「ただいま〜」
疲労が溜まっている足を引きずりながら、雄真が小日向家へと帰って来た頃には、既に空は茜色に染まっていた。
外は二月相応の寒さだったのだが、ずっと歩きっぱなしでいれば当然喉も渇く。雄真は靴を脱ぐと、真っ先にキッチンを目指した。
【あっ、雄真さん。ストップです】
「ん?どうした、アリエス」
しかしその雄真の行く先を遮る声。自宅に戻って来て念話をする必要も無くなった相棒に、雄真は声に出して訊ねる。
【いえ、今日はキッチンに行くのは止めた方が賢明かと】
「何でだ?」
【微かにチョコレートの香りを感知しました。おそらくすももさんが、明日のバレンタインデーの下準備をしているのだと思われます】
「あ〜、なるほど。そういえば、去年もそう言われて追い出されたっけ」
アリエスの言葉に納得し、仕方なく先にリビングへと顔を出すことにする。
「ただいま、かーさん」
そこには、珍しく仕事がオフであった「小日向音羽」が、おそらく仕事関係の帳簿を書きこんでいる姿があった。
学園のカフェテリア、「Oasis」のチーフを勤めている音羽は、その童顔と小柄な体から、しばしば女子高生に間違えられるほど若作りだ。とてもではないが、もうすぐ高校生になろうかという娘を持つ母親には見えない。
ちなみに雄真は音羽のことを「かーさん」と呼んでいるが、実際に血の繋がりはなく、彼は幼い頃にこの家に預けられた、いわば養子の身であった。
それまで小日向家とは何度か交流があったものの、突然出来た新しい家族に委縮していた雄真に、音羽は満面の笑みでこう言った。
「私たち三人、今日からサイコーのお友達ねっ♪」
さらには義理の妹となるすももを巻き込んで抱きついて来て、その上頬ずりをしてくる始末。
だが、それにより雄真の緊張もぶっ飛び・・・何事もなく、小日向家の一員としての生活を始められた。
とは言っても、雄真は確信を持って言える。あの時の音羽の言葉は打算的なものではなく、心から自分たちに向けられたものだったと。
だからこそ雄真は、この好奇心旺盛な子供のような「かーさん」を、信頼し、また尊敬もしていた。
「あっ、おかえりなさい、雄真くん。先に言っておくけど、今日はキッチンに入っちゃ駄目だからね」
「ああ、すももだろ?でも俺、喉渇いてるんだけど・・・」
「じゃあ、はい。これ」
ヒョイと放り投げられて雄真の手元へと渡ったそれは、小さなペットボトルに半分以上入っているウーロン茶だった。
どうやら音羽が飲み残したやつのようだが、特に気にすることでもない。とりあえず雄真は一口分だけボトルを口に傾けてから、部屋を出ようとする。
「サンキュー、かーさん。それじゃあ、部屋にいるからご飯が出来たら呼んでくれ」
「はいはーい。あっ!雄真くん!」
「ん?」
呼び止められた雄真は、また一口ボトルを仰ぐ。すると音羽がニンマリとした顔で。
「後で、おかーさんとの間接キスの感想を教えてね♪」
「――っ!ゲホッ」
もはや聞きなれた音羽の冗談に、雄真は咳きこみながら無言で二階へと上がっていくのであった。
はぴねす! SS
「Secret Wizard」
Written
by 雅輝
<3> 銀髪の少女
「・・・ん?」
ふとした拍子に意識が浮上して、雄真は覚醒した。
まだボンヤリとする頭で周りを見てみれば、そこは真っ暗な自室のベッドの上。
『あれ?俺、確か夕飯の前に魔道書を読んでて・・・ああ、そうか』
どうやら、そのまま眠ってしまったらしい。蓄積していた疲労からいつの間にか意識が落ちてしまったのだろう。手に持ったままの魔道書がそれを雄弁に語っていた。
しかも時計を見てみると、真夜中の二時を少々回ったところ。早く寝過ぎた分、中途半端な時間に起きてしまったようだ。
【お目覚めですか?雄真さん】
「ああ。まだ頭がクラクラするけど・・・そういえば、腹も減ったな」
晩御飯も食べずに眠ってしまったのだから、それも当然だろう。
『もう2時か・・・。とりあえず腹を満たして、それから少し早いけど魔法の練習でもしようか・・・』
毎日の日課である深夜の特訓の開始時刻は、人に見つからないようにするためだいたい4時くらいなのだが、まあ今からでも特に問題はないだろう。
雄真は自室のハンガーに掛かっていたダウンジャケットを羽織り、アリエスを指に嵌めると、誰も起こさないように静かに家を出た。とりあえず、コンビニで食料を調達しようと思って。
小日向家から最寄りのコンビニまでは、ゆっくりと歩いても10分程度の距離だ。
