「そう・・・分かったわ」
雄真と春姫が、伊吹たちと相対した日から二日後。魔法連盟の会合から戻ってきた鈴莉は、己の研究室で留守を任せた息子の報告を受けていた。
「・・・そういえば、先に神坂さんが報告に来ただろ?」
「もちろん、彼女の報告も聞いたわ。大体同じだったけれど、何とか正体はバレなかったようね」
「バレることも覚悟の上だったんだけどね。伊吹もいい具合に勘違いしてくれて、助かったよ」
そう、雄真はあの瞬間、確かに正体がバレるのを覚悟で魔法を使っていた。──勝利を確信していたからだ。
あの状況、あのタイミングで防がれるなど、想像もしていなかった。伊吹も居ることくらいは、十分考え得ることだったにも関わらず。
上条兄妹さえ倒して抑えてしまえば、式守陣営には大打撃になるだろうと思い、それまで春姫と詠唱を同調させることで誤魔化していた彼の魔法を、惜しげも無く使ってしまった。
「安易だったと反省してるよ」
「・・・ごめんね、雄真君」
「──え?」
突然の母の謝罪に、戸惑いを隠せない雄真。
鈴莉はそんな息子に対して、自嘲とも取れる表情を浮かべながら呟いた。
「今の雄真君、反省していると同時に、凄く楽しそうだったわ。久しぶりに全力で魔法行使が出来て、喜んでいるように見えた。・・・違う?」
「それは──」
違う、と続けるつもりだった。だが、同時に否定しきれない自分もどこかに居て、結局無言を返し、暗に肯定する形となってしまう。
「いいのよ、それは魔法使いなら、誰もが持ち得る欲求。特に、昔から余りある力を抑圧され続けてきた雄真君ならね」
「母さん・・・」
「だから、──雄真君」
その台詞までの鈴莉は、雄真の母として懺悔を浮かべた表情だった。しかし今は違う。シフトを切り替えたように、その顔は凛とした魔法使いのソレとなっていた。
───雄真が憧れ、目標にし続けてきた「御薙鈴莉」の姿。
「これからは、貴方のやり方で式守伊吹を止めてみせなさい。私はもう、これ以上のことを言う資格が無いわ」
「もちろん、手伝える範囲のことはやるけど」と付け加える鈴莉の言葉を、雄真は深く噛み締める。
それは、暗に「もう魔法使いであることを隠さなくても良い」と、そういうことなのだろう。
ちから
時は満ちた。全ては、この時のために隠しつづけてきた能力。
現に今、学園側に雄真という秘匿され続けた切り札が存在しているおかげで、式守側より一歩先んじている。
だが当然のことながら、あからさまに正体を明かせということではない。ただ、どうしようもない状態の時、心に躊躇いを持たないようになったのは確かだ。
傍目から見れば、鈴莉が全て丸投げしたように映るかもしれない。だが違う。これは鈴莉の優しさであり、息子に寄せる絶大な期待と信頼だ。
「──ああ、任せてくれ」
そしてそれが分かっているからこそ、雄真は力強く頷いて、内心で傷ついているであろう母を安心させる微笑を浮かべた。
「さて。とは言ったものの、まだ雄真君も神坂さんも、魔力が戻ったわけじゃないわ」
「まあ・・・まだ明日一日くらい掛かるかもしれないね」
先の戦いで、信哉と沙耶の魔力が尽きたのと同じように、雄真と春姫も同様に魔力不足な状態に陥っていた。
魔法使いにとって、魔力は体力とほぼ同義である。だから、魔力の回復には自然治癒を待つしかない。
特に春姫の魔力消費は酷く、昨日は学校にも来られずに、状況確認も兼ねて鈴莉自ら女子寮にお見舞いに行ったほどだ。
「神坂さん、今日は来てたけどしんどそうだったな。授業が半日で終わったから良かったけど、森の警備は任せてないんだろ?」
「ええ、もちろん。ここで無理をしなくても、おそらく伊吹さんが仕掛けて来るのは、上条君たちの回復を待ってからでしょうしね」
それもそうか、と雄真は納得した。あの有利な状況で伊吹が撤退したのは、雄真を鈴莉と勘違いしていたというのもあるだろうが、何より兄妹を回復させるためのはず。
あの二人の能力を伊吹が頼りにしているのが覗えたからこそ、断言できるわけだ。
「ということで、雄真君と神坂さんは今日と明日は警備も休みで大丈夫よ」
