その日の夜。
家に帰ってからの時間をいつも通り穏やかに過ごした二人は、義之の部屋で同じベッドに入っていた。
交わす言葉はほとんどなく、義之は何かを考えるように既に消えている電灯を見つめ、由夢は心持ち寄り添うように義之の胸に頭を預ける。
互いに無言の空間。ただ聞こえてくるのは、アナログ時計が発する秒針の音だけ。
いつもなら心地良い子守唄になるはずのそれも、今の義之にとっては考えを眠りを妨げる雑音でしかなく。
また由夢にとっても、その音のひとつひとつがまるでカウントダウンのように聞こえて、気持ちは重くなる一方だった。
「・・・由夢」
静寂を破る義之の静かな声に、由夢は胸から顔を上げて反応する。
「・・・・・・いや、何でもない」
「む。途中で言うのをやめないでよ。気になるじゃない」
「あぁ、ただその・・・好きだぞって、言いたくてな」
「・・・へ?」
そのあまりにも直球な言葉に、呆けたように呟く由夢。
次第にその意味が浸透してきたのか、頬を赤くしてうろたえ始めた。
「はは、リンゴみたいだな」
「・・・兄さん、からかったんですか?」
真っ赤な顔で上目遣いに睨んでくる妹――もとい恋人の姿に、義之は笑みを消して真剣な表情を作る。
「からかったわけじゃ・・・ないさ。俺の、素直な気持ちだからな」
「?・・・兄さんんぅっ!?」
いつもとは様子の違う義之に呼びかけようとしたその言葉は、突然重ねられた義之の唇によってくぐもってしまった。
普段の彼なら決してしない、衝動的なキス。
しかしそんな事も、彼がそっと差し出してきた舌に自らのものを絡めればどうでもよくなってくる。
「・・・・・・はぁっ」
30秒ほど後。どちらからともなく唇を離し、互いの舌に掛かっていた銀の橋がぷっつりと途切れる。
義之の瞳は尚、由夢を真っ直ぐに捉えていた。
「にい・・・さん?」
ポヤーッとした様子で問いかけてくる恋人を、義之は一呼吸置いて力強く抱きしめた。
「にい――」
「頼むから、今は何も聞かないでくれ・・・」
その細い体を抱きしめる義之の体は、小刻みに震えていた。
勿論、寒いわけではない。暖房は標準温度に設定してある。
「・・・」
その震えの正体が何となく分かった由夢は、その背中に腕を回し何度も撫でる。
そして、全てを包み込むような優しい声で。
「私は、兄さんになら何をされてもいいよ?」
「由夢・・・いいのか?」
「正直言って、ちょっと怖いけど・・・これは、私にとっても大事なことだから」
「でも・・・」
尚も心配する義之の口を、自らの口で塞ぐ。
まるで、これ以上の言葉はいらないと表現するように。
「兄さん・・・」
「由夢・・・」
衣擦れの音と共に、二人の夜は明け方近くまで続いた。
D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS
「自由な夢を・・・」
Written by 雅輝
<51> 消えていく中で
「ぐっ・・・ん・・・」
胸の置くからこみ上げて来るような不快感に、義之は眠っていた意識を覚醒させた。
目を開けてもぼんやりとしている。頭も重く、気分も悪い。
間違いなく、今までの人生の中で最悪の目覚め。
『こりゃ・・・ちょっとヤバいかもな』
自分がどんどん希薄になっていくような、そんな本来ならありえない感覚が全身を襲っている。
「・・・ふうっ」
義之は大きく息を一つ吐いて、軋む体を何とか起き上がらせた。
首を巡らすとそこには、毛布を被った一糸纏わぬ由夢がすうすうと穏やかな寝息を立てている。
『・・・起こしてやるのも、可哀想か』
そんな彼女を数秒間、慈しむように眺めた後、体を奮い立たせるようにベッドから抜け出す。
由夢の体温が、体から逃げていく。
そう知覚した瞬間、ベッドの脇に立ち上がった義之の体は歩き方を忘れてしまったかのように力を無くし、そのままフローリングの床に倒れこんだ。
「・・・んぅ・・・あ・・・え?に、兄さん!?」
その大きな音に目が覚めたのか、目の前の状況を瞬時に理解した由夢は毛布を抜け出し義之を抱き起こす。
・・・徐々に、体に力が戻っていく。
「・・・由夢、起こしちまったか」
「それより、大丈夫なの?」
「ああ、ちょっと立ちくらみがしただけだって。さ、朝飯でも食おうぜ」
何でもない風を装って、すくっと立ち上がる義之。
「・・・と、その前に・・・」
「え?」
「服・・・着るか」
「・・・あ。う、うん」
互いに何も身に付けず、向かい合っていた二人。
そんな二人の間に、何とも微妙な空気が流れたのはいうまでもなかった。
「兄さん、大丈夫?」
