「・・・」

手のひらに宿る心地良い温もりの中、由夢はゆっくりと覚醒の時を迎えた。

まだ微かに頭には痛みが残っているが、昨日よりは随分とマシだ。どうやら一晩寝て、風邪の症状も落ち着いてくれたらしい。

そして昨日の事を思い出していくのと同時に、一人で顔を赤くさせ、そっとベッドの横に目線を送った。

そこには予想通り、自分の左手をしっかりと握りながら、ベッドにもたれ掛かるようにして寝息を上げている義之の姿が。

視線は無意識の内に寝息を立てている彼の唇に行き着き、そして昨日の感触を思い出すように、由夢は自分の唇に人差し指で触れてみる。

「とうとう・・・しちゃったんだ」

触れた唇は、まだ昨日の彼の優しい感触が残っているかのように、温かく感じた。

それが、昨日の出来事が夢ではないと告げているような気がして・・・次第に大きな実感と幸福感に変わっていく。

「兄さん・・・」

朝は、これほどまでに清々しいものだっただろうか。

いつもは起床を知らせるただ目に眩しいだけの朝日も、今は心地良く、神々しいものにすら感じる。

――長年の想いが叶った。

ただそれだけなのに・・・由夢にはまるで、世界が変わったかのように見えた。

「・・・もうちょっと、寝とこっかな」

自分に言い聞かせるように呟き、再度布団に潜り込む。

もうほとんど眠気は覚めきっていたが、今は一秒でも長くこの幸せを感じていたい。

目を瞑り、体の力を抜くと――由夢は義之の手の感触を確かめるように、自らの左手にぎゅっと力を込めた。





D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS

             「自由な夢を・・・」

                      Written by 雅輝






<35>  親友の恋人





”タッタッタ・・・”

「ハァ、ハァ、ハァ・・・」

「ちょ・・・兄さん・・・速・・・すぎ・・・る・・・ってば」

「んなこと言っても・・・ハァ・・・遅刻寸前なんだから・・・フゥ・・・しょうがねえだろ!」

義之と由夢は、学園への道のりを並んで疾走していた。

冬の朝独特の冷たい空気が、走る度に頬をすり抜けていく。

だが二人には止まる事は許されない・・・なぜなら先ほど義之が言った通り、もうすぐで始業のベルが鳴り響くからだ。

今朝、あのまま二度寝してしまった由夢がいつもの時間に起きれるはずもなく・・・。

さらに由夢の部屋でそのまま寝てしまった義之が、彼の部屋にある目覚ましをセットしているはずもない。

つまり、彼らが起きたのはもう始業ベルの20分前だったわけで・・・。

それは、今まで何度か体験してきた、始業ベルとのバトルだった。

「ハァ・・・私・・・もうだめ・・・」

家から今まで義之に合わせて全力疾走を続けてきた由夢だが、学園まで後50mというところでついに足を止めてしまう。

「ゆ、由夢?・・・あぁ〜、くそ!」

先を走っていた義之は急ブレーキを掛け、息を切らしながらも戻ってきて・・・しっかりと、由夢の手を掴んだ。

「・・・え?」

「ほら、急ぐぞ。後1分しか無いんだからな」

ぶっきらぼうにそう言い放ち、由夢を引っ張るように再度走り出す義之。

だが由夢からは見えていた。彼の顔が、微妙に赤くなっているのが。

「・・・ふふ」

彼の手に引っ張られながら、由夢もまた頬を緩める。

今までなら、彼は迷うことなく由夢を置き去りにして門へと駆け抜けただろう。

しかし恋人となった今は、こうして遅刻ギリギリでも由夢のところまで戻ってきて、その手を握ってくれている。

たったそれだけの違い――にも関わらず、由夢の心には温かいものが宿った。







「そういえば由夢ちゃん。風邪引いたって言ってたけど、大丈夫?」

「あっ、うん。でも、一日で直ったから・・・」

その日の昼休み。由夢と美冬は、学食で昼食を取っていた。

学食は相変わらず混み合っており、4時間目の授業が早めに終わらなければ、食券を買うのにも一苦労したことだろう。

無事購入できた自分のオムライスをスプーンで掬いながら、美冬はほっとしたようにくしゃりと笑顔を向けた。

「良かった。でも、最近の風邪って結構しつこいらしいから、ぶり返しには気を付けてね?」

「うん、ありがとう天枷さん」

ソレに対して由夢も、Aランチの箸を置いて穏やかな笑みで返す。

――普段は家族以外に対して優等生モードで話す由夢も、美冬に対してだけは違っていた。

言うなれば、親友というやつだろうか。クラスの中でも、一番仲の良いのは美冬であった。

「それで?お兄さんから手厚い看病でも受けていたのかな?」

「――っ!こほっこほっ!」

思いっきり核心・・・というより図星を突かれて、由夢は食べかけのポテトフライを喉に詰まらせた。

対し美冬も、まさかここまで過剰な反応が返ってくるとは思っていなかったようで、僅かに苦笑しつつももう一度訪ねる。

「何かあったの?」

「え、え〜と・・・・・・あはは」

由夢はたじろぎながら視線を彷徨わせると、やがて誤魔化すようにその赤く染まった顔に渇いた笑みを浮かべた。

「怪しい・・・」

まさに疑ってくださいと言わんばかりの態度に、美冬はジト目で無言の圧力を掛ける。

だがたとえ親友とはいえ、無理にプライベートを詮索する気にもなれなかった美冬は、諦めたように肩を竦めると由夢から視線を外した。

「うわっ、どっか席空いてねえのかよ・・・」

とその時、美冬の瞳に一人の男子生徒が映る。

彼は手にカレーライスが乗った盆を持っているが、込み合っている食堂に顔を顰めているようだ。

美冬は数秒彼を見つめ、何か思いついたような意地悪な笑みを浮かべると、咄嗟に手を挙げて声を発した。

「お兄さ〜〜ん!ここ空いてますよ〜〜!」





「いやぁ、助かったよ美冬ちゃん。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

「・・・」

カレーをテーブルの上に置き、由夢と美冬の真向かいに座りながら礼を言う義之に、美冬は手を振りながら笑顔を向けた。

美冬の隣に座る由夢は、「どうしてこのタイミングで来ちゃうのよ・・・ばれちゃうじゃない」とぶつぶつ文句を呟きながら、義之と目を合わさないようにAランチを口に運んでいる。

