予感はあった。

今の私の状態――心神耗弱な自分を客観的に見て、歌える筈がないというそんな予感が。

「「「「「〜〜♪ 〜〜〜〜♪」」」」」

耳に絶え間なく入って来るのは、聖歌隊メンバーの美声。そしてその中心で集中することが出来ない自分の、何とも情けない歌声。

「〜♪ ――っ」

思う様に声が出ず、掠れる。音程が掴めず、不協和音を呼ぶ。

自分自身に焦りながら、何とか歌い続けるも・・・それも、私のソロパートを迎えたところで終わりを告げた。

「――っ! ――っ!?」

掠れた歌声すら、もはや出せなくなっていた。

ソロを任された私に突き刺さる、無数の視線。聖歌隊の仲間達の、困惑したような雰囲気。

それにより尚のこと頭が真っ白になり、何も出来ずに、立ち尽くす。

――結局、私のソロパートの間は、ピアノによる伴奏だけが空しく続いていた。





歌うことは、好きだった。

歌っていれば、何もかもを忘れることが出来たから。

心を読んでしまうことで、人から受け取った悪意も。醜い感情も。

ならば、その能力を失くしてしまい、歌う理由をも失くしてしまった今の私は――。



――いったい、何のために歌うのだろう。





D.C. SS

          「小鳥のさえずり」

                       Written by 雅輝






<35>  歌う理由





夜の冷たい外気の中を、目的もなくただ歩く。

暦の上では五月とはいえ、まだ夜は少し冷える。しかし、今の私には丁度良かった。

「ふぅ・・・」

夜空に向けて、吐息を一つ。いつの間にか桜公園まで来ていた私は、歩き疲れたその足でベンチに腰を下ろす。

そうして思い出されるのは、聖歌隊のこと。歌えなかったソロパート。ぎこちなく私を励ましてくれるメンバー達。

――思い出す度、気持ちが沈む。

「純一君・・・」

ポツリと、無意識の内に零れていたのは、愛しい彼の名前。

頼ることすら出来ずに傷つけてしまった、恋人の名前。

「純一君・・・純一君・・・っ」

そんな資格は無いであろうことに気づいていながら、ただひたすらに彼の名前を繰り返す。

心が痛くて、苦しくて。何かに縋りつくことでしか、回避する術を知らなくて。

「あ・・・」

そんな時、ふと視界に入ったのは、公園に設置されている公衆電話ボックス。

私は立ち上がり、ふらふらと誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のようにその中へと入り、小銭を入れると共に、もはや暗記してしまった彼の番号をダイヤルした。

”トゥルルルルルルルッ・・・トゥルルルルルルルッ・・・”

コール音が、やけに遠く聞こえる。やがて電話は繋がり、受話器からは彼の声が返ってきた。

「・・・もしもし?」

「――っ」

私はその瞬間、受話器を落としそうになってしまった。

何故なら電話口の彼の声は――いつも優しい彼の声は、今まで聞いたことがないほどの険呑さを含んでいたから。

それでも無言でいるわけにもいかず、何とか気持ちを落ち着けて口を開く。

「その・・・ことりです」

「え!? あっ・・・ことりなのか?」

私の名前を告げると、何かに慌てたように彼の声色も変化し、いつもの優しい声が返ってきた。

「悪い。電話が苦手だって言ってたから、ことりだとは思わなかった」

確かに彼の言う様に、私は電話が苦手だった。電話越しでは能力を使うことは叶わなかったから。

でも、今となっては――。

「ううん、いいの。その・・・今はもう、電話の方が気が楽だから」

能力を失った今となっては、目の前で相対するより、電話の方が落ち着いて話すことができる。

「そっか。・・・それで、どうしたんだ?」

「うん・・・」

そう訊かれて、何と答えればいいか迷ってしまう。

まさか今更、縋りつくように電話をしたなんて・・・純一君の声が聞きたくなったから電話したなんて、とてもじゃないけど言えなかったから。

迷っている内に、今日の聖歌隊での失敗が思い起こされたのか、私の口からは無意識の内に言葉が紡がれていた。

「プレゼント・・・プレゼントを探そうと思って・・・」

「プレゼントって、何の?」

「結婚式の・・・お姉ちゃんの結婚式の・・・」

「は? 待ってくれよ・・・プレゼントはもう決めただろう? 歌を歌うんじゃなかったのか?」

そう、それは彼とのデートの最中に決めたこと。だから彼が疑問を呈するのも良く分かる。

でも・・・。

「・・・聖歌隊で」

「え?」

「聖歌隊でソロがあったのに・・・やっぱり私、きちんと歌えなかったから・・・」

「・・・」

でも今の私には、プレゼントに歌を送るなんて出来そうにない。

歌に対する自信も、歌を歌う理由も・・・何もかもを忘れてしまった今の私には。

「もうね、歌う理由がないの。だから、私・・・」

――さえずることを忘れてしまった小鳥に、価値などないのだから。





「・・・今、どこにいるんだ? 迎えに行くよ」

数秒の沈黙を挟んだ電話口から、彼の優しい声が聞こえてきた。

そして、その声に甘えてしまいそうになる自分がいた。でも、それは許されない。・・・許されないことなんだ。

「ううん、もう帰るから・・・」

「・・・本当か?」

「うん。・・・ごめんね、急に電話して」

「いや、それはいいんだけど」

「・・・私は、本当に弱いよね」

ポツリと呟く。純一君へか、それとも自分自身へか・・・そんなどちらとも取れない曖昧な呟きを。

「えっ・・・?」

「それじゃ、切るね?」

「あっ、こと――」

これ以上彼に甘えないためにも、名残惜しさを断ち切るように電話を切る。釣銭口には残りの硬貨が出てきたが、私はそれを回収するでもなくそのまま電話ボックスを出た。

「・・・」

ボンヤリとした思考のまま、歩き出す。頭には様々なことが浮かんでは消え、整理も覚束ず。何故か、無性に泣きたくなった。



「・・・ことり?」



そんな時だった。聞き慣れたその声が、歩き出した私の目の前から聞こえてきたのは。

俯いていた顔を、前方に移す。

「彼女」はそんな私を見て、一つ苦笑を零して。

「話くらい、いくらでも聞くよ?」

彼女らしい慈愛に満ちた声で、そう言った――。



36話へ続く


後書き

なかなか話が進まないなぁと思いつつ・・・35話、UPです。

とはいえ、物語もそろそろクライマックス。今回は聖歌隊の失敗と、ことりの電話。

・・・やはりことり視点だと、書いている方も色々と考えさせられますね。

ちょっとずつちょっとずつアレンジも加えているつもりなのですが・・・分かりにくいですよねぇ(汗)

ということで、ここらで一発オリジナル要素を噛ませてみました。最後の部分ですね。伏線っぽくしてますが、もう読者の皆さんには、「彼女」が誰なのかも分かっていることでしょう。

次回はそれに1話使って・・・よしよし、ちゃんと40話で終われそうだ(笑)

それでは、次回もお楽しみに!!



2009.2.8  雅輝