「ああ・・・すまんな。どうにも貧血気味で」
通い慣れた通学路を、二人で寄り添いながらゆっくりと歩む。
もはや義之の体は立っていられるような状態ではなかったが、それでも由夢に心配を掛けたくない一心で今日も学校へと赴く。
・・・しかし、義之は思う。
もう既に、由夢は気付いているのだろうと。
彼女の目の前で二度も倒れたし、今だってどことなく力が入らない体を、支えてもらっている状態だ。
これで気付かないと考える方がおかしい。
『・・・どこまで知ってるんだ?』
単に、体調が悪いと思っているだけなのか。
それとも・・・全てを知り、それでも尚こうして健気に接してくれているのか。
――答えは、何となく後者なような気がした。
校門をくぐる頃には、だいぶ体の調子も楽になってきた。
とはいっても、これならまだ38度の高熱の方がマシだと言える程度に、だが。
それでも、やはり学校という場に来ると不思議と安心感が湧いてくる。
「どうする?卒パまであんまり時間ねーし・・・そろそろバンドのこと決めとかないと」
「う〜ん・・・ななかはどう?私達のバンドに入ってくれる?」
「うん、そうだね。今年は特にすることもないし、別に大丈夫かな。人前で歌うのはちょっと恥ずかしいんだけどね」
その時、義之たちの横を通り過ぎる見知った三人の姿。
「おっす!おはよう」
義之は彼らに、片手を軽く挙げて声を掛けた。
・・・だが。
「でも、ボーカルにベースにドラム。・・・ギターがいねーんだよなぁ」
「そだねぇ。・・・渉くんが前の人をクビにしちゃったから」
「お、俺のせいなのか?」
「でもまああの時は、私も板橋君と同じ気持ちだったし・・・しょうがないんじゃない?」
三人であーだこーだと言い合いながら、校舎の中へと消えていく。
「・・・」
義之は無言で、上げていた手を力なく下ろした。
「あら、天枷さん。おはよう」
「おはよ〜」
「あっ、雪村先輩に花咲先輩。おはようございます」
次に背後から聞こえてきたのは、これまた聞き覚えのある3つの声。
「それにしても美冬ちゃんって・・・やっぱり可愛いよねぇ」
「え?あ、あの・・・」
「ふふ。確かに、白河さんとはまた違った可愛さよね。ミスコンで2位を取ったのも納得がいくわ」
「おいおい、あんまり下級生をイジってやるなよ?」
義之が、苦笑交じりに近づきながら声を掛ける。
そして、また。
「どう?今度一緒に遊ばない?お姉さん達が優しく手解きしてあげるわよ♪」
「いや、その、えっと・・・」
「大丈夫よ。最初は誰だって緊張するけど、慣れればどうってことないから」
「な、何の話なんですかぁぁ〜〜〜」
拘束されるように美冬が校舎の中へと連行される様子を見て、義之は空を仰いでため息を一つ。
――分かってはいた。
もしかするともう既に今日、誰の記憶からもいなくなっている自分がいることを。
だが、現実はここまで冷たく、厳しいものなのか。
悪友として共に2年間を過ごし。おそらく最も仲の良い男友達となった渉。
出会ったのはつい最近だが、過剰なスキンシップとお茶目な言動で、大切な親友の一人となったななか。
小学校の頃からの付き合いで、おそらく親友達の中では一番共に過ごした時間の多い、小恋。
毒舌家だが冷静に物事を判断できるため、イザというときはとても頼りになった杏。
その高いテンションにいつも気圧され気味だったが、だからこそ楽しい時間を作ってくれた茜。
そして・・・由夢の親友で、自分の事もお兄さんと慕ってくれた美冬。
皆・・・皆、忘れてしまった。
もはやこの学校には、義之を覚えている者など誰一人としていないだろう。
「兄さん・・・」
彼の腕をそっと抱きしめ、不安そうに見上げている最愛の恋人以外は。
そしてそのことが、今は何よりも大切に思えた。
絶望の淵に立たされた義之の心を、何とか繋ぎとめている存在。
「学校・・・サボろっか♪」
――この柔らかな笑みに、自分は今まで何度救われただろうか。
52話へ続く
後書き
どうも、雅輝です^^
今週はテスト期間でしたが、昨日今日で何とか書き上げUPに成功・・・(汗)
流石に期間中は書けませんでしたねぇ。・・・テストの結果が伴っているかはまた別ですが(ぉ
で、今回はなんか痛い話になってしまいましたm(__)m
でもこれも、クライマックスに向けて必要な描写なので。
・・・というかそれより、冒頭に凄いシーンを入れてしまったような・・・。
気のせいですね。うん、きっとそうだ(←死
まあ18禁は書けないですからねぇ。あれでご勘弁を。
それでは、次は「美冬の恋心」の更新となりますので、2週間後ですね。
アディオース(ぇ