その道中、もう少しでコンビニの明かりが見えてくるいう場所で、突然アリエスが念話で語りかけてきた。
【・・・マスター。前方20m先から、人が一人歩いてきます。どうやら女性・・・・いえ、女の子のようです】
『こんな時間に女の子が外出?珍しいけど・・・まあ関係ないか』
雄真としてもこのくらいは想定内である。いくら真夜中とはいえ、人がまったく出歩かないわけではないのだし、相手が魔法使いなら自分と同じように人目を忍んだ鍛錬かもしれない。
目を凝らしてみると、確かに前方から小柄な人影が歩いてくる。音羽よりもさらにワンサイズ小さく、髪も相応に長いことからアリエスの言うように女の子であることが推測された。
段々と近づいてきたその少女の輪郭が、街灯によって照らされる。アリエスの宝玉のように赤い瞳が、少女に似合わぬ威圧感を醸し出していた。
髪は見事な銀髪。頭にはシルクハットの唾の部分をでかくしたような白い帽子を被っており、その肢体を包むワインレッドのワンピースの背中には、雨でもないのに傘が・・・いや、おそらくマジックワンドであろうものが張り付いている。
すれ違う一瞬、自分でもよく分からないが、なぜか雄真は身を堅くした。まるで、魔法使いである自分の本能が警鐘を鳴らしているかのように。
「・・・ちょっと待て」
すれ違って2,3歩歩いたところで、その銀髪の少女に呼び止められる。可愛らしい声には似合わない尊大な口調に、雄真は首を傾げながら振り向く。
「何かな?」
「・・・瑞穂坂学園にはどう行けば良いのか、教えてくれぬか?」
なるほど迷子か、とかなり失礼なことを思いつつ、若干気も緩んだ雄真はおもむろに指で方向を示した。
「そこの角を曲がって、ずっと真っ直ぐ行ったら学園が見えてくるぞ」
「うむ、なるほど。・・・そなたは、学園の生徒か?」
「ああ、普通科の1年・・・もうすぐ2年か。小日向雄真だ。君は?」
何故見知らぬ相手に名前まで教えたのか、また名前を尋ねたのか。雄真自身にも分らなかったが、そうしなければいけない気がしたのだ。
少女は厳しい目を一度雄真の指した方向へと向けると、そちらの方向に歩みを再開しながら口を開く。
「式守伊吹だ。礼を言うぞ、小日向雄真」
そう言って闇に消えた銀髪を見届けてから、雄真は納得したかのように一度息を吐いた。
「そうか・・・彼女も、”式守”の人間か」
そうして、意味深な言葉を呟く。
「式守家」は魔法使いなら誰もが知っているような、高名な魔法使いの一族だ。
そういう家柄の詳細な情報は基本的に秘匿扱いなのだが、式守の人間は総じて銀髪であるということなら知っている。
「ということは、魔法科への転入か何かかな?」
【どうでしょう?どちらにしても、新学期になれば分かるのではないでしょうか】
「ま、確かにな」
『それにあの体型なら、もしかすると中等部かも知れないしな』と、式守家たる伊吹が聞けば半ば本気で攻撃魔法を連発してきそうなことを思いながら、再度公園を目指す。
結局その後は誰とも会うことはなくコンビニで用を終えた雄真は、家に帰ってすぐさま魔法の練習をするのであった。
【――まさん】
「んんぅ・・・」
【雄真さん、起きてください】
翌日――すなわちバレンタインデーの朝。既に聞きなれたものとなっている相棒の声に、雄真はまどろみながらも瞳を開いた。
「・・・アリエス?」
【はい、おはようございます】
「ああ、おはよう。・・・ん?まだ目覚ましが鳴る前じゃないか」
瞳を擦りながら目覚まし時計を確認してみると、確かにいつも平日に起きる時間より20分ほど早い。
【すみません、私も不本意だったのですが・・・音羽さんからの伝言がありまして】
「なに?」
【そのまま伝えます。「雄真くん、後は任せた♪」・・・とのことです】
「・・・すげぇ嫌な予感がする」
わざわざ言伝を残していったということは、もう既に音羽は学園へと向かったのであろうか。
しかし、まだ彼女が普段出る時間には随分と早い。つまり、何か面倒事が起こり、その処理を雄真に任せて逃げた・・・と考えるのが妥当か。
【それと、先ほどより何やら下が騒がしいようなのですが・・・】
「・・・とりあえず、下りてみるか」
【はい】
眠気など一気に吹き飛んだ雄真は、パジャマから学園の制服へと着替え、おそるおそる階下へと足を運ぶ。
そしてリビングの扉を開けた瞬間。雄真の鼻を、強烈な匂いが刺した。
「うわっ、酒臭っ!どうしたんだ、いったい・・・」
