「兄さん、遅いですね」

時間は少々遡り、小日向家。並び始めた料理を前に、すももは空いた席を見遣って呟いた。

「そうね。とりあえず、先に食べちゃいましょうか」

音羽がすももの不安を和らげようとそう言うが、その言葉が本意ではないことは、いつもとは質が違うその笑みから容易に分かる。

既に携帯に電話してみたが、電源が入っていないため繋がらないというメッセージが帰ってきた。

雄真はしっかりしている。余程のことが無い限り、こうして連絡も無しに帰ってこないことはないし、携帯が繋がらないこともない。

即ち、起きたのだろう。音羽の親友であり、雄真の実母である鈴莉が以前から仄めかしていた、「余程のこと」が。

「――――お母さん」

「なぁに?」

全ての料理を並べ終えた音羽が、首から掛けていたエプロンを外しながらそう言って席に着く。

愛娘の顔を見てみると、いつになく真剣な表情をしていた。決意を固め、しかし切り出すのを迷っている、そんな表情。

「あの、私――――」

「・・・いいわ、行って来なさい」

「え、お母さん?」

すもものキョトンとした顔が可愛らしくて、音羽は更に笑みを深めて言葉を続けた。

「行きたいんでしょう? 雄真君のところに」

「あ・・・はい」

「その代わり、約束して。絶対に、二人揃って帰ってくるって。それから――――ちょっと遅くなるけど、晩御飯をみんなで食べるってね」

「――――はいっ!」

まだ制服姿だったすももが、そのまま家を飛び出す。そんな娘の背中を玄関まで見送りに来た音羽は、誰ともなく呟いた。

「・・・母親としては、失格かしらね」

すももが向かった先が、魔法と魔法がぶつかり合う危険な場所だということは、薄々分かっている。

そんな場所に、我が子を送り出した。その行為は、母親として決して褒められたものではないだろう。

だが――――。

「それでも、私たちは「お友達」だものね」

あの日――――雄真が小日向家に預けられることになった日に音羽が二人の「我が子」を抱きしめながら言った言葉。

あれは決して、その場凌ぎの言葉なのではない。だからこそ、「親」として縛り付けるのではなく、「友達」として彼女の気持ちを汲んだ。

『・・・頑張ってね、二人とも』

きっと今、その場所には親友である鈴莉の姿もあるだろう。大魔法使いとして、雄真の母親として。

魔法の才能を持たなかった自分に一握の悔しさを感じつつ、音羽は祈る。

――――自慢の子供たちが無事に帰ってきて、暖め直した晩御飯を食べてくれることを。





はぴねす! SS

            「Secret Wizard」

                             Written by 雅輝






<48>  それぞれの絆





「――――ふん。見た、か。化け物・・・め・・・」

伊吹の背中から音もなく飛び出た式守の秘宝たる珠玉が、コーンッと存外軽い音を立て、地を跳ねる。

それと同時。背中から漆黒の翼が消え、瞳の色も元に戻った伊吹が、崩れ落ちるようにして地面に倒れこんだ。

「「伊吹様っ!!?」」

受身も取らずに顔面から倒れこむという、不自然な崩れ方。従者である二人がすぐさま駆け寄り助け起こすも、彼女の意識は既に無い。

「おい、伊吹!?」

「式守さんっ!?」

「伊吹さんっ!?」

思わず雄真、春姫、小雪の三人も駆け寄る。その顔色は不気味なほど青白く、最悪の可能性さえ頭に過ぎった。

「・・・反動、ね」

「母さん・・・」

ようやく魔力酔いの症状が緩和されたのか、しっかりとした足取りでやって来た鈴莉が、己の推測を口にする。

「確かに伊吹さんの魔力は桁外れに多いけれど、それは人間においての話。けれど秘宝は、それを遥かに凌駕する魔力を使い続けていた」

「ってことは、今の伊吹は――――」

「ええ。大量の魔力消費による反動と、魔力の枯渇――――それも相当危険な状態と言えるわ」

「そんな・・・何とかできないんですか?」

春姫の問いに、鈴莉は考え込む。無言を貫いている上条兄妹も、縋るような視線を鈴莉に向けていた。

「――――無いことも、ないわ。魔力の譲渡を行なえば、少なくとも魔力の枯渇状態からは脱せるはず」

「だったら!」

「でも、伊吹さんクラスの魔力量を回復させるとなると、膨大な譲渡が必要になるわ。譲渡する側も、無事で居られる保障は無いのよ」

「・・・」

一様に口を噤む。今この場にいるものは、既に魔力を消費しすぎてしまっている。

そんな状態で、魔力を譲渡する。それが示す答え――――鈴莉は言葉にこそしなかったが、それこそ絶命のおそれすらある。

でも――――それでも。

“ザッ・・・”

