「奇襲部隊は、戻って来ぬか・・・」

啄県の街を遠目で辛うじて視認できるほどの距離で陣を張っていたのは、黄巾党の数少ない指揮官、波才であった。

「所詮は田舎町一つと、侮っていたのが仇となったらしいな」

立ち上がり、自らの剣を腰に差しながら呟く。

本来なら、奇襲隊の伝令役が、奇襲の成功を知らせに戻ってくる手筈となっていたのだが・・・今のところ、誰ひとり帰っては来ない。

ともすれば、街を蹂躙するのに夢中になっているのか。はたまた、町人たちに迎撃されてしまったのか。

「ふっ・・・考えるまでもないか。こんな田舎街にも、少しは骨のある奴がいるようだ」

問答の余地すらない、と波才は苦笑した。

奇襲部隊の目的は、あくまで撹乱。流石に相手が町人とはいえ、統率の取れていない三百の寡兵では街の制圧は不可能に近い。

だとすれば、可能性が高いのは断然後者。そしてその答えが出たのならば、いつまでもこうして待っている必要などない。

「誰かある!」

「はっ!」

「これより、我ら本隊もあの街を落としに掛かる。半刻後に出ると、各部隊に伝令しろ!」

指揮官の一声により、ようやく本隊が動き出す。

――だが波才がその判断を下す頃には、既に啄県の街の部隊編成は完了しつつあった。





真・恋姫†無双 SS

                「恋姫†演舞」

                              Written by 雅輝






<6>  劉備軍の初陣





「何とか間に合ったか・・・」

「ふわぁ、ギリギリだったね〜」

一刀と桃香の下に、見張り台から黄巾党の本隊の砂塵が報告されたのは、編成した五つの部隊が全て配置に着いた直後であった。

奇襲部隊が失敗に終わった以上、こうして本隊がやってくるのは当たり前のこと。しかし、策と部隊編成が遅れてしまうと後手に回る恐れがあったので、二人は安堵の吐息を漏らした。

