「・・・ちょっと、休憩にしよっか」

時刻は午後の6時過ぎ。窓の外の景色は夕闇に染まり、遠くの細道では街灯が点き始めていた。

流石に少し疲れた。期間にしてみると二月にも満たないほどの短い時間なのに、すごく濃厚な時間だったのだと思える。

「うん・・・」

対するヒナの返事は、何故か明るくない。単純に眠いのかとも思ったけど、どうやらそうではないようだ。

「どうしたの? ヒナちゃん」

「・・・だってママ、かなしそうだったんだもん」

「え・・・?」

「最初はすごくうれしそうだったのに、だんだんかなしそうなお顔になっていくんだもん」

「ヒナちゃん・・・」

6歳にして、我が子の洞察力には恐れ入る。確かに話している途中に感情が籠っていったかもしれないが、顔に出していたつもりはないのに。

「ママ、どこか痛いの?」

「・・・ううん、大丈夫よ。ありがとう、ヒナちゃん」

その小さな体を抱きよせ、セミロングの直線的な柔らかい髪を梳くように撫でる。

でもある意味、ヒナの言っていることは的を射ていた。

――胸が痛い。あの頃の不甲斐ない自分を思い出してしまって、どうしようもなく胸が痛くなっていたのだから。

”ピーンポーン”

「あれ、また・・・?」

「こんどはだれかなぁ?」

三度鳴るチャイム。普段は滅多に起こらない事態にヒナと二人で首を傾げながら、彼女を抱いた状態のまま玄関に向かう。

「「はーい」」

そして同時に応対の声。ヒナを抱いている腕とは逆の手で開けた玄関の先には――。

「こんばんは、ことりさん」

「久し振りだね、ことり。元気だった?」

純一君の義妹である音夢と、そして二年ぶりに再会した親友の姿があった。





D.C. SS

          「小鳥のさえずり」

                       Written by 雅輝






<30>  幕間 〜叶と音夢〜





「それにしても久し振りだね、叶ちゃん」

「うん、本当に。一昨年の同窓会で会って以来かな?」

大人びた表情で、叶ちゃんがふんわりと微笑む。その微笑は、今まで話していた学生時代と同じように柔らかく、優しい。

「そういえば、ヒナちゃんは叶さんに会うのは初めてだよね? ほら、ご挨拶は?」

ヒナを膝の上に乗せた音夢が、初対面で少し緊張気味の彼女を優しく促す。音夢には特別懐いているヒナは素直にその言葉に従い、おずおずと口を開いた。

「えと・・・はじめまして。あさくら、ひなです」

「ふふっ、はい。よくできました。私はお母さんの友達の、橘(たちばな)叶っていうの。よろしくね、ヒナちゃん」

叶ちゃんが、私たちの手の半分ほどしかないヒナの手を優しく握り、さらにもう片方の手で頭を撫でる。するとヒナは警戒心が完全に解けたのか、いつもの元気な笑顔で「うん!」と大きく頷いた。

「やっぱりことりの娘さんだね。すっごく可愛いよ」

「でしょう? 叔母になるという点に関しては少し複雑なんですけど、でもやっぱり可愛いものは可愛いですよね」

叶ちゃんの言葉に、音夢も「うんうん」と同意する。まあ私としても娘であるヒナの可愛さは認めるところだけど・・・これも親バカなのかなぁ?

「あーあ、私も早く子供が欲しいなぁ」

「それはもう、誠司さんに頑張ってもらうしかないね」

「う〜ん・・・でも、誠司くんも忙しいから」

誠司さんというのは、もちろん叶ちゃんの旦那様の名前。

今から7年ほど前。彼女が工藤家の代表として、本島の有名な茶道の家元である橘家へと赴いた時。当時、当主の座を襲名したばかりの誠司さんと出会った。

それは婚約者としてや、お見合い相手としてではなく、純粋な偶然。そしてそのまま流れるようにして惹かれ合っていったのは、ある意味必然か。

2年に渡る遠距離恋愛も乗り越え、5年前にめでたくゴールイン。

叶ちゃんは橘家の元へと嫁ぎ、工藤家の跡取りも居なくなってしまったのだが、その後、分家から養子を取ったらしい。橘家という太いパイプを得た工藤家は、これからも安泰だろう。

・・・と、そんな生臭い話は置いておいて。

「でも、やっぱり欲しいかも・・・」

――要は、彼女が本当に望む相手と一緒になれたということ。







「そういえば、今日は兄さん遅いんですね」

その後も談笑を続けていた中、思い出したように音夢が声を上げる。確かに普段の彼なら既に帰宅している時間だ。

「ああ、そういえばさっき純一君から連絡があったんだよ。急な残業で遅くなるって」

先ほどヒナに昔語りをしている途中に入って来たメールを、彼女たちに見せる。彼の仕事上、時折こういったことがあり、そういう時は今日のように連絡が入るようになっていた。

