「叶ちゃん・・・」
私は呆然と、突然目の前に現れた親友の名前を口にした。
普段、彼女が外出することはあまり無い。それは家の風習であり、夜に出歩こうものなら尚更だ。
そんな彼女が、何故か目の前に立って微笑んでいた。学生服を着た「工藤君」ではなく、綺麗な藍色の和服を身に纏った「叶ちゃん」が。
「・・・とりあえず、座ろっか?」
叶ちゃんに促され、電話ボックスに入る前まで座っていたベンチに、二人並んで腰を下ろす。
「・・・珍しいね、叶ちゃんが外に出てるのって」
「うん、今日は近所の家元で寄り合いがあってね。さっきまで居たんだけど、酒宴になっちゃったから抜け出してきちゃった」
そう言って小さく舌を出す仕草は、とても彼女らしい。
――じゃあ、私は?
私は今、彼女の目にどのように映っているのだろうか。ちゃんと、「白河ことりらしい」のだろうか。
「ほらまたっ!」
「え?・・・あたっ」
怒りと呆れが半分ずつ混じったような表情で、叶ちゃんが私の眉間辺りを小突いてきた。
理由が分からず困惑する私に、彼女はその表情のままで言う。
「もう、ここ最近ずっとだよ? 何かを、難しく考えている顔」
「・・・うん」
「ずっと暗いし・・・ことりらしくないよ?」
――私らしく?
「ねえ、叶ちゃん」
「何?」
「私らしい、って何なのかな?」
「ことり・・・」
「もう、分かんないよ・・・」
能力を持ち、使っていた私は、本当に「私」だったのだろうか。もう今となっては、それすら分からない。
「・・・あ」
俯いていた視線の先――膝に置いていた右手に、そっと温かい手が添えられる。
「ことり・・・一人で悩んでいても、しんどいだけだよ?」
「叶ちゃん・・・?」
「ことりの悩みが、根深いものなんだっていうのも何となく分かってる。だから、話してって無理強いは出来ないよ」
「それは・・・」
何かを言わなくてはいけないと口を開きかけた私を、叶ちゃんは静かに首を振って制した。
「でも・・・でもね? 私の婚約者問題のとき、ことりが助けてくれたように。私もことりの力になりたいの」
『あ・・・』
能力を使わなくても、分かった。
真摯に訴えかける瞳が。心配と慈愛がない交ぜになったような表情が。ギュッと握られた右手の温もりが。
そして何より、今までずっと傍に居てくれた積年の時間が――。
「ことりだから、助けたいの」
私に、語りかけていた。
「・・・ねえ、叶ちゃん」
「ん?」
そして、いつの間にか私の口からは。
――「私が、人の心を読む能力を持っていたって言ったら、信じる?」
悩みの、核心部分とも言える事を打ち明けていた。
D.C. SS
「小鳥のさえずり」
Written by 雅輝
<36> 二重奏曲 ―デュオ―
それから私は、休みなく矢継ぎ早に話し始めた。
小さな頃、桜の大樹に祈った願い。
得た能力を駆使して作り上げた、人間関係。他人の顔色を覗う学校生活。
人の心を覗き見ることに徐々に違和感と抵抗を覚えながらも、切り離すことができなかった弱い自分。
そして、十年以上共にあった能力の、突然過ぎる喪失。
「こんな話、信じられないよね・・・」
全てを話し終え、私はおそるおそる顔を上げて叶ちゃんの方を見る。
「・・・ことり」
彼女は少し驚いた顔をしていたが、すぐにその表情を和らげると、私の名前を呼びながら微笑を浮かべた。
「信じるよ」
「え? な、なんで・・・」
「ことりだから」
間髪入れずに、そんな回答が返ってくる。私が呆然としていると、彼女は尚その微笑みを深めた。
「私の親友は、そんなことで嘘をつかないよ?」
「で、でも! 私は今まで、ずっと叶ちゃんや皆の心の中を――っ!」
「覗いてきたんだよ!?」と、そう続けようと思っていた私の口は、そっと添えられた彼女の人差し指によって遮られる。
「そうだね。私たちの意思を無視して、心を覗いてきた。それに関しては、ことりは反省しなくちゃいけないと思う」
「なら・・・」
「でもね」
叶ちゃんはそう区切ると、私の背中に手を回してきた。自然と、座ったまま抱きあう格好になる。
「私たちに嫌われたくない・・・ずっと一緒に居たいって気持ちから来る行為を、私たちは――少なくとも私は、否定できない。出来るはずないよ」
「叶ちゃん・・・っ・・・・・・っ」
参ったな。
泣くつもりなんて・・・無かったのに。
泣いてしまったら、もう戻れないと思っていた。強くならなくちゃいけないんだって、そう思っていた。
でも・・・。
「今のことりには、そう簡単に信じられないかもしれないけど・・・私が今願っていることは、ずっとことりと親友でいることなんだよ?」
「ぅぁ・・・ぁぁっ・・・・・・」
「大丈夫・・・きっとみんなも、分かってくれるから・・・」
嗚咽が、止まらなかった。
ポンポンとあやすように一定のリズムで背中を叩く温かい手が。心に沁み込んで来るかのような温かい想いが。
――私の涙腺の堰を切ったかのように、涙が止め処なく流れた。
「ありがとう、叶ちゃん。泣いたらスッキリしたよ」
「そう、良かった。・・・それで、どうするの?」
その問の意味は、きっと複数あると思う。でも、一番叶ちゃんの真意にあった意味で捉えるのならば――。
「・・・まだ、もう少し考えたいの」
「そっか。・・・ねえ、ことり?」
「何?」
呼びかけるような彼女の声に、私はその横顔を見遣る。
すると、彼女はどこか悪戯っぽい表情で。
「――その答えは、案外近くにあるかもしれないよ? 例えば・・・ことりの心の中、とかね」
「え・・・?」
答えが、私の心の中に?
