桜が枯れた――。

島民にとってはあって当たり前の存在であった筈の「枯れない桜」が、突如として散り始めてしまった。

当然、島内はその話題で持ち切りとなり、それは島内で唯一の学校である風見学園でも変わりはなく。

もう何度、その話題を耳にしただろうか。しかし私の心の中は、その出来事に驚いているだけの余裕など持ち合わせていなかった。

『・・・聞こえない』                                                  

                                                 みちしるべ

声には出さずに呟く。そう、聞こえない。心の声が。私の道標が。

そしてそれが、限りなく怖い。

「・・・」

まさに呆然自失といった感じで、ただ悩むだけの授業時間を過ごす。隣の席の純一君が気に掛けるようにチラチラと私の方を見てくれているのにも気付いていたけど、今の私ではそれに応えられない。ただ俯いて、気づいていないフリをするだけ。

朝の挨拶のときも、私はまともに彼の顔を見ることが出来なかった。会話をすることすらままならなかった。

それでも何とか必死に、「体調が悪いから」という尤もらしい嘘をついた。それを信じてくれ、尚且つ心配してくれる彼を嬉しく思うと同時に、その言葉を信じ切れていない自分に嫌気が指した。

『・・・どうすれば、いいの?』

わからない。幼少期を除けば、今まで相手の心を読めないことなんて無かったから。

わからない。それほどまでに私は、この能力に依存していたのだから。

わからない。つまり私自身の心なんて、”あの頃”以来何一つ成長していないのだから――。

「ことり?」

「っ! は、はい!」

咄嗟に返事をして顔を向ける。そこには、やはり心配顔の純一君がいて。

「・・・もしかして、授業が終わってることにも気付いてないか?」

「・・・え?」

続いて周りを見渡す。まばらになった席。がやがやと耳に届く教室内の喧騒。廊下に見える多くの生徒の姿。

最後に時計を見る。いつの間にか授業は終わり、昼休みに入ってから十分ほどが経過していた。

「いや、しんどいのかと思って声を掛けそびれてたんだけど・・・そんなに酷いのか?」

「あ、いえ。その――」

どうしよう。こんなとき、いつも私ってどうしていたんだろう。

それすらも分からずに、そしてやっぱり彼の考えていることも分からずに、結果として私は言葉に詰まった。

「ふう・・・ほら、無理せず保健室に行くぞ?」

「あっ・・・」

純一君が私の手を取り、彼にしては珍しくやや強引に教室の外へと出る。

普段の私なら、これが彼の優しさだってすぐに気付いただろう。私のことを心配しているからこそ、少し強引にでも私を休ませようとしているのだと。

でも、今の私にはそれすらも分からない。確信できない。

ひょっとして彼を怒らせてしまったのだろうか。呆れさせてしまったのだろうか。

不安が不安を呼び、結局何も出来ずに私はただ彼に従って保健室へと向かう。

――それだけは、どうしようもなかった。





D.C. SS

          「小鳥のさえずり」

                       Written by 雅輝






<31>  過去の願い事





「はあ・・・何やってるんだろう、私」

思うより先に、口に出していた。

結局保健室でしばらく休んだものの、この鬱屈とした思いが晴れるわけもなく、私は保険医の勧めもあって早退することになった。

彼にはもうメールでその旨を伝えてある。以前まではメール――というか携帯電話を使用すること自体、あまり気が進まなかったのだけれど、能力を失ってしまった今となってはむしろこちらの方が都合が良かった。

