「啄県県令、劉玄徳。先の洛陽救出において多大なる功績を挙げたことを認め、徐州牧に任ずる。かしこみて帝のご仁慈をお受けするように」

「――――御意。劉玄徳、謹んでお受け致します」



啄県の県城、玉座の間。朝廷の使者から読み上げられたその勅命に、桃香は僅かに逡巡したもののその桃色の長髪を靡かせ頭を垂れた。

「「・・・」」

その様子を真剣な眼差しで見守るのは、文官の中でも最上段に並ぶ二人の軍師。

一県令から州牧へという、異例の大抜擢。だが朱里と雛里は、それが当然と言わんばかりに冷静な瞳を揺らさない。

何故ならこの昇進劇を予想し、己が主に覚悟を固めてもらうために言い含めていたのは、紛れもなく彼女たちなのだから。

皇帝から賜った勲一等に値する位と、前徐州牧の陶謙が反董卓連合後に没したことにより出来た空位。

さらに権力争いにしか興味のない我が子たちを嫌って、陶謙が病床で書面を残し、息子たちを次の牧に推薦せずに朝廷へと位を返還したこと。

朝廷からの覚えの良い諸侯であり、実力や勢力から言っても県令のままでは役不足。そんな桃香に白羽の矢が立ったのは、自明の理というものだろう。



だが、すべてが順調に行ったわけではない。それは、先ほど勅命を受けた際に桃香が一瞬見せた躊躇いが証明している。

――――徐州の州牧になるということは、当然幽州に属するこの琢県を離れなければいけないということで。

その頃にまだ従軍していなかった二人は話でしか知らないが、黄巾党に襲撃されたこの町を兵とも呼べない町人たちと守ったことが、そもそも県令となったきっかけだったらしい。

初めての転機と勝利。そして治世。桃香にとって――――いや、四人にとってこの町の人々は、もはや家族のようなものだろう。

だから、桃香は迷った。徐州に移ることは、この町の人々を見捨てることになるのではないかと。

けれど、桃香は選んだ。自分の目指す夢を。貫くべき理想を。二人の英傑との出会いで生まれた、軍の長としての誇りを。



徐州への就任を桃香が決断したとき、彼女が真っ先に行なったのが琢県の長老への報告だ。

朱里と雛里も、副官として同行した。その時の長老の言葉は、二人にとっても忘れられないものになっている。

――――「頭を上げてくだされ。儂らは・・・この町は、玄徳様に救われた。だからこそ、いつまでも寄り掛かっていてはおられませぬ」

――――「前を向かれませ。前だけを見据えませ。これから世に羽ばたく貴女方は、儂らの一生の誇りとなりましょうぞ」

桃香がおじいちゃんと呼び慕っていた老翁は、何の躊躇いも無しにそう言って、泣き崩れる桃香の手を柔和な笑みと共にぎゅっと握った。

そこから町の人々に話が伝わっても、寂しがる者は多数居ても責める者はただの一人として居なかったのは、言うまでもないだろう。





真・恋姫†無双 SS

                「恋姫†演舞」

                              Written by 雅輝






<35>  群雄割拠





「・・・はぁぁぁぁ、緊張したよぉ」

朝廷からの使者を丁重に送り返し、ようやく政務室に戻って来れた桃香は、盛大な安堵のため息を吐きつつ机にその上半身を預けた。

「ははは。お疲れさん、桃香」

「ご立派でしたよ、桃香様」

「です」

そんな彼女へ、三者三様の労いの言葉。

天将たる一刀に、文官の中でも政の筆頭である朱里と、同じく軍部の筆頭である雛里。会議の直後だというのに、こうして軍の主要人物が集まっているのは――――“これから”のことを話し合うためである。

