全てが順調だと思っていた。

純一君と恋人になれて、叶ちゃんとのことも解決し、彼が同じクラスになって。

それは気味が悪いくらいに。私を取り巻く環境は、全て上手くいっていると思っていた。

漠然と感じる不安に、見て見ぬ振りを通しながら。



でも、それは一瞬にして崩れ去る。

積み木で出来た塔の崩落のように、呆気無く。

歯車がずれた機械の末路のように、成す術なく。

――唐突に。

ソレは、訪れたんだ。





D.C. SS

          「小鳥のさえずり」

                       Written by 雅輝






<29>  散りゆく桜





彼と過ごす穏やかな日常は瞬く間に過ぎ、入学式から既に二週間が経過していた。

GWまであと十日ほど。聖歌隊のソロパートと結婚式で歌を贈るという二大イベントを控えた私がするのは、もちろん歌の練習なわけで。

「〜♪ 〜〜♪」

今日も今日とて、私は桜公園の奥にひっそりとある大樹の下――つまりいつもの場所で、声を張り上げていた。

「・・・」

唯一の観客である純一君は、気持ち良さそうに目を閉じて聞き入ってくれている。――私の膝の上に頭を乗せた状態で。

「・・・あの、純一君。うるさくないですか?」

歌の区切りのいいところで、彼にそう問いかける。この至近距離で声を張り上げているのだから、流石にうるさいと感じているのではないかと思ったんだけど・・・。

「ん、いや? ことりの声って、何というか透明感があるからな。聞いてて心地良いよ」

そんな嬉しくなるようなことを笑顔で返された。当然、私は赤面していく。

「はっ、反則っす!今の言葉は反則っすよぉ〜!」

「わっはっは」

彼が豪快に笑い、怒った私を宥めるように頭を撫でてくる。

それだけで、もうどうでもいいやと思えるんだから・・・やっぱり反則っすよ。



「・・・」

「あらら」

それからしばらくすると、いつの間にか彼は規則正しい寝息を立てていた。

酷く安らかな表情。いったいどんな夢を見ているのだろうか、と思いつつも指先でその頬を突いてみる。

「ぅ・・・ん・・・・・・」

反応は一瞬。軽く身動ぎするが覚醒には至らず、また深い眠りに落ちていく。

『こういう日も、いいなぁ・・・』

心底そう思う。結局のところ、私は彼と一緒に居られさえすれば、それでいいのかもしれない。我ながら単純だ。

『・・・あれ?』

差し込む太陽から逃げるようにふと視線を向けた先、視界に入ったのは、間違いなく元クラスメイトの姿。

『芳乃さん・・・?』

あの特徴的な金髪ツインテールと、縮尺から見ても間違いない。ただ、制服ではなく黒いマントのようなものを羽織った彼女は、こちらの方には気づいていないようで桜並木を歩いている。

「ぅん・・・あれ、俺寝てた?」

「あ、おはよう純一君」

もぞもぞと体を起こした彼に気を取られている内に、彼女の姿は既に見えなくなっていた。

とはいっても、特別気になるわけではない。あの衣裳が何なのかは若干気にかかったけど、記憶に留める程ではなかった。

だって、誰が気付くというのだろうか。

誰が知り得るというのだろうか。

――その時の彼女の散歩の理由が、桜並木を”見納めに来た”だなんて。



そうして、一日が終わる。

何事も無かったかのように。また明日も同じような一日が待っているかのように。

――この幸せな日常が続くかのように。







「おはよう・・・」

翌朝。まだ若干靄がかかったような頭で、階下に下りる。

昨夜は何故か寝つきが悪かったため、まだ眠気が取れていない。いつもの時間に、よく起きられたものだと思う。

「ああ、おはようことり」

「おっはよう〜、ことりちゃん」

コーヒーを啜りながら新聞を読んでいるお姉ちゃんと、台所に立って朝食を作っているお母さんがそれぞれ振り返って答えてくれる。

いつも通りの朝・・・のはずだった。しかし私は、何かいつもとは違う違和感というか、もどかしさを感じていた。

それが何なのか分からないまま、食卓につく。我が家では朝早くに出るお父さん以外は、こうして揃って朝食を取るのが習慣になっている。

「ところでことりちゃん。この前言っていた彼とはどうなの?」

「うぐっ・・・い、いきなり何?」

唐突に好奇心むき出しでそう聞いてきたお母さんに、私は思わず言葉を詰まらせながら聞き返した。

「だって、ことりちゃんの初の彼氏だもの。やっぱり気になるじゃない?」

「そう言われても・・・」

純一君とどうかと聞かれても・・・あっ、そういえば昨日はずっと外にいたけど、風邪とか引いてないかな? 後で連絡してみよっと。

「・・・ふふ、その表情でだいたい分かっちゃったかも」

「えぇっ!?」

「ことりは顔に出すぎなんだよねぇ」

「もうっ、お姉ちゃんまで!」

朝の和やかな時間。お母さんが笑っていて、お姉ちゃんが笑っていて、私が笑っている。

しかしそんな時間も、テレビから流れてきた音声によって一気に吹き飛んでしまった。



――「続いてのニュースです。散らない桜で有名な初音島の桜が散っているのが、今朝、公園を散歩していた男性によって発見されました」



「「「え?」」」

三人ともが動きを止め、信じられないような気持ちでテレビの画面を注視する。

まさか、と思った。だってソレは、私が物心付くずっと前から存在している事象であり、私たち島民にとっては当たり前のものだったから。

だから、画面に映ったいつもとは大きく様変わりした桜を見るのは、とても新鮮で・・・とてもショックだった。



――「原因につきましては今のところまったくわかっておらず、島の研究機関が原因の調査に乗り出すと共に――」

画面の中の出来事が未だ信じられず、フラフラと窓へと歩み寄る。そこから覗く世界は、昨日とはすっかり変わってしまった、私の知らない世界。

”ドクンッ”

『・・・え?』

嫌な予感に、心臓が勝手に跳ねた。

漠然としていて、酷く曖昧だけど、何故か確信できる。そんな自分でもよく分からない予感――いや、不安。

「・・・」

私の隣に立ったお姉ちゃんが、同じように窓から見た外の景色に、何やら思案顔で黙考している。

不安を解消したくて、嫌な予感を打ち消したくて、私は使う。幼少の頃より私と共に在り続けた、人の心を読む能力を。

『――――』

聞こえない。

『――――』

何も、聞こえない。

以前に芳乃さんの心を覗いた時のようなノイズではなく、純粋な無音。

そしてそれは、普通の人と同じ体質になってしまったと同義だということに、数秒経ってからようやく気付いた。

「・・・ん? どうかした?」

「う、ううん。何でもない」

私はどうにか平静を装いつつ、そう返す。

現実から目を逸らすように、私は再度窓の外へと目を向けた。

視界に映るのは、ひらひらと舞い落ち続ける桜の花弁。



――それはまるで、私の能力まで奪っていくかのように、いつまでも散り止むことはなかった。



30話へ続く


後書き

今回は予定通りに余裕を持って更新出来ました。いつも出来たらいいだけどなぁ(汗)

さてさて、ついに物語がクライマックスに向けて動き始めました。

これにて第3章も終了。次の30話が幕間で、後は最終章を残すのみとなりました。

ことりにとってはあまりにも唐突すぎる、能力の喪失。そして枯れる桜。

能力を失ったことりの取る行動とは?

・・・予告はこんな感じでしょうか。とはいっても31話の予告ですね。

次回の幕間には、音夢と叶が登場予定。お楽しみに!^^



2008.11.2  雅輝