そう、リビングおよびキッチンには、まるでウィスキーを丸々一本ぶちまけたかのような酒気が充満していたのだ。
雄真は警戒しながら、リビングへと足を踏み入れる。いつもは綺麗に整頓されているはずのそこは、まるで台風が過ぎ去ったかのように散らかっていた。
「えへへ〜、に〜いさ〜〜〜ん!!」
「うおっ!」
突然、呆然と立ち尽くしていた雄真の横から何者かが飛びかかり、彼は成す術なくそのままバランスを崩して倒れかける。
【雄真さん!ディ・アムフェイ!】
しかし、間一髪のところでアリエスが赤く輝き、発動された浮遊魔法は雄真たちの体をフローリングの床へとゆっくり着地させた。
「ふ〜、サンキューな。アリエス」
優秀な相棒に一言お礼を述べてから、雄真は仰向けに倒れている自分の胸の辺りにゴロゴロと甘えるように縋っている少女の頭に軽くチョップしておく。
「こら、すもも。いい加減にどいてくれないか」
「えへへ〜〜、兄さんの匂いがします〜」
「小日向すもも」は、雄真が小日向家に引き取られた際に出来た義理の妹・・・つまり、音羽の実の娘にあたる。
外側にカールするセミロングの髪に、犬耳を連想させる大きなリボン。その可愛らしい容姿も然ることながら、頭も良く家事も万能で気遣い上手。
まさに良妻賢母の妹版とも呼べる存在であり、雄真にとってもすももは自慢の義妹であり、同時に割と頭の上がらない相手でもあった。
「聞こえてないな。・・・つーか、酔っぱらってるのか?」
その完璧とも言える妹が、なぜこんな状態になっているのか。雄真はふとキッチンの方へと目を向け、その理由を悟った。
「あれは・・・親父が飲むのを楽しみにしていた、秘蔵のブランデー。なるほど、チョコレートに入れようとしたのか」
「正解です〜。そんな兄さんには、はい♪ハッピーバレンタインです!」
「ああ、毎年ありがとな」
酷く緩慢な動作で差し出されたチョコレートは、しかしながら綺麗に包装紙と赤いリボンで包まれていた。この辺りは「流石はすもも」と感心すべきところなのだろうが、今のすももにはこれ以上の言葉を掛けても無意味なようだ。
「ゴロゴロ〜〜♪」
「ふう・・・かーさんめ。こんな状態の娘を置いていくなよな」
口ではそうぼやきつつも、しっかりとフォローする雄真だからこそ、音羽も任せて出ていったのだろう。
「アリエス、起動」
彼が自らの相棒を指から外し一声掛けると、アリエスは淡い光を放ってマジックワンドの形へと変形した。
「いくぞ、アリエス」
【了解です、マスター】
「エル・アムダルト・リ・エルス――」
これから行う魔法は、アルコールの分解と安眠の効用を併せ持つ魔法。
別にアリエスをマジックワンド状にしなくても可能な呪文だが、やはり人に掛ける呪文となると失敗は許されないという気持ちが、雄真の場合自然と働いてしまうのである。
というのも、アリエスは形状変化として指輪の形になれるのだが、その維持にも微小ながら魔力を消費しているので、やはりワンド状の方が魔力伝達の効率も良いし、またそれに伴い威力や成功率も高い。
「――ディ・アムストレフ」
収束のワードと共に、ワンドの先端をコツンと軽くすももの頭に当てる。
すると、先ほどまで暴走していた彼女は、まるで糸が切れたかのようにコテンと横になった。
「・・・お疲れさま、アリエス。もういいぞ」
その言葉を受け、またアリエスは指輪の形状へと戻り、雄真の右手の中指へと収まる。
「さて、とりあえずすももを部屋まで運んで・・・キッチンはもういいか」
【そうですね。あまりゆっくりとしている時間も無いでしょう】
時計を見ると、いつも家を出る時間が迫っていた。これも見越してアリエスはいつもより早めに起こしてくれたのだろう。
雄真は戦場であったのであろうキッチンに踏み込み、無事なチョコを数個ほど口に放り込むと、鞄を持って急いで家を出た。
「はぁ・・・今日は幸先が悪いな」
とりあえず、昼休みはOasisに行って音羽をとっちめてやろう。と、雄真は歩きながら密かに誓うのであった。
4話へ続く
後書き
第3話の掲載です。
今回は、少しオリジナルシナリオを混ぜてみました。みんなの伊吹ちゃんの登場です(ぇ
まあ今回雄真と伊吹が出会ったことも、今後のシナリオに少しは関係してくるはず・・・たぶん^^;
あとは、すももも初登場ですね。でも初登場シーンが酔っぱらった状態って・・・(笑)
次回はドタバタのバレンタインデーです。おそらく、前後編に分かれます。
それでは。