”チュン、チュンッ・・・”
「・・・」
まだ明け方と言っても差し支えのない時間帯。白み始めた窓の外からは、雀の鳴き声が聞こえてくる。
私はそれを耳に入れつつゆったりと体を起こすと、一睡も出来なかった目を少し擦った。
『叶ちゃん・・・お姉ちゃん・・・純一君・・・』
徹夜の原因は、分かりきっている。叶ちゃんに諭されたというのに、まだ完全には吹っ切れていない私の頭には今も尚、様々なことが回っていた。
――叶ちゃんは、私を赦してくれた。
人の心を覗くという無粋な真似をし続けた私を、その罪と共にまるごと包んでくれた。
だからこそ、私は今更、能力を返して欲しいとは思わない。・・・思えない。
でも、だからといって私はこれからどうすれば良いのだろうか。
『そういえば叶ちゃんは、答えは私の中にあるって言ってたっけ・・・』
そしてその答えを気付かせるのは、彼女の役割ではないとも。
「わかんないよ・・・」
昨日、叶ちゃんと話して楽になっていたはずの心は、一晩を経たことでまた重くなっていた。
「助けて・・・純一君・・・」
そんなこと、言う資格も無いというのに。
そして気が付けば私は、朝方で静まり返る家を飛び出していた。
D.C. SS
「小鳥のさえずり」
Written by 雅輝
<37> 打ち明ける勇気
「・・・何やってるのかなぁ・・・私」
早朝ジョギングのおじさん以外、誰も通ることのない桜公園。その中でも特に奥まった場所にある、いつもの場所。
私はもう枯れてしまった桜の大樹に背を預け、自嘲気味に自らの行動を省みた。
だけど呟いたところで、今こうしてここに佇んでいることに対する理由は見つからない。
強いて言えば、一人になりたかった。そして、誰かに助けを求めていた。
『あはは・・・こんなの、矛盾しているよね』
そう、矛盾している。なんて中途半端な想いなのだろうか。
『やっぱり・・・駄目だなぁ、私は』
たった一人の姉・・・今までさんざんお世話になった義姉すら、祝ってあげることが出来ない自分。
歌という名の囀りを忘れ、純一君という名の翼をも失ったコトリは、こんなにも弱かったんだ。
『叶ちゃん、ごめんね? やっぱり私には無理だったみたい』
――結局私は、自力で答えを見つけることも、純一君に頼ることも出来なかった。
「・・・もうそろそろ、式が始まる時間かな」
気がつけば、朝に飛び出して以来もう随分と経っていたようだ。
陽は完全に上っているし、後二時間もすれば真上に到達する太陽は、燦々と青空を演出していた。披露宴は屋外で行なうとお姉ちゃんは言っていたので、まさに絶好の結婚式日和と言える。
『結局、お姉ちゃんにプレゼント渡せなかったなぁ・・・』
本来なら歌を贈るはずだった。しかし私は歌えなくなり、代わりのプレゼントすら見つけられなかった。
「・・・せめて、ここから」
こんなところから歌っても、お姉ちゃんに届くとは思っていない。
ただ単純に、何かをしたかった。大好きなお姉ちゃんに。大切なお姉ちゃんに。
衆人環視のない今なら、きっと歌えるはずだ。・・・ううん、お姉ちゃんのために、絶対に歌うんだ。
聞く人もおらず、伝える相手すらいないというのに、私は歌い始めた。
――自分でも気づいていない、寂しく、悲しい独奏を。
どれほど歌い続けただろうか。
何も考えずに歌っていたから、時間感覚は無かった。しかしどれだけ歌っても、心の霧は一向に晴れなかった。
それでも、今の私には歌い続ける他、成すべきことも無い。
――そんな時だった。
”ザッ・・・”
近くで、土を踏みしめる音が聞こえた。それだけだったら別に気にも留めない。
しかしその切れた息や、その場にいるだけで感じる雰囲気が、目を閉じている私に教えてくれた。――他の誰でもない、純一君の存在を。
自然と、歌が途切れる。
「見つかっちゃいましたか」
思わず、おどけたような軽口が零れた。閉じていた瞳を開けると、そこには思っていた通り彼が肩で息をしていて。
「・・・多分な、ここだろうと思ったから」
そしてこんな時でもそう言って微笑んでくれる彼に、私の顔にも弱々しい笑みが浮かんでいた。
「行動範囲が、もう少し広ければ良かったんですけどね」
