D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS

             「自由な夢を・・・」

                      Written by 雅輝






<47>  正義の魔法使い





ひらり、はらりと。

桜が舞っていた。

堂々たるその幹から伸びる枝に、幾千もの花弁を携えて。

「枯れずの桜」は桜公園の奥で、今日も静かに花弁を舞わせていた。

そしてその桜の前で、向かい合うようにして佇む一組の男女。

少女は雄大な幹に背を預け、少年はそこから数メートル離れた場所で桜の巨木を見上げる。

元々陽が短い冬という季節。夏ならまだ夕方と呼べるこの時間帯でも、既に陽は沈みかけていた。

陽の残照と桃色の桜が織り成す光景を前に、義之がほうっと吐息を漏らす。

その吐息を合図にしたように、それまで俯いたまま何も喋ろうとしなかった音姫がようやくその口を開いた。

「ねえ、弟くん。不思議に思ったコトは無い?」

「え?」

唐突な質問。その言葉の意味が分からず、義之は音姫に視線を移すと首を傾げてみせた。

「夏でも、秋でも、冬でも・・・そして勿論春でも。一年中花びらを付ける桜たち」

「ああ・・・不思議に思ったことはあるけど。でも、もう今更だろ」

ようやく問いの意味を掴めた義之は相槌を打ちつつも、肩を竦めた。

そう、今更だ。

何せこの現象は、自分がまだ幼いときから絶え間なく続いている現象なのだから・・・。

「そうだよね。誰も不思議に思わない。むしろもう当たり前の光景となってしまっていて、もし今枯れちゃったら逆に違和感があるかもしれない」

「でもね。この桜が枯れないのは・・・ちゃんとした”理由”があるんだよ」

「え・・・」

義之はその言葉に目を見開き、音姫はそんな義之から視線を逸らすとクルリと反転し、その桜の巨木を慈しむように撫でた。

そして、昔語りが始まる。

「今からだいたい50年ほど前。この枯れずの桜は一度その花びらを散らして、そしてまた10年前に咲き誇った」

「今まで何人もの科学者が研究を重ねては挫折してきたその問題も、実はたった一言で片付いちゃうんだよ」

「・・・」

義之はゴクリと唾を飲み込み、音姫の言葉を真剣な表情で待つ。

張り詰めた空気。それを打ち消すかのように、僅かに苦笑する音姫の口から言葉が発せられた。

「それは、この樹自体が不思議な樹だから。人々の願いを叶える魔法の桜・・・それが、この樹の正体なの」

「魔法の・・・桜?」

「そう。人々の想いの力を集めて、願いを叶えられるくらいの奇跡を起こす。そんな魔法」

「ひとりの魔法使いが夢の世界を作るために植えて、一度枯らして・・・また10年前に植えられた魔法の樹」

「・・・」

義之の頭の中には様々な疑問が飛び交うが、それらは言葉にならず・・・また今言うべきではないことも分かっているので、そのまま静かに彼女の言葉を待つ。

「誰かを、何かを想う力が集まって、人の願いを叶えるために奇跡を起こす。それは確かに素敵な魔法だと思う」

「でもね。この魔法の樹には、人のどんな願いでも・・・たとえそれが悪意に満ち溢れる願いだとしても無差別に叶えてしまうという、決定的なバグがあったの」

「それって・・・じゃあ、今島内で起こっている事件は・・・」

義之がハッと気付いたように呟くと、音姫は悲しげに瞳を伏せコクリと頷いた。

「・・・うん、そう。誰もが持っている嫉妬や羨望、そして純粋な悪意。それらを桜が具現化している結果」

「今はまだ幸い大きな被害は出ていないけど・・・でも、このまま放っておくともっと大きな事故が起きて、もしかすると死ぬ人も・・・」

言葉の続きを敢えて伏せた音姫の台詞に、義之は背筋がゾッとした。

確かに、もし桜が原因なのだとしたら、必ずしも死者が出ないとは限らないのだ。

