「ふぁふ・・・眠た」
朝の眠気を吹き飛ばすように大きな欠伸を漏らした義之は、目元を擦りながら芳乃家の玄関を出た。
まだ学校の始業ベルには30分以上もある。
義之が自発的にこの時間に家を出るなど奇跡に近いのだが、単純に昨日授業中に寝てしまい翌朝の二度寝すら必要ないほどの睡眠を貪ったからに他ならない。
「あれ?弟くん早いね?」
門をくぐりゆっくりと歩き始めた義之の耳に入った声は、充分に聞き覚えのある声だった。
「おはよ、音姉・・・と由夢」
「・・・何か”ついで”のように聞こえるんだけど」
「いかんぞ、被害妄想は」
軽く返した義之に、由夢はむっと彼を睨んだ。
「でも本当にどうしちゃったの?弟くんがこんなに朝早く家を出るなんて」
「特に理由は無いけど・・・単に目が冴えちゃっただけだし」
さすがに音姫の前で、「昨日の授業の時に寝すぎました」とは言えない。
言えば、「また弟くんは授業中に居眠りをして〜、だからこの前のテストも赤点が・・・」と、学校に着くまで説教されるのが目に見えているからだ。
「弟くんが何の予定も無いのに早く学校に行くなんて・・・。どうしよ〜、私傘持って来てないのにぃ〜」
「心配ないよお姉ちゃん。私置き傘2本あるから、1本貸してあげるね」
「わぁ、ありがとう由夢ちゃん♪」
「・・・何か物凄くバカにされているような気がするんだが」
「駄目だよ兄さん、被害妄想は」
あえて先ほどの義之の言葉を使って皮肉る由夢に、義之は眠そうな顔をしかめて歩きだす。
するとすぐに音姫も隣に並び、由夢はさらにその少し先をテクテクと歩き始めた。
「そういえばね。今日は由夢ちゃんも早かったんだよ?」
「へえ、あのグータラが?」
「そうなの。私が起きるより先に起きてたんだよ?もうびっくりしちゃったよ」
「何か理由があるのか?」
義之は少し先を行く由夢に聞こえるように、心持ち大きな声で質問する。
「え?」
「今朝、おまえも早かったんだってな。その理由だよ」
「あ、ああ。大したこと無いよ、うん」
さして際どい質問でもないのに、何故か慌てだす由夢。
必死にポーカーフェイスを装っているが、その目には微かな動揺が映っている。
「怪しい・・・音姉、何か知らない?」
「う〜ん、そうだねぇ。そういえば今朝起きた時に、台所に立っているのを見・・・」
「お、お姉ちゃん!余計なことを言わないで!」
目に見えるほどの狼狽を見せ、二人の所まで戻ってくる由夢。
「何だよ?気になるじゃないか」
「や、に、兄さんには関係のないことだからっ!」
顔を紅潮させているその様は、恥ずかしがっているようにも見える。
「弟くんには関係ない・・・朝早くに台所・・・・・・あ、そういうことかぁ」
何かを考えるようにぶつぶつと言っていた音姫が、急に何かがわかったようにポンと手を打ち、由夢に向けてにっこりと微笑んだ。
「なるほど、だから早起きだったんだね?」
「な、なに?」
「もう由夢ちゃんたら〜、言ってくれれば手伝ったのにぃ。あっ、でもそれだと意味無いか」
「お、お姉ちゃんが何を考えてるのかは知らないけど、違うんだからねっ?」
「はいはい。あ〜、でも私も久しぶりにしよっかなぁ」
「も、もう、お姉ちゃんっ」
姉妹仲睦まじく、スタスタと義之の先を歩く。
「お〜い、俺だけ仲間外れですか?」
「や、兄さんには関係ないから」
「うんうん、そうだね。弟くんには関係ないもんね」
何となく疎外感を受け、前方に放った義之の声も、振り向いた姉妹に一蹴されてしまった。
「かったり・・・」
由夢の口癖とも言えるそれをため息と共に漏らし、義之は視界を澄み渡った青空に転じる。
視線を移す前に目に入ったのは、おしゃべりを続ける姉妹の背中と、由夢のカバンにぶら下がっている膨らんだ巾着袋だけであった。
D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS
「自由な夢を・・・」
Written by 雅輝
<6> 膨らんだ巾着袋
「お〜い、義之〜。由夢ちゃんが来てるぞ〜」
「え、由夢が?」
ようやく午前の授業も終了し、丁度義之が学食にでも行こうと席を立った時だった。
声がした教室のドアの方を見てみると、確かに義之を呼んだ渉の向こうに見覚えのあるリボンが揺れていた。
わざわざこの教室に来るほどの用事があっただろうか?と、義之は首を捻りつつもとりあえず呼んでくれた渉に一言礼を言ってから教室を出る。