「それにしても・・・なあ、本当に残ってるつもりなのか?」

「うん、これだけは絶対に譲れないよ」



桃香は先ほどの戦い同様、戦地に残ることを志願した。当然、家臣である愛紗と一刀は反対したのだが、意外にもそれを諭したのは最年少の鈴々であった。

――「大丈夫。鈴々たちが、桃香お姉ちゃんのところに行くまでに敵をやっつけちゃえばいいのだ!」

余りにも単純で、しかし余りにも自信に満ちたその言葉に、愛紗も一刀も閉口せざるを得なかったという。



「はぁ・・・分かった。でもなるべく、部隊の後方に居てくれ。――絶対に、俺が桃香のところまでは敵を行かせないから」

「・・・う、うん」

「? どうかした?」

「へっ!? う、ううん!何でもないよっ!?」

「??」

一刀としては、先ほどの鈴々の言葉を借りて言っただけなのだが、桃香が顔を真っ赤にさせてしまった。

だが今まで武芸の人生を歩んできた一刀が、色恋沙汰の機微に聡いわけもなく・・・結局、首を傾げる結果となる。

「・・・まあいっか。それじゃあ、先頭の方に行って来るから、桃香は後方の部隊の指揮と・・・”例の合図”を頼むな」

「うん。・・・一刀さん」

「ん?」

「無事に、帰って来てね?」

「・・・ああ、四人でな」







「全軍、止まれーーーーーーーーいっ!!」

黄巾党が駐屯していた場所から最も近い門――北門が見えるところまで来た波才の率いる千五百の黄巾軍は、彼の言葉でその歩みを一時止めた。

『門は開いている、か・・・。地面に付着しているアレは、血か?』

開いている北門の向こうには、既に街並みが見えている。しかしその門の前一帯には、大量の血液と見られる赤い液体が地面を濡らしていた。

その様子から、先ほどの奇襲部隊による戦いが予想される。・・・が。

『あの血の量から、相当数の者が斬られたと見るが・・・それにしては何故、死体が一つも転がっていない?』

そう、普通戦場とは死屍累々の山が築かれ、その荒地を生存者が駆ける、そんな世界だ。

あの門の前の血がどちらの兵のものなのかは知れないが・・・今のこの状況は、波才の目に余りにも不自然に映った。つまり――。

『敵の策。こちらの攻撃を誘っている、か。北門が開いていた理由も、それで説明がつく』

ここが戦場であったのは間違いない。地面には黄巾党のものと思われる足跡も残っているし、これだけの血液を用意するなど実際不可能なのだから。

それでも死体が無いということは、誰かが運び出したということであり・・・それを街側がやったのだとすれば、これは完全に罠だ。

「・・・波才様?」

「こんなに分かりやすい罠に引っ掛かると思ったのか――敵の軍師もどきも大したことはないな」

「は?」

「何でもない。・・・北門部隊、前進せよっ! 東門、西門部隊は迂回し、その勢いのまま街を蹂躙するのだっ!!」

「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおっっっ」」」」」

波才の檄に、兵たちは我先にと街へ突入していく。これでもし北門に罠があったとしても、東西の門から街を制圧できるはずだ。

彼はもう既に勝ち戦のような気分で、自らも意気軒昂と北門を目指した。







「敵、突撃してきますっ! その数、約五百!!」

「――っ、よし、誘いに乗ってくれたか!」

一刀は作戦の一つ目の成功を確信しつつ、双龍を抜き放つ。

「皆、恐れるなっ! 敵は多大なれど所詮は烏合の衆! そう易々と命を奪われることはないっ!」

掲げた双龍の刀身が、太陽の光を帯びて白く輝く。そしてそのまま刀を迫り来る黄巾の群れへと向け、一刀は最大限の声量で檄を飛ばした。

「専守を心掛けろっ! 自分の護りたいものを思い浮かべ、生き様として貫くんだっ!!」

「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ」」」」」

先ほど、黄巾党が出した下卑た欲望の声よりも遥かに高く、町人たちの心の雄叫びが天を衝く。

そして指揮官自ら先行した一刀が一人目の敵を切り捨てた瞬間――ついに、本隊との激突が始まった。







「ついに始まったか・・・」

一方その頃、愛紗率いる二百の部隊、並びに鈴々率いる二百の部隊は、街の北東と北西に兵を隠しつつ、時機を覗っていた。

「まったく、あの方には本当に驚かされる」

愛紗の言うあの方というのは勿論、今回の策を立案した北郷一刀のことである。

彼の武は愛紗も実感し感じていたのだが、まさか知の方もこれほど優れていようとは。

「・・・私も負けていられないな」

自身の相棒――青龍偃月刀を握りしめ、決意と共に呟く。

知勇に優れる有能な将である彼が仲間になってくれたのは、素直に嬉しいと感じる。

しかし同時に、悔しいとも思ってしまうのだ。そして、恐れてさえいる。

主君の――劉備玄徳の信を、彼が自分より多く得てしまうことを。

『ふっ・・・関雲長も落ちたものだな。仲間に嫉妬してしまうとは』

まだ短い付き合いながら、彼が信の置ける人物だということは、愛紗も認めている。一刀には、自然とそう思わせる何かがあった。

それこそ、桃香と同じ部隊を任せてしまうまでに。

だからこその嫉妬か。・・・あるいは羨望か。

『いや、もっと相応しい言葉があるな』

互いを認め、競い合うことで、共に能力を高め合う存在。

――好敵手。

「ならばまずはこの戦で、先達としての意地を見せようか」







「一刀さん・・・」

本隊の後方。丁度街の中心に当たるその場所で、桃香は遠目ながらも、二百の部隊を率いる一刀の戦いをじっと見つめていた。

彼の戦場での立ち居振る舞いは、思わず見惚れてしまうほど流麗だ。だが今の桃香には、そんなことを感じている余裕は無い。

一刀の勇姿が映るその深い藍色の瞳には、同様に不安の影も映っていた。



二百の部隊で、五百の黄巾賊を食い止める。これが今回の作戦の二つ目にして、ある意味一番の鍵となる部分であった。

一刀の部隊に求められるのは、迎撃ではなく専守。反撃の際に生じる僅かな隙さえ失くすように、守って守って守り抜く戦い。