むしろ、今まで出なかったのが不思議なくらいだ。しかし、このまま桜が暴走を続ければいずれ必ず・・・。

「だから私は枯らすの。・・・この島を、この島に住む人々を救いたいの」

「ううん。救わなくちゃいけない。この島の人たちが大好きだから。そして――」

「それが、正義の魔法使いである私の使命だから」

ゴウッ!と、旋風のような強い風が巻き起こる。

音姫の台詞に呼応するかのように、桜がざわめき始める。

義之は、そんな様子をどこか遠くの世界のことのようにぼんやりと見つめていた。

『正義の・・・魔法使い、か』

かつて、その言葉は二度耳にしたことがあった。

一度目は、母親である由姫が死に、心を閉ざしていた音姫が義之に対して初めて微笑んでくれたあの日。

――「それは、私は正義の魔法使いだから」――

――「困っている人がいたら助けてあげる、正義の魔法使い」――

そしてさらにその昔。義之としても思い出したくない過去。

由姫の容態が悪化し、もはやベッドから抜け出せなくなった体で・・・最期に義之に伝えた言葉。

――「あの子も・・・音姫ちゃんも、きっといつか悩む日が来ると思う。自分が成し遂げなければならないことから、目を逸らしてしまうかもしれない」――

――「でも、そういう時はあなたが傍に居てあげて?あの子が自分の役割を果たせるように」――

――「正義の魔法使いとして、最後まで頑張れるように・・・」――

その頃はまだ子供で、母親のような存在を失うことが何よりも哀しくて、あまりその意味を深く考えたことはなかったのだが・・・。

『こういうことだったんだな・・・』

けれど、それほど問題があるようには感じない。

そんなに危険な魔法ならば、音姫の言うように枯らせばいい。

島の様子は変わってしまうだろうが、元々が奇怪な光景だったのだ。数年も経てば皆慣れるに違いない。

それなのに・・・なぜ彼女はこれほどまでに悲しい表情をするのであろうか。

「・・・桜を枯らすと、何が起きるんだ?」

「何も・・・起こらないよ。事故の元凶が消えるだけ」

「たったひとつのものを除けば・・・ね」

音姫は閉じていた目蓋を言葉を共にゆっくりと開くと、揺れ動く瞳で義之を見つめる。

義之にはその瞳が、言葉よりも雄弁に真実を語っているように感じた。

「・・・冗談・・・じゃなさそうだな」

「冗談だったら、本当に良かったのにね・・・」

音姫は義之から視線を外すと、また桜の巨木を見上げた。

桜は相変わらず散り続け、そして咲き続けている。

「弟くんはさ。小さい頃の・・・さくらさんに拾われるより前の記憶が無いんだよね?」

「え?あ、ああ。そうだけど」

突然向けられた質問に、義之は一瞬躊躇するも素直に頷く。

「それも当然なんだよ。だって弟くんは・・・あの日に生まれたんだから」

「・・・は?」

呆けたような声を出す義之の反応は、当然と言えるだろう。

自分はさくらに拾われたときの事はしっかりと憶えているし、まず何より年齢的にも計算が合わない。

しかし音姫はそんな義之の反応を尻目に、尚も淡々と言葉を紡ぐ。

「それは、一人の魔法使いが自身の魔力と桜の魔法を使って起こした、紛れもない奇跡」

「本来、生まれるはずの無かった命(存在)。・・・それが、弟くんなの」

「――――」

初めて知る衝撃の事実に、頭の中が真っ白になって声が出ない。

それはつまり義之が、「桜の魔法の上でのみ存在できる」ということに他ならなかった。

ということは・・・。

「もし、私が桜を枯らせば・・・」

「・・・桜の魔力が無くなって、俺の存在も消えるってことか」

呆然と、ただ他人事のように呟く義之。

突然そんな話をされても、正直半信半疑なのだが・・・音姫が冗談を言っているようにはとてもではないが思えない。

すなわち、島を救うには義之の命と引換え、というわけだ。

そんな話をいきなりされて、どのような反応を見せれば良いのだろうか?

