「・・・そろそろ行くか」

「はい、兄様」

屋上で意識を失ってから、どれほど経ったのだろうか。満天の星空を眺めながら、上条信哉は長い息を吐いた。

数分前から徐々に覚醒し始めていた意識も、ようやく焦点が合ってきたらしい。

駄目元で同じく寝そべっている妹に同意を求めると、凛とした応答が返ってきた。どうやら、彼女も自分とほぼ同じタイミングで目覚めたようだ。

「・・・」

一方、同じく倒れている杏璃は反応を示さない。魔力譲渡の影響は思った以上に大きかったらしく、深い眠りに就いている。

信哉は一瞬どうするか迷ったが、結局起こさないことにした。

これから赴く場所は、おそらく激戦の渦中だろう。そんなところに、こちらの事情とは無関係の杏璃を連れて行くのは忍びない。

「くっ・・・」

ゆっくりと立ち上がる。立ち眩みで一瞬目の前が真っ暗になったが、相棒の木刀を支えに何とかやり過ごした。

「兄様、魔力は・・・?」

同じく立ち上がった沙耶が、心配そうに尋ねてくる。信哉は苦笑して、ユルユルと首を横に振った。

「ほとんど回復してはいない。だが・・・赴かないわけにはいかぬだろう?」

「・・・はい」

魔力不足による昏倒。それは、学生レベルにしてはとても珍しい話だ。

例えば遠泳をしていて、力尽きて溺れるまで泳ぐ人はそういないだろう。人間とは無意識の内に自身にリミッターを掛けており、命の危険は絶対的に回避する。

同じように魔法使いにとって、魔力の枯渇は命を落とす危険性がある。これまでの修行の日々でも、昏倒などしたことがない。

当然、そんな危険な状況にあった直後、数十分の睡眠で魔力が回復しきるわけがない。

それでも、兄妹は往く。今まで止めることの出来なかった大切な人を、今度こそ止めるために。

――――もう二度と、後悔などしないために。

「――――風神」

そのなけなしの魔力を使って、信哉は風神を起動させた。木刀型のマジックワンドが、主の気迫に呼応するように風を纏い始める。

「―――っ、断空!」

ともすれば倒れそうになる体で、彼は文字通り空間を切り裂いた。

風神が持つ、抵抗能力とは別のもう一つの能力。それが、目の前の空間と別の空間を結ぶ、転移魔法の一種―――断空。

「・・・往くぞ、沙耶」

「はい。止めましょう、伊吹様を」

信哉が開けた空間へと歩みだした二人はそこへ入る直前、同時に振り向き、その視界にまだ倒れている杏璃を収め。

「――――礼を言う、柊殿。俺たちは真の忠義を貫くことを、ここに誓おう」

「往って参ります。・・・杏璃様」

信哉はいつも通り堅苦しく、力強く。

沙耶は初めて呼んだ下の名前で。

自分たちに大事なことを教えてくれた仲間(とも)に、それぞれの言葉を残して空間に消えていった。





「――――馬鹿ね」

その数秒後、杏璃は双眸を開く。実は信哉たちより先に覚醒していたのだが、体が動かないため起き出せなかったのだ。

――――本当に、どこまでも不器用な兄妹だ。だからこそ、彼らが最後に残した言葉はこんなにも胸を打ったのだろう。

「あたしを連れて行かないなんて、いい度胸してるじゃない」

口ではそう嘯いているが、杏璃は魔力不足に加え、魔力酔いの症状も出ているので立つことすら出来そうにない。

だというのにそんな言葉を呟いたのは、照れ隠し以外の何物でもないのだが。

「でも――――」

でも。たまにはこういうのも悪くない。今まで色々なことに首を突っ込んできたが、こうして仲間を信じて帰りを待つというのも。

「頑張んなさいよ、みんな・・・」

彼女の代名詞ともいえる不適な笑みを浮かべ、星空に向けて言葉を送った杏璃は、再度その大きな瞳を閉じていく。

――――次に目覚めたときには、全てが大団円で終わっていることを確信しながら。





はぴねす! SS

            「Secret Wizard」

                             Written by 雅輝






<45>  信じた先に





保たれていた均衡は、徐々に傾いていった。

「ル・サージュ! レ・ヴィール! ―――ラ・ディーエ!!」

圧倒的。その言葉が似つかわしいほどに、戦場は変化を遂げた秘宝によって掌握されつつあった。

天上には、秘宝の制御下にある天蓋魔法が“三つ”。その全てが、まるで怒り狂ったように次々と魔力弾を吐き出すのだから性質が悪い。

無差別に振りそそぐ魔弾の嵐。それは当然のように、この空間全域に及んでいる。