「・・・ん? 流石に明日はまずいんじゃないの?」
「確かに来ないとは言い切れないけど、明日は私が詰めているから大丈夫よ。そうだ、雄真君は親睦も兼ねて、神坂さんとデートでもしてきたらどうかしら?」
「──っ、ゴホッ、ゴホッ!!」
鈴莉の入れた、甘すぎず苦すぎずの絶妙な味を醸すコーヒーを啜った直後だった。何とか雄真は噴出すのは堪え、しかしその代償に思い切り咽てしまう。
「な、何だよいきなり!?」
「あら、別におかしなことは無いと思うけど? 魔法の実力もそうだけど、それを抜きにしてもお似合いのカップルだと思うし」
「あのなぁ・・・」
こんな時、雄真は思う。あぁ、やっぱりこの人は、音羽かーさんの親友なのだと。
先ほどまでは凛とした魔法使いだったのに、今はその表情もニヤニヤと悪戯っぽく歪められている。──そういったギャップも、この年齢不詳な美女の魅力なのだろうが。
「ともかく、俺なんかじゃ神坂さんに失礼だって。それじゃあ、俺はそろそろ帰るから」
「はいはい。また何かあったらいらっしゃい」
照れ隠しなのか、少し早口で捲し上げて研究室を出て行こうとする息子に対して、鈴莉は余裕綽々の笑顔を向ける。
が、雄真は立ち止まったかと思えば、先ほどの照れとはまた違う表情で振り返ると。
「──ありがと、母さん。だいぶ気持ちが楽になったよ」
最後にそう微笑んで、今度こそ研究室を出て行った。
「・・・本当にもう、雄真君は」
雄真が出て行った後、鈴莉はそう呟いて、額に手を当てた顔を天井に向けた。
だが、その手の下の表情は隠せていない。喜びと嬉しさで、どうもにやけてしまう。
「あの女殺しは、音羽の教育の賜物かしらね」
流石に息子にそんな気を起こすつもりは毛頭ないが、彼はとても魅力のある男の子に育ってくれたと思う。それは容姿だけではもちろん無く、人間性という意味でも。
「ただ、恋愛感情に疎いのよねぇ」
あれだけのスペックで、どうして彼女がいないのか。それはその一言に尽きた。
だが、先ほど雄真は春姫と釣り合わないと言っていたが、逆に春姫と釣り合う数少ない人間だと、鈴莉は思う。
「・・・あながち、冗談でも無かったのだけどね」
雄真と春姫のデート。それは色々な方面でプラスに働くだろうと思い提案したが、息子には性質の悪い冗談と取られてしまったらしい。
鈴莉は想像の中で、愛弟子二人を並ばせてみて、「やっぱりお似合いだわ」と再度苦笑した。
だが、この時の鈴莉は、ましてや雄真は夢にも思ってもみなかっただろう。
──その翌日。鈴莉の思いつきのような「デート」という単語が、現実のものとなろうとは。
はぴねす! SS
「Secret Wizard」
Written
by 雅輝
<27> 名前で呼んで
「・・・神坂さん?」
「──え?」
鈴莉の研究室を出て、家路に着いた直後。家と病院を結ぶ途中に存在する公園のベンチで、雄真は意外な人物を見かけ、気づけばそのまま声を掛けていた。
「小日向君・・・」
「どうしたんだ、こんなところで」
「うん、ちょっと・・・ね」
学園の裏手にある女子寮には寄っていないのか、春姫はまだ制服のままだ。体も復調していないようで、どことなくボンヤリとしている。
「・・・大丈夫か? 何だか体調が悪そうだけど」
雄真としてはその質問の答えどころか、理由もわかっていたけど敢えて尋ねてみた。ただ単純に、今の春姫を見ていたら話し掛けずには居られなかった。
「うん、まだ昨日の風邪が残ってるみたい。心配してくれてありがとう」
流石に一連の事件をクラスメイトに説明するわけにはいかず、昨日休んだ春姫は風邪扱いとなっている。だから今もそんな建前を口にして、微かに苦笑した。
「そっか・・・隣、いいかな?」
「え? う、うん・・・」
春姫が腰を掛けていたベンチに、人一人分程の距離を空けて座る。
座ると同時に、雄真は自分の行動に少し疑問を覚えた。普段ならこんなことはしなかっただろう。ただ今は、先ほどの鈴莉の言葉が頭に残っているせいか、過剰に春姫のことを意識してしまう。その感情が、口を開かせたのだろうか。
