「・・・また、誰かの夢か」
夢の始まりはいつも唐突である。
それは自分の夢にしたって、くだらない能力で見ることのできる他人の夢にしたって同じことだ。
ぼんやりとした意識の中、瞼を開ければすぐに、目の前には夢の世界が広がる。
「・・・?」
しかし、何かがおかしかった。
目を開けても、そこに広がるのは何らかの風景ではなく、ただひたすらに白い空間。
声を出せばどこまでも響きそうな、駆け出せばどこまでも続きそうな、自分の存在すら危うい虚無の世界。
「・・・なんなんだ?この夢は」
このようなことは初めて――いや、過去に一度だけ見覚えがあった。
それもつい最近に・・・未だに思い出せない記憶の断片を。
「まさか、由夢の・・・」
そう声に出した瞬間、目前の白しか無かった風景に変化が訪れる。
まるでテレビの電源が入ったように、「ジジジッ」とブレながら次第に浮かんでくるビジョン。
限りなく白かった世界に、桜色が交じる。
「あ・・・」
視界に映ったのは、子供の頃の由夢と、この島で一番巨大な桜の木。
あの頃は毎日のように遊んでいた、義之たちの思い出がたくさん詰まった大樹。
まるで祈りを捧げるように寄りかかり、その太い幹を小さな体で抱きしめながら、由夢は瞳を閉じていた。
「由夢!!」
義之は思わず叫んでいたが、由夢は表情も変えずに強く幹を抱きしめている。
――他人の夢を見られるからと言って、その夢に干渉できるわけではない。
そんな事は、これまでの経験から分かっていたはずなのに・・・。
――「私の大好きなお姉ちゃん・・・」――
と、悔しそうに唇を噛み締めていた義之の耳に、由夢の声が届く。
木に向かって呟いているようで本来なら聞こえるはずもないのだが、何故かその声は脳に直接伝わるようだった。
――「私の大好きなお兄ちゃん・・・」――
――「二人とも、私の大切な家族」――
それはこの前ようやく思い出せた、あの夢の言葉。
――「私は、もうお母さんのように、誰も喪いたくないから・・・」――
――「もう、あんなに悲しい思いはしたくないから・・・」――
「・・・やっぱりこれは、由夢の記憶なのか?」
まだ小学生であろう由夢の容姿と、二度も彼女が同じ夢を見ていることからそう断定する。
その容姿は、今のように二つのお団子を作ってはおらず、二本の黄色いリボンで左右を結んでいるだけ。
昔の彼女を思い返し、また彼女との記憶を思い返し、義之は不意に温かな気持ちになった。
しかし・・・。
――「だから・・・お願い」――
「――っ」
次の言葉を知覚した瞬間、全身が粟立つような感覚に襲われた。
どうしようもない焦燥感が、体中を駆け巡る。
――「何の取り得もない私にどうか・・・」――
”ザアアアァァァァァッ”
風などまったく吹いていないというのに、桜の大樹はその何百何千という枝を一斉にしならせた。
まるで、己に抱きつきながら祈りを捧げている少女に応えるように・・・。
だが、義之は動けない。
端から見れば綺麗だと思えるこの光景も、今の彼にとっては恐怖以外の何物でもなかった。
それが何故かは分からない。
そして――――。
――「お兄ちゃん達を守る力を――」――
急激に浮上する意識の中、確かに聞こえたはずの彼女の最後の声は、耳から零れ落ちるように義之の記憶から消えていった。
D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS
「自由な夢を・・・」
Written by 雅輝
<29> さくらの決意
「――っ!!・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」
声にならない叫びを上げるように、義之は文字通り飛び起きた。
寝起きだというのに、まるで全力疾走後のように息は荒く、パジャマが張り付くほど体中が汗ばんでいる。
呼吸を落ち着かせ、まだ目覚ましが鳴る前だと確認した義之は、もう一度倒れこむようにしてベッドに全身を預けた。
「・・・由夢」
以前は忘れてしまったけれど、今度はしっかりと覚えている。
隣の家でまだ寝ているであろう妹の、過去の記憶。
幼き頃に遊んでいた桜の下で、何かを祈るように瞳を閉じる数年前の彼女の姿を・・・。
「お願い・・・か・・・」
しかし、最後の核心とも言えるその願いの内容だけは聞き取れなかった。
所詮は子供の願い事。
そこまで気にするようなことではないはずなのだが・・・。