一歩前に出る音が重なる。足を踏み出したのは、一組の男女。

「俺がやろう」

「お供します、兄様」

「二人とも・・・」

雄真ですら生まれた躊躇い。それが、二人からはまったく感じなかった。

それこそが、絆と呼べるものなのだろう。

「・・・なら、俺も指を咥えて見ているわけにはいかないな」

「私も。みんなが幸せになれないと、意味なんて無いよ」

「――――っ、ちょっと待って。二人とも」

苦笑しながら雄真が名乗り出て、それに同調するように春姫も前に出た丁度その時、鈴莉が鋭い声で二人を制した。

「母さん? 悪いけど、こればっかりは――――」

「勘違いしないで、雄真君。今、貴方たちがするべきことは、もう一つあるのよ」

鈴莉がそう言いながら向けた視線の先。他の面々も真剣な鈴莉の声に釣られるようにして、その方向を見遣る。

「――――なっ!?」

漏れ出たのは誰の声だったか。いや、それはさしたる問題ではない。

先ほど伊吹の体から抜け落ちた宝玉から、それ自身を包むようにして発生していたのは、どす黒い濃霧。

続いて感じたのは――――肌を刺す、圧倒的な魔力。

「許さぬ・・・許さぬぞ、貴様らぁああああああああああああああああああっ!!」

その声音は、先ほど伊吹を介して放っていた彼女の声からは程遠く、寒気すら覚える感情的な怨嗟。

全員が圧倒される中、式守の秘宝は重力に逆らうようにふわりと浮き上がった。その周りに、漆黒の魔力を纏って。

「――――っ!! いけないっ、自爆するつもりよ!!」

その事実にいち早く気付いたのは、またしても鈴莉。自爆――――その意味が脳に染み渡るまで、雄真たちは数秒を要した。

――――秘宝の魔力は人間の規格に収まらない、膨大という言葉ですらも足りない量を秘めている。

そんな秘宝が行なう、自爆。自身の全ての魔力を圧縮して、そして一気に拡散エネルギーに変える。

もしそれが果たされれば――――結末など一つしかない。

「塵一つ残さぬよう、この空間ごと消し去ってくれる」

先ほどの激昂した様子とは打って変わった、秘宝のその静かで無感情の声は、奇しくも起こり得るであろう未来を宣告した。

「くっ・・・!!」

雄真は歯噛みする。アリエスを構えながら頭を働かせるも、有効な手段はなかなか思いつかなかった。

例えば、今の内に攻勢魔法で攻撃してしまう。・・・論外だ。

もう既に秘宝は魔力の圧縮に入っており、外部から下手に刺激を与えると爆散する恐れがある。

例えば、転移魔法で秘宝を違う場所に転移させる。・・・これも難しいだろう。

そもそもこの空間は、魔法で作られたもの。元の世界に繋がっているのは転移魔法陣のみで、転移魔法で別空間へは送れない。

そしてこの空間にも、広さに限りがある。どこへ送ったとしても、秘宝の魔力からするとほぼ間違いなく自分たちの居る場所まで届くだろう。

例えば、秘宝を置いて元の世界に戻る。・・・無理だ。

秘宝は浮遊していることから察するに、飛行魔法を用いている。つまり、高速での移動も可能だろう。

転移魔方陣を渡って、元の世界まで着いてこられたら? 学園の裏の森だけでなく、校舎とその中の人たちも大規模な爆発に巻き込まれてしまう。

様々な考えが、思いついては棄却されていく。それは他の皆もそうだったのか、一様に顔を顰めている。



【――――マスター】



「っ、アリエス?」

考えを巡らせていた雄真の脳に、凛とした声が響く。アリエスがその先端の珠玉を輝かせ、念話で話しかけてきた。

【今の状況を打開する方法が、一つだけあります】

「・・・それは?」

口調は毅然としているのに、全てを包むような優しさに溢れたその声に、若干嫌な予感を感じながらも雄真は続きを促す。



【――――無属性魔法です】



「・・・・・・・・・駄目だ、危険すぎる」

数秒の黙考の後、雄真は静かに首を横に振った。確かに打開出来るだろう。いや、もうこの場面ではそれしかないかもしれない。

しかし、あれは――――あの魔法だけは。

「分かってるだろ? あれは、術者のワンドを媒体とする魔法なんだ。下手をすれば――――」

【私は、壊れてしまうかもしれませんね】

「――――――」

