”コンコン”

微かに聞こえてきたノックの音に、由夢はゆっくりとその瞳を開けた。

どうやらいつの間にかウトウトしてしまっていたらしい・・・目元を擦り、ぼんやりとした視線で手に持ったままの写真に目を落とす。

「・・・兄さん」

このところ半ば塞ぎこむような形で、由夢が自室でずっと眺めていたものは、今も手の中にある一枚の古ぼけた写真であった。

古ぼけたといっても、さほど昔のものでもない。せいぜい、3,4年前のものだ。

朝倉家の庭にある桜の木をバックにして撮られたその写真の中では、まだあどけなさの残る子供が三人並んで写っていた。

笑顔の音姫が中央の少年の右腕を組むように抱きつき、また反対側の由夢もそれに対抗しようと少年の左手をぎゅっと握っている。

そして中央の少年――義之こそが、ここ一週間以上由夢が穴が開くほどに眺めていた人物。

思えば、この頃だろうか。

自分が、彼をはっきり”異性”として意識し始めたのは・・・。

”コンコンッ”

今度は、先程よりも強いノックの音が聞こえた。

寝ぼけているためかすっかり忘れていた来客者を、持っていた写真を机の上に伏せてから招く。

「どうぞ・・・」

どうせ、純一か音姫だろう・・・そう考えていた由夢の瞳は、入ってきた人物の姿を認識した瞬間、大きく見開かれた。

「よっ、邪魔するぜ」

軽く敬礼のポーズを取りながら入ってきたその人物は、ずっと写真越しに視てきた人物であり、そして――。

「にい・・・さん」

あれ以来ずっと避け続けてきた、今自分が最も会いたくない男性(ひと)だったのだから・・・。





D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS

             「自由な夢を・・・」

                      Written by 雅輝






<32>  気付いた想い





「うわっ、お前電気くらい点けろよな」

軽口を叩きながらも背中越しにドアを閉め、義之はゆっくりとベッドに座っている由夢に近づいていった。

そう、なるべく普段通りに。

こちらが意識していれば、相手も尚更意識してしまうものである。

だから、喧嘩すら初めから無かったかのように。微笑みすらも浮かべて。

「・・・来ないで」

そんな義之の足を止めたのは、ポツリと呟かれた由夢の確かな拒絶の声だった。

その声は由夢が俯き義之に顔を向けていなかったためくぐもって聞こえたが、義之の耳にはしっかりと届いている。

しかし、義之は一瞬躊躇うも、また足の動きを再開させた。

「・・・来ないでよ」

「断る。可愛い妹が泣いてるんだからな」

仰々しく即答すると、義之はそのまま由夢の隣にドサッと腰を下ろした。

その行動に対して、由夢からは拒絶も否定もない。

ただ顔を合わせないように、制服のスカートを握り締めながら俯いていた。

「確か、前にもこんなことあったよな・・・」

「・・・」

義之の呼びかけに、由夢は答えない。

その事には意も解さず、義之は虚空を見据えながら淡々と話を続けた。

「あれは・・・由姫さんが死んでまだ間もない頃だったな。あの時もお前はこうして、暗い自分の部屋で独りで泣いてた」

「普段は明るく振舞っていたが、心の中と、この部屋でだけはいつも涙を見せていた」

「俺はその事に、お前の部屋から聞こえてくる嗚咽を聞くまで気付かなかった」

「その頃からだよ。お前を妹として扱うようになったのは。それまでは家族というよりは、同年代の友達に近かったからな」

「友達から、大切な家族に。そして、兄として守るべき存在になったんだ」

「・・・」

そこまで言うとようやく、由夢が顔を上げて真っ直ぐに義之を見つめてきた。

それはまるで、義之の瞳から何かを探るように。

義之もしっかりとその視線を受け止めながら、再び口を開く。

「お前は、あの頃からまったく変わってないよ。由夢」

「意地っ張りで、泣き虫で、そのくせ不安は全部溜め込んで、独りで自己完結しちまう」

「今回の件だって、そんなに落ち込んでるのは俺のせいなんだろ?そのくらい、鈍感な俺でもわかる」

「だけどお前は、バカ正直で優しいやつだからな。人の所為にする前に自分の所為にして、こうして泣いている」

「――っ違う!」

「何が違う。実際に音姉にすら何も言わずに、こうやって部屋に引きこもってるじゃないか」

「違う!兄さんは悪くないの!私が全部悪いのっ!!」

「そうやって自己完結してしまうから、俺もどうすればいいのか分からない。このままじゃずっと、俺達はすれ違ったままだぞ?」

自分でも不思議なほど、義之の心は落ち着いていた。

穏やかで、凪いだ海風のような感情・・・しかし、その言葉は的確に当を得ている。

「そんなの言えない・・・言えるはずないじゃない!」

由夢がかぶりを振りながら、感情を吐露するように叫んだ。

その双眸からはいつの間にか涙が伝っていて、由夢自身もそれには気付いていない。

「・・・由夢」

義之の呼びかけに、ようやく自分が涙を流していることに気付いた由夢は、バッと顔を背け制服の袖で乱暴に目元を擦った。

「由夢」

もう一度呼びかける。

一呼吸置いてから振り向いた由夢の眼前に、義之は手のひらを差し出した。

――”魔法”を使うときが来たのだ。

「憶えてるか?昔、泣いているお前を笑顔にした、不思議な魔法を・・・」

「え?」

目をパチクリとさせている由夢には構わず、義之は何も無い手のひらを一度閉じ、頭の中で強くイメージした。

右手に質量が宿ったのを感じて、ゆっくりと手を開く。

「――あ・・・」

