“キィッ・・・”
金具の部分が少し錆び付いたドアを開けると、そろそろ橙に染まりつつある空がまず目に止まった。
真正面には、そんな空を演出する太陽。雄真はその眩しさに目を若干細めつつ、歩を進める。フェンスに寄りかかるようにして街並を眺めている、彼女――神坂春姫の元へと。
――放課後の屋上。春姫が指定した、時間と場所。
もしかしたらこうしている間にも、伊吹たちはその計画を進めているのかもしれない。そんなことは、雄真も春姫も分かっていた。
けれど。たとえ我侭と言われようとも、今日だけは魔法使いとしてではなく、高校生としての自分を貫きたかった。
それは雄真を呼び寄せた春姫はもちろん、その誘いのままこの場所に来た雄真にも言えること。
それほどまでに、二人にとっては大事なことだったから。
「――春姫」
雄真の呼びかけに、フェンスの向こうを眺めていた春姫がゆっくりと振り返る。
その表情は、どこか決意を秘めたものだった。凛とした、まっすぐな瞳。背後の夕陽も相俟って、朴念仁の雄真ですら一瞬見とれてしまうほどだった。
「小日向くん・・・来てくれたんだね」
春姫はそう言って、淡い笑みを浮かべる。そして唐突に、背中のソプラノを手に取り構えて見せた。
「春姫?」
「エル・アムダルト・リ・エルス――」
詠唱に反応して、雄真の体が咄嗟に戦闘体勢を取ろうとしてしまう。――しかし。
『・・・違う?』
すぐにそれは杞憂だと悟った。春姫が生み出しつつある魔法からは、そんな暴力的な雰囲気は伝わってこず――ただひたすらに温かかった。
『これは・・・』
懐かしい、と。雄真はそんな感情を抱いた。
当然だ。それは昔、二人を繋いだ思い出の魔法なのだから。
――少年は女の子を守るために、母の言いつけを破って魔法を行使した。それによって芽生えた恐怖心も、女の子の天使のような微笑が癒してくれた。
――少女は男の子の背に隠れながら、その温かな光に心を奪われた。いじめられて泣いていた心は、男の子の笑顔によって吹き飛んでしまった。
「ディ・ルテ・エル・アダファルス・・・」
詠唱が終わる。
その魔法は、本来なら魔力球による攻撃魔法。
しかし春姫のかざした左手の中に浮かぶソレは、とてもではないが「攻撃」という言葉とは結びつかない、柔らかな雰囲気を纏う光球。
「これは、私が魔法使いになろうとした、きっかけの魔法」
春姫がその言葉と共に、魔法の維持を打ち切る。やがてその光球は周りの大気に溶け込み、キラキラとした光の残滓を撒きながら消えていった。
「小日向くんに、訊きたいことがあるの。魔法使いとしてではなく、一人の女の子として」
その決意のこもった真摯な瞳に、雄真は静かに頷くことしか出来なかった―――。
はぴねす! SS
「Secret Wizard」
Written
by 雅輝
<32> 夕暮の告白
「顔を見てると、上手く話せないと思うから・・・」
という春姫の言葉に従って、二人は背もたれの無いベンチに、背中合わせで腰を下ろした。
必然と、背中に相手の温もりを感じることになる。それは昨日、路地裏での抱き合った状態よりも近くないというのに、何故か昨日以上に心臓の音がうるさかった。
「・・・昨日、話したよね。私が魔法使いを目指すきっかけとなった出来事を」
「――ああ」
「さっきの魔法は、そのときに男の子が使った魔法で―――私が憧れて、目指した魔法」
――「だったら、私も魔法使いになる!」
――「私も、あんな温かい光を作れるようになりたいから。だから、あなたもすごい魔法使いになってね?」
それはまだ幼いながらも、その頃の春姫にとってはどこまでも真剣な誓いだった。
魔法の勉強も、魔法の行使の練習も、ただその誓いを果たすためだけにやってきた。
『春姫も、ずっと頑張ってたんだな・・・』
彼女と自分は似ている。それは森で式守側と戦ったときにも、抱いた感情だ。
彼女も、自分との約束を守るためにずっと研鑽を続けてきた。それがこんなにも嬉しいのは、きっと―――。
『俺の気持ちは、あの頃から変わっていないってことなんだろうな。・・・でも―――』
「――ねぇ、教えて。・・・小日向くんは、あの時の男の子なの?」
背中越しとはいえ、彼女が今どんな表情をしているのかは、その震えた声が教えてくれた。
「あの温かい光で私を助けてくれた、魔法使いなの?」
「―――・・・」
雄真は目を瞑る。春姫の言葉の節々から感じられる感情を受け止め、ゆっくりと噛み締めるように。
「・・・一つだけ、聞かせてくれないか?」
やがて、雄真の口からはそんな言葉が漏れていた。この事件が終わるまでは、正体を明かさないと決めたはずなのに。
「うん・・・」
「もし俺がその初恋の男の子じゃなかったら、春姫はどうするんだ? そんな俺でも君は―――」
――好きだと言ってくれるのか?
