日付は変わって翌日。

昨日と同じ様な・・・いや、それ以上の最悪な目覚めで起床した義之は、手すりに縋るように階段を下っていた。

「ったく・・・二日目でこのざまかよ。かっこわりぃな」

自分自身の体に悪態をつきながら、どうにかリビングのドアを開ける。

「あ、兄さん。おはよう」

とそこには、いつかのように制服にエプロンをした姿の由夢が、フライパンを片手にキッチンに立っていた。

「おう、おはよう。朝飯作ってくれてるのか?」

義之は由夢に心配を掛けまいと平生を装い、慣れた動作で食卓に着く。

「うん、今日は早く目が覚めたからね」

「へぇ、珍しいこともあるもんだ。こりゃ今日は傘を持っていった方がいいか」

「むっ、そんなこと言ってると、卵焼きにレッドペッパーを混ぜちゃいますよ?」

「じょ、冗談だって。・・・っていうか、この家にレッドペッパーがあること自体ビックリだよ」

いつも通りの、軽口の応酬。しかしそんなことでさえ、今の義之の体には堪える。

義之はそれを誤魔化すように、テーブルの上に置いてあった新聞紙を広げ一面記事を眺めた。

「あ・・・」

そこには、大きな見出しでこう書かれていた。

――初音島の神秘の桜、枯れる――

昨日の朝刊発行時にはまだ事件は発覚していなかったので、新聞社も今日の朝刊に特集を組んできたのだろう。

「――っ」

義之は瞬時に新聞を閉じると、そのまま何かに導かれるようにベランダから見える庭に視線を向けた。

そこにあるのは威風堂々とした、齢何百年と言われる芳乃家の桜。

しかし何故だろう。花びらが付いていないというだけで、これ程までに哀しく・・・淋しく感じるのは。

”――ドクンッ”

「くっ・・・?」

そしてソレを感じた瞬間、突然の発作のように義之の体から力が抜けていく。

頭は酷く混濁し、四肢にはまるで力が入らず・・・胸はポッカリと穴が開いてしまったように空虚感が包む。

「ぐ・・・ぁ・・・」

もはやバランスなど保てなくなった義之は、たまらず派手な音を立てて椅子から転がり落ちた。

「え・・・に、兄さんっ!?」

その音に振り向き、義之が倒れているのを目にした由夢は、フライパンに掛けている火すらそのままに義之の元へと駆け寄る。

「一体どうしたの!?兄さん!兄さん!しっかりして!!」

由夢は細い腕で義之は抱き起こすと、そのまま泣き叫ぶかのように義之の名前を呼び続けた。

『由夢・・・か・・・?そうだ、俺は由夢のためにも・・・』

――諦めるわけにはいかない。

歪んだ意識の中、義之はただそれだけを思い彼女の温もりを感じる。

すると、先ほどまであんなに空白だった胸は満たされていき、体の痺れるような痛みも収まり、意識も徐々にハッキリとしてきた。

「由夢・・・」

「兄さん・・・大丈夫なの?いきなり倒れたから、私・・・」

由夢の瞳が不安に見開かれ、その瞳には大粒の涙が溜まっていく。

「・・・ああ、大丈夫だって。ちょっと立ちくらみがしただけだから」

「立ちくらみって・・・兄さん座ってたじゃない」

「それもそうか。じゃあ、座りくらみってコトで」

冗談ぽくそう言う義之に由夢は呆れながらも、彼の体をぎゅっと抱きしめる。

「もう・・・本当に大丈夫なの?」

「ああ。だから・・・もう少し、このままで」

「・・・うん」

義之の言葉に由夢は素直に頷き、半分膝枕のような状態でその倒れた体を抱きしめ続けた。





D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS

             「自由な夢を・・・」

                      Written by 雅輝






<49>  姉妹の語らい (前編)





「でも、本当に大丈夫なの?家で休んでても良かったのに・・・」

結局あれから数十分ほど休んだ義之は、何とか動くようになった体で由夢と一緒に学園の校門をくぐっていた。

「大丈夫だって。ちょっとした貧血なんだから」

隣で心配する由夢を余所に、何でもないことのように振舞う義之。

正直、今歩いている――いや、立っていることにすら苦痛を感じる体。

それを動かしているのは、やはり由夢に心配を掛けたくないという想いであり。

そして後どれほど学校に来られるか分からない自身の体に対しての、ささやかな抵抗でもあった。



「あっ。おっはよ、由夢ちゃん。丁度良かった」

もうすぐで昇降口に辿り着こうかというその時、逆に昇降口から出てきたまゆきに声を掛けられた。

「おはようございます。高坂先輩」

「うっす、まゆき先輩。今日は早いですね」

まゆきに続いて、由夢と義之も挨拶を返す。

それはいつも遅刻ギリギリを走って登校してくるまゆきに対する、義之なりのちょっとした皮肉だったのだが、まゆきはそれにはまるで反応を示さずそのまま由夢に問いかけた。

「それでさ、由夢ちゃん。音姫は?」

「え・・・あ、お姉ちゃんですか?今日は朝早くから家にはいませんでしたけど・・・学校には来てないんですか?」

義之の挨拶を無視するかのように問いかけてくるまゆきに由夢は疑問を憶えつつも、とりあえず答えを返す。

それに対してまゆきは不満そうな、呆れたような表情を見せため息を吐いた。

「こっちには来てないけど・・・。はぁぁ、今日は朝から会議があるってあれほど言っておいたのに、やっぱり忘れてたかぁ」

「あ、あの!高坂先輩?」

「ん?」

由夢は先ほどの疑問を解消させようとまゆきに声を掛け、そのまま無言で義之の方へと視線を送る。

まゆきはその視線につられるように義之の方向を見るが、その顔はキョトンとしていた。

そして一言。

「・・・どうしたの?何か見える?」

「「・・・」」

二人の顔が凍りつく。

しかしこの結果を、義之は早い段階から覚悟していた。

先ほど自分が返した皮肉に何も反応しなかったことから、もしかしてとは思っていたのだ。

だがやはり・・・馴染み深い人に忘れられるという現実は、覚悟していたとはいえ些かショックであった。

「あ、あの・・・」

”キーンコーンカーンコーン・・・”

