「――くん」

誰かの声が聞こえる。

ぼんやりと耳を打つその声は、温かくて優しくて。

しかし、何も見えない。

「――ゆきくん」

二度目のその声で、義之はようやく何も見えないのは自分の瞳が閉じられているからだと気付く。

「・・・?」

ゆっくりと両の目蓋を開けると、まず目に飛び込んだのは鮮烈な桜色。

そして次に映るのは、桜の木々たち。何本なんてレベルではない。何百本、何千本。はたまたそれ以上か。

桜公園の並木道とは、似て非なる光景。無数の桜木と無数の桜弁。

それらが並び立ち、また吹き荒れるその様は、とてもこの世の光景とは思えなかった。

「義之くん」

三度目の呼びかけ。まだ意識がハッキリとしない頭で、緩慢に振り返る。

「っ!さくらさんっ!?」

「やっほ〜。義之くん。元気だった?」

振り向いた先。視界に入ったのは、一人のショートカットの少女。

一本の巨大な桜の幹に背を預けて手を振っていたのは、行方を晦ましていた・・・芳乃さくら、その人であった。





D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS

             「自由な夢を・・・」

                      Written by 雅輝






<54>  愛しき人





夢。

彼女は、夢を見ていた。

人を待っている夢。

もう既に終業のチャイムがなった教室で、茜色の陽射しが差す自分の席で。

来るはずもない人を、ひたすらに待っていた。

やがて、場面は教室から別の場所へと移る。

そこは、彼との思い出が最も色濃く残っている場所であり。

また、一生分の涙を流した、決別の場所。

「枯れずの桜」の下で、一組の男女が抱き合っていた。

もうお互いを決して離さないと言わんばかりに。そして、お互いの気持ちを寄せ合うように、融けあわせるように。

無数の桜の花弁が、まるで二人を祝福するかのように舞っていた。





「ん・・・」

ゆっくりと意識が浮上し、由夢は目を覚ました。

視界に入るのは自室の天井。耳に聞こえるのは、まだ鳴っていない目覚まし時計の秒針。

由夢は一粒流れ落ちていた涙を軽く拭うと、全ての気持ちを凝縮したようなため息を吐いてみせた。

「・・・何で今更、あんな夢を・・・」

思わず不満が口に出る。

今更・・・そう、今更だ。

――桜の下で抱き合ってたのは、間違いなく義之と由夢であった。

だが、今の彼女には・・・その夢は酷すぎた。

わざわざ実現不可能な夢を見たところで、そんなの皮肉も良いところだ。

「はぁ・・・」

由夢はもう一度深いため息を吐くと立ち上がり、姉の料理が出迎えてくれるであろう階下へと足を運んだ。





「おはよう、由夢ちゃん」

「おはようございます」

「朝倉さん、明日提出の宿題終わった?」

「いえ、後1問がどうしても解けなくて・・・」

代わり映えのしない、学校生活。

音姫と一緒に登校し、教室ではクラスメイトと談笑し、昼食は美冬と学食で取る。

淡々と過ぎ行く日常。ただ、そこに彼の存在だけがぽっかりと空いている。

しかし、由夢は憶えている。彼女の姉である音姫も。

彼の存在を。大事な家族を。

そして今日も由夢は、放課後を告げるチャイムが鳴っても自分の席から離れようとはしなかった。

それは、あの日からの毎日の日課。授業が終わっても、こうして教室でただ時間を過ごし、暗くなる頃にようやく帰る。

ただ想うのは、消えてしまった彼のこと。

――「・・・必ず帰る。いつになるか分からないけど、絶対に。だから、待っててくれ」――

あの日、彼と交わした約束を果たすために。

一人、また一人と教室を出て行くクラスメイトと挨拶を交わしつつも、自分は教室を出て行こうとしない。

そして、今日もまた教室には由夢一人となった。

窓際の席に座りながら、ぼんやりと外の桜を眺める。

「そっか・・・もう、桜が咲く季節なんだね・・・」

今年も綺麗に咲き誇った桜を見ながら、ぼんやりと呟く。

姉は自分が枯らした桜が、ちゃんと春に花弁を付けるかどうか気にしていたようだが・・・どうやら杞憂に終わったらしい。

