「お、おい!待てよ、由夢!」
義之は勢いよく閉まったドアに手を伸ばし叫んだが、耳に聞こえるのは彼女が駆けて行く足音だけであった。
「くっ・・・!」
彼女を追いかけるべく、今度こそ起き上がり、今も尚抱き付いている音姫を引き離そうとした。
だが・・・。
「ダメ!!」
三度、逃れようとする義之を捕まえるように、音姫は背中に回していた腕に力を込め悲痛に叫んだ。
「行っちゃダメ!お願いだから、追いかけないで!」
あまりにも必死な形相と、早口で鋭い言葉。
そしてその気丈な言葉とは裏腹に、音姫の身体は小刻みに震えていた。
その表情に、先ほどの冷たい顔などどこにも存在しない。
色々な負の感情が入り混じった、今にも泣き出してしまいそうな表情だ。
――だが義之とて、その言葉に従うわけにはいかない。
「音姉はきっと・・・俺達のことを想って、こんなことをしてくれてるんだと思う」
それは、義之が音姫に別れるように言われてからも、ずっと変わらない気持ちだった。
彼女の思惑も、理由もわからない。
でもそれは、本当に自分達を想っての行動だと・・・義之は自信を持って言うことが出来る。
誰がなんと言おうと、彼女は義之にとって姉であり、理解者であり、憧れであり・・・家族なのだから。
「・・・・・・」
音姫は義之の言葉に何も答えず、ただ視線をフローリングの床に落とした。
沈黙は肯定。それは必死に涙を堪えようとしている姿からも、そう断言できる。
「いつもそうだったもんな。昔からずっと、俺と由夢を守るために必死になって」
「時には自分が傷ついたり、嫌われ役になったり」
「俺はそんな音姉のこと好きだし、尊敬もしてる」
「・・・・・・」
これまでの事を思い返しながら懐かしそうに語る義之とは対照的に、音姫は未だその口を開こうとはしなかった。
血が滲むほど唇を噛み締め、漏れ出そうとする嗚咽を我慢する。
「――でもさ、今回は無理なんだ」
「俺は由夢のことを本気で好きなんだ」
「この先にどんな辛いことがあっても、俺は由夢のことを諦めたりなんかしない」
音姫は分かっていた。
彼ならきっとこう言うであろうことも、彼らが本気で愛し合っていることも。何故なら・・・。
「音姉の言うとおりにするのが正しいのかもしれないけど・・・でもそれはできないんだ」
「弟くん・・・」
――それでこそ、彼女が弟として慕う”桜内義之”なのだから。
「悪いけど、音姉には由夢の代わりなんてできないよ。由夢に、音姉の代わりができないのと同じ様に」
「二人とも、俺にとっては大切な人なんだ。だから・・・身代わりなんて、悲しいこと言うなよ。な?」
「・・・うぅ」
その義之の温かい言葉に、我慢しきれなくなった雫が一筋、音姫の頬を静かに流れ落ちる。
義之はその涙を優しく袖で拭ってから、そっと彼女の身体を離す。
――もう既に、音姫の腕には力が込められていなかった。
「えっと、ありがとう。それと、ごめん」
項垂れる彼女の姿に、正直後ろ髪を引かれる思いだったが、義之は最後に謝罪を口にすると由夢を追いかけるべく部屋を飛び出した。
「・・・ごめんね、弟くん・・・ごめんね、由夢ちゃん」
嗚咽交じりに呟かれた言葉。
その悲痛な声が義之の背中に届いたかどうかは、彼だけが知ることであった。
D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS
「自由な夢を・・・」
Written by 雅輝
<43> 出来損ないの魔法使い
勢いよく階段を駆け下り、靴を履くことすらもどかしそうに、急いで義之は家を出る。
あの様子からして、もしかするともうだいぶ彼女との距離は離れてしまったかもしれない。
だがそんな心配も、門の柱にもたれ掛かるようにして俯いている由夢を見つけて、杞憂に終わった。
「由夢」
一歩ずつ近寄りながら、そっと彼女の名を呼びかける。
由夢は閉じていた目を開き、目の前に立っている義之に――義之としても意外であったが――ふっと微笑んだ。
「早かったね、兄さん」
「あ、ああ。・・・?」
まるで先ほどのことは無かったかのように振舞う由夢の様子に疑問を感じるものの、義之はちゃんと説明しようと口を開いた。
「あ、あのな、さっきのは・・・」
「いいよ、分かってるから」
しどろもどろに語りだそうとする義之の言葉を、由夢はにべもなく遮る。
だがそれは決して悪い意味ではないことを、彼女の表情は語っていた。
「え?」
「・・・私も、お姉ちゃんに呼ばれたんだ。多分、さっきのを・・・私に見せるために」
その顔と口調は、穏やかなものだった。
「どういうことだ?」
「私も、お姉ちゃんに言われたの。・・・兄さんと”だけ”は付き合っちゃダメだって」
「それは絶対に、後悔することになるからって」
「・・・・・・」
義之は由夢もそう言われていたという事実に少なからず驚いたものの、音姫の様子を思い出し、どこか納得している自分がいるのにも気付く。
