「・・・」
翌朝。洗面台の前。
顔を洗うわけでも歯を磨くわけでもなく、私はかれこれ10分以上、こうして鏡に映る自分の顔と向き合っていた。
「・・・大丈夫」
自分に言い聞かせるように呟く。抑えきれない不安を、無理やり心の奥底に追いやるために。
――そんな鏡の中の私は、不自然なほど笑顔だった。
「おはようっ、お姉ちゃん」
洗面台からリビングへと戻ると、そこには寝ぼけ眼でコーヒーを淹れているお姉ちゃんの姿があった。
私は自分でも白々しいと思えるほど弾むような挨拶をしながら、テーブルに着く。
「ああ、おはよう。こと・・・」
肩越しに振り返ったお姉ちゃんのセリフが、不自然に途切れる。その顔は何かに驚いたような表情で、しかしどこか悲しげでもあった。
でも、今の私にはもう、お姉ちゃんが何を考えているのか分からない。何に驚き、何に悲しんでいるのか。
不安が溢れ出そうになる。それでも私は笑顔を保ち、去りし日の自分を演じてみせる。
「お姉ちゃん?」
「あ、ああ。何でもないんだ。・・・そういえば、今日は随分と早いじゃないか」
「えへへ、今日は純一君と、ディズニーランドでデートっすよ♪」
「そうか・・・気を付けて行ってきなよ?」
「もう、お姉ちゃんは心配症なんだから〜」
私はクスクスと笑いながら、お姉ちゃんが私にも淹れてくれたコーヒーに口を付ける。
――お姉ちゃんは終始、そんな私を何とも言えない表情で見つめていた。
D.C. SS
「小鳥のさえずり」
Written by 雅輝
<34> 笑顔の仮面(後編)
「ことり、朝倉が来たよ」
「はーい」
お姉ちゃんに扉越しに呼ばれ、もう一度自室の鏡で確認。
『・・・うん、大丈夫』
何としても、今日のデートは成功させなくてはいけない。
そのための手段は問わないと・・・もう、決めたから。
「おはようございまっす、純一君♪」
「・・・へ? あ、ああ。おはようことり」
「それじゃあ、行って来るね。お姉ちゃん」
「・・・ああ、行ってらっしゃい」
白河家の前。面食らってるような表情で立ち尽くす彼の腕を取って、お姉ちゃんに見送られながら最寄り駅へと向かう。
・・・こうして彼と腕を組むのも、とても久し振りな気がする。
しかし笑顔を浮かべている私とは対照的に、純一君は何やら難しそうな顔で私に呼びかけた。
「・・・ことり」
「なぁに? 純一君」
「一体、どうしたんだよ?」
「・・・どうしたって、何が?」
そう言って、私は首を傾げて見せる。
――悟られてはいけない。
今日は絶対に、「楽しい」デートにするのだから。
「ああ・・・うん、昨日までのことだよね?」
だから私は、わざと見当違いの解答を用意した。何度も頷きながら、そのまま言葉を続ける。
「ごめんね。虫歯で歯が痛くて、それでずっと機嫌が悪かったの」
こんな拙い嘘が、彼に通じるとは思っていない。それでも私は、そう答えなくてはいけないんだ。
「・・・さっ、早く行こうよ♪」
これ以上話をしていてはボロが出かねないので、とびきりの笑顔と共に彼の腕を引きながら小走りになる。
「あ、ああ」
彼の困惑しきった返事が聞こえてきたが、気付かない振りをして空を――曇り空という、中途半端な私の心を表したかのような曇天を見上げた。
今になって、私は思う。
もしこの瞬間だけでも、私に能力があったなら。
私は自分の間違いに気づけていただろう、と。
彼の困惑した表情が何よりも雄弁に語っていた、彼の心の声を。
――彼女は本当に、白河ことりなのだろうか?