そう言って、私は自分の姿を彼の瞳から逃がすように、桜の幹に隠れる。彼の「ことり?」という心配そうな声に対して、私は気持ちを落ち着かせながらゆっくりと返した。
「顔を合わせると辛いから・・・だから、背中合わせに喋りましょう」
それはあの日、叶ちゃんと教室で話した時の再現のように思えて。
今もこうしていれば、あの日のように本音が出せるのかなって――私のこの行動は、心のどこかでそう思っていた結果なのだろう。
「・・・わかった」
そんな私の様子に何かを感じたのか、彼は一言そう返事をすると、ゆっくりとこちらに歩み寄り――その背を、桜の幹へと預けた。
トンという軽い衝撃と共に、幹越しに伝わる彼の存在。
最後に会ってからまだ二日と経っていないというのに、その存在が酷く懐かしく思えた。同時に、とても愛おしくすら思えた。
それだけ、私は彼に依存しているのだろう。・・・そう、今となっても、まだ。
「こんな所で油を売ってていいのか? 結婚式、終わっちゃうぞ?」
「・・・そう、ですね。でも、もういいんです」
「? いいって、何がだ?」
「家族だというのに・・・結婚祝いさえ持っていかない私なんて、居ても居なくても一緒ですから」
「ことり・・・それは、本気で言ってるのか?」
純一君の、怒っているとも、悲しんでいるとも取れる震えた声が、私の心を穿つ。
それは、私の百パーセントの本心では無かったけれど、彼の問に何も答えられずに、肯定とも否定とも付かない無言で返した。
「それに、プレゼントはもう決まってたじゃないか。・・・歌を贈るんじゃ、なかったのか」
「・・・はい。その練習には、純一君にもいっぱい手伝って貰ったよね? でも・・・もう、どうでもよくなっちゃいました」
「え・・・?」
「歌えなくなったんです・・・。昨日の、聖歌隊の発表会の時もそうでした。せっかくソロパートを任されたのに、私は何も出来なかった」
「・・・」
「その時に、分かっちゃったんです。同時に、納得もしました。・・・あぁ、私は、歌が好きじゃなかったんだなって」
「歌が・・・好きじゃないだって?」
「ええ。私が歌を歌っていたのは、歌を歌う”理由”があったからなんですよ」
そう、歌を歌う瞬間だけは、何も考えずに居られた。醜い感情にも囚われず、頭痛に悩まされることもなく、歌の世界に集中出来た。
「その、理由って?」
「・・・頭の中がね。空っぽになるんです。空っぽになって、何も・・・声も聞こえなくなるから・・・それで・・・」
「声?」
しまったと、そう思った頃には既に手遅れだった。私の失言はしっかりと純一君に拾われていたのだ。
「声って、何のことなんだ?」
「・・・」
それでも私は、まだ迷っていた。私の能力を、彼に打ち明けるかどうか。
純一君なら、叶ちゃんのように赦してくれるだろうとも思う。
でも同時に、もう一人の自分が確かに囁いていた。『何を甘えたことを考えてるの?』って。
彼が受け入れてくれる保証なんてどこにもない。もしかすると彼は、恋人になる過程にこんな無粋なモノを持ち込んでいた私を軽蔑するかもしれない。
だって、それはとてもズルいことだから。
私が今最も恐れているのは、彼に嫌われてしまうことだった。
――「大丈夫・・・きっとみんなも、分かってくれるから・・・」――
そんな時だった。私の記憶が、昨日の叶ちゃんのセリフを「声」として耳朶に届けてくれたのは。
『・・・そう、だよね。叶ちゃん』
私は、自分自身は信じられないけど。
でも、泣きながら私を赦してくれた、叶ちゃんなら心から信じることができる。
「・・・ことり?」
――だから叶ちゃん。こんな私に、もう一度勇気をください。
「ねえ、純一君。私、今までずっと隠していたことがあるの」
「え・・・?」
――彼に、秘密を打ち明ける勇気を。
――「私は、桜が枯れる以前まで・・・人の心が読めたんです」
38話へ続く
後書き
・・・はい、中途半端なところで切りました、37話!(笑)
まあ予定通りなんですけどね。これでちゃんと40話にはエピローグを持って来れる・・・はず!
さて、少しずつ、少しずつですが、ことりの心に「強さ」が戻ってきました。
それはきっと、親友の言葉があったからこそ。ならば今度は恋人の言葉で、その両翼を癒すことができるのか・・・?
次回、クライマックスです^^