「あれ?この靴は・・・」
「お姉ちゃんの・・・」
翌日の放課後。いつものように義之と由夢が共に芳乃家へと帰ってくると、玄関には見慣れた靴が几帳面に並べてあった。
『音姉か・・・。もしかして、昨日の話の続きか?』
昨日の彼女の言葉と、悲しげな表情が思い出される。
すると、由夢も同じコトを思ったのか。繋いでいた義之の手を、ぎゅっと握っていた。
義之はふっと微笑むとその手を同じく握り返し、もう片方の手でゆっくりと彼女の栗色の髪を撫でる。
「大丈夫だって。そんなに不安そうな顔をするなよ」
「うん・・・」
「それに、もう決めたことだろ?」
「・・・そうだね。ごめん、兄さん」
「うし、それじゃあ行くか」
由夢の手を引っ張り、居間へと上がる。
そこに音姫の姿は無かった。ただ、キッチンの方から良い匂いがしているので、おそらく夕飯の準備をしているのだろう。
「・・・さて、俺も手伝ってくるから、ここで待っててくれ」
「あっ、それなら私も・・・」
「ウチの台所に三人も入れないって。それに・・・ちょっと話したい事もあるしな」
その諭すような笑みを見せられては、由夢もそれ以上何も言うことは出来ず。
「うん。じゃあ任せるね、兄さん」
「おう、任せておけ」
託された想いに、義之は後ろ手に手を振って応えるのであった。
D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS
「自由な夢を・・・」
Written by 雅輝
<44> 茜色の夢
「ただいま、音姉」
「あっ・・・お、おかえりなさい」
キッチンに入り、その背中に一声掛けると・・・音姫はぎこちなくながらも、笑顔で答えてくれた。
まず、その事実に胸を撫で下ろす。昨日以来、お互いに気まずいのは確かであったから。
「晩飯、作りに来てくれたんだ?」
「う、うん。もしかしたら、外で食べてきちゃってるかなって思ったんだけど・・・」
いつもの彼女らしくない、遠慮がちな言葉。
義之は音姫の不安を和らげるように、ふと微笑んだ。
「いや、そんなことないさ。俺も由夢も腹ペコだよ」
放課後に由夢と一緒に喫茶店に入ったが、二人とも飲み物しか頼んでいないので確かに空腹であった。
キッチンには美味しそうなカレーの香りが充満していて、今頃は由夢もこの匂いにつられてお腹を鳴らしているかもしれない。
そう考え苦笑しつつも、義之は「手伝うよ」と一声掛けてから音姫の隣に立った。
とは言っても、もう料理の方は煮込む段階に入っているので、とりわけ手伝うことも無い。
それでも今はキッチンに――彼女の横に立つ”理由”が欲しくて、切った野菜をドレッシングで和えるだけの、簡単なサラダを作ることにした。
「「・・・・・・」」
お互い、無言で作業を続ける。
何かを探り合うような、そして何かに耐えるような、そんな膠着した雰囲気。
「・・・あのさ、音姉」
その均衡を破ったのは、サラダを作り終えた義之であった。
音姫は一度体をビクリと震わせるも、鍋をかき混ぜていた御玉を置き、義之に向き直る。
「う、うん?」
「その、昨日のことなんだけど・・・」
「あ、うん・・・」
音姫は返事こそ返したものの、それ以上何か語ろうとはしない。
「あれは一体、どういう意味――」
「その!」
「だったんだ?」と・・・そう訊ねようとした義之の台詞を、音姫は無理矢理に遮った。
「昨日は、ごめんね。突然で驚いたでしょ?」
「まぁ、そりゃ」
勿論、と頷く義之に、彼女はいつもの穏やかな笑みを見せる。
「ごめん。でね、昨日のことは忘れてくれる?私ももう、何も言わないから」
「・・・ああ」
『そんな言葉を聞きたかったわけではないのに・・・』そう思いつつも、これ以上聞いても彼女は決して答えてはくれないであろうことを知っている自分もいる。
「了解。昨日のは、何かの間違いってことで」
だから、義之が彼女に出来る最大限のことは、気にしていないフリをして明るく振舞うことであった。
「・・・うん、ありがと」
音姫はそんな義之の態度にほっとしたような笑みを見せ、再度鍋の蓋を開け味見を始める。
そしてそのまま味を確かめるように目を一度閉じて、義之にもう一度問いかけてきた。
「ね、弟くんは由夢ちゃんのこと、好きなんだよね?」
昨日も問われたその問いは、しかし。
昨日のように無表情でも、悲しげでもなくて。
ただ確認するように。吹っ切れた、晴れやかと思えるくらいの表情で。
「あぁ、好きだよ。どう言ったらいいか分からないくらい。他のものとは比べられないくらい、あいつのことが好きだ」
だから、義之もそんな恥ずかしい台詞も臆面無く言うことができる。
「もし・・・」
「もしね。由夢ちゃんと別れないといけない状況になったとしたら、どうする?」
「別れないように、頑張る」