純一君を前にして、以前の私のように振る舞える自信が、まったくと言っていいほど無かったから。

だからこそ、仕草も表情も、また声さえも届かないメールは、今の私にとってとても重宝するツールとなっていた。

「ふう・・・」

いったい、今日何度目のため息だろうか。

足取りも自然と重くなり、ノロノロと桜並木を歩く。舗装された道は、まるで桜が枯れたことを強調するように、桃色の花弁によって見事に染まっていた。

『・・・桜、か』

私は足を止め、未だに舞い落ち続ける花弁の発生源――桜の木を見上げた。

それは、新鮮であると同時に、どこか違和感を感じさせる光景だった。物心ついた頃からずっと、桜が咲かない日を見たことがなかったからだ。

「・・・」

無心で桜の木を見つめる。気がつけば、私の足はフラフラと桜並木を外れ、桜公園の奥地へと進んでいた。

『そういえば、前もこんなことがあったっけ・・・』

あれはいつ頃だっただろうか。まだ幼い――小学校に入学して間もないくらいだろうか。

私に新しい家族が出来て。でも、なかなか上手くいかなくて悩んでいた時期。

あの頃もよくこうして桜を見に来ては、夕暮れ時まで帰ることはなかった。今思えば、ただの現実逃避だったのだろうけど。

花弁は舞うものの、それは決して「散る」わけではなく、またその部分から新しい芽が次々と吹き出す。まさに際限無きループ。

そんな光景に、子供心ながら感動した私は、暇を見つけては入り浸るようにして桜の巨木の前に立っていた。

『それが・・・この木』

ビュウッと。一陣の風が吹き荒れた。

それに伴い舞い上げられた桜によって、一時的に視界が奪われる。そして数瞬の後、開けた視界の先には「あの」桜の大樹がそびえていた。

だが―――。

「・・・枯れてる?」

私はポツリと、呆然とした思いで呟く。

目の前には、様々な思い出が詰まった桜木。だが、今その無数の枝にはあるべきものが一枚たりとも付いていない。

幹と枝だけ。桜としての威厳を失った老木が、それでも堂々と直立していた。

「な、んで?」

思わず、そんな疑問がこぼれた。

当然だ。確かに島の桜は枯れつつあるけど、一番進行の進んでいるものでも精々が半分。それも、葉桜となるだけで完全になくなるわけではない。

しかし、目の前の桜は誰がどう見ても「枯れていた」。

まるでこの木の周辺だけ真冬であるかのように。四月も下旬に差し掛かった今、葉も付いていない無数の枝がやけに寒々しく感じる。

「・・・」

私はそのまま歩み寄り、巨木の幹に手を添える。

『そう、確かあの時も・・・』

この今の状態――桜の幹に両手を添えて、上を見上げている状態には、私自身覚えがあった。

あの時もこうして、抱きつくように幹に寄り添い、まだ咲き誇っていた無数の花弁を見上げ、そして――――。

・・・そして?

何だろう、この胸のモヤモヤは。

あるはずなのに、無い記憶。知っているはずなのに、知らない出来事。


――分からないなら、訊ねてみればいいじゃない――


「あ・・・」

不意に、あの日の言葉が頭に蘇った。

そして思いだす。深く碧い眼を微笑みに細めた、金髪の老婦のことを。


――分かろうとしなければ、人の気持ちなんて分かりっこないのよ?――


そうだ、何で忘れていたんだろう。

だから。その老婦の言葉があったからこそ、私は願ったんだ。

人の気持ちが分かるようになりたいと、祈ったんだ。


――「その人の思っていることが、全部分かりますように」――


そんな単純で、しかし重要な願いを。

「私は・・・この木に祈ったんだ」



       ・・・・・・・・
「そっか・・・思い出したんだね?」



”ザアァァァァァァッ!”

また、風が吹いた。

今度は先ほどよりも強く。ゴウッという風の音と木々のざわめきの中、私の耳にしっかりとその声は届いていた。

強風により舞い上がった花弁と、今なお枝から零れ落ちていく花弁。それらが織り成す桜吹雪という名の幻想的な空間の中に、彼女は立っていた。

振り返った視界の先に入ったその姿は、昨日と同じく黒いマントのようなものを纏っていて。音もなくその場にたたずんでいる彼女は、その金髪碧眼という容姿と黒いマントが相まって、まるで西洋の魔女のように私の眼には映った。

「・・・白河さんに、話があるんだ」

「私、に?」

「うん・・・」

彼女――芳乃さんはそこで一瞬、躊躇うように俯く。しかし次に顔を上げた時には、その深く碧い瞳に、普段の彼女からは想像が出来ないほど真摯な炎を宿らせ、口を開いた。


「白河さんの、心を読む能力についてだよ」




32話へ続く


後書き

うっす!31話、UPっす!!^^

今回はかなりオリジナル要素で行ってみました。というよりは、本編の補完かなぁ。

本編は純一視点なので、能力を失ったことりの心境などにはあまり触れられていませんでしたからね。

31話ではそこにスポットを当てつつ、次回への伏線としてさくらに登場願いました。

クラスメイトであったことり自身も記憶にない、真剣な表情のさくらから語られる真実。

その内容はまた次回にでも・・・。



2008.11.30  雅輝