どういう意味かを問いかけようとした私を遮るかのように、叶ちゃんはスイと立ち上がると、星空を見上げながら呟くように口を開いた。
「そしてそれを気付かせるのは、私の役割じゃないの。もっと相応しい人が、ことりの近くには居てくれるでしょ?」
その言葉に、脳裏には純一君の姿が過ぎっていた。
今の私に、たぶん一番近しい人。近くに居て欲しい人。
なのに私は、そんな彼を頼ることが出来なかった。彼にだけは、弱さを見せたくなかったから。・・・嫌われたくなかったから。
そんな私が、今更―――。
「・・・私が言えるのは、そこまでかな? それにしても・・・ことり、あんまりボヤボヤしてると、私が朝倉君を盗っちゃうよ?」
「え?・・・えぇっ!? そ、それはダメだよっ!!」
余りにも自然すぎるそのセリフに、理解が追い付かなかった私は思わず大きく声を上げてしまう。そんな私の狼狽を見た叶ちゃんは、堪え切れないといった様子で噴き出した。
「ふふっ、ごめんごめん。冗談だよ。でも・・・やっぱりそっちの方が、ことりらしいよ」
「あ・・・」
やっぱり、敵わないなって思った。
同時に、誇りに思う。こんなにも、私のことを理解してくれる親友がいることを。
「それじゃあ、私はもう行くね。あまり遅いと、またお祖母さまに怒られちゃう」
そう言うと叶ちゃんは着物を翻して、公園の出口に向かってゆっくりと歩き出す。
「・・・叶ちゃん!!」
私は彼女を呼び止めるように、その背中に向かって大きく声を張り上げた。
「私も・・・私も、願ってるから!」
「叶ちゃんとずっと・・・いつまでも親友でいられますようにって、願ってるから!!」
足を止めた彼女が、振り返る。
そしてその顔に、とても綺麗な笑顔を浮かべて・・・今度こそ、夜の公園を去って行った。
言葉は無かったけど、その綺麗な笑顔は教えてくれた。彼女の心を。能力など必要ないと言わんばかりに、正確に。
――『うん。私たちは、いつまでも親友だよ』
37話へ続く
後書き
はい、いつの間にか三週間が経っておりました。第36話の公開です〜^^;
学校の卒業を控え、そして企業への就職を控え。なかなか忙しい日々を送っております。
社会人かぁ。・・・自覚無いし、実感湧きません。まあ一人暮らしをするようになったら、自然と身に付いて行くのでしょうが。
閑話休題。
今回は、原作にはない完全オリジナルです! まあ、そのおかげで時間が掛かってしまったわけですが(汗)
ことりと叶のお話。個人的には、これは補完SSだと思っております。
純一とことりの電話の後。原作は純一視点でしたが、その時に出来た僅かな空白の時間を、こうして再現してみました^^
題名は、「二重奏曲 −デュオ−」。26話とは似て非なる題名。
前回は純一も関わっていたので「協奏曲」にしましたが、今回に限ってはことりと叶の話なので「二重奏曲」としました。
また、二重奏曲は二人の奏者が違う楽器――つまり違う役割を以って演奏することから、今回の話に似た部分を感じた・・・というわけです。
以上、裏話(?)でした。
それでは、また二週間後に・・・。