その文句は義之に聞こえず――仮に聞こえたとしても鈍感な義之は何のことか分からないと思うが――、美冬の耳にだけ届いた。

意味深な呟きに予想を確信に変えた美冬は、穏やかな顔で由夢の耳に口を寄せる。

「おめでとう、由夢ちゃん」

「・・・――!!」

美冬の言葉に一瞬呆けた由夢だが、その言葉の指す意味に気付き、ボンッと音が聞こえそうな勢いで瞬時に顔を赤らめた。

「・・・?どうした由夢。顔が赤いが・・・また風邪をぶり返したんじゃないだろうな?」

顔を赤らめた由夢を見て、義之は相変わらず見当違いの考えを見せる。

確かに、昨日までは39度近くの高熱があったわけなので、その考えもまったく的外れではないのだが。

義之は表情を引き締めると、身を乗り出しテーブル越しに由夢の額に手を当てた。

「わわっ!」

「・・・ん〜、ちょっと熱いか?」

「に、兄さんっ!ちょっとは場所を考えてください!」

「へ?・・・あ」

義之が周りをよく見てみると、込み合っている人の中から幾ばくかの視線を感じた。

そのどれもが、男子生徒の殺気の視線なのは言うまでもない。

「は、ははは・・・由夢よ、後は任せた!」

義之はそう言うと、まだ食べかけのカレーを持って立ち上がり、ダッシュで人波へと消えていってしまった。

ポカンとしている様子の由夢を見て、美冬がクスクスと忍び笑いを漏らす。

「ふふ、相変わらず由夢ちゃんはどこでも注目の的だね」

「はぁ・・・それは天枷さんもでしょう?」

ため息と共にそう漏らす由夢に、美冬は緩んでいた表情を引き締めて、静かに呼びかけた。

「・・・ねえ、由夢ちゃん」

「え?」

「付き合ってるん・・・だよね?」

「・・・う、うん」

あまりにも真剣なその問いに、由夢は尻込みしつつもはっきりと頷いた。

すると、美冬は表情を崩し、またいつものような穏やかな笑みを浮かべる。

「そっか・・・良かったね、由夢ちゃん」

「・・・うん、ありがとう天枷さん。やっぱり気付いてたんだ?」

「まあ由夢ちゃんの態度とか見てたら何となくね・・・たぶん私しか気付いてないと思うし、もちろん誰かに言い触らすつもりも無いよ」

「そう・・・なんだ」

由夢の返事には、僅かながらも安心したような響きがあった。

美冬はその理由を知っている。そして、自分が取るべき行動も。

だが・・・。

「ちょっと・・・妬けちゃうな」

「え?」

無意識の内に、美冬の口からはそれとはまったく正反対の言葉が出ていた。

「あ、天枷さん。それって・・・」

おずおずと尋ねてくる由夢の言葉に、美冬はすぐにハッと我に返ると、取り繕うように微笑み早口で捲し上げる。

「い、いや、何でもないって。それよりも、次は移動教室だから急がないと」

「う、うん・・・」

明らかに怪しい美冬の態度だが、由夢としても彼女の呟きがはっきりと聞こえたわけではないので、それ以上の追及は憚られた。

やけに慌てている彼女と共に、もう既に食べ終えていた食器を手に立ち上がる。



「――実は私さ・・・」

「なに?」

食器を返却口に入れて歩き始めると、後ろから遠慮がちな声が聞こえてきて、由夢は振り返った。

勿論相手は美冬。しかし、彼女は呼び止めたままなかなか口を開こうとはしない。

「・・・天枷さん?」

「・・・ううん、やっぱり何でもない。ほら、行こ?」

「うん・・・?」

先ほどから様子がおかしい美冬に怪訝な顔をしつつも、鳴り響いたチャイムにも促され再び歩き出す。

「・・・言わない方がいいよね?」

「え?」

「ううん、何でもないよ」

美冬がポツリと呟いたその言葉は、チャイムに遮られて、またしても由夢の耳に届くことはなかった。



36話へ続く


後書き

「自由な夢を・・・」の更新は久しぶりですね。キリリク作品があったとはいえ、3週間振りですか^^;

まあ丁度場面が変わるシーンだったのでまだマシですが・・・分けるとするならば、今回の話から第3部の2章かな?


そして今回はようやく恋人同士になれた由夢と義之のらぶらぶ話・・・になると私も思っていたのですが、後半は何やら方向性が・・・。

結局シリアスになってしまうんですよね、私って(汗)

とりあえず今話で、由夢と美冬の仲の良さと、彼女達の気持ちを分かって頂ければ作者としては満足かと。

ちょっと本編からは逸れてしまってますけどね。こういう展開もアリかなぁと・・・。

さて、これからどうなっていくか・・・は、今から考えます(笑)



2006.2.18  雅輝