明朝。まだ陽が昇ってから、間もない時間帯。
遼西の城の裏手に位置する雑木林の一角に、一人の男が佇んでいた。
その腰には二本の柳葉刀。少し長い前髪の下の眼光は鋭く、辺りには緊迫した空気が流れている。
「・・・」
そしてその男――北郷一刀は、葉を生い茂らせた一本の木の前に歩を進め、何を思ったか右足の裏で思い切り蹴りつけた。
”ズゥンッ・・・”
祖父の教えで、剣技と同じく格闘技も一通り習熟した一刀の渾身の蹴りは、それほど幹が太くない木を容易く揺らす。
鈍い音と共に辺りの鳥は大空へ飛び立ち、枝に付いていた葉は次々と舞い落ちた。
だがそれは同時に、一刀による舞曲の第一音。
「ふっ――!」
短い呼気と共に、スラリと双龍を抜いた一刀は、そのまま天龍を、地龍を、縦横無尽に振るい始める。
しかし、ただ我武者羅に振っているわけでは、勿論ない。次々と舞い落ちる葉を丁寧に一枚一枚両断し、しかし自らは一度たりとも葉には当たらない。
十枚単位で落ちゆく葉の一つ一つの軌跡を見極め、地面に落ちるまでの短い時間の中で、最小限の動きで斬り落とす。未だ、無傷のまま地に落ちた葉は無い。
凄まじい剣速と太刀筋。そして動体視力と視野の広さ。
言葉にするだけなら簡単だが、到底人間の成せる所業ではない。
そもそもにして葉は軽く、普通の剣士なら一枚を斬ることすら容易ではないだろう。剣が起こす風が、断ち切ろうとする葉を遠ざけるからだ。
『・・・後一枚!』
そうして舞曲も終焉に近づく。しかし神の悪戯か、最後の一葉は一刀の数メートル先で、今にも地面に触れようとしていた。
だが、一刀の動体視力は、それを既に捉えていた。咄嗟に下段から地龍を掬い上げ、巻き起こる――いや、巻き起こした気流によって再び舞い上がった葉を。
「はぁっ!!」
跳んで一気に間合いを詰めた一刀が天龍で断ち、見事に真っ二つになった葉と共に、辺りは静寂に包まれた。
”パチパチパチ・・・”
「・・・?」
と、その静寂を破る拍手の音に、一刀は怪訝に思いながらも後ろを振り向き――驚く。
「やはりたまには朝の散歩もしてみるものですな。・・・面白いものを見させてもらった」
振り向いた先。雑木の奥からスッと姿を現したのは、昨日知り合ったばかりの美女―――趙子龍その人であった。
真・恋姫†無双 SS
「恋姫†演舞」
Written by 雅輝
<13> 趙子龍の槍
「しかし趙雲殿も人が悪い。見ているなら言ってくれればいいものを」
自前の手拭いで火照った体を覚ましながら、一刀は目の前で楽しそうに微笑む趙雲に対して苦笑を浮かべた。
「いえいえ、あれを邪魔するほど、私は無粋ではありませんよ。流石、というべきか」
「ははは。まだまだ趙雲殿には及びませんよ」
「星でよろしい。私は貴方を結構気に入っておりますのでな」
そう言って、趙雲―――星は、そのイメージに似つかわしい悪戯っぽい瞳で一刀に迫る。それとは対照的に、一刀は少し困ったような表情をして。
「なら、星さんと」
「ふむ・・・まあ今はそれでもいいか。なら私も、一刀殿と呼ばせてもらおう」
その言葉と共に、星から投げ渡される瓢箪。中身は水だと思い受け取った一刀は、礼を言いつつ口にその瓢箪を傾ける。・・・が。
「ぶはっ!・・・これ酒じゃないですか!?」
「おや、これは異なことを。誰も水などとは申していないというのに」
「・・・まったく、悪戯好きな方だ」
「これも性分ゆえ。酒はお嫌いか?」
「いえ、たまには悪くない。こちらの世界では、年齢を気にする必要もありませんしね」
「こちらの世界?」
「おっと。お気になさらず」
失言を誤魔化しつつ、もう一口瓢箪を傾ける。口に含んで舌でしっかりと味わうと、予想以上に上等な酒であると気づいた。
「美味いですね。・・・老酒ですか?」
「ええ、行きつけの酒屋のとっておきだと」
「そんなの、俺が呑んで良かったんですか?」
「なに。劉備殿との出会いを祝すという意味では、惜しくはない。それに、関羽殿や張飛殿。そして――一刀殿とも出会えたことですしな」
「そこまで評価して頂けるのは、素直に嬉しいですけどね」
そう苦笑して、一刀は背を預けていた木の幹から、瓢箪を手に起き上がる。
だが星は、苦笑する一刀を諫めるように急に真面目な表情に変わり。
「謙遜することはありませぬ。立ち居振る舞いと、先ほどの剣舞を見て確信した。――貴方は紛れもなく、本物の武人であろう」
「・・・だけど、俺はまだ関雲長や張翼徳、そして超子龍には遠く及ばない。違いますか?」
「――それは否定出来ませぬが。だが、それゆえに・・・惜しい」
「惜しい?」
気になる単語を受け、オウム返しに訊ねる一刀。星は一瞬チラリと一刀を見ると、視線を空に転じて語り出す。
「一刀殿は確かに強い。だがその戦い方は、目に頼りすぎている」
星が先ほどの一刀の剣舞で感じたこと。それは、あまりにも“的確すぎる”一刀の反応。
「・・・ええ」
一刀は既に見抜かれているソレに瞑目しつつ、続きを促した。
