夕焼けが、窓から見渡す限りの街並みを幻想的に染めあげていた。
私はそんな街並みを、様々な想いを胸中に宿しながら、ボンヤリと眺める。
橙色の空には、雲に紛れて烏が数羽。列を作るわけでもなくただ群れて、「カア、カア」と、未だに外で遊んでいる子供たちに、帰宅を促していた。
――春休み中の学校。校舎の中は人通りも少なく、私が今いる教室に至っては、室内どころかその階全体で見ても人はいないだろう。
受験生ならともかく、ほとんどの生徒がエスカレーター式に本校へと進学する風見学園には、春休み中に自習で教室を使う生徒もいない。生徒の出入りと言えば、熱心に部活動に精を出す文化部の部員くらいか。
「・・・」
私はただ無心で、窓の外から見える世界へと目を向け続ける。ただそう心がけているだけで、無心とは程遠い感情が渦巻いているのは自覚していたけれど。
――もうそろそろ、来る頃だろうか。
教室の黒板の上に掛かっている時計を一度チラリと見て、確認の意味も込めて続けざまに自分の腕時計にも目を落とす。
約束の時間の十分前。時間にはしっかりしている彼女のことだから、そろそろ現れてもおかしくはないだろう。私は気持ちを落ち着かせるために、かれこれ三十分以上も前にここに来て、それ以来ずっとボンヤリと考えていたのだけど。
純一君に叶ちゃんの真実を告げて、また託してから三日が経っていた。
春休みも残り二日となった今日の昼ごろ、私の携帯に掛かって来たのは一本の電話。もちろん、相手は――。
――「・・・ことり。今日の夕方、会えないかな?5時に、学園のことりの教室で」
電話越しでは彼女の声色も判別できず、不安も大きく残った。ただ、同時に確信も持てた。純一君が、話してくれたんだろうって。
だからその電話の答えに、ノーはあり得なかった。二つ返事で了承を口にし、でも心は落ち着かなくてこうして早く来てしまったわけだけど・・・。
『ふふ、ホント何やってんだろう、私』
電話越しだったせいで能力を使えなかった。ただそれだけで、このザマだ。情けないったらない。
他人の心を読んで、その通りに他人に合わせて、誰からも嫌われることなく歩む人生。今までだって、ずっとそういう生き方をしてきた。
なのに最近。どういうわけか、そんな生き方に酷く苛立ちを覚える自分がいる。能力を使うことを、無意識の内に拒んでいる自分がいる。
それは、きっと―――。
”ガララッ”
思考の渦にダイブしていた脳が知覚したのは、背中越しに聞こえた教室のドアが滑る音。
そして誰かが入って来る足音。誰か――いや、取り繕うのは止そう。
今日は最後まで、彼女と向き合うのだと、心に固く誓ったのだから。
「――ことり」
「――叶ちゃん」
夕暮れに染まった教室で、私たちはまず互いに名を呼び合った。
D.C. SS
「小鳥のさえずり」
Written by 雅輝
<26> 協奏曲 ―コンチェルト―
私の目の前に立っている叶ちゃんは、学園の制服姿――つまり男装した「工藤君」だった。
当然、彼女は女子生徒用の制服を持っていないわけで。学園に来る以上はこの格好をしなければならないのだけれど、やはり未だに違和感が残っている。
「呼び出してごめんね、ことり」
「ううん。何の話かは・・・分かってる、つもりだから」
私の言葉に叶ちゃんは無言で微笑むと、私のいる窓際に寄ってきて、しかし私には背を向けるようにして近くの机に腰を下ろす。
何となく彼女の意図が掴めた私は、彼女が腰を下ろした机と同じ机の上に、背中合わせになるようにして同じく座った。
互いの背中がくっつき、しかし互いの顔は見ることの叶わないこの状況。おおよそ大事な話をする状態ではないのかもしれないが、今は――これから本音を言い合うことになるであろう今は、このくらいが丁度いいのかもしれない。相手の顔を見ながらでは、また相手に顔を見られながらでは、話しにくいことだってあるはずだから。
時間にして数秒だっただろうか。背中に相手の温度を感じながら無言でいた私たちは、期せずにまさに同時と呼べるタイミングで口を開いた。
「「ごめんなさい」」
・・・。
驚きで、思わず後ろを振り向いてしまいそうになってしまった。
タイミングどころか、発した言葉まで一言一句同じとは。おそらく、背中越しでは叶ちゃんも私と同じような表情を浮かべているのだろう。そう考えると、少しだけ心にも余裕が生まれる。
「叶ちゃん、それは何に対してのごめんなさい?」
「・・・そうだね。心配掛けて、かな。ことりは?」
「私は、勝手なことをして、かな」
同時にハモった「ごめんなさい」。その理由を互いに確認することは何となく間抜けで、二人して顔に浮かべるのは苦笑。
「勝手なこと、なんかじゃないよ。きっとことりに知られたら、こうなるのは何となく分かってた。朝倉君から尋ねられたときは、ビックリしたけどね」
「でも、ことりが謝ることじゃないよ」と、いつもの彼女らしい穏やかな笑み――見えないから想像だけど――で言われる。
しかし彼女はそう言うけれど、私は本来責められるべき立場なのに。
「――んで?」
「え?」
「何で笑っていられるの?私は、叶ちゃんの秘密を人に話した上に、叶ちゃんにとっては一番酷な人を相談相手に仕立て上げたんだよ?」
「ことり・・・」
「叶ちゃんは、ずるいよ。・・・優しすぎて、ずるいよ・・・」
そう、それも何となく分かっていた。
彼女は、きっと私を責めたりしないだろうって。そんな人じゃないって。
なら私は、いったいどうすればいいの?