『なんか・・・気になるんだよなぁ』
胸に起きても尚燻る、モヤモヤとした陰鬱な気持ち。
それをかき消すように勢いよくベッドから抜け出した義之は、制服に着替えてから一階へと降りていった。
今日は1月の11日。
冬休みも昨日で終了し、今日から3学期が始まる。
なので、義之は眠気眼を擦りつつ、朝食を作ろうとリビングに入ったのだが・・・。
「あっ、おはよ〜。義之くん」
「おはようございます。・・・って珍しいですね。この時間に家に居るなんて」
「にゃはは。まあたまにはね。ほら、座って座って」
そこには、ここ数日忙しそうにしていた家長の姿があった。
そしてテーブルには、純和風な朝食も並んでいる。
「うわっ、うまそ〜。久しぶりだな、さくらさんの料理を食べるのは」
普段、この時間には既に学園へと出勤しているさくらの朝食を食べるのは、かなりレアなことだ。
また、料理をしていないからといってさくらの腕は悪くなく、むしろ義之と同等くらいの味を出せる。
しかしさくらは義之の言葉を悪く取ったのか、少々悲しげに眉を八の字にしてしまった。
「ごめんね。家事を全部義之くんに押し付けちゃって・・・」
「あっ、い、いえ!そういう意味で言ったんじゃないですよ」
「うん。わかってるんだけどね。普通の家ならこんなことも無いんだろうなぁって・・・」
「さくらさん・・・俺、さくらさんには感謝しているんですから、そんな事言わないでくださいよ」
義之には幼い頃の記憶が無い。
大抵の人間は小学校に上がる前の記憶など曖昧だが、しかしまったく存在しないということはないだろう。
けれど、自分には無い。
まるでそこだけ穴が開いてしまっているように・・・記憶が始まるのは、いつも桜の下からだ。
そこでさくらに声を掛けられ、朝倉家に連れて行かれたことだけは薄っすらと覚えている。
しかし、もしさくらが連れて来てくれなかったら、一体どうなっていただろう。
幼き義之が一人で生きていけるほど、世の中は甘くない。
そう考えると、義之にとっては感謝こそすれ、謝られるようなことは何も無かった。
「感謝・・・かぁ」
「本当は、感謝される資格なんて無いんだよ」
「・・・さくらさん?」
「・・・にゃはは!何でもないよ。ごめんね、朝から暗くなっちゃって」
彼女が何か呟いたような気がしたのだが、義之の耳には届かなかった。
気にはなったがそろそろ時間も無いので、並べられているご飯に箸を伸ばすことにする。
「それじゃあ、いただきます」
「はい、どうぞ。今日から新学期なんだから、たくさん食べて力を付けないとね」
「そうですね・・・もう冬休みも終わりかぁ」
しみじみと義之が呟く。
そんな義之をニヤニヤと眺めながら、さくらはその瞳に悪戯っぽい光を宿した。
「そういえば、由夢ちゃんと喧嘩したんだって?」
「うぐっ?!ごほっ、げほっ!」
突然の思ってもみなかった言葉に、義之は思い切り喉を詰まらせ咽こんだ。
慌ててお茶を飲み下してから、興奮冷めやらぬ様子で口を開く。
「いきなり変なことを言わんでくださいよ!誰から聞いたんですか!?」
「この前、バッタリと音姫ちゃんに会って話を聞いたの。音姫ちゃんも気にしてたみたいだけど・・・」
「・・・そう、ですか」
「ふう・・・」と短くため息を吐いてから、義之は思い出すように窓から見える隣の家へと視線を送った。
――由夢の誕生日であった、1月2日。
あの日から、義之と由夢はほとんど――いや、まったく口を聞いていない。
『このままじゃまずいってことは分かってるんだけど・・・実際どうしようもないしな』
義之の方は彼女に歩み寄ろうとしているのだが、肝心の由夢はまるで避けるように姿を見せない。
3日には純一が帰ってきたので、由夢は再び朝倉家に戻った。
しかしたまに偶然家の前などで会っても、挨拶をするどころか無視されてしまう。
――「・・・さよなら、兄さん」――
義之にとって、こんなに長期の間由夢と会話しなかったことなど、初めてであった。
それ以来、音姫もどこか元気が無いように見える。
風邪はもう治ったのだが、やはり罪悪感があるようだ。
以前会った時音姫は、由夢が自分とも話をしてくれないと嘆いていたのを思い出す。
――「二人とも、私の大切な家族だから・・・」――
『やっぱり・・・放っておくわけにはいかないか』
そして、自分に問いかける。
――それは、”家族だから”なのか?