「そういえば、音夢は今日仕事の方は大丈夫なの?」

「ええ。今日は私、非番なんです。だから美春とでも一緒に来ようかと思っていたんですけど・・・今日の昼頃に来ていたみたいですね」

「うん、眞子と一緒に。ヒナの相手をしてもらって、助かっちゃった」

「あの子は昔から、バナナと可愛いものに目がありませんから」

音夢が苦笑しながらそう言う。しかしその表情は、看護師という彼女の職に相応しい慈愛に満ちていた。

「そうしてブラブラと商店街で買い物をしているときに、声を掛けられまして」

「それが私だった、というわけ。港からたまたま寄った商店街に、懐かしい人が居たからついつい声をね」

「最初は知らない人に声をかけられたのかと思いましたよ」

・・・そういえば、結局叶ちゃんの正体は本校時代もバレることはなくて、そのまま卒業しちゃったから昔のクラスメイトでも知らないのは当然か。

結局知っていたのは、私と朝倉君くらいかな。杉並君なら勘付いてもおかしくはないと思っているんだけど、その辺りは未だに謎だ。

「ごめんね、あれ以来男装はしていないからすっかり忘れてて。でも一昨年の同窓会には顔を出したんだけど・・・そういえば音夢さんは・・・」

「ええ。急な仕事でキャンセルしちゃったんですよね。兄さんも教えてくれれば良かったのに」

「あはは・・・」

純一君は学生時代から知ってたんだけど・・・言わない方が良さそう。

「でも、懐かしいなぁ。あの時は、バレないようにするのに必死だったから」

「そうだよね。私も気が気じゃなかったなぁ」

学生では唯一叶ちゃんの正体を知っていた私は、本当にいつバレてしまうものかと冷や冷やしたものだ。

まあそんな心配も杞憂に終わって、結局叶ちゃんはやってのけちゃったんだけど。

「・・・ねえ、ことり。覚えてる?」

「え?」

「私の婚約者の話だよ」

その言葉に、叶ちゃんの隣に座っていた音夢が驚いた反応を示したけど・・・それも一瞬で、詳しくは問おうとせず無言で話の続きを促す。

「もちろん、忘れるわけないよ」

「あの時・・・ことりが私を導いてくれた。だからことりには、本当に感謝してる」

「・・・うん」

「私は今、とても幸せ。だからこそ今、私はことりに問いたいの。答えなんて分かりきってるけど、それでも」

叶ちゃんは一呼吸置いて、そして――。



「白河ことりは今、幸せですか?」



「・・・」

わざわざ旧姓で私を読んだ理由も、何となく分かる気がする。

目を向ければ、音夢もとても真剣な表情で私のことを見つめていた。

『そっか・・・そうだよね』

だから、私は答える。堂々と、嘘偽りのない自分の本心を。

叶ちゃんに、そして音夢に視線を合わせながら。あの時、私に「朝倉君」を託してくれた二人だからこそ。



「はい。私、朝倉ことりは今、とても幸せです」







「ママ、元気でた?」

「え?」

二人が帰って、それを見送りに出た私がリビングに戻ると、ヒナがその大きな眼をクリクリとさせて訊ねてきた。

「だって、うれしそうな顔してるから」

「・・・ふふ、そうだね」

本当に、敵わないなぁ。この娘には。

私はヒナを抱きあげると、そのまま自分の膝に乗せて。

「それじゃあ、話の続きをしよっか」

「うん!」

今度こそ、物語の最後まで。



31話へ続く


後書き

ふぅ、何とか間に合った〜!・・・あ、ども、雅輝です。

というわけで、幕間である30話、叶と音夢編をお送りしました〜^^

やはり完全オリジナルは難しいなぁと思いつつ。大人になった二人のキャラ設定にも難儀しました。

話でも少し触れていますが、叶は既に結婚しており、しかし子宝には恵まれず。とはいえ、未だ新婚カップルのような・・・まあぶっちゃけ純一とことりのような生活を送っています(笑)

音夢は本島の看護学校を卒業後、初音島に戻って来て「水越総合病院」に就職。内科の看護師を務めています。しかし男っ気はなく、求愛してくる男は数知れずなのだが、本人も今は朝倉家でヒナの相手をする方が楽しいようです。

ちなみに。今更ですが、今純一達が住んでいるのは変わらず「朝倉家」。しかし音夢は新婚カップルに気を利かすように、隣の芳乃家で生活しています。

ちなみにちなみに、さくらは今外国に住んでおり、空き家になっていた芳乃家を、連絡を取った音夢に貸しているというわけです。

以上、裏設定でした(汗)

これで最後の幕間です。後は物語の最後まで、突っ走るのですよ〜^^



2008.11.16  雅輝