「・・・それは、ことりも同じだよ」
「えっ?」
どうしようもない気持ちから溢れ出そうになった涙を懸命に堪えながら、俯かせていた顔を上げる。背中から伝わるのは、相も変わらず優しい温度。
「私からすれば、ことりの方が優しすぎるんだよ。いつも人のことを一番に考えちゃって、今回も私に責められるかもしれないって分かってて、それでも行動を起こしてくれたのは私のためなんでしょ?」
「そ、それは、でも・・・」
「「私が勝手に心配しただけだから、叶ちゃんが気にすることじゃないよ」・・・でしょ。本当にもう・・・ことりは、ずるいなぁ」
「・・・」
図星を指されては、反応しようがない。私は話題を変える意味も込めて、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「あの・・・それで、婚約者さんの方は・・・」
「断ったよ」
ビシッと。彼女は毅然とそう答えた。
「朝倉君とことりのおかげで、やっと決心が着いたんだ」
「私たちの・・・?」
「そう。・・・ことりはもう気づいてるかもしれないけど、私はたぶん、朝倉君のことが好きだった」
「・・・」
「でも、自分でも曖昧なこの気持ちを胸に、前に進むのは怖かった。結局私は、前に進む勇気を最後まで持てなかったの」
「叶ちゃん・・・」
「だから、ミスコンの最中にことりが彼に告白したって話を聞いて、正直敵わないなって思った。それは、ことりの強さ。そして、私の弱さ」
叶ちゃんの声が少し震えているのは、すぐに分かった。でも私は、それには気づかない振りをして、じっと彼女の言葉を待つ。
「・・・私は、強くなろうと思った。朝倉君やことりのように、自分の気持ちに正直になろうって。自分自身に、誠実であろうって」
「だから、縁談を断った?」
「うん、それもあるけどね。もう一つ、ことりに伝えなくちゃいけないことがあるの」
「え?」
「私は・・・朝倉君に、告白した」
「――っ!!」
凛とした彼女の言葉に、私は思わず息を呑む。
勿論、そんな展開になることも可能性としては考えていた。叶ちゃんが彼のことを好きなのはわかっていたし、それを承知の上で彼に叶ちゃんの相談相手を頼んだのだから。
でも・・・本人に面と向かって言われてしまうと、やはりショックも少なからずあった。
「えと、そ、それで・・・結果、は?」
私は詰まりながらも、何とかそれだけ口にする。心臓が暴れ回って、鎮めるだけで精一杯な状態。
すると彼女は、「ふふっ」と苦笑気味に笑った。
「聞くまでもないでしょ?・・・朝倉君は、最後まで私の告白を聞いてくれたけど、ちゃんと断ったよ」
「そ、そうなんだ・・・」
その言葉に、安堵と共に複雑な気持ちも襲いかかる。やっぱり、私は彼女を傷つけたのだろうか。
「――ごめん。俺にはことり以外考えられないし、ことりを裏切るなんて死んでも出来ないから。だから、ごめん」
「・・・え?」
「彼が――朝倉君が、私を振る時に言ったセリフだよ。正直、あの朝倉君があんなセリフを口にするなんて思ってもみなかったから、振られたショックよりそっちの方がショックかもってくらい」
「ぅ・・・ぁ」
どうしよう。叶ちゃんからの又聞きなのに、どうしようもなく頬が熱くなった。心臓が跳ねる。さっきとは、違う跳ね方。
一瞬でも彼を信じられなくなった自分が、酷く滑稽だった。一瞬でも不安を感じてしまった自分が、酷く許せなかった。
「でも、朝倉君に告白出来て、やっとスッキリした。まるで、心の閊えが取れたみたいに。そして自分自身の気持ちに整理を付けて、改めて婚約者との縁談のことを考えて・・・そして決めたの。やっぱり好きじゃない人と結婚なんて、そんな器用な真似は私には出来ないってね」
「で、でも、その・・・大丈夫、だったの?」
そう、相手はお見合い相手などではなく、婚約者。フィアンセ。
それがたとえ勝手に決められ、進められた話だとしても、それを反故にするのは所謂「婚約破棄」ということになって。
あの厳格な、叶ちゃんの祖母がそれを許したというのだろうか。
「・・・ようやくお祖母様を納得出来たのは昨日の話なの。相手の婚約者の人にも相談して、一緒に婚約破棄を頼みこんだ。実はその人にも別に好きな人・・・ううん、恋人がいて、私との婚約は避けたかったみたい。だから両家の人に集まってもらった場で、二人で堂々と宣言した」