「それでは早速ですが、もう一度徐州に就任した後の行動を確認しておきましょう」

「・・・うん、お願い朱里ちゃん」

朱里のその宣言に、だらけていた桃香がもぞもぞと起き上がり、頭を切り替えて真剣な瞳で続きを促す。

「行動とは言っても、しばらくは静観することになるでしょう。政治方面は、私と雛里ちゃんで作成した計画表を元に進めていくことになります」

「前に目を通したやつだね。うん、問題無いと思う。じゃあ琢県と同じように政治は朱里ちゃん、軍事は雛里ちゃんでいいんだね?」

「はい。私の方は補佐として、詠さんに付いてもらいます。洛陽の政治形態を見ても適任かと。もちろん、詠さんは表舞台に出ることがないように配慮します」

「ねねちゃんは恋さんの専属軍師という扱いですが、平時は私の方――――軍事の補佐に付いて頂きます。今まで恋さんと戦場を駆けていただけあって、戦術眼は私たちと比べても遜色ありません」

新たに従軍した二人の軍師を、それぞれ筆頭軍師の補佐につける。

元は敵として対立していた勢力からの新参者といえば聞こえは悪いが、身分問わずの実力至上主義であるこの軍において、その人事を悪し様に言う者はいなかった。

「そして恋さんには、関羽隊、張飛隊、北郷隊に次ぐ四つ目の隊――――呂布隊の長になってもらいます」

「役割は主に遊撃と、中軍に座して本隊に対する攻撃への牽制を行なって頂きます。もちろん、状況に応じて変えますが」

「また、兵の数も順調に増加しています。税収も安定していますし、洛陽で頂いた報奨金もありますので、軍の維持にもまだ余裕があります」

「積極的にとまではいきませんが、兵の募集は常時行なっています。一刀さんの天将としての勇名もあり、希望する人は後を絶たず――――現状、兵の数は八千に達しています」

兵八千。それが現状の、劉備軍の戦力。反董卓連合前には千五百であったし、連合の戦いでは少なからず戦死者も出た。それを含めると、劇的な増加と言えるだろう。

一県令の持つ戦力としては、文句なしに破格だ。そういう意味でも、州牧という地位は兵力に見合っている。だが――――。

「けどその戦力でも、有力諸侯に戦を仕掛けられたら太刀打ちできない、か」

顎に手を当てたまま真剣な表情で呟く一刀に、二人の軍師も神妙な顔で同意するように頷く。

有力な諸侯。朱里と雛里が思い描くそれは、現時点で三つの勢力。

一つは袁紹軍。その兵力は十万と言われ、潤沢な資金と広大な領土を持つ、北方の巨人。

連合での印象からして当主の袁紹自身は有能と言えないかもしれないが、数は力である。如何に優秀な将が居れど、八千が十万に挑んで何が出来ようか。

続いて袁術軍。兵力は袁紹に及ばないが、子飼いの孫家軍は脅威である。

武将としても高い力量を見せる孫策を筆頭に、経験では臥龍鳳雛にも勝るであろう賢人周喩などの良将が揃い、兵の練度も高い。

ただ、いつまで袁術のようなまだ無垢な子供が、着々と力を付ける猛虎を飼っていられるかは疑問であるが。

そして、最も警戒しなくてはならないのが曹操軍。絶対的な、五万の覇王の軍。

曹操の長としての実力は、最早疑いようのないものであろう。その上、将の質は大陸随一である劉備軍に勝るとも劣らない良将達。

そして何より、君主である桃香とは決して相容れぬ信念。いつか超えなければならない、最大の壁――――。



「――――桃香様は、どのようにお考えですか?」



朱里は静かに、己が君主の意向を確認した。普段の慌てた様子が嘘のように。

もちろん彼女も、桃香の理想に賛同した一人だ。争いの無い世界。話し合いで全てを解決出来る世界。究極の理想郷。

でも、それはあくまで理想なのだ。そして現実は、群雄割拠の乱世。話し合いの通じない、大きな野望を持った諸侯たち。

兵とは即ち戦力だ。戦のために振るわれる力。

矛盾するそれを、桃香に突きつけるのは酷かもしれない。けれどこれから益々激化していく覇権争いの中で、いつかは直面しなくてはならない問題。