由夢が再度まゆきに問いかけようとした言葉は、チャイムにかき消されてそのまま雲散する。

「あっと!もう予鈴か。じゃあ由夢ちゃん、音姫と連絡取れたら知らせてね?」

「じゃねっ」と明るく言い残して去っていったまゆきとは対照的に、そのまま一歩も動こうとはしない義之と由夢。

「・・・ははは。いやぁ、俺なにかまゆき先輩を怒らせるようなことしたかなぁ?」

数秒後、先に立ち直った義之が渇いた笑いを零しながらおどけてみせる。

「・・・兄さん」

しかし由夢はそれには答えずに、まゆきの去っていった方向を見つめながらぽつりと彼の名前を呼んだ。

「ん?」

「・・・私、ちょっと家に忘れ物しちゃったから取りに行ってくるね?」

ニコリと。

いつもと変わらぬ笑みを浮かべながら体を反転させる由夢。

「え?あ、ああ」

由夢の唐突な態度に面を食らう義之であったが、特に引き止める理由も無いので曖昧な返事を返す。

それに対して由夢は、「じゃ、また後でね」と最後に小さく手を振りながら、若干早足で学校を出て行った。







校門を抜け、もう義之の目から自分の姿は映らないだろうと判断した由夢は、慌てて登校してくる生徒を尻目に猛然と駆け出した。

登校してくる者は皆驚きの目で由夢を見るが、今の由夢にはそんなことに構っている暇など無い。

早く・・・一刻も早く、「真実」を知りたかったから。

『居るとしたら・・・やっぱりあそこかな?』

頭で思い描く場所を目指して、さらにスピードを上げる。

――義之に対して言った”忘れ物”というのは、当然のことながら嘘であった。

だからこそ家の方向ではなく、桜公園の街道を逸れてそのさらに奥へと進んでいる。

島の中心に威風堂々と佇む――今はもう枯れてしまっているであろう、一本の桜の巨木を目指して。

「・・・はぁっ・・・はぁっ・・・ふぅっ・・・」

すっかり淋しくなってしまった桜の木々を抜け、目的の場所に到着した頃には由夢の息は上がりきっていた。

それでも、持っていた学生鞄を握りなおし辺りを見渡す。

目的の人物は、桜の幹にもたれながら空を見上げていた。

「・・・お姉ちゃん」

「由夢ちゃん・・・?どうしてここに?」

呼ばれてこちらを振り向いた音姫は咄嗟に疑問を口にしたものの、不安に揺れる妹の表情を見て納得したような苦笑を漏らした。

「そっか・・・気付いたんだ。弟くんから聞いたの?」

「・・・ううん。兄さんからは何も聞いてないよ。詳しいこともほとんど知らない」

由夢は桜の木へと歩み寄りながら、「ただ・・・」と言葉を続ける。

「桜が枯れたことと、兄さんが倒れたこと。そして・・・高坂先輩が、兄さんに気付かなかったこと」

「それでね。何となく分かっちゃったんだ。・・・あの桜が魔法の桜だってことは、お母さんに聞いたことあったしね」

「・・・うん」

俯くようにして肯定の頷きを見せる音姫の横を由夢はゆっくりと通り過ぎ、そのまま彼女とは反対側の桜の幹に背中を預ける。

「この桜を枯らしたのも・・・お姉ちゃんでしょ?ここ数日は思い詰めているようだったし・・・」

「・・・」

沈黙は肯定。そう受け取って、由夢は言葉を続ける。

「でもね。私が知ってるのはここまで。桜が枯れたことでどんな影響が出るのかは知らないし、桜を枯らした理由も知らない」

「私が知ってるのは・・・確定された”未来”だけ。そこに至る経緯も、理由も、過程も知らない」

「だから、教えて欲しいの。お姉ちゃんが知ってることを全部」

「今まではどうにもならなかったけど・・・今度こそ、未来を変えたいから」

このまま予定調和な日々を送るなんて、耐えられない。

今出来ることを精一杯やれば、必ず・・・違う未来に辿り着ける。

――しかし、そんな健気な希望も絶望へと変わる。

「無理よ」

「え・・・?」

背中越しに聞こえる冷たい無感情な声。

「手遅れなの。もう・・・最後のボタンは押されてしまったから」

そして音姫は訥々と語り始めた。

桜の暴走によって確定された、悲しい結末を――。



50話へ続く


後書き

今回は予想以上に長引いたので、2話に分けることにしました。

オリジナル・・・とはいっても、かなり本編の設定も食い込む場面なので半オリジナルといったところでしょうか。

まあとにかく、義之の状態に異変を感じ、音姫のところを訪ねる由夢。

この辺は難しいんですよねぇ。由夢が義之の体のことを知らないという設定自体を変えましたが、そこはご容赦を^^;

次回はこの続き。音姫から話を聞き、由夢は果たしてどんな行動を取るのか?

ってことでまた次回〜^^



2007.5.20  雅輝