濁したその言葉を、あっさりとアリエスは口にする。雄真は半ば呆然としつつ、相棒の言葉の続きを待った。

【でも、もうこれしか手立てが無いのも、マスターなら分かっているでしょう?】

「・・・け、けど、まだきっと他にも方法が――――」

【あるかもしれませんね。でも、もうあまり時間が無いことも、貴方は分かっているはずですよ】

「そ、それは・・・」

駄々っ子を諭す姉のように。慈愛に満ちたアリエスの言葉に、雄真は何も言えなくなった。

長年連れ添った彼女には、全て見抜かれてしまう。でも、だからこそ・・・雄真は、納得できない。

――――したく、ない。

「・・・・・・わかった」

でも同時に、決断もしなければならない。この場にいる仲間の命。決して天秤に掛けるつもりはないが、それでもそれがアリエスの意志ならば。

「俺も、覚悟を決める。絶対に、成功させる」

【・・・ええ、頑張りましょう】

言葉を交わして、雄真は足を、アリエスは己が意志を、前に進める。

「・・・雄真君?」

「雄真さん?」

「母さんは、伊吹の方と俺の方、両方にサポートできるように備えておいて。小雪さんは、龍笛で信哉たちの魔力譲渡の制御をお願いします」

前に出た雄真を不思議に思い、鈴莉と小雪が声を掛けるも、返ってきたのは毅然とした指示だけ。

「ちょっと、雄真君? いったい、何を――――」

「――――無属性魔法」

「っ!」

問いかけにポツリと呟かれたそれは、鈴莉の言葉を遮るのに十分過ぎた。

彼女は知っているからだ。その魔法が、どのようなものなのか。

彼女は分かるからだ。その魔法を使用する、雄真の軋みそうな心が。

「雄真くん・・・」

「春姫・・・手を、握っていてくれないか?」

「え?」

「頼む・・・」

雄真が前を向いたまま、後ろに差し出した手。微かに震えるその指先を見て、春姫にもう躊躇いは無くなっていた。

「――――うん。大丈夫だよ、雄真くん」

「・・・ありがとう」

事情はいまいち飲み込めないが――――今はただ、震える彼に寄り添って居たかった。



『温かいな・・・』

春姫の――――愛する彼女の手をギュッと握って、不安を徐々に無くしていく。・・・いや、隠していく。

この不安は、いつまでも消えることはないだろう。ならば、せめて己の心を律して、埋もれさせればいい。

“――――――”

誰も何もしゃべらない、無音の空間。鈴莉が、小雪が、信哉が、沙耶が、そして――――春姫が。雄真の一挙手一投足に注目している。

そんな中、雄真は語りかける。もはや右手に馴染んだ―――馴染みすぎてしまった、相棒に。

「アリエス」

【はい】

「今更だけど・・・でも、今だからこそ、言わせてくれ」

一拍置く。自分の心を決めるように。断じるように。

満面の笑みが失敗したような、泣き笑いのような表情で、雄真が言う。



「ありがとう。アリエスが俺のワンドで、心から良かったと思ってるよ」

【私もです。これまでずっと、貴方のワンドで居られたことを誇りに思います】



打てば響く。アリエスはまるで、用意されていたように台詞を紡ぐ。

それもまた、雄真とアリエスの絆の一つ。



もはや、それ以上の言葉は要らない。互いに、最高の言葉を貰えたから。



「行こう、アリエス」

【はい、マイマスター】



だから、最後に最低限の言葉だけを交わし。



――――雄真は、アリエスを手放した。




49話へ続く


後書き

ども。もう10月の下旬かぁと思いつつ、めんどくさくてまだ衣替えすらしていない雅輝です。

しかし最近は急に寒くなってきましたね。まあエアコンを使わないという点では、一番過ごしやすい時期なんでしょうか。


さて、それはさておき。一月振りにSecret Wizardの更新です(汗)

ダラダラと続いておりますが、ようやくラストが手の届くところに!

一応、次の話で秘宝編が終了。そして丁度50話でエピローグとなりそうです。

最後の秘宝の抵抗。雄真とアリエスが行なう、無属性魔法とはいったい――――?


次はせめて一月以内には更新したいですね。というか、今年中には何とか終わらせたい・・・。

それでは!



2010.10.24  雅輝