その言葉の続きを紡ぐことは、何故だか躊躇われた。それを自ら言葉にするのは、何だかずるい気がして。
「好きだよ」
けれど。そんな雄真の躊躇いすらも分かっていたかのように。
春姫は雄真の途切れた言葉に被せるようにして、ハッキリとそう告げた。
「・・・え?」
「私も、最初は迷ったの。私は小日向くんと、思い出の男の子を重ねているんじゃないかって。初恋の男の子に似てるから、小日向くんのことが気になるんじゃないかって」
「・・・」
「でも、今はハッキリと違うって言い切れる。そもそも、その前提が間違っていたから」
そこまで言うと、春姫はふと立ち上がりフェンスの方へと数歩歩み、振り返る。雄真もまた、離れた背中の温もりを追うようにして、ベンチから立ち上がって彼女を見つめた。
春姫が離れていったほんの数メートルの中空で、視線が絡み合う。やがて軽く頬を染めた春姫が、ゆっくりと口を開いた―――。
「私は、初恋の男の子に似てるから小日向くんを好きなわけじゃない。小日向くんが好きだから、初恋の男の子であって欲しいの」
「――――」
余りにもまっすぐで、あくまでもシンプルで。雄真の脳は容易く揺さぶられ、雄真の心は容易く打ち抜かれた。
『ああ・・・馬鹿だな、俺は』
そして内心で、そう自嘲した。
結局、自分が春姫を好きなことに変わりはなくて。
春姫の気持ちも、自分の気持ちも、どこかで甘く見ていた。けじめなどと格好を付けて、去りし日の約束に自信が持てていなかった。
そして何より。過去の約束のことばかり考えて、今の春姫を見ようとしなかった。
――【私は、自分の信念に真っ直ぐすぎる男の子より、初恋の人に胸をときめかせている女の子を応援したいですけどね】
あの時のアリエスの言葉は、正しかった。あれは、暗に今を見ていない雄真に対する、忠告だったのかもしれない。
『もう限界、だな』
これ以上は、隠しきれない。そもそも、春姫に正体を隠しておく必要性さえ無くなった。
だったら―――今この瞬間に似合う言葉は、一つしかない。
「ありがとう、春姫。俺は・・・俺も、春姫のことが―――」
【――――っ、マスター!!】
意を決した雄真の言葉を、遮る念話が脳内に響く。
アリエスが、自分たちのことを姉のような気持ちで見守ってくれていたのは知っている。何も無ければ、こんな無粋なタイミングで声を掛けないということも。
『しまった―――っ、油断しすぎた!』
突然の魔力反応。おそらく転移魔法の類を行使したのだろうが、問題はそこではない。
告白を終えて、いっぱいいっぱいな春姫の背後に、白い帽子のツバが見えた。雄真は即座に、脚に強化魔法を掛ける。
『間に合うか――――っ』
思いきり屋上の地面を蹴る。加減を間違えて足がイカレそうになったが、そんなのは些末な問題だ。
数mの距離がもどかしい。スローモーションにでもなったかのような感覚の中で、アリエスを指輪から杖の状態に戻し、春姫の前へと躍り出る。そこでようやく、転移してきた「彼女」の全容が覗えた。
―――式守伊吹。ビサイムという名の傘形ワンドをこちらへと向け、今まさに放とうとしている瞬間だった。
突然ワンドを向けた方向に現れた雄真に、伊吹の顔が驚きで歪む。だがもう遅い。充填した魔力―――人ひとりを気絶させるのに十分な威力を持つ魔力球が、雄真を襲った。
「――小日向くん!!」
後ろから、春姫の悲鳴染みた声が聞こえてくる。だが、雄真は一般の生徒ではない。
―――Secret Wizard。大魔法使いである御薙鈴莉を母に持つ、世間には認知されていない魔法使い。
「エル・アムダルト・ディ・アムレストッ!!」
アリエスの力も借りて、4音で構成された障壁は―――ClassAにも届こうかという魔力球を見事に無力化した。
「―――なっ!!」
伊吹の口から、驚愕の声が漏れる。それも当然か、普通の生徒とばかり思っていた雄真が、自身の――本気ではないとはいえ――魔力球を防いでみせたのだ。
「アス・ルーエント!!」
「ちっ――!」
タクトのように軽やかに振るわれたアリエスにより、追加の反射魔法が障壁に付与される。返って来た己の魔力球を、伊吹は舌打ちと共に半身をずらすことによって、何とか避けた。
「貴様―――小日向雄真」
「小日向くん・・・?」
睨みつける伊吹と、後ろで困惑している様子の春姫の声を聞きながら、雄真は「ふう・・・」と一つため息を吐いた。
「・・・なかなか無粋な登場をしてくれるじゃないか、式守伊吹。那津音姉さんは、妹の育て方を間違えたみたいだ」
「な―――っ、なぜ那津音姉様の名前を・・・!」
伊吹の視線が一層険しくなるも―――雄真はまったく動じない。今彼の心を占めているのは、自分の大事な人を襲おうとした伊吹に対する、静かな怒り。
「――アリエス。やっと本気を出せそうだ」
【ええ・・・もう、迷う必要はありません。全力で行きましょう、マイマスター】
力強い言葉で答えてくれる相棒を、ユラリと伊吹へと向ける。鈴莉には伊吹を救うと言ったが、それと春姫への攻撃は話が別だ。少しばかり、お灸を据えてやらなければいけない。
「貴様・・・何者だ?」
対して伊吹も、その声に若干の緊張感を孕ませ、ビサイムを構える。そんな彼女の問いに、雄真は苦笑しながら――しかし胸を張って、こう答えた。
「―――“みんなを幸せにできる、すごい魔法使い”だよ」
33話へ続く
後書き
結構遅れましたが、SWの32話、公開です〜^^
今回はシリアス一直線でした。もうクライマックスも間近! 40話完結、かなぁ。
そしてこのシーンは、実は私がSWで一番書きたかったシーンでもあります。むしろ、このシーンを書くために連載を始めたと言っても過言ではないほど。
最愛の人を敵から守るために、正体を明かすのも厭わずに助ける―――どこかのヒーロー物でも見ている気分です(笑)
あと、最後の雄真のセリフ。これは過去に、春姫と約束した時の言葉でもあります。忘れている人もいると思いますので、念のために補足。
次回は雄真VS伊吹。予定通りの更新を目指して頑張りまーす。