そんな、私自身にすら分からない疑問を・・・。
「・・・それじゃあことり。また明後日。暦先生の結婚式でな」
「うん、今日はありがとう純一君。すっごく楽しかったよ♪」
「あ、ああ・・・」
私の家の前。陽もだいぶ沈み、徐々に夜の帳が下りてくるであろう時間帯。
私と純一君は互いに向き合い、今日のデートを終わらせようとしていた。
――今日のディズニーランドでのデート。様々な乗り物に乗って、一緒に私が作ったお弁当を食べて、観覧車では私がねだってキスをして。
まるで、恋人という関係になって初めて行った遊園地デートの時と同じように。
でも、あの時と決定的に違っていたものがあった。それは・・・。
「・・・ことり、一つ聞いていいか?」
――私と、純一君の気持ち。
「なぁに?」
「・・・何があった?」
彼は私を真っ直ぐに見つめ、普段の純一君からはかけ離れた少々厳しい口調で、そう問いかけてきた。
そしてもはやそれは、肯定を前提とする質問のように思えた。
「な・・・何のこと?」
それでも私は、朝のやり取りと同じように、はぐらかすように彼の真摯な瞳から視線を逸らした。
「これ以上、とぼけないでくれ。・・・俺が、気づいていないとでも思ったのか?」
「・・・っ」
「俺には、ことりの身に何が起こったのかは分からない。それは・・・俺には関係ないことなのかもしれない」
「そ、そうだよ。純一君の考え過ぎ――」
「でもっ!!」
私の言葉を、彼が強い口調で遮った。けれどどこかその声音は、悲しみを含んでいるように思えて。
「でも・・・心配くらいはさせてくれよ。俺はことりの恋人なんだ。何かあったのなら相談して欲しいし、頼って欲しい。俺には・・・そんなことりを黙って見ているなんて、耐え切れない」
「・・・」
ひ と
――本当に、私にはもったいない男性だと、つくづく思った。
こんなに真剣に私のことを考えてくれて、こんなに真剣に私のことを想ってくれて。
泣きたかった。泣いて、彼の胸に飛び込んで、全てを打ち明けてしまいたかった。
そうすることは弱さであると同時に、人を頼ることが出来るという強さだ。
そして私は、まったく逆。・・・人を、愛する恋人さえ頼ることが出来ない、弱い人間だった。
「・・・大、丈夫、だよ。私は、大丈夫だから」
一体、何がどう「大丈夫」だというのか。
「・・・ごめん、もう帰るね」
「――ことりっ!!」
もう、何も考えたくなかった。
私は一言だけ断りを入れると、彼の制止の声を振り切って玄関へと走る。
「・・・うぅっ」
玄関の扉を閉め、それにもたれかかりながらズルズルと座り込む。
外ではまだ彼が、扉を叩きながら私を呼び掛けていた。だから私は、嗚咽を必死に隠す。
――結局、笑顔の仮面で隠しても彼には看破されてしまった。
その結果が、これだ。彼を悪戯に不安にさせ、そして私自身をも追い詰めた。
「・・・どうすればいいの?」
心も読めない。仮面も通用しない。
ポツリと漏れた弱音は、誰の耳にも届くことなく、玄関という小さな空間に舞うだけだった。
35話へ続く
後書き
何とか書き上がりました。第34話のUPです〜^^
最近はマジで忙しくなってきました。卒業間近ということで、卒業論文なるものを書かなくてはいけなくなり。
研究は真面目にやってきたのですが、成果の方が芳しくない私にとっては、かなり厳しいものとなりそうです(汗)
閑話休題。
さて、今回もかなりシリアス・・・というか、鬱〜な話になってしまいました。
滑稽な笑顔の仮面。しかしそれはもはや通用せず、二人の不安を煽る結果に。
誰にも頼る事が出来ず、衰弱していくことり。それを真に救うことができるのは、たった一人なのでしょう。
もうちょっとシリアスが続きます。お付き合いくださいませ。