――同日、早朝。

「――――はぁぁぁっ!!!」

裂帛の気合。

そう称するに相応しい威厳と威圧感を以って、彼女――式守伊吹は、無音と化していた辺りの大気を震わせた。

集中、集中、集中。

極限まで高められた意識の先には、自身の手に握られている相棒の姿。所縁のある傘を媒介としたマジックワンド――ビサイム。

早朝の公園。その奥地にひっそりと存在している溜池の前で、伊吹は魔力を練り上げ、高めていく。

誰にも見られたくない故か、その傍にはいつも控えている二人の側近の姿は見当たらない。そして同様に、早朝ジョギングをする人でさえこのような公園の僻地にまではわざわざやって来ない。

「ア・グナ・ギザ・ラ・デライト――」

外界に魔力の波長を洩らさないという特殊なフィールドの中で、彼女の容姿とはそぐわない、ただただ威圧感に満ちた詠唱が朗々と紡がれる。

すると、呼応するかのように彼女の目の前にある池も震えだした。バシャバシャといくつもの飛沫を上げるその様子は、まるでこれから起こることに恐怖するかのように。

「リィナ・イグナスッ!!」

そして紡がれた最後のワードと共に、完成された魔法が発動する。その数秒の後には――。

「・・・ぐっ・・・!」


  ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――その池に溜まっていた筈の水は、その全てが球状を象って宙に浮かんでいた。


それはまさに、圧倒的なまでの魔力の賜物。数トンにもなる水の塊を、重力操作で空中浮遊させるなど、同年代の魔法使いで誰が出来ようか。

後に残ったのは、まるで干上がったかのように水がごっそりと無くなった溜池の跡地。そして未だにふよふよと羽でも付いているかのよう宙に浮く水塊と、歯を食いしばりながらも懸命に魔法を維持し続ける小さき魔女の姿。

「・・・ぐくぅっ!」

きっかり十秒。重力による戒めから一時的に解き放たれていた水塊は、外的要因が消えた途端、あっさりと轟音と共に元の場所へと戻った。

音をも無効化するフィールドが、爆音の衝撃に軽く軋む。池の中では自由を取り戻した水が暴れ回り、それが収まる頃には伊吹の乱れた息も落ち着きを取り戻していた。

「・・・ふう」

土砂降りの豪雨が降った後のような辺りの様子を見渡しながら、最後に吐息を一つ。とはいえ、詠唱破棄で瞬間的に防護壁を立てたため、彼女の魔法服はまるで濡れていないのだが。

「――ははっ、らしくないな」

自分の行動に、思わず失笑が漏れた。

だいたいにして、こうして早朝に訓練をすること自体が稀有なことであった。彼女自身努力を怠ったことはないと自負しているが、その時間帯は夕方か夜と決めている。

だというのに、彼女が側近も伴わないでここに足を運んだ理由は一つ。胸に巣食う苛立ちを、何らかの形で解消したかったためである。

「まったく、あの小娘め・・・」

もう用は無いとばかりに池に背を向けて歩き出した伊吹が、忌々しげに呟く。

思いだされるのは昨日の出来事。自分を見るなり、目を輝かせて「お友達になりましょう!」と唐突な提案をしてきた無礼極まりない少女のことだった。

『確か・・・小日向すももといったか』

チッ、と彼女の名前を覚えている自分にも腹が立った。あの後何度も、すもものラブコールならぬフレンドコールを受け続けたため、そうしてすんなりと名前が出てくるのも仕方がないといえるのだが。