――――問いただすは、王としての資質。



「私は、戦うよ」



その顔に柔和な笑みを零し、その声音に確かな覚悟を滲ませ。



「もちろん、出来ることなら戦いたくないし、誰かを死なせたくもない。だけど」



その瞳に頑強たる決意を宿し、その華奢な四肢に未熟なれど王者の覇気を纏い。



「お互いに譲れない何かがあるのなら。私は、私の想いを貫くために戦って――――勝ってみせる」





「「――――っ!!」」

ガバッと、音がするほど素早く、朱里と雛里は臣下の礼を取った。

どこかで、侮っていたのかもしれない。きっとこの心優しき君主は、理想と現実の狭間で悩み苦しみ、答えを出せないのではないかと。

臣下にして、あるまじき思い。聡明すぎるからこそ生まれた微かな邪念に、二人は恥じ入るように俯くことしか出来ない。

しかし桃香は、それを受け入れるように、そして全てを赦すように。

「ありがとう。朱里ちゃん、雛里ちゃん」

その元より持っていた天性の仁愛を以って、二人の心ごと抱きしめるのであった。







「さて――――面白くなってきたじゃない」

場所は変わり、エン州の陳留郡。朝議を終え、言い含めた者たちのみを残したその場で。

その城の主――――曹猛徳こと華琳は、机上に敷いた大陸図を見ながら獰猛な笑みを浮かべた。

「桂花」

「はっ」

「貴女の考える、私の“敵”を教えなさい」

ここで臆病風に吹かれ、とりあえずと言わんばかりにいくつもの諸侯を挙げる桂花ではない。

華琳は「私の敵」と言った。それはつまり、敵となり得るだけの力を持った諸侯という意味だ。

「・・・袁紹、孫策、劉備かと」

その答えを聞いた瞬間、華琳の表情はさらに喜悦に歪んだ。流石は桂花、我が子房よと。

袁紹は大陸一の軍資金と領土を持っている。対象である袁紹のことは良く知っているため負ける気はしないが、苦戦は免れないだろう。

孫策は連合において、華琳の覇気と渡り合った唯一の女傑。江東の虎、孫堅が生みし麒麟児は、今後も飛躍していくだろう。

そして――――劉備。少し前までは弱小勢力だったが、反董卓連合を機にその名を轟かせた俊英。

桂花の智謀を以ってして、馬騰や公孫讃よりも危険だと判断されたのだ。更なる好敵手の登場に昂揚した気分を隠せないまま、華琳はさらに尋ねる。

「劉備軍、貴女はどう見る?」

「危険です」

即答。華琳は笑みを浮かべながら無言で続きを促す。

「まだ兵力を見る限りは、我らの敵ではありません。しかし武将はどれもが一級品。新たに呂布も幕下に加わっています」

「春蘭、秋蘭、霞。武官としてはどうかしら?」

「倒してみせます!!」

「――――関羽と張飛は、姉者や霞と同等でしょう。北郷も、私では厳しいかもしれません」

「恋は正直、別格や。他の三人は・・・倒してみせたるわ」

力一杯に答える春蘭とは対照的に、熟考してからゆっくりと口を開く秋蘭。そして春蘭の言葉そのままに、不敵な笑みを浮かべる張遼こと霞。

「そう・・・けれどそれはあくまでも現時点での話よね?」

誰一人「勝てる」と断言出来なかった三人に、華琳は悪戯っぽい瞳を向ける。それは暗に、これからも精進して完膚無きまでに勝てるようになりなさいと言っているようで。

「はっ! 御期待ください、華琳様!!」

真っ先に春蘭が気持ちの良い返事を返し、秋蘭と霞も好戦的な瞳でそれに追随した。

「ふふっ・・・それで、桂花。それだけではないのでしょう?」

「はい。これはまだ未確定の情報なのですが、劉備は徐州牧に任命されるようです」

「なるほど。一県令から州牧まで一気に駆け上がったか。まあ勲功を考えれば不思議ではないし、兵力からすれば妥当とも言えるでしょうね」

「これで劉備も、もはや弱小諸侯とは言えません。しかし如何に臥龍鳳雛とはいえ、州内の安定にはしばらく時間が掛かるはず。今の内に潰してしまうことを愚考致します」