「だから、言ったよね?由夢ちゃんと付き合うのはやめてって。後悔することになるって」

「・・・そういうことか」

最近の音姫の行動の理由に納得し、義之は諦めたように白い吐息を吐き出した。

音姫には、分かっていたのだ。

いずれこんな日が来ると。桜の魔法という不安定な存在でしかない自分が、いつか消えてしまうであろうことを。

だが・・・。

「でも・・・それでも、音姉は桜を枯らさなくちゃいけないんだろ?」

義之がそう問いかけると、音姫は背中をビクッと震わせると、そのままコクンと一つ頷いた。

「だったら、迷うことはないじゃないか。音姉は正義の魔法使いとして、役目を全うしなくちゃならないんだから・・・」

義之は、何となく音姫が自分をこの場に連れて来た理由が分かったような気がした。

おそらく彼女はどうしようもなく迷っていたのだ。

島民全員の命と、家族一人の命。どちらも天秤に掛けたくはないもの。掛けられないもの。

しかし、それは決して避けられることではないから・・・だから。

「俺一人の命で、島の皆が助かるなら万々歳だろ?」

――きっと、背中を押してもらいたかったに違いない。

「・・・でも、もし桜を枯らすと弟くんが消えちゃうんだよ?誰からも見えなくなって、忘れられていく」

「学校のクラスメートからも、さくらさんからも、私からも。そして・・・由夢ちゃんからも」

由夢の名前を聞いた瞬間、心臓が嫌な音を奏でた。

忘れていたわけではない。ただ、そう言われると決心が鈍りそうだ。

もう既に、義之は覚悟していたのだから。

「・・・けど、もし桜を枯らさないと、桜の暴走は肥大していって・・・もしかすると、由夢達にまで被害が及ぶかもしれない」

「しょうがないことだったんだよ。最初から。むしろ、今まで生きられただけでも、充分幸せだったさ」

「元々は無かったはずの命・・・それを創りだしてくれたさくらさんにも、感謝してる」

義之は、さくらが自分を創りだしたであろうことは何となく分かっていた。

今でもはっきりと憶えているから。

自分が生れ落ちて、初めて見たさくらの顔を。

幸せに溢れた充足の笑みと、自分の我儘で創りだしてしまった命に対する少しの後悔。

「だから音姉、頼むよ」

「俺と一緒に、この島の人たちを・・・救ってくれ」

「・・・ずるいよ、弟くんは」

音姫は俯いたままの顔を義之に向けることなく、また桜の方に向き直り、その幹にそっと両手を添えた。

「私が絶対に、弟くんのお願いを断れないこと、よく知ってるくせに・・・」

「音姉・・・」

「何で・・・何でそんなに簡単に言えるの?弟くんには、由夢ちゃんだっているのに・・・」

「その理由も・・・音姉なら、分かってるはずだよ」

「・・・やっぱり、弟くんはずるい。そんなの、長い付き合いだもん。弟くんが優しすぎるってことくらい、分かってるよ・・・」

涙で掠れた声を最後に、音姫の体がぼんやりと淡い光を放つ。

そしてその光はどんどんと彼女の両手から桜へと伝播され・・・やがて、桜の木全体が眩い光に包まれた。

桜の枝が、これまでに無いほど激しくざわめく。

「弟くん、最期にこれだけは約束して」

目を閉じ、魔法に集中したまま、音姫が背中にいる義之に語りかける。

「由夢ちゃんを、絶対に幸せにしてあげて。約束を破ったら・・・承知・・・しないんだから・・・」

「・・・ああ、分かった。約束するよ」

「うん・・・それでこそ、私の弟くんだよ」

光が収束していく。

淡い桃色の光が、どんどん小さくなっていく。

それは本当に、桜の最期を表しているかのような光景で・・・。

全ての光が消えた瞬間、まるでそこには最初から何も無かったかのように、音も無く一瞬で桜の花びらは全て散った。

「・・・っ」

途端、激しい嗚咽感に襲われ、両膝を地面に付けた。

動かせるには動かせるが、どこか自分の体ではないような感覚。

それは、突きつけられた無情な現実であった。

「・・・あと何日もつか分からないけど、みんなあなたのことを忘れてしまうでしょう」

いつもとは違う、何も温かみの感じさせない無機質な声が耳に届く。

「もちろん、私の記憶からも消えてしまいます。だってあなたは、この世には存在してはいけないものだから」

いつの間にかこちらを振り向いていた音姫の瞳からは、既に止め処なく涙が溢れ出ていた。

しかしそれでも、決して弱い部分を見せないように。

唇から血が滲むほど歯を食いしばって、その真剣な瞳は気丈にも義之を見つめ続ける。

――それは、義之をこの世から消してしまうことに対する、けじめのように感じられた。

「だから・・・これでさよならです」

そう言い残して、足早に去っていこうとする音姫。

「音姉!」

「・・・」

そんな彼女の背中に義之は呼びかける。

激しい動悸も、力の入らない足も我慢して、自分の決意を彼女に伝えるために。

「俺、絶対に諦めないよ。最期の最後まで、絶対に頑張りぬく」

「それは、由夢を幸せにするっていう音姉との約束でもあるし・・・ずっと傍にいるって言った、由夢との約束でもあるから」

「だから・・・信じていてくれ」

「――――ばか」

その言葉を聞いて、音姫は漏れ出す嗚咽を必死に耐えるように呟き、今度こそ闇の中へと消えていった。

「・・・くっ」

一人残された義之は、顔を顰めつつも何とか幹の前までたどり着き、背を預けるようにしてドサッと座り込んだ。

話している内にも時間は経過していたようで、既に辺りは星が見えるほどに暗い。

「きっと、馬鹿なことをしたんだろうなぁ。俺は」

脱力したように顔を上げ、星空を見上げながら「でも・・・」と続ける。

「これで、良かったんだよな?・・・おかーさん」

白い病室の中で、最後まで穏やかに逝った母との約束を思い出し。

義之は昔一度だけ呼んだ事がある呼称で、そっと由姫に語りかけた。



48話へ続く


後書き

半日ほどUPが遅れましたが、どうにか47話UPです^^

その分、内容は濃くしているつもりですが・・・まあ原作とあまり変わらない内容となってしまったのは反省。

実は本来なら、これは音姫ルートの件なんですけどね。こっちの方が感動したので、このシーンはこちらで・・・。

しっかし、ついにここまで来たって感じですよねぇ。あともうチョイ・・・頑張ろ。

それでは、次回も楽しみにして頂けると嬉しいです〜。



2007.5.6  雅輝