「あっ、よかった兄さん。まだお昼ご飯食べに行っていなかったんですね?」
廊下側の窓にその小さな背中を預けていた由夢が、今朝の大きな巾着袋をぶら下げ義之を出迎える。
「ああ、まあな。んで、どうしたんだ?金なら俺も今月はピンチだから貸してやれんぞ?」
「要りません!はぁ、どうしていきなりそういう発想になるんですか・・・」
「俺の脳内は常人では計り知れんのだ」
「ところで兄さん。ちょっと付き合ってもらいたい場所があるんですけど」
「おいおい、そこでスルーしてくれるな。ツッコんでくれないと、俺がイタイやつみたいじゃないか」
この兄妹の掛け合いに、廊下にいた数人の生徒が失笑している。
そのほとんどは、義之に対する同情の目でもあったが・・・。
「で、どうなんですか?」
「ああ、まあいいけどよ。学食か?」
「いえ、保健室です」
「・・・は?」
「で、由夢さんや」
「何です?兄さん」
「とりあえずこの俺が昼飯も食べないで、保健室のパイプ椅子に座っているこの状況を説明してほしいのだが」
「すぐにわかりますって」
「こらっ、そう言いながらもさりげなく鍵を掛けるんじゃない!」
これで完全な二人きりの密閉空間が完成された。
いつもは保健室にいるはずの水越舞佳(みずこし まいか)教諭も、今は昼食のため外出しているらしい。
『なんだろう。何か・・・とてつもなく嫌な予感がする』
その義之の嫌な予感は、由夢が未だ手に持っている巾着袋を見るたびに色濃いものとなっていった。
――「う〜ん、そうだねぇ。そういえば今朝起きた時に、台所に立っているのを見・・・」
そして思い出される朝の音姫の台詞。
『!!・・・さて、どうやって逃げようか』
そこから導き出される結論にようやく辿り着いた義之は、とりあえず”それ”から逃れるためにあらゆる方法を脳内で画策し始めた。
『鍵を掛けられたということは外からの訪問者にはまず期待できんだろう。となると・・・窓をぶち破って逃げるか?駄目だ、ここは3階だった』
「――いさん?」
『だけど”あれ”に比べれば、まだ落下による衝撃の方が軽いかもしれない。いっその事、あの巾着袋ごと中身まで破壊しちまうとか・・・いや、そんなことしたら由夢に殺されるか』
「兄さん!?」
「っ!っと、由夢どうした?」
間近に迫っていた由夢に、義之は内心のかなり腹黒い考えを悟られないように冷静に返す。
「どうしたって・・・はぁ。もういいですよ」
「そうか?・・・で、何で保健室なんだ?」
とりあえず軽いジャブから打ってみる。
自分が導き出した結論が、ただ間違っていることを祈りながら。
「実は・・・お弁当を作ってきたんです」
『ぐふぅっ!!』
なのに渾身のストレートが返ってきて、ダウン寸前の義之。
傍目で見れば何でもないように見えるが、心の内ではかなりテンパっていた。
「・・・誰が?」
「私が」
「何で?」
「や、それは、えっと・・・」
何故か頬を染めて巾着の紐をいじりだす由夢。
そんな妹の姿に微笑ましさを感じつつも、今の義之にはそれを表現する余裕が無い。
「な、何でもいいから早く食べてください!・・・はい」
そう言って由夢は巾着袋から取り出した2つの弁当箱の内、少し大きめな方を義之に手渡す。
その弁当箱を受け取るには正直憚られた義之だが、目の前で笑んでいる由夢がやけに怖かったので大人しく受け取ることにした。
「・・・」
でも弁当箱を開くには至らず、義之はフルスピードで回転し続ける脳で打開策を見出そうとしていた。
「・・・どうしました?”開けて”いいんですよ、兄さん」
「・・・あ、ああ」
しかし由夢の「開けて」が酷く強調された台詞に、とうとう義之も観念してその蓋を開けてみた。
「うわ」
「うわってなんですか!?リアクションおかしいですよ」
「いや、だって・・・」
思わず口をついて出てしまった言葉。
それも仕方が無いだろう・・・それほど見た目からその中身は破壊力抜群だった。
・・・黒かった。
なまじ弁当箱自体が可愛らしいピンク色だったので、それに囲まれた黒は否が応にも目立っていた。
「なあ由夢、一つ聞くが・・・これは食い物か?」
「し、失礼な!食べ物以外に何に見えるんですか!?」
「ん〜・・・角閃石?」
※注 角閃石……黒色・黒褐色の、柱状に割れやすい有色造岩鉱物
「何でそんなものをお弁当の中に入れるんですか!」
「じゃあ・・・石炭とか、練炭とか?」
