「さて・・・そろそろ行くか?」

二人で抱きしめ合って、どれくらい時間が経っただろうか。

長いようでいてとても短く感じた至福の時間は、そっと身体を離した純一君によって打ち切られる。

「・・・純一君?」

しかし、私はその理由を彼の顔を見ることによってすぐに察した。彼は真摯な瞳に穏やかな光を灯しながら、私に微笑みかける。

「もうこれで、ことりが立ち止まっている理由は無くなった。後は、前に進むだけだろ?」

そう、純一君の言う様に、私は彼に背中を押してもらってようやく一歩踏み出すことが出来た。

だからこそ分かる。その言葉が意味するところが。

腕時計に目を落とすと、午前の11時45分を指していた。――暦お姉ちゃんの結婚式披露宴まで、後15分。

「うわ、ちょっとギリギリだなぁ。・・・走るぞ、ことり」

同じく腕時計を覗いた純一君が、振り返り手を差し伸べてくる。

――あの時、一度拒絶された手のひらを、何の迷いも無しに差し出してくる。

今まで、何度も繋いだ手。ずっとずっと、私のことを支えてくれた手。

そんな、大好きな彼の手を。

「――――うん!!」

私は満面の笑みを浮かべて、ギュッと握り締めた。

ようやく手に入れた幸せを、もう二度と手放したりしないように、しっかりと。






D.C. SS

          「小鳥のさえずり」

                       Written by 雅輝






<39>  ことりのさえずり





披露宴は結婚式の後、その舞台となった教会の目の前にある広場で行われるらしい。つまり、青空の下での立食パーティーだ。

そして。私達が急いでその広場に駆け付けた丁度その時、教会の方から歓声が聞こえた。

「お姉ちゃん・・・」

私の口からは、思わず呟きが漏れていた。

純白の衣装を身に纏い、花婿の腕を抱きながら登場したのは、紛れもなく私のお姉ちゃんだった。

前日にウェディングドレス自体は見せて貰っていたけれど、やはりそれを纏っているお姉ちゃんを見るのはまた別の感慨がある。

「すっごく、綺麗だよ・・・」

皆の祝福に舞う紙吹雪と共に、ゆっくりと歩く二人。それはもう、完成された一枚の絵画のようで。

最高の幸せを手に入れたお姉ちゃん達は、とても輝いて見えた。

「・・・」

私は静かに、二人に歩み寄った。後ろからは純一君も、何も言わずに付いてきてくれている。

――それだけで、怯えも怖さも無くなっていた。残ったのは、今までずっと私を愛してくれたお姉ちゃんを、祝福したいという強い想念だけ。

「――っ、ことりっ!!」

私の姿が視界に入ったのか、お姉ちゃんは幸せそうな笑顔から一転、泣きそうな顔になって私の方へと駆け寄って来た。

その表情だけで、分かってしまう。いったい私が、どれほどの心配をお姉ちゃんに掛けたのか。

どれほどの不安を、結婚前の花嫁に掛けてしまったのか。

――どれほど、彼女に愛されていたのかが。

「ことり――!」

そして次の瞬間には、私はお姉ちゃんに強く強く、抱き締められていた。

接しているお姉ちゃんの体が、小刻みに震えている。と思ったら、私自身も体が震えていた。

「おねえ・・・ちゃん・・・・・・っ」

静かに私の頬を伝う涙。泣くつもりなんて無かったはずなのに、はらはらと涙は流れて止まらない。

私は、いったい何を不安がっていたのだろう。

能力を使わなくても、人はこんなにも分かり合えるじゃないか。

抱きしめ合っているだけで、伝え合えるじゃないか。

震えている身体が、微かに聞こえる嗚咽が、私の肩を濡らす水滴が、教えてくれるじゃないか。

「・・・もう、大丈夫だな」

いつの間にか近寄っていた純一君は、私の頭を撫でるようにしてポンポンと二、三度叩くと、そのままテーブルの方へと歩いて行った。

その向こうには、綺麗な和服を着こなした叶ちゃんの姿が。彼女はこちらにも見えるくらい眩しい笑顔で、ピースサインをしていた。

本当に、私は色々な人に助けられているんだな、とつくづく思う。

だから、今の私がこの場で出来ることは、ただ一つだけ。

―――私の今のこの想いを、歌に乗せて全ての人に届けること。







叶ちゃんが、泣いていた。

お姉ちゃんが、泣いていた。

そして、純一君が――泣いていた。

「〜〜♪ 〜〜〜〜♪」

私は歌う。

今まで生きてきた中で、一番晴れやかな気持ちで。

この会場にいる全ての人に届けと、私は歌う。

――あぁ、何だ。

やっぱり、私は歌うことが大好きじゃないか。

こんなにも夢中になって、声を張り上げてるじゃないか。





能力に頼りすぎて、私はいつの間にか色んな事を忘れていたみたい。

人の温もりも、人の信じ方も、何もかも。

そして、胸に巣食い始めた恐怖さえ。

でも、今なら分かる。何を恐れ、何に怯えていたのかが。


――私は、私じゃなくなることが怖かった。


叶ちゃんの知っている私じゃなくなることが、怖かった。

お姉ちゃんの知っている私じゃなくなることに、怯えていた。

――純一君の知っている私じゃなくなることが、とてもとても嫌だった。

でも、そうじゃない。そうじゃなかったんだ。それを、純一君が教えてくれた。



――「ことりがことりで在り続ける限り、俺もことりの事が好きな俺で在り続ける」――



その言葉が暗に語っていた。能力を失っても、私は私。

別人じゃないし、純一君が好きだと言ってくれた、白河ことりのままなのだと。







「〜〜♪ ・・・」

歌が終わる。私の中の何もかもを込めた、この場にいる全ての人に捧げる、「Canto di amore」が。

“パチパチパチ・・・”

静まり返った会場に、一際響く拍手の音。

あぁ、やっぱり私の歌に最初に応えてくれるのは、いつも貴方だよね。

――朝倉純一君。私の恋人。一番私が愛し、一番私を愛してくれる人。

そしてそれを皮切りに、大喝采とも呼べる万雷の拍手と賛美が轟く。

お姉ちゃんが再び私に抱きつき、叶ちゃんも寄り添って来て、横では純一君がいつの間にか私の手を握っていた。



――ようやく気付けた、一番大切なもの。

近くにありすぎて、見失っていた大切なもの。

歌を忘れ、弱り果て、両翼すら失って、その場から動けずにいた小鳥は。

今までずっと家族として傍に居てくれた、大切な姉を想って歌を思い出し。

互いに思いやり、傷つけあい、分かち合った親友から、本当の強さを教えられ。

そして誰よりも私を愛し、包み込むように支えてくれた恋人の――純一君という名の大きな両翼で。

再び、空へと舞いあがった。





もう、迷いはしない。

「純一君・・・」

「ん?」

自分の気持ちにも。手に入れた幸せにも。

「こんな私でも、あなたの傍に置いてくれますか?」

――そして何より、貴方に対しても。

「これからも、私の翼であってくれますか?」

この気持ちは、もう決して失いはしない。

「――ああ、もちろん。これからも宜しくな。ことり」

「・・・うん♪」



   ことり さえずり
――私の想いは、いつまでも貴方の傍に。





最終話 40話へ続く


後書き

第39話をお届けしました。今回は、物語のクライマックス。

ある意味ではこれで完結なのですが、次回の40話はエピローグという形で再び現代に帰ってきます。

とりあえず、次週に更新、完結しようと思っておりますので、皆さま是非最後までお付き合いくださいませ。



2009.5.10  雅輝