「でも、なんで喧嘩しちゃったのかな?音姫ちゃんは教えてくれなかったし・・・」
さくらの声で、どっぷりと思考に浸かっていた意識が戻ってくる。
その表情から、さくらは今回もいつもの小さな喧嘩程度にしか思っていないのかもしれない。
『あまり言うことでもないけど・・・さくらさんも家族だし。何かアドバイスも貰えるかもしれないな』
朝食を食べ終えて箸を置いた義之は、一通りの出来事を掻い摘んで説明した。
「・・・そうだったの」
義之が大まかな経緯を話し終えると、さくらは真剣な面持ちで頷いた。
「確かに約束を破った俺が悪かったとは思ってますけど、正直なんで由夢があそこまで怒っているのか分からなくて・・・」
「・・・たぶん由夢ちゃんは、怒ってるんじゃないと思うよ」
「えっ?」
「今はまだ、気持ちの整理がついていないだけ・・・。諦めようとする気持ちと、諦めきれない想いとで、ぐちゃぐちゃになっちゃってるんじゃないかな?」
「諦めるって・・・何をです?」
要領を得ていないような顔で義之が問うと、さくらは呆れたようにため息をついた。
「ふう・・・こんなところまでお兄ちゃんに似なくてもいいのに」
「へ?」
「とにかく、義之くんは由夢ちゃんと仲直りすること!きっとまだ間に合うはずだから・・・分かった?」
「は、はい!」
「よろしい」
最後に彼女らしい笑顔でニコッと笑うと、さくらはいつの間にか過ぎていた時間に慌てて家を出て行った。
「・・・・・・やばっ、俺も急がないと!」
しばらくぼんやりと彼女の言葉の意味を考えていた義之は、壁に掛かっている時計を見て、さくら同様家を飛び出すのであった。
「はぁ・・・」
さくらは学校への通勤路を歩きながら、一人でそっとため息を吐いた。
思い出すのは、先ほど義之に対して放った自分の言葉。
――「とにかく、義之くんは由夢ちゃんと仲直りすること!きっとまだ間に合うはずだから・・・分かった?」――
「・・・」
”間に合った”ところで、一体どうなるというのだろう?
それにより生まれるのは、おそらく一組のカップル。
しかし、その末路は――――。
「・・・ボクって、無責任だよね」
全ての原因は自分にあるというのに、悲観的に考えて最悪を予想している自分は、なんて無責任なのだろう。
まだ、確実に決まったわけではないのに。
義之と同様に、きっとまだ間に合うはずなのだ。
『家族を守ること・・・それがさんざん我儘を通してきたボクの、唯一の償いだから・・・』
空を見上げる。
広がる世界は、まるで彼女を祝福しているかのようにただ蒼く。
「よ〜しっ、がんばるぞ〜!!」
その晴れ渡った冬空に、自らの決意を乗せて。
さくらは声高々に、自分を鼓舞するように大声で宣言した。
30話へ続く
後書き
最近、良い感じで更新を続けることができています^^
やはり冬休みは良いですねぇ。学生にとって、長期休暇は癒しの時間です(笑)
さてさて、始まりました第3部。
本編どおり始業式の朝から・・・しかし内容は思いっきりオリジナルにしました^^
さくら・・・彼女はD.C.の中でなくてはならない存在なのですが、その役割は悲しすぎます。
そんなさくらの、痛いくらいに真摯な決意。
それは、自分が創りだした家族を守るため・・・ただ、それだけ。
次回は・・・とりあえず年内UPを目指します。
予定では大晦日。暇だしなんとかなるでしょう(笑)
それでは〜^^