春姫は春姫で、何故か少し顔を赤らめて、慌てるようにして承諾した。本人たちは気づいていないだろうが、傍から見ると完全に初々しいカップルそのものだ。
「・・・」
「・・・」
互いに、少しの間口を噤む。雄真は突然の自分の行動に驚きつつも何か話題を作らないとと焦り、春姫は照れつつも雄真の行動の真意を探るようにチラチラと視線を送る。
ハチが見れば、「こんのバカップルどもめえええええええええええっ!!」とか叫んで血の涙でも流しかねない状況。
互いに相手を意識しているのがバレバレなのだが、二人とも生来の鈍感ゆえに、互いの気持ちに気付かない。
いや───それも仕方がない。何せ、二人とも一番大事な自分の気持ちにすら、ちゃんと自覚していないのだから。
「・・・あの、さ」
そんな中、均衡を破ったのは雄真の照れくさそうな声。春姫はおずおずと視線を向けるも、真っ直ぐに向けられる雄真の瞳にまた軽く目を逸してしまった。
「あー・・・もしかして、何か悩みでもあるのか?」
「えっ?」
そんな雄真の言葉に、春姫は軽く驚きつつも、笑顔を作って「な、何で?」と聞き返す。
「いや、さ。神坂さんって、いっつも無理してるだろ?」
「無理なんて・・・して、ないよ?」
回答がどもってしまったのは、雄真の言葉が真実だから。それを他の誰でもなく、春姫は自覚していた。
いつの間にか学園中に定着してしまった、「瑞穂坂の才媛」という二つ名。いつからだろう、周りから注がれる憧憬と羨望の眼差しが重たく感じるようになったのは。
容姿端麗で成績優秀。人当たりが良く、魔法の腕も学生レベルでは群を抜いている。いつの間にか自分には、そんなイメージが押し付けられていた。
だからこそ、真っ直ぐと自分をライバル宣言してきた杏璃と親友になれたというのもあるが、高嶺の花と見られて避ける生徒の方が大多数だった。
自分はそんなに高尚な人間ではない。ただ純粋に、幼い頃の約束を信じて、我武者羅に頑張ってきただけ。
けれど、イメージとは怖い物だ。少しそれと外れるような行動をしただけで、周囲には落胆されてしまうのだから。
だからこそ、ふとした瞬間に思うことがある。──自分はいったい、何のために頑張っているのだろう。
自分にイメージを押し付ける、周りの生徒のため? ――違う。
幼い頃の約束を果たすため? きっとそうなのだろう。しかし、本当に再会はできるのだろうか? そもそも彼は覚えているのだろうか?
思考がどんどん深みに嵌まり、マイナス方向へと転がり落ちていく。
──本当は今日この公園に来たのも、「ふとした瞬間」が訪れたからに他ならない。
魔力不足によるものだとしても、体調不良には変わりないからこそ、色々と考えてしまう。だからなのだろうか、初恋の男の子と約束を交わした、この公園に自然と足は向いていた。
『・・・なんで?』
春姫は思う。どうして、見破られてしまったのだろうか。
胸がドキドキする。雄真の真剣な眼差しに、作った笑顔が崩れてしまいそうになる。──何故、そんな優しげな眼差しをしているのだろうか。
何故────その優しげな瞳が、あの男の子と重なるのだろうか。
「・・・いいや、無理してるよ。俺には、なんとなく分かる」
「な、何でそう言い切れるの?」
「・・・さあ、何でだろうな」
苦笑と共にそう呟いた雄真の言葉は、からかいの意味ではなく本当に分かっていないように感じた。
「あー、ごめん。確かに支離滅裂だよな。忘れてくれ」
「う、うん・・・」
春姫は頷きつつも、見事に言い当てられたことに対する内心の動揺を隠し切れていない。
「でもさ、今は何も無くても、これからも何か悩みがあったら言ってくれよ?」
「・・・どうして、そこまでしてくれるの?」
心が温かくなるような雄真の言葉に、今度は素直に頷かずに疑問を返した。相手が雄真だからか、とても気になった。何らかの言葉を、期待していたのかもしれない。
「どうしてって・・・友達だから、じゃ駄目か?」
小日向君らしいな、と春姫は思った。思うと同時に、どこか物足りない自分の心にも気付いた。気付いていながら、何も言うことが出来なかった。
「・・・ありがとう。でも、友達なら──」
