★第十三章〜帰ってきたぜ本州!〜★

【1】
 78年6月15日。関門国道(海底だったと思う...?)を走り、本州に渡る。
【2】
 下関ユースホステルにて、宿泊者と宴会。
【3】
 6月16日、荻市を訪ねる。
 生意気にも歴史が好きなので、興味を持って資料館を巡った。
【4】
 津和野に到着。
 津和野に入る前に、小高い国道の峠から見た津和野の町がきれいだったのを覚えている。なぜか津和野の町は、大橋純子の「黄昏マイラブ」がイメージされた。
【5】
 日本一周の島君と出会う。
 津和野で私と同じ日本一周をしている島君と出会い、公園で夕飯(ビール瓶が転がっているが...)を食べる。
 前日、島君と一緒だったという高知市の恵美ちゃんも加わり、大いに盛り上がる。
【6】
 翌日は、ちゃっかり恵美ちゃんとデートをしている。恵美ちゃんも良いお母さんになっていることでしょう...?
 参考までに島君は北海道まで行き自転車を盗まれてしまい、そのまま摩周湖の湖畔でアイヌ彫りの彫刻士になっている。と言う連絡が数年前に届きました。今はどうしているのかな〜。ご存知の方はご一報を下さい。
 satoto@lilac.ocn.ne.jp
【7】秋芳台 鍾乳洞(秋芳洞)
 ここを観光したあと、鍾乳洞入り口近くの休憩所に泊まった記憶がある。
【8】広島
 平和記念公園の中に広いスペースがあったので、久しぶりに自転車のホイールバランスを直す。この公園は環境も良いので、しばらく連泊をきめる。
【9】ハプニング
 朝になると見知らぬ人が「資料館は見たか。金を出してあげるから見てきなさい。カミさんが出産に帰って一人だから泊まりに来い」と誘ってくれる。...甘えてしまった。
 聞くところによると、北海道からふらりと広島まで旅を続けてきたが、広島で原水禁(だったと思うのですが...)のデモ行進を見て参加をした。それが縁で広島に住みつき、結婚をしたと伺った。そのまま、その人が参加している「木曜会」なる学習会まで参加をしてきた。
【10】平和記念資料館
 前述の人に案内されて記念館を見学する。やはりナーバスになってしまう。
 私が「怖くて小さな子供には見せられませんね」という。「いや、違う。日本中の子供をここに修学旅行に呼び、見せるべきだ。平和公園も規模を倍にして良い」と言われていた。
 原爆の恐ろしさのアピールの必要性を、これほどまでに広島にはいるのだと痛感した。
 この方は、夜警の仕事をしながら、作家になりたくて勉強をしているという。この方の家に泊まり「お前も何か書いて行け」と言われ、旅の思い出を書いてきたような気がする。
 しばらく居候をさせていただき、別れてから自分の思慮の浅さを恥ずかしく思い、資料館の階段に鳩の羽にまみれて泊まってきた。
...やはり、資料館を見ているだけに怖かった...