何がそこまで気に入らないのか。不躾にも突然抱きつこうとしてきたことか。その後も自分に纏わりついてきたことか。――否。

『くそっ、何で・・・』

伊吹は分かっている。その本当の理由を。だが、認めようとしていない。

――「そう、上手よ。伊吹」

遠き日の思い出。決して色褪せない、伊吹の宝物。

彼女の笑顔と、すももの笑顔が被って仕方がない。顔の作りも、言動も、笑い方だって違うはずなのに。

『何で、姉様が浮かんでくるのだ・・・!』

その裏表のない笑顔が、あの人と重なって仕方がない。

――「い〜ぶっきちゃん♪」

「―――っ!!」

ヒュンッ、と。持っていたビサイムで虚空を一閃し、脳裏を掠めた残像ごと空気を切り裂く。

まだたったの一日だ。これしきの事で心が揺れてどうするというのだ。

自問し、自戒し、自律する。顔を上げ、前を見据え、目的を果たそう。



「――必ず、秘宝をこの手に」





はぴねす! SS

            「Secret Wizard」

                             Written by 雅輝






<13>  記憶の宝物





鈴莉から受け取った魔道書の入った鞄を手に、彼女の研究室を辞した雄真は、上機嫌で学園の廊下を歩いていた。

その頭の中は、先ほどチラリと流し読みした魔道書のことで一杯だ。始業までまだ一時間以上あることだし、誰もいないであろう教室で読み耽ることにしよう。

”ガラッ”