例えるのならば、籠城戦みたいなものだ。通常、籠城戦とは援軍が来る事を想定して行われる戦法であり・・・今回も、まさにそれに当てはまる。

よって、兵たちはその得物で、必死に敵の猛攻を食い止める。唯一その中でも一刀だけは反撃を繰り返して敵の数を減らしていくが、それでも焼け石に水。

このままでは、そう遠くない内に防衛ラインを突破されてしまうことは、目に見えていた。



『・・・もうちょっと・・・っ』

そんな不安を必死に押し殺しつつ、桃香はタイミングを計る。先ほど一刀が残していった言葉、「合図」を成すために。

彼女がいる街の中央部からは、北門の様子が良く見える。五百という黄巾の列は未だに続いており、しかし徐々に途切れがちになっていた。

「・・・っ! 今です、銅鑼を鳴らしてください!!」

そして最後に将らしき馬に乗った人物が門をくぐったのと同時に、桃香も声を上げる。すると、甲高い銅鑼の音が三度、啄県の街に大きく響いた。







「にゃっ、合図なのだ! 鈴々隊、敵に向かって全速前進!! 突撃、粉砕、勝利なのだー!!」

北西にその身を潜ませていた鈴々率いる二百の兵は、その銅鑼の音と共に一斉に動き出した。

同じく北東からは、彼女の義姉が部隊と共に突撃してくるであろう。これが作戦の三つ目――奇襲。

愛紗、鈴々という猛将が率いる軍による、黄巾党の斜め後ろを崩す挟撃であった。

一刀率いる二百の町人を相手にして、油断しきっていた後続の黄巾党にとって、この背後からの急襲は効果覿面。

さらに軍の一番後ろにいた波才はその奇襲をまともに受けてしまい、たちまち北門部隊の指揮系統を混乱させた。

『やっぱり、お兄ちゃんは凄いのだ!』

その小さな体躯には不釣り合いな蛇矛で黄巾兵を追撃しながら、鈴々は新しく出来た兄のような存在である一刀のことを想う。

初めて見た時から只者ではないと思っていたが、まさか自分たちに匹敵するほどの武の持ち主であり、なおかつ頭も切れるとは。

『にゃ〜。勝ったら、またさっきみたいに頭を撫でてくれるかな?』

マメが何度も潰れて出来た、堅い皮膚で覆われた手のひら。しかし何故か撫でられると心地よく、幸せな気分になれる不思議な手。

「うりゃりゃりゃりゃりゃーーーーーっ!!」

動機としては少し不純かもしれないが・・・彼女の蛇矛は、いつもより三割増の速度で振るわれていた。







「くそっ、何で開かないんだよっ!!」

そしてその頃、西門と東門に迂回した黄巾兵たちは、頑なに閉ざされた門を前に焦っていた。

中からは、どちらの軍のものともつかない怒号が聞こえてきている。それが彼らの焦りを増長させ、動きを鈍らせていた。

幾人もの兵が門に挑戦するも、出来合いの剣では木製とはいえ二重構造の門には歯が立たず。

かといって、門を壊すような・・・例えば大木の杭といった兵器もない。

次第に焦りが怒りを呼び、そして怒りが不満を呼ぶ。開門作業は遅々として進まず、結局は千もの軍勢が立ち往生している結果となっている。

だが、彼らは知らないだろう。それらの状況が、一人の男の策と、門を支える屈強な町人――各門百人の二百という寡兵で作り上げられていることを。





これが四つ目の――いや、ある意味一番最初に成された策。寡兵で門と共に敵を食い止めることによって、結果的に千の兵を無力化する。

北門からでは、東門と西門の様子を見ることは出来ない。だから、北門を開放しておくことによって、その矛盾に気づき深読みした指揮官がこうして西と東にも兵を送ってくることは、一刀には分かっていた。

つまり、最初から北門の罠こそ敵を謀る囮だったのだ。北門の前に転がっていた、百の黄巾兵の骸を街の中に運ぶことで敵の警戒心を強め、部隊を三つに分けさせ、さらに北門から攻めてくるであろう三つの部隊の内の一つを、奇襲によって確実に殲滅。

その後は愛紗と鈴々の部隊が、それぞれ北門から街の外へ出て、迂回してそれぞれ東門、西門の黄巾党の下へ。さらに門を開け、それまで門を支えていた百人と連携して挟撃を開始。

さらに一刀率いる本隊は街の中央部に残り、万が一門が突破された場合を想定しての遊撃部隊に徹する。

これが今回の一刀の作戦の全概要であり・・・今まさに、波才の率いる北門部隊の殲滅も終わろうとしていた。





だがここで、一刀たちにとって予想外の――いや、ある意味では嬉しい誤算が起こる。

それは敵の中に、賊徒である黄巾党では数少ない指揮官――波才がいたことだ。

「くそっ、こんなところで――こんな奴らにっ!」

その波才はというと、愛紗たちの奇襲によって周りの部隊を完全に崩された挙句、ほうほうの体で前線まで逃げ延びていた。

「あれは・・・」

そして、そんな彼の視線の先には、敵を蹴散らしながら指揮を取るまだ年若い青年――一刀の姿が。

「あんな奴に・・・あんな奴にぃぃぃぃぃっ!!」

その姿が、プライドを粉々にされた波才の癇に触った。

長剣を振りかざし、怒気を孕んだ狂声と共に突貫する。既に愛馬は先の奇襲兵の矢によって射られており、故に自らの足で戦場を――真っ直ぐ一刀の方に向かって駆け抜けた。

その雄叫びに気づいた一刀は、それまで相手をしていた雑兵を適当にあしらった後、走ってくる敵の将らしき人物へと意識を向ける。

『・・・出来るな』

他の兵とは、纏っている雰囲気からして違うと分かる。

一刀が双龍を握り締め、それぞれを上段と下段に構え直すと、敵兵も味方兵も将同士の戦いに戦場を譲り――事実上の一騎討ちが始まった。



7話へ続く


後書き

第6話の更新です。

今回は劉備軍の初陣ということで・・・まあそのまんまなタイトルですね(汗)

先行隊の三百人は三人が撃破しましたが、今回は紛れもなく戦争。八百対千五百の、軍同士の衝突を書きました。

そして一刀の策、理解頂けましたでしょうか。やはり全体を書く、という作業はなかなか難しいものですね。

次回は、波才と一刀の一騎討ち。そして戦の終結までを描きます。

それでは、また次回お会い出来ることを祈りつつ・・・。



2009.3.14  雅輝