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社会学あれこれ

私自身が社会学と出会ったことは、幸福なことだった。しかし、はじめに読んだ本が「社会学者」が書いたのではない「社会学」と名のつく本であり、それがあまりにも興味深かったがために、実際に社会学者が書いた本に出会うたびに、「何でホントの社会学はこんななんだろう」という疑問を持ち続けた。社会学理論から離れ、そして連字符社会学でも末端的な研究や、社会学と関連していながら少し距離のあるような研究を続けて行き、3年次も終わろうとしたときに、ふと社会学の理論書を見ていくと、言葉が難解なのは変わらなかったが、自分が末端で研究したようなことが、まとめられたものとして理論が存在しているということに気づいた。それと同時に、なぜ教育段階では理論が先で実践が後でなければならないのか。なぜ社会学が「共通語」の世界へ出ず、「社会学方言」の世界に留まろうとしているのかという疑問もでた。なぜ「社会学はわかりにくい」と認めながら「わかりやすく」しようとしないのか、それに対しての一つの答えを出そうと試みたのが本論である。大学学部への17歳入学や大学院への3年次からの進学が現実になる気配がある。大衆高等教育時代の社会学教育の目的と、これからの社会学教育のあるべき姿を探るツールは、意外にも各大学の手許にある一冊の大学案内にあるのではないだろうか。1819歳から223歳までの、さまざまなことに挑戦できる期間を、社会学と過ごすことによってより充実させることができるならば、社会学にとっても、社会学徒にとっても、なによりも「よりよい社会」を構築するためにも、悪い話ではないはずである。(論文の結びより)


主任研究員の雑文私が社会学に出会うまで(執筆中)

主任研究員の雑文『日本の社会学はじめて事情(人物編)1福地源一郎

主任研究員の論文 『社会学教育の目的とは 学習者の視点から見た社会学教育の現状批判と展望』