「あれ?」

そんな事を思いながら入った教室の中――雄真の隣の席には、既に先客がいた。

その姿を見て、そういえばと思いだす。「貴方の隣の席の、可愛い女の子のことよ」という鈴莉の悪戯っぽいセリフを。

「あ、小日向くんおはよう。早いね」

その可愛い女の子こと神坂春姫は、目を落としていた書物から顔を上げ、朝の挨拶と共に柔らかい笑みを向けてきた。当然、雄真も彼女の隣の席に腰を下ろしながら口を開く。

「ああ、おはよう神坂さん。今日はたまたまだよ。そういう神坂さんこそ」

「ふふ、私も今日は偶然なんですよ」

そういって、春姫は机の上の本を持ち上げて、雄真に手渡す。それは案の定、鈴莉の最新作の魔道書だった。

「これ・・・魔法の本?」

「はい、御薙先生――あっ、私が師事している魔法科の先生なんですけど、その人が書いた魔道書なんです」

まさか「実は御薙鈴莉の息子なんです」とは口が裂けても言えない雄真は、「へぇ・・・」と感嘆した振りをしながらパラパラとページを捲る。


『むっ、これは防御結界の応用理論か。こっちは捕縛魔法の改良法・・・んでこっちは・・・』

【雄真さん】

『ん?なんだ、アリエス。今大事なところなんだが』

【はぁ・・・神坂さんが目の前にいうこと、お忘れですか?】

『・・・あ』


魔道書に釘付けとなっていた顔を上げると、ついつい熱中してしまった雄真を、春姫が軽く驚いた様子で見つめていた。

「小日向くん、魔法に興味があるんですか?」

何かを探るような目つきで春姫が訊ねてくる。雄真は内心冷や汗をかきながら、平静を装ってさりげない答えを返す。

「いや、魔道書って初めて見たから、ちょっと新鮮だっただけだよ。俺は魔法より、自分で体を動かしている方が性に合ってるかな」

「そう、ですか」

どこか釈然としない気持ちになりながらも、「ありがとう」と魔道書を返す雄真の手からそれを素直に受け取る春姫。

「あ〜・・・しかし、神坂さんは偉いな。授業時間でも無いのに、こうして魔道書を読んでいるなんて」

何とか不穏な空気を払拭しようと雄真は話題を変えた。

「そうでもないですよ。それに、自分が好きなことを勉強するのって、あまり苦になりませんし」

「そうなの?」

「ええ。それに、魔法使いになるって決めたのは、他の誰でもない私自身ですし」

そう言って、意志の籠った目と共に微笑む春姫に対し、雄真は自分でも説明の付かない衝動に駆られるまま、疑問を口に出す。

「神坂さんは・・・どうして、魔法使いになろうと思ったんだ?」

「えっ?」

すると彼女は、今までに見たことがないほど大きな反応を示した。雄真の質問に驚きつつも、その柔らかそうな頬は軽く朱に染まっている。

『もしかして俺、地雷踏んだ?』

後悔するも後の祭り。しかし雄真は春姫が口を開くのを待つしかなかった。





一方、春姫はといえば。

「えっと、その・・・」

口を濁しながら、忙しなく目を泳がせていた。

思いだされるのは、過去何度も同じような質問を受けた自分。そして、その返答。

「ごめんなさい、秘密です」と、即答ともいえる早さでそう答えるのが普通だった。少なくとも、今までは。

しかし、そんな春姫の口から勝手に紡がれていたのは、そのようなありきたりな答えではない、もう一歩進んだ返答。

「・・・約束、なんです。小さい頃、ある人と交わした」

自分でも何故、彼に真実を答えたのか分からない。言うなれば、何となく。そんな曖昧な答えしか用意できない。

「約束?」

目の前の雄真が首を傾げる。その反応はとても納得できるが、流石にこれ以上詳しくは答えられない。

「ごめんなさい、これ以上は・・・」

「あっ、ごめん。踏み込んだ質問をして」

「いいえ。単なる、子供の頃の思い出ですよ」

勿論、春姫にとっては「単なる」と呼べるほど軽くはない、まさに己の人生を決めた記憶の宝物なのだが。





「そっか・・・」

雄真はその返答を聞いてほっとしていた。地雷も多少はかすったかもしれないが、少なくとも爆発はしていないだろう。

『しかし、約束に・・・思い出か』

春姫の言葉に、雄真も思い出す。今から十年も前のことを。

今でも鮮明に、とまではいかない。あの時の少女の顔も今となっては曖昧であるし、その前後の記憶などは薄れてきているのも確かだ。

しかし、根本的な部分は今なお色褪せることなく、彼の中で信念として燃え続けている。記憶の宝物として、輝き続けている。

「それより、小日向くんはどうしてこんなに早く学校に?」

「ああ、俺の方は妹に早く起こされてね。その妹の唯一の欠点ともいえる特殊能力がまた厄介で・・・」

彼女が話題を逸らしたので、雄真も素直にそれに乗っておく。



こうして、互いに昔の思い出を記憶の頭の隅で思い起こしながら、朝の雑談はHRが始まるまで続くのであった。







”キーンコーンカーンコーン・・・”

4時間目終了のチャイムと共に、教室が昼休み特有の喧騒で包み込まれる。

いつものように寄って来た準やハチとのランチタイムは、今日に限っては無しだ。何故なら昨日、すももに学園の食堂であるOasisを紹介すると約束しているからであり・・・。

『何故か小雪さんにも言われてるんだよなぁ・・・』

先ほどの授業と授業の間の休み時間。トイレの帰りに偶然出会った小雪から、「昼休みにOasisに来てくださいね?」と頼まれたのだ。元々すももとの約束からそのつもりだったので、深く考えずに了解したのだが・・・。

「・・・ま、行ってみりゃ分かるか」

これでいて結構長い付き合いなのだけど、あの人のことだけは未だに理解出来ない部分も多い。そのミステリアスさこそが、また人気が高い理由だったりするのだが。

そんな事を考えながら、廊下に出る。すももがまだ来ていないところから察するに、授業が延長しているのだろうか。

「しょうがない、こっちから迎えに行ってやるか」

やれやれ、といった様子で雄真は廊下を歩きだす。

――小日向すももと、式守伊吹が在籍するクラスへと。



14話へ続く


後書き

SW13話、いかがでしたでしょうか?

今回の主役は、伊吹と春姫ですね。副題通り、それぞれの「記憶の宝物」について触れてみました。

伊吹は、敬愛する義姉との幸せな日々。そして春姫は、幼い頃ある人と交わした約束。

それは現在の彼女たちへと繋がる、大切な軌跡。

過去の思い出に囚われすぎて、自分自身を縛り、道を誤ろうとする者。

過去の思い出を愚直に信じ、努力を絶やさず、研鑽し続けてきた者。

それぞれの向かう先は――――?


それでは、また2週間後に^^



2008.11.9  雅輝