雄真と春姫の同調魔法や、小雪の干渉魔法で何とか凌いではいるが、秘宝の攻撃はさらにその威力と数を増してきている。

『このままじゃジリ貧か・・・』

雄真が思考を巡らすも、秘宝の周りには常時障壁が張られているため、カウンターから局面を打開するのも厳しい状況だった。

さらに、鈴莉はまだ魔力酔いの症状が抜けきっていない。いくら鈴莉といえど、そんな状態であるため雄真がフォローせざるを得ない。

『どうする・・・?』

いつまでもこうして凌ぎ続けられるわけはない。魔力の限界は、おそらくこちらの方が先だろう。

「雄真さん」

「? 小雪さん?」

そんなとき、すっと雄真の背後に現れたのは、少々息の上がっている小雪であった。

その表情は普段の楽しげなものからは想像も付かないほど真剣なものであり、雄真も無意識に気を引き締める。

「私に考えがあります。少しの間、秘宝の相手をお願いできますか?」

その提案は唐突なものであったが、この状況で否定する理由もない。打開策があるというなら、それに乗らない手は無かった。

「分かりました」

「・・・何をするのか、聞かないまま決めていいんですか?」

少し驚いたような小雪に、雄真は何を今更というような表情を浮かべ。

「だって、小雪さんのこと信頼してますから」





秘宝から距離を取り、小雪は準備に入った。

龍笛。秘宝と並ぶクラスのこの魔具を扱うには、並大抵の魔力では足りない。

なので、小雪は自身を中心に大勢のタマちゃんを配置した。タマちゃん同士の魔力伝達で、魔力を増幅するためだ。

―――先ほどは秘宝を騙すためにこの手を使ったが、何も全てが嘘だったというわけではない。

魔力を増幅できるという点に関しては、本当だ。その魔力に方向性を付加させ、大爆発を起こすというのは無理な話だったが。

しかし今度は、術者である小雪自身の魔力に還元するため、不可能というわけではない。

ただしその効果は持続性がない。酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すように。外部から得る魔力を循環してすぐに使用しなければ、消えて無くなってしまう。

「エル・アムイシア・ミザ・ノ・クェロ――――」

増幅の詠唱をしている最中は無防備だ。だからこそ、雄真に秘宝を引きつけてもらうように頼んだのだが。

『ふふ、しかし雄真さんは相変わらずですね・・・』

まさか、あんな当たり前のような表情で即答されるとは思っていなかった。

だが、とても雄真らしいとも思う。彼は自身の力が及ばないとき、他人を頼ることを厭わない。

彼ほどの実力者なら、自身の力を過信して、傲慢になりがちだ。だが雄真は、いついかなる時でも周りが見えている。

今回も、この状況ではそれが最善の策だと思ったのだろう。彼は仲間だからという理由だけで、簡単にそういう決定はしない。

『そこまで信頼されて、失敗するわけにはいきませんね』

那津音にも押してもらった背中を、最後にもう一度押された気がする。

「ア・グナ・ギザ・ラ・デライド――――ラ・ディーエ!!」

鋭い秘宝のその声に、小雪は一度目を開けて辺りの様子を確認した。

開けた視界の先。映ったのは、自身に迫りくる無数の魔力弾。その光景をどこか別の世界を見るような気分で眺めていた。

「――――信じてますよ、二人とも」

魔力増幅の詠唱を終えた小雪が、小さく呟く。もう今更、迎い来る魔力弾を避ける術も防ぐ術も無い。

だがもう、彼女の気持ちが揺らぐことはない。

その瞳に、凶悪な魔弾と、秘宝の内に眠る伊吹を収めながら。



――――そっと、龍笛に口を付けた。





「春姫」

「うん」

雄真の呼びかけに、春姫が答える。秘宝の攻撃は相変わらず激しさを増しているが、二人は何とか合流を果たした。

『とはいえ、どうするか・・・』

小雪に頼まれた、秘宝の足止め。現実的に出来なくはないが、その方法は限られてくる。

今の秘宝の力と真っ向からぶつかり合えるのは、春姫と二人で紡ぐ同調合成魔法しかない。生半可な魔法では、即座に飲み込まれてしまうだろう。

だからといって、氷の楯で小雪を守るのは得策ではない。氷の楯は設置型であり、その効力は一方向において発揮する。

秘宝が全方向の攻撃を小雪に仕掛ければ、その分だけ氷の楯を生成しなければいけない。それは魔力の無駄遣いであるし、何よりそこまで魔力が残っているのかも怪しいところだ。