その問いの答えは、初めから決まっていた。
万が一のありえない可能性だったとしても・・・最後の最後まで、諦めるわけにはいかない。
「それが、兄妹という枠を最初に越えようとした俺の、けじめなんだ」
「けじめと同時に、どうしても譲れない気持ちなんだよ」
あの日、告白しようとした義之を、由夢は必死に突き放そうとした。
もう、戻れなくなるからと。恋人になるのが、怖いのだと。
でも、そんな由夢の気持ちを諭し、残り僅かの距離を詰めたのは、他でもない義之であった。
それに、気持ちを伝えた時に、確かに誓ったのだ。
――絶対に、由夢の傍から離れないと。
「俺にできることは、そんな状況になった場合、負けないように頑張るってことだよ」
「・・・そっか」
鍋をかき混ぜつつそう呟いた音姫の顔は、俯いているせいで義之には読めなかったけれど。
その呟きには、何かしらの決意が籠もっているように感じた。
目に映ったのは、鮮烈なほどの赤。
夕焼けの世界。昼が終わりを告げ、太陽が沈みきるまでの、そんな短い時間を切り取ったような空。
綺麗な、荘厳な景色のはずだった。
だが、今の義之には、その景色はどうしようもなく痛い。
胸が潰れそうになる。心が悲鳴を上げる。
『――――夢、か?』
ぼんやりとした視界と、まるで自分が世界に存在していないかのような、体中に纏わりつく浮遊感。
それは、義之が”自分以外の誰か”の夢を見るときの、独特な症状だ。
しかし、こんな胸の痛みは知らない。他人の夢の内容を見て気分が悪くなったことはあるが、こんな風に夢の始まりから胸が軋むのは初めてのことであった。
『ここは・・・』
尚も痛む胸に翻弄されつつ、辺りを見回す。
とは言っても、自分が居る場所はどうやら茜空の中。当然、辺りには空と雲と見慣れた初音島の町並みしか見えない。
視線を落としてみる。と、充分に見覚えのあるそこには一組の男女の姿が見えた。
『・・・え?』
そこは、桜公園の奥。順路を外れた所にあるので、普通の人はあまり近寄らない場所。
そして、義之にとっては子供の頃の記憶が詰まった・・・思い出の場所でもある。
けれど、明らかにいつもとは違った姿で、巨大な桜は威風堂々と佇んでいた。
――桜色の花弁が、一枚も見受けられなかった。
その桜の幹に、由夢は背を預けるようにもたれ掛かり、義之――夢の中の――は、そんな由夢と相対するように立っていた。
「私はね、ずっと諦めていたの」
と、その時。
決して聞こえるような距離ではないはずの彼女の呟きが、浮遊している義之の耳に伝わる。
「だって、私の望みは叶わないんだもん」
そして表情も、視覚ではなく感覚で判別することができる。
「それが分かってたから、私は諦めるしかなかったの」
――由夢は、悲しげに微笑んでいた。
「・・・兄さんのせいだよ?」
「折角我慢してきたのに・・・ずっとウソついてきたのに・・・」
その声は震えていて・・・。
それに伝染するように、彼女の身体も小刻みに震えだして・・・。
「幸せになったら、後悔するって分かってたから」
だが、義之は何も出来なかった。
声を掛けることも。
抱きしめることも。
自身の恋人が泣いているというのに、夢を見ている自分も、そして夢の中の自分も、あまりにも無力だった。
「そんなの・・・痛いから」
その瞬間、周りの桜が一斉にざわめきだす。
突風が吹いたわけではない。それは、桜以外は何も吹かれていないことからも証明できる。
しかし桜は、まるで由夢の震えに同調するかのように、その枝をしならせた。
「だから・・・」
――怖い。
義之は、どうしようもない恐怖心に駆られた。
何に対して?
強いて言うならば、この世界に。
そして、由夢が次に言おうとしている言葉そのものに対して。
『・・・やめてくれ』
もう一人の自分が、何かを叫んでいる。
再度視線を落とすと、夢の中の自分もまた、彼女同様涙を流していた。
そんな彼を嘲笑うかのように、運命は時を進める。
物語(ゆめ)の終焉を飾る、残酷で優しい一言を――。
――「だから・・・さよならだね、兄さん」――
45話へ続く
後書き
うわっ、前の更新から10日以上経ってますね。お待たせしてすみませんでしたm(__)m
学校が始まったことで、春休みの3倍は忙しくなってしまい・・・まあそれに併せて執筆の時間も取れずじまいだったり。
やはりバイトと勉強の両立はなかなかに難しい(汗)
さてさて、今回のメインは後半。サブタイトルにもなっております、「茜色の夢」。
まあだいたい分かると思いますが、ちょっと本編とは違うアレンジを施しています。そしてそれに伴ったシナリオも現在構築中。
まだ先の話ですけどね〜。50話では終わりそうにないし^^;
それでは、次は1週間で仕上がるよう頑張りやす。