むしろ、自分だけに言って由夢には言っていないのだとすれば、それはそれで矛盾しているようにも感じたから。
「少し、歩こっか。空、すごく綺麗だよ」
由夢はそう義之に呼びかけると、彼を促すように自ら先導して歩き出した。
義之もそんな彼女に無言のまま従い、彼女の言うすごく綺麗な星空を眺めながら歩き出す。
あてもない散歩。
時間が時間だからか、道の先々には人影が見当たらない。
耳に聞こえるのは、互いの足音と自分の心臓の音。
そして目に映るのは、静まりきった町並みと、夜風に乗ってやってくる桜の花びら。
「・・・やっぱ寒いね」
やがて静寂は、由夢の呟きによって破られる。
視線を向けると、パジャマ姿の由夢が身を縮み込ませていた。
『そういえば、由夢はパジャマ一枚だったな。・・・まあ、それは俺も同じなんだが』
まだ1月。流石にこの季節にパジャマ一枚は寒いだろう。
「ほらっ、もう少しこっちへ来い。くっついてれば、少しは暖かいだろ?」
「うん」
義之の誘いに、由夢は素直に・・・そして嬉しそうに頷くと、ピトッと身体を寄せてきた。
腕に彼女の温もりを感じながら、再び歩を進める。
「ふぅ〜、なんだかお腹減っちゃったな。・・・ねえ、兄さん。和菓子ちょうだい」
甘えるような声で、由夢が彼の義之の腕に回した自らの腕にぎゅっと力を込める。
その意はきっと、”義之が魔法で生成した和菓子”ということなのだろう。
『・・・まっ、もう隠す必要も無いよな』
あの時、由夢の前で和菓子を出して見せたことを思い出し、義之は苦笑交じりに「しょうがないな」と呟いてから手のひらを由夢に差し出す。
そしてゆっくりと開いた指を閉じていき、拳の中に作りたいものをイメージする。
「なにか、リクエストはあるか?」
「うーんとね。ドラ焼きが食べたい。間にお餅が挟まってるやつ」
「いちいち細かい注文つけるやつだな・・・」
ぶちぶちと文句をつけるも、数秒後義之が開いた手のひらには、彼女のリクエストどおりの品が頓挫していた。
「和菓子を出す魔法・・・か」
由夢はそのドラ焼きを手に取り、ゆっくりとかじり付いた。
「本当に兄さんも魔法が使えるんだね。なんか不思議」
『・・・兄さん”も”?』
由夢の台詞に疑問を感じた義之は、思わず立ち止まって考える。
「・・・?どうしたの、兄さん」
同じく立ち止まり振り返った由夢に、義之はその疑問をぶつけた。
「由夢・・・兄さんもって、どういうことなんだ?俺以外に、だれか魔法を使える人を知っているのか?それとも・・・」
――もしかして、お前も魔法が使えるのか?
そう口にしようとして、しかし義之はその台詞を口にすることなく飲み込んだ。
彼女もまた、魔法使いである音姫の実の妹なのだから・・・そうであっても不思議はない。
そんな義之の思惑を知ってか知らずか、由夢はその意を察して答えた。
「魔法か・・・私が望んだのは、もっと凄い魔法なんだけどな」
「・・・え?」
「私は、何も出来ない・・・出来損ないの魔法使いだから」
その言葉は静かに、夜風に舞い散る桜の花びらのように消えていく。
「由夢・・・」
その姿はあまりにも微かで、義之の目には今にも消えてしまいそうなほど幻想的に映った。
「にい・・・さん?」
義之の両腕が、そっと由夢の身体を包み込む。
――安心したかった。
彼女を抱きしめることで、胸の中にふわっと浮き出た不安を、拭い去りたかった。
「俺は・・・俺はずっといる。お前の傍に。だから由夢も、ずっと一緒にいてくれ・・・」
抱きしめる腕に、力を込める。
「・・・お姉ちゃんの言ったこと?」
「・・・・・・」
由夢の問いに、義之は何も答えない。
ただ不器用に、彼女の身体を抱きしめることしかできなかったから・・・。
「・・・大丈夫だよ、兄さん。私は、後悔しないために兄さんと付き合うことを選んだの」
「それがたとえお姉ちゃんが言うように間違った道だとしても・・・私は、自分の気持ちに後悔はしたくなかったから」
「由夢」
彼女の言葉に、義之の胸は熱くなった。
衝動に駆られるままに、抱きしめた彼女の唇を自身の口で塞ぐ。
由夢もされるがままに、義之のキスを受け止め・・・彼の首に腕を回した。
「ん・・・んぅ・・・」
これまでの一瞬触れ合うキスとは違う、大人の口付け。
義之は貪欲に由夢を求め、また由夢も積極的に舌を動かす。
誰もいない、名も知らぬ場所で。
二人は互いの心の隙間を埋めあうように、互いの不安を消し去るように・・・深く、長く、口付けを繰り返した。
44話へ続く
後書き
最近いいペースで更新にありつけています^^
まあこの辺りは本編を本当になぞっただけって感じなんですけどね。今回の分に限っては、矛盾が生じないように結構アレンジを加えてますが。
そのせいで、本編とはちょっとずつ違うはずです。確かめながら読むと、尚おもしろいかも?
最後の描写はちょっとアレですが、所詮は12禁止まり。彼らの愛の深さを感じ取って頂ければと。
それでは、44話で会いましょう!