性格、特に社会的態度を吟味し、その内省力・理解力・表現能力に注意すること。たとえ回顧的にせよ自己の生活を時間構造連関的に見つめ得る態度が作者に育っていることが絶対に必要である。C漠然と生活歴をかかせるのではなく、何か問題を与え、視点を定めて書かせると良い。例えば自分の読書遍歴とか友人関係の変遷とか性的関心の推移とかを具体的事件に即して客観的に書かせるなどである。」