そして雷属性の天蓋魔法もまた、最善策ではない。秘宝を取り巻いている障壁を、雷の矢が貫けるとは限らない以上、そのままカウンターを貰う可能性は否定できない。

『――――雄真君、神坂さん』

『・・・母さん?』

『先生?』

鈴莉から念話が入る。彼女は今、雄真と春姫で設置した氷の楯を軸に、秘宝の攻撃をかわしている最中だ。

魔力酔いの症状も徐々に回復してきたのか、その身のこなしはだいぶ普段の鈴莉に近づいていた。

『話は聞いていたわ。―――合成魔法を使いなさい』

『でも母さん。そうは言っても、雷属性も氷属性も今の状況じゃ・・・』

『ええ、雄真君の考えている通り。でも、合成魔法はもう一つある』

『それって・・・』



『そう。風と土の合成属性――――地属性よ』





『――――ふむ、何やら企んでいるな』

秘宝は一旦、天蓋魔法による攻撃を止め、雄真たちの動きを注視した。

変貌を遂げた今の秘宝に、もう先ほどのような慢心など欠片もない。あるのは、その胸に巣食う破壊衝動だけだ。

だからといって、猪突というわけでもない。冷静な思考に裏付けられた、冷徹な魔法。まさに、悪魔の呼称に相応しい。

『――――っ、あれは・・・』

そうして警戒していた視界の先。高峰小雪が握っているものに、秘宝は覚えがあった。

十年前。妻を生き返らせようとした男を媒体に、秘宝が永い眠りから復活を遂げようとしたとき。邪魔をしたのは、あの笛を持った女であった。

女は最後まで抵抗し、その命と引き換えに秘宝を再び封印した。女自身の能力の高さもあったが、それもあの魔具が無ければそんな不覚は取らなかったはずだ。

『まだ我の邪魔をするか――――式守那津音!!』

様子を見てみると、どうやらまだ魔力を溜めている最中のようだ。つまり――――止めるなら、今しかない。

「ア・グナ・ギザ・ラ・デライド――――ラ・ディーエ!!」

再び三つの天蓋魔方陣が魔力を帯び、魔力弾が射出される。

その数、実に百近く。それらは全弾、雄真たちには目もくれぬまま、小雪の元へと殺到した。

――――雄真たちの、狙い通りに。





「「エル・アムダルト・リ・エルス・レイテ・ウィオール・テラ・ヴィストゥム――――」」

秘宝が詠唱を始めると同時に、雄真と春姫もまた動き出した。

それぞれ距離を取り、間に小雪を挟むような形となって詠唱を紡ぐ。小雪は一度確認するように二人の姿を目視したが、全てを任せるようにまた増幅魔法に集中
した。

「「カル・ア・ラト・リアラ・カルティエ・エル――――」」

二人が平行に構えていたワンドを、魔法の対象へと向ける。

構えられたアリエスとソプラノの先。そこには秘宝ではなく、目を閉じて集中している小雪の姿があった。



「ラティル・ファルナス!!」

「ディ・シルフィス!!」



そして紡がれる。雄真からは土属性の、春姫からは風属性の詠唱が。

奔るのは二本の閃光。それぞれ黄色と緑色を放つそれは、まるで磁石に引かれるように、ワンドの先から真っ直ぐに小雪の元へと向かい――――その肢体を、や
わらかく包み込む。

その刹那――――。



“ドォォォオオオオォォオオォォオオォオオオォォォォォォオンッ!!”



――――秘宝の闇色の魔弾が、小雪ごと大地を揺るがした。




46話へ続く


後書き

今回は何とか早めに更新できました。とはいっても、もう10日ほど経っているのですががが。

というわけで、雅輝です。SWの最新話、楽しんで頂けたでしょうか?


今回は視点が結構コロコロと動いているので、多少読みにくいかもしれません。

ただ、書きたかったことは書けたかなと。やはり登場人物が多いと、色々な角度から見た方が分かりやすいですからね。こちらも書きやすいですし。


さて、秘宝の攻撃が直撃した小雪。果たして、その運命やいかに――――?

とまあ、連載らしく気になる展開(?)で引きつつ、また次話でお会いしましょう!^^



2010.8.18  雅輝