「目で反応し、それに最も合理的な攻撃を最短で繰り出す。それは素晴らしいことだが、だからこそ達人には読まれやすい」
そう、それこそが一刀の弱点とも言える癖。
幼い頃から鍛練を続けてきた彼だからこそ、目で見たものから一瞬の内に対応策や次善策が頭の中に打ち出され、それを実行しようと体が動き出す。
そしてだからこそ、同じく幼少の頃から戦いに接してきた達人――愛紗や鈴々には、目線から読まれやすい。しかし彼女たちはそれを自覚し、あるいは本能で理解し、相手の予測を裏切る妙手を打つ。これが腕力以上に、如実の差となっていた。
「つまり、目ではなく感覚でも反応出来るようになれば、貴方はもっと伸びるだろう」
だが幼い頃から染み付いた癖は、そう簡単には抜けない。ならそれ以上に、他の感覚を養えばいい。
「・・・他の感覚というと、嗅覚や聴覚ですか?」
「それだけではなく、空気の流れを察知する触覚や、第六感というのもなかなか捨て難いもの。まあ貴方なら数年も掛からずに身に付くでしょう」
「数年・・・」
一刀はその言葉を反芻する。しかしその瞳には、そんなに待てないという強い意志が宿っていた。
「・・・一つ、お聞かせ願えますか?」
「え?」
「貴方は、何故力を求める?」
居住まいを正し、真剣な目で、星は静かに訊ねた。
それはある意味、武人にとっては真理とも言える問い。
ある者は、「自分の身を守るため」。またある者は、「強さを求めることに理由など無い」。
答えは千差万別。人によって違い、それは信念に近しい。
だからこそ、一刀の答えは。
「――俺が守ると誓った人たちを、護るため」
全ての人々を護るなんて、そんな夢物語はとてもではないがおこがましくて言えそうもない。
だから、せめて自分の手が届く範囲くらいは。
兄弟姉妹の契りを交わした、彼女たちとの誓いを果たせるほどには。
「その信念を、貫き通せる力が欲しい」
それがきっと、人民を救うことに繋がるのだと信じて。
「北郷一刀、か・・・」
その後の世間話もそこそこに、一刀と別れた星は、城へと帰る道すがらポツリと呟いた。
「やはり思っていた通り、なかなかに興味深い御仁のようだ」
笑みさえ零しながら、思うのは一刀のこと。
女性の武将が多いこの時代において、あれほどの武を備えた男性。ただそれだけでも充分に珍しいというのに。
「その志も胆力も、全くもって見事の一言。一武将でいながら、まるで君主のような雰囲気すら持っているとは」
どこかで道を違えていれば、君主として祭り上げられていてもおかしくはない人材。何故か彼には、超子龍にそこまで思わせる何かがあった。
「我が槍を捧げるに値する主、か・・・。あるいは、劉備殿と共に歩むのも悪くないかもしれぬな」
まだ旗揚げして間もないというのに、既に関羽や張飛、そして彼のような勇将を従える桃香。
それが、彼女の人徳と志ゆえならば。この槍を彼女の行く末――天下の道程に添えるのも悪くない。
「・・・ふっ、らしくないな」
星は己の考えを、苦笑と共にそう評価した。らしくもなく、心の中に焦ってる自分を見つけたからだ。
だがそれでも、その考えを否定しようという気だけはどうしても起こらなかった。それほどまでに、自分は魅力を感じているということか。
「本当に、らしくない」
本来の自分は、熟考を重ねた上で理詰めの結論を出すタイプであったはずだ。
それが今は――今だけは、運命という不確定なものを信じてみたいと思っている。
『我が槍は庶人のため。そして・・・彼らの往く道が私と同じ道ならば、いつかは交差するときも来る、か』
ならばその日が来るまで、我らは誰一人欠くことなくまた再会出来るだろう。
それが自分の――趙子龍の運命ならば。
「・・・」
スウッと双眸を閉じ、星は無言で槍を構えた。
標的は、風に吹かれて自然に落ちた葉。それは自由気ままな妖精のように中空を舞っている。
「――――ふっ!」
一閃。
目にも止まらぬほど高速で突き出された星の愛槍――龍牙の先端には、突き刺さった一葉の姿が。
それもただ貫いただけではない。龍牙は見事にその中心のみを貫いており、葉の外周には一切傷を付けていない。
まさに数センチ単位の神業。それを視界が塞がった状態で繰り出す、星の技量は言うまでもない。
「・・・本当に、楽しみだ」
その言葉が、何に向けてのものだったのか。答えは、本人のみぞ知る。
14話へ続く
後書き
何とか間に合いました。恋姫演舞、13話のUPです^^
これでとうとうストックも切れてしまいました。もしかすると、来週からは隔週になるかも?
まあ連載の一つが完結したので、丁度いいかなぁとも思っていたり。
今回は星を中心に、拠点フェイズな話にしました。
一刀が武人という設定だからこそ出来た、オリジナルストーリー。書いてて楽しかったです^^
でもやはり、星は書くのが難しかったです。性格が掴み切れていない上、あの独特な口調も・・・(汗)
もっと精進します。