――もう「あの日」から、既に2ヶ月が過ぎようとしていた。

明日は修了式。しかし由夢には、2年生が終わることにも、3年生になることにも、まったくもって実感が湧かなかった。

この2ヶ月間は、彼の事を考えながらただ惰性に過ごしてきただけなのだから。

「――――あれ?」

やがて茜色も薄くなり始めて。そろそろ帰ろうかと腰を上げかけた由夢の脳裏に、一つの光景が過ぎる。

それは、今朝見た夢。枯れずの桜の下で抱き合ってた、二人の姿。

そう――「夢」だ。

『そういえば・・・私の夢は・・・』

そこに考えが至った瞬間、由夢は鞄も持たずに走り出していた。

乱暴に教室を出て、そのまま階段を駆け下り昇降口を抜ける。

流れゆく景色の中、由夢は確信に似た想いを抱いていた。

――予知夢。魔法の桜が自分に授けた、出来損ないの魔法。

この2ヶ月間。由夢が予知夢を見ることはなかった。桜が枯れたのだから、それと共に能力も消滅したのだと思っていた。

しかし、なら変ではないか。

”どうしてこの2ヶ月間、普通の夢も見られなかった?”

能力を失っていたとするならば、また以前――能力を得る前のように、普通の夢が見られるようになるはずだ。

それを見なかった。それはすなわち、まだ能力が失われていない証拠なのではないだろうか。

勿論、それはあくまでも可能性の一つだ。2ヶ月間、一切夢を見ないことだって、100%あり得ないとは言い切れない。

「・・・っ」

由夢は考えるのをやめ、さらにスピードを上げる。

そして、桜公園の奥地にある開けた場所へと足を踏み入れた。

「――――」

誰も、いない。

見渡す限り、目に映るのは一本の巨大な桜木と、舞い踊る桜の花弁たち。

「・・・ははは」

思わず、渇いた笑いがこみ上げる。

涙は流れない。あの日、全てここで流し尽くしてしまったから。

ふわふわとした足取りで、ゆっくりと由夢は桜の元へと足を進める。

そして力が抜けたかのように桜の幹にポスンともたれかかった。

「・・・兄さん」

そして思わず口から漏れ出たのは、この二ヶ月間決して口にすることはなかった言葉。

思い出してしまうと、激情に駆られてしまうから。

「何だ?由夢」

「・・・え?」

――頭が、真っ白になった。

幻聴にしてはあまりにも性質の悪い、記憶にこびり付いている優しく穏やかな声。

「にい・・・さん?」

もう一度、呼びかけてみる。

「ああ・・・聞こえてるさ」

再び聞こえてくるのは、やはりあの声。

――世界で誰よりも愛しい人の存在が、由夢の背中・・・幹越しに、確かに感じられた。

「――っ」

言葉にならない感情が、胸の中を蠢く。

振り向きたいのに、振り向けない。振り向いた瞬間、何もかも消えてしまうのが怖い。

しかし、義之は尚も言葉を紡ぐ。

それは、物語の終焉を真に告げる、優しく・・・そして温かい言葉。

「ただいま・・・由夢」

「っ!!兄さぁぁぁぁんっっ!!!」

その一言に、もはや恐怖心は霧散していた。

由夢は彼を幹に押し付けるように、感情をぶつけるように、愛しき人の胸に飛び込んだ。

「兄さん!兄さん!兄さん!!」

何度も、何度も、呼びかける。

その存在を二度と離さないように。二度と失わないように。

「由夢・・・」

そして義之も、彼女の名を一言呟いて、それ以上は何も言わずにただ愛しき人を抱きしめる。

二ヶ月間という、二人にとっては虚無な時間を経て。

彼らの想いは、心は、今再び・・・そして永遠に重なる。

――絶望の未来は、一人の魔法使いの手によって書き換えられた。



最終話 55話へ続く


後書き

ども〜、今回は先週のリベンジとばかりに頑張りました^^

いよいよ次の話で完結です。やはりここまで来ると、少々感慨深いものが・・・。

今回は、ゲーム本編でいうところのエピローグ。いかがでしたでしょうか?

本編とはまた違う形で再会を果たしてみたわけですが・・・少しでも感動していただけましたでしょうか。


次回は本来なら「美冬の恋心」の更新ですが、後1話ですし先にこちらを仕上げたいと思います。

ラスト1話。皆様、最後までお付き合いくださいませ〜^^



2007.7.22  雅輝