そこに乗っていたのは、あの頃と同じ様に、少し形が歪な大福餅。

生成に失敗したわけではない・・・あの頃と同じ情景を作り出すために、義之はわざと歪な形をイメージしたのだ。

彼女が、思い出してくれると信じて・・・。

「・・・」

由夢は無言で、おそるおそる大福餅を手に取り、半分ほど齧る。

そして咀嚼しているうちに・・・彼女の瞳からは、また雫がポロポロと溢れ出していた。

「・・・・・・おい・・・しい」

「忘れるわけ・・・ないじゃない。忘れられるわけ、ないじゃない」

「私は・・・あれからずっと・・・あの時からずっと・・・っ」

その続きが、嗚咽に咽ぶ由夢の口から語られることはなかった。

大切そうに大福を両手で握り締め、ただ延々と泣き叫ぶ。

義之は何も言わず、体をくの字にさせている彼女の背中を、そっと撫で続けた。



2,3分は経っただろうか。

由夢の嗚咽が収まるのを待って、義之がゆっくりと口を開いた。

「さっき、純一さんに言われた言葉があるんだ」

「えっ?」

――「”兄妹”という枠に縛られすぎると、本当に大切なものは見えないものだぞ」

「俺は・・・その通りだったと思う。今更ながらにやっと気付いたんだけどな」

「にい・・・さん?」

「由夢・・・」

こちらを見た義之の目は、今まで見たことのない程真剣なものだった。

そして、しっかりと自分の双肩に置かれる手。真っ直ぐに見つめてくる瞳の奥に揺らめく、情念の光。

『あぁ・・・』

由夢はそれだけで、義之が何を告げるのか分かってしまった。

それは、長年望んでいたはずのものなのに・・・何故か今は、聞くのが怖い。

「俺は、たぶん・・・いや・・・きっと、由夢の事が・・・」

「駄目ぇっ!!」

「――っ!?」

突然の大声に、義之の台詞は途切れた。

否、由夢が遮った。

「それ以上は・・・駄目だよ。もう、戻れなくなるよ・・・」

その言葉は弱弱しく、まるで何かに必死に堪えるような響きがあった。

「・・・お前が言いたいこともわかる。でも、それでも俺は・・・」

「お願い」

「・・・由夢・・・」

「お願いだから・・・もう少しだけ待って。まだ、気持ちの整理がついてないから・・・」

「・・・」

そう言われては、これ以上言葉を重ねるのは無駄であろう。

そう判断した義之は、「わかったよ」と一度彼女の髪をクシャッと撫でてから、ベッドに座る由夢を残して名残惜しげに部屋を出て行った。







「・・・ふう」

由夢の部屋から出てきた義之は、そのまま廊下の壁に背中を預けズルズルとしゃがみ込んでしまった。

廊下の天井を仰ぎ、そのままため息をつく。

「今更になって、ようやく気付くとはなぁ・・・」

由夢への想い・・・それはおそらく、今よりもっと前から義之の中に存在していたものだろう。

だが、ずっと隠してきた・・・いや、ずっと気付こうとすらしなかった。

それは純一の言うとおり、兄妹という関係が義之の心を縛っていたからに他ならない。

たとえ、同じ血が流れていなくとも、親の再婚などでできる俗に言う義理の妹でなくとも、義之たちは今までずっと兄妹をしてきた。

それはあの日、由夢が義之のことを「お兄ちゃん」と呼んでから。

そして、義之が由夢のことを「妹」として守っていくと決めてから。

「・・・思えば、もうあの時から惚れてたのかもな」

自嘲気味に呟く。

あの時――和菓子のお礼を言った由夢の、本当の笑顔を見たあの時こそが、自身の初恋の瞬間だったのではと。

「・・・」

耳を澄ませてみるも、背後にある由夢の部屋からは何も聞こえてこない。

もしかすると嗚咽が聞こえてくるのではと危惧していたのだが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。

「ま、今更どうすることもできないけどな」

告白――まではいかないまでも、その寸前まで吐き出した義之の台詞の意味に、おそらく由夢は気付いている。

だからこその、拒否の叫びだったのだろう。

だが、義之は後悔など微塵もしていないし、長年気付かなかったとはいえ由夢への気持ちに嘘偽りなどない。

突然で彼女は驚いているかもしれないが、保留したということはまだ望みはあるだろう。

『・・・もう一押しか?』

彼女の様子からして、義之にはそれが兄妹という枠から外れることへの躊躇いに見えた。

それは、彼女の台詞からも同じことが言える。

――「それ以上は・・・駄目だよ。もう、戻れなくなるよ・・・」

元の兄妹という関係に、戻れなくなる。

それは的を射ていると思う。義之だって、そうなるかもしれない事は充分に理解しているつもりだ。

でも、それでは何も変わらない。

純一や音夢が手に入れた幸せを、二度と手に出来ないかもしれないのだ。

「・・・とりあえずは、仲直りできたかな?」

大きくずれてしまったが、一応当初の目的は達成できたので満足とする。

立ち上がった義之は、一度だけ由夢の部屋を振り返り・・・瞳に決意を宿すと、ゆっくりと階下へと下りていくのであった。



33話へ続く


後書き

はい、ちょっと遅くなりましたが32話UPです〜!

今回はまさかの急展開!作者自身も結構驚いています。

でも31話であれだけ前フリしといて何もしないわけにはいかず・・・告白の一歩手前まで。

つーか、私もそろそろ二人の関係に焦れてきています。早くくっつきやがれこんにゃろーって感じですね(笑)

それでもまだ素直になれない由夢・・・いや、これは素直とかいう問題ではありませんか。

とにかく、次回からも楽しみにしていただければ僥倖です。

それでは^^



2007.1.14  雅輝