「ふむ・・・稟、風。貴女達はどう考えているのかしら?」

華琳に促され、前に出る二人。彼女たちは近頃新たにその幕下に入り、華琳や桂花にすら認められた智謀の士。

「私も桂花と同意見です。劉備たちは将来必ずや華琳様の障害となるでしょう。兵力がまだ少なく、内政に手を取られる今が好機かと」

まず答えたのは、眼鏡の奥の理知的な瞳が特徴的な、稟こと郭嘉。

「そうですねー。実際天将さんの影響力は測り知れません。これから益々兵も増えていくことでしょう。・・・ですがー」

そして、眠たげな瞳と頭に乗せた人形が目を引く、風こと程cが間延びした声で続いた。

「ですが、何かしら?」

「・・・」

「寝るなっ!!」

「おぉ! 色々と考えている内に睡魔が襲ってきたのですよー」

もう何度か見たやり取りに、華琳は苦笑する。相変わらずいつでもぶれない子ね、と。

「ふふっ、それで?」

「はいー。華琳様は、それを望んでいないように思えますねー」

「あら、流石は風ね。そう、今のままではただ弱者を蹂躙するだけの戦になってしまうわ。覇王としての私は、それを望んでいない」

もちろん、時と場合にも因るが。だが今の劉備軍を攻めたとなっては、風評も悪いものとなるだろう。

また、州牧に任命したのは皇帝だ。就任してすぐに叩いたのであっては、皇帝に仇なす行為と見られてもおかしくはない。

桂花や稟が、そのことに気づいていないわけがない。それを差し引いたとしても、劉備軍を叩くべきだと進言しているだけ。

「劉備はまだ泳がせておくわ。私たちもまずは州内の安定に務め、軍備の増強を図ります」

「「「はっ!!」」」

そう言ってかしずく三軍師を、華琳は満足げに見つめる。

『これで智は揃った・・・』

今まで軍師は桂花一人だったため、負担を掛けていたし考え方も偏っていた。

それが、桂花と同等の能力を持つ二人が加入し、軍略としての考え方もかなり幅広くなったのだ。

またそれぞれ最も得意とする分野も違うため、この三人が揃えばあの臥龍鳳雛さえも凌駕する――――!

『後は武ね。凪たちも十分優秀ではあるけど、春蘭や霞と同等の武将が後一人・・・いや、二人居れば』

同じく新たに幕下に加わった三人娘のことを思うも、劉備軍には人中の呂布が居るのだ。夏侯姉妹をぶつけても難しいほどの相手が。

将が多い方が戦に勝つわけではないが、やはり重要な要素の一つではあるだろう。良将は多ければ多いほどいいに決まっている。

『まあ今は無いものを願ってもしょうがないか・・・』

「じゃあ最後に三人に聞くわ。次に大きく動くとすればどの諸侯かしら?」

その問いに、桂花、稟、風の三人は大陸図に目を落とす。それぞれ既に何かしらの考えは持っていただろうが、君主に考えを述べる前にもう一度頭の中を整理しているのだ。

そうして数秒後、顔を上げたのは同時。声まで揃えて、三人は同じ言葉を発した。



「「「袁紹軍かと」」」




36話へ続く


後書き

皆様、覚えていますでしょうか? 恋姫演舞、約一年振りの更新になります。

ホントに季節が過ぎるのは早いなぁとしみじみしつつ。亀更新で読者の皆様には非常に申し訳なく思う次第です。


さて、ようやく新章がスタートということで。劉備軍の拠点も、徐州に移りました。

うちの桃香ちゃんは、何か割と別人のようですね。キャラが崩壊していないか心配。

一応、根本にあるものは変えないようにと努めてはいるのですが。一気に成長しすぎかなと思わなくもない^^;


んー、新章スタートといいつつ、次の更新はいつになることやら。仕事の忙しさ次第、かなぁ。

紫苑とか好きなキャラなので、早く出したいとは思っているのですが。まだ十話くらい掛かるんじゃね?と(笑)


ではでは、また忘れた頃にお会いしましょうー。



2013.2.10  雅輝