確かに、”炭”という点ではあながち間違っているとは言えなかった。
「だから違いますって!」
「いや、だってこれはどう見ても・・・」
と、義之は箸でその黒色の物体を掴みながらしげしげと眺める。
”ボロッ”
「・・・」
――柱状に割れた。
「そ、それはちょっと油の温度を間違えて、焦げちゃっただけです」
”ちょっと間違った”くらいのレベルでは、到底ここまではいかないだろう。
むしろ一般家庭の設備で、どのようにしたらここまで焦がすことができるのか、義之は不思議でならなかった。
そしてとうとう運命の審判が下る時が来てしまった。
「で、でも味は良いはずですから。兄さん、食べてみてくださいよ」
『無理だよ、馬鹿』
そう言いたかった、でも言えなかった。
目の前で沈みがちだがそれでも健気に期待している妹に、そんなことを言うほど義之は堕ちぶれちゃいなかった。
「・・・」
もう一度弁当の中を見てみる。
先ほど割れたおかず(?)の中からは、微かにだが元食材の姿を確認できた。
どうやら食べられないものは入っていないようだ。
しかし・・・。
「・・・なあ由夢、知ってるか?焦げってさ、発ガン性物質なんだぜ?」
「うん。でも、私は兄さんがガンなんかに負けないって信じてるから」
爽やかな笑顔で言われた時点で、義之にそれほど選択肢は残されていなかった。
「じ、実はだな。もう既に昼食は買ってしまったんだ」
「え?」
「いやぁ〜、残念だなぁ。折角由夢の手作り弁当が食べられると思ったのに・・・」
「・・・嘘なんでしょ?」
「うぐっ・・・」
確かに自分でも下手な嘘だとは思っていたが、それほど今の義之は必死だった。
「ふう・・・もういいですよ」
「・・・え?」
そんな由夢の台詞に、今度は義之が驚く番だった。
見ると、由夢は悲しそうな顔で弁当箱を片付け始めていた。
「別にいいよ、食べてくれなくても。これ、捨てておきますから」
「ま、待てよ。何も捨てなくても・・・」
「失敗作だって、自分でもわかってるし」
「別に、本気で食べてもらいたいから作ったわけでもないし」
口ではそう言い張るものの、やはり巾着袋に弁当箱を入れようとする由夢の表情は冴えない。
『・・・はぁ』
内心そんなため息を吐きつつも、義之はそんな妹の表情に勝てない何かを感じつつ覚悟を決めた。
「由夢、箸をくれ」
「・・・別にいいですよ、無理しなくても」
予想外の台詞だったのか、一瞬動きを止めた由夢だが、すぐに拗ねたような顔で動きを再開する。
「無理じゃない、折角作ってくれたんだしな」
「・・・」
由夢はそんな義之の台詞に微かに嬉しそうな顔をして、期待と心配が入り混じったような瞳で再度弁当箱の蓋を開けた。
「ど、どうなっても知りませんからね?」
「まあ死にはしないだろ。・・・その一歩手前ぐらいまでは覚悟しているけどな」
後半の台詞は由夢に聞こえないように呟いた義之は、箸を受け取りおかずの中の1品を摘む。
「ちなみに聞くけど、これは何だ?」
「エビフライです。・・・ちょっと焦げちゃったけど」
『・・・そうか、エビフライかぁ』
もはや何も言うまい。
「どうしても食べたくなかったら、残してもいいよ」
口調はそっけないが、義之にもそれが強がりだということは百も承知だ。
むしろそんな事を言われると、どうしても残せないと思ってしまう。
『大丈夫、元はちゃんとした食材だったんだし。さすがに食物としての本質が変化することなんて無いだろう・・・たぶん』
「そ、それじゃあ頂きます!」
自らを奮い立たすように宣言し、目の前で微笑む由夢に見送られながら、義之はその黒色物体を口に運んだ。
”ガリッ!”
「・・・」
数秒後、”後悔”の二文字と共に義之の意識は徐々にブラックアウトしていった。
7話へ続く
後書き
いやぁ〜、今回はやけに遅れちゃいましたね^^;
帰郷したり、新しいゲームを買ったり、クラブに追われたりと、あまり執筆に時間が取れない日々が続いていましたから。
次回はもうちょっと早く更新できる・・・といいなぁ(笑)
さて、今回は由夢のお弁当のお話でしたが。
・・・まあ何と言うか予想通りですよね。
でもそこが由夢の可愛いところでもあるんですけど(爆)
まだシリアス部分突入までは時間が掛かりそうですねぇ。
せめてクリパ以降かな?まあほのぼのも書いてて楽しいんですけどね。
それでは、少し長くなってしまいましたが今回はこれにて^^