言葉を続けようとして、無意識に思っていたそれに恥ずかしさがこみ上げてきた。勢いに任せて、とんでもなく恥ずかしい台詞を言おうとした気がする。
「ん?」
「な、何でもないよっ」
真っ赤な顔で否定しても、きっと説得力は無いだろう。そう自覚しつつも、紅潮する頬は隠せるものではない。
「友達なら・・・か。うん、友達なら、名前で呼び合った方がいいよな?」
「あ・・・」
都合の良い幻聴かと思った。まさか、自分の言いかけたことをずばり言い当ててくれるなんて、思ってもみなかったから。
「春姫って、呼んでいいか?」
「―――っ」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
ハイビートで律動する心音が、やけに耳にうるさい。引いていったはずの顔の火照りが、一気に戻ってきたかのような感覚。
相当恥ずかしかったのだろう、顔を真っ赤にして照れている彼の顔が、春姫の瞳に映る。
嬉しいと―――素直にそう感じた。その感情以外が、なかなか見つからなかった。だから春姫は―――。
「う、うん・・・」
その感情の赴くままに、完熟トマトのような顔を一つ縦に振った。
「そ、それじゃあ俺は帰るから! また学校でな・・・春姫」
そう早口で捲くし上げた雄真は、その言葉通り急いで帰って行った。・・・それが明らかに照れ隠しなのは、春姫でも分かった。
だが今の彼女には、それを意識する余裕すらない。何故なら先ほどから、心の大半はマヒしてしまっているのだから。
「・・・」
数分後、ベンチから立ち上がった春姫は、静かに歩きだした。
「・・・ここだったよね」
もう十年も前の話だ。多少は公園の景観も変わってる。
それでも春姫には、その場所を見つけることが出来た。ジャングルジムと、ブランコの丁度中間地点。視点は高くなったが、ここから見える景色は忘れたことはない。
「・・・雄真くん」
そっと呟く。いつものように苗字ではなく、初めて口に出した彼の名前を。
「もう、答えは出てるのかもしれないね」
いま
遠くを見つめるようなその瞳は、確かに過去を見つめているのに。彼女の心は、どうしようもなく現代に囚われている。
春姫はその場所で―――過去に初恋の男の子に助けてもらったその場所で、小日向雄真に想いを馳せた。
時は少し遡り、まだ春姫と雄真が公園で会話していた頃。帰宅中にその公園の横を通ったその人は、しばらくその様子を見守ってからそっとその場を離れた。
「あの二人、いつの間にあんなに親密になっちゃったのかしら?」
帰路に着きながら、独り言のように呟くその美少女――いや、男子生徒の名は渡良瀬準。
雄真の腐れ縁にして、自前のファンクラブさえ持つ彼は、その形の良い唇をニッコリと歪めた。
「これはもう、一肌脱いじゃうしかないわね♪」
――準は、雄真の事が好きだ。
それはもはや、性別を超えた愛情。準自身、自分と雄真が結ばれないことは、誰よりも理解している。
でもだからこそ、彼には幸せになってもらいたい。そのためだったら、何だって出来る。
「・・・春姫ちゃんだったら、文句なしだもんね」
その声には、若干の寂しさが混じっていたものの。準はおもむろに携帯を取り出して、ある人物へとコールした。
「――あっ、もしもし杏璃ちゃん? 明日って暇かな? ・・・うん、実はね―――」
28話へ続く
後書き
中途半端な時間にこんばんは、雅輝です。
私の会社は今日から夏休み。よって今日の夜は夜行バスの中なので、少し早めに更新しました。
予告通り、今回からちょっと幕間を挟みます。話数にして、3,4話くらい?
まあ今回の話で分かった人も多いでしょうけど・・・そうです。原作のあのイベントです。
やっぱり春姫ルートには欠かせませんからね〜。とは言いつつ、その一歩となる今話は完全にオリジナルになってしまったわけですが。
久しくラブコメを書いていなかったので、今回は自然と力が入りました。どうでしたでしょうか?
次回もやはり節々でアレンジが混ざる予定。元々の設定が大いに違っているので、それもしょうがないのですが。
ではでは、また次話でお会いできることを願いつつ・・・。