「でも、やっぱり一番反対したのがお祖母様で。私も食事を二日ほど抜かれちゃったけど、それでも一貫して婚約破棄を希望する私に、ようやく折れてくれた。もう好きにすればいいって・・・それはある意味、呆れからきた言葉かもしれないけど、ね」
「そっか・・・」
良かった、と。私は心から安堵した。そもそもこの行動を起こした目的は、それだったから。
でも、素直に大手を振って喜べない自分もいる。私は結局、彼女を傷つけてしまった。彼女に祖母と対立するように仕向けて、結果的に不仲になってしまったではないか。
そんな私の心情を背中越しに悟ったのか、叶ちゃんは諭すように再び口を開いた。
「・・・私はね、ことり。貴女に、本当に感謝してるの」
「え・・・」
「だって、もしあのまま流れのままに結婚していたら、私は一生後悔していたと思うから」
「・・・」
「ことりはきっと、それも分かってたんだね。だから無理をしてでも、私を止めようとしてくれた」
「・・・本当に?本当にそう思ってくれてるの?」
「当り前じゃない。私は、ことりの親友だよ。どんなことがあっても、ことりはことりだって・・・誰よりも優しい、私の自慢の親友だって・・・今の私なら、断言できる」
「――っ!」
頬に、冷たい感触を感じた。
ふと気が付くと、音もなく私の双眸からは涙が伝っていた。
今、ようやく分かった。
私はただ、叶ちゃんを助けたい一心だけで動いていたわけじゃない。
――彼女に、認めてもらいたかったんだ。赦してもらいたかったんだ。
親友の恋に横恋慕するような形で純一君を奪ってしまった自分を。これからも彼の隣で歩いていきたいと願ってしまっている自分を。
それはずっと負い目に感じていて、しかし隠していた気持ち。蓋をして、見えない振りをして。そんなこと、出来るはずもないのに。
「叶ちゃん・・・」
私はその心の内を、叶ちゃんに打ち明けようとした。自分の弱い心を、せめて彼女には伝えておきたかった。
しかし―――。
”キーンコーンカーンコーンッ・・・”
タイミングよく鳴ったチャイムに、私の言葉は遮られてしまう。
時計を見てみると、もう既に文字盤は6時を指していた。話し込んでいる間に、時計の長針は一周してしまっていたようだ。
それを合図のように、叶ちゃんが立ち上がる。背中から離れる温度。しかしまだ、互いに背は向けたまま。
「私の話はこれでおしまい。それじゃあ・・・もう、行くね」
コツコツと、教室の扉へと向かっていく足音。しかし私はまだ、彼女に顔を向けることは出来ずに、視線は窓の外を彷徨ったまま。
今、彼女と視線を合わせたら・・・私はきっと、泣いてしまうだろうから。
「・・・最後に、もう一つだけ」
扉を横滑りに開けたところで、彼女の足音が止まる。
そして―――。
「朝倉君をよろしくね、ことり」
「――っ!」
私は耐え切れず、彼女へと目を向けた。
私と視線が合った彼女は、いつもの叶ちゃんらしい微笑みで。
慈愛と優しさに満ちた、私の大好きな微笑みで。
「・・・うん、約束するよ。叶ちゃん」
だから、私も応える。
今にも緩みそうな涙腺を無理やり締め付け、今の私が出来得る最高の笑顔で。
「「―――ありがとう」」
最後にまたも重なった二人のセリフは、しかし先ほどハモった言葉とは程遠い意味を持つものだった。
「やっぱり・・・叶ちゃんは、ずるいよ」
私以外誰もいなくなった教室で、一人呟く。
彼女が教室を出て行ってから数秒と経たない内に零れ落ちた涙を、私はきっと・・・一生、忘れない。
27話へ続く
後書き
遅ればせながら、26話掲載です!
今話は・・・悩みすぎて禿げるかと思いました(ぇ
いや、これがマジで。今回は割と時間もあったはずなのに、筆が進まない進まない。
ファイルを開いておきながら、結局1行も進まなかった日なんてのもありましたからね。超難産でした(笑)
さて、愚痴愚痴はこの辺にしておきましょうか。内容に移ります。
ことりと叶の話し合い。これは既に、叶と純一が話し合った、という前提で物語が始まっています。
ことり視点だと、やはりどうしてもその辺りは補完できなくなってしまいまして。今回の叶の話で、何となく想像してくれればと思います。
二人の心情・・・これが一番悩みました。作者本人でも分からないほど複雑な心情、とでも言いましょうか。
読む人によっては、「ん?」と思う部分も多々あると思います。そういう部分は、どしどし指摘くださいませ。可能な限りは答えますので。
さて、これでとりあえずは叶編は終了かな?次回は久しぶりに主人公が登場します(ぉ
それでは〜^^