音姫を背負ってようやく家に辿り着いた義之は、由夢が待っているはずの芳乃家ではなく、隣の朝倉家へと入っていった。

『音姉も慣れたベッドの方が落ち着くだろ・・・』

女の子の部屋に無断で入るのは多少の抵抗があったが、背でグッタリとしている音姫を起こすのも可哀想だと、そのままベッドに寝かせる。

そしてすぐさま階下に下り、額を冷やすための濡れタオルと風邪薬を持ってくると、ようやく一息ついたように彼女の部屋の床に腰を下ろした。

タオルを絞りながらふと見た時計は、既に6時30分。

今からすぐに向かえば、何とか許してもらえるような時間ではあるが・・・。

「お、弟くん・・・」

不意に聞こえたその弱々しい声に、義之は思考を打ち切ると絞ったタオルを音姫の額に乗せた。

「ありがとう・・・もう平気だ・・・から、早く・・・由夢ちゃんの、ところに・・・。約束、してるんで・・・しょ?」

熱が出て朦朧としている頭で、精一杯の笑顔を浮かべようとする音姫。

それが彼女の”姉”としての優しさなのだと、義之は気付いていた。

「・・・行けるわけないだろ?」

もしこのまま由夢の元へ行ってしまうと、それは高熱を出している音姫を放置することに繋がる。

義之にしても由夢との約束――それも年に一度の誕生日の約束を反故になどしたくなかったが、それでもこんな状態の音姫を放って行く事なんてできるわけなかった。

「で、でも・・・」

「大丈夫。由夢には、後でちゃんと説明しておくから」

――もし、このまま音姫を放って由夢の元へと向かったとしたら、由夢はどんな反応をするだろうか?

遅いと不貞腐れるだろうか。それとも、来てくれた事に安堵するだろうか。

『・・・たぶん、どっちも違うな』

きっと彼女は、高熱の音姫を放ってきた自分を怒るだろう。

それくらいのことは分かっている。

姉妹の仲の良さも。

由夢の性格も。

しかし・・・。

「それより、音姉も腹減っただろ?すぐおかゆ作ってくるから」

――もしかすると今も待ち続けているかもしれない由夢の事を思うと、胸には鋭い痛みが走った。





D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS

             「自由な夢を・・・」

                      Written by 雅輝






<28>   家族という繋がり





おかゆを作り、風邪薬を飲ませ、何度も濡れタオルを交換して・・・ようやく音姫の容態が落ち着いてきた頃には、約束の時間を大幅に過ぎていた。

ベッドに運んだ直後には39度以上あった熱も、今では8度前半まで下がっている。

そして音姫が眠りについた後、朝倉家を出た義之は携帯の時計を見ながらため息を吐いた。

「怒ってるだろうなぁ、由夢のやつ・・・」

今更ながら、一度も連絡を入れなかったのは失敗だったとしか言いようがない。

由夢なら説明すれば分かってくれると信じつつも、やはり不安は隠し切れなかった。

仕方がない事だったとはいえ、罪悪感も勿論ある。

「平手の一発くらいは覚悟しないとな・・・由夢も分かってくれるとは思うけど」

手の中にある彼女へのプレゼントを持ち直して、呟きと共にもう一度ため息を吐くと、芳乃家の前に立ち玄関を開けようとした。

『あれ?』

と、そこで不意に感じた違和感。

由夢は6時に芳乃家で待っていると言っていた。

それなのに、玄関から見る限りでは家の電気はどこも点いていない。

義之は先ほどまで朝倉家にいたので、自分の家に帰ったということもまず考えられないだろう。

”ガララッ”

「ただいま・・・由夢?」

中に入り、遠慮がちにこの家に居るはずの妹に呼びかける。

しかし返事がないどころか、家の中はまるで誰もいないかのように静まり返っていた。

「・・・待ちきれずに寝ちまったのか?」

そうならば電気が点いていない理由にも納得はいくが・・・念のために、今日パーティーをする予定であっただろう居間を覗いてみた。

するとそこには―――

「由・・・夢?」

電気も点けていない真っ暗な部屋の中で、ポツンと座っている由夢の姿があった。

その目の前のテーブルには、数え切れないほどの料理。

そして、ロウソクの灯っていない、バースデイケーキ。

楽しい時間になるはずであっただろう残骸・・・それを悲しげな瞳でぼんやりと眺める由夢の姿が、義之の目にはとても小さく映った。

その華奢な肩が、小刻みに震えている。

「由夢・・・その、今日は悪かった」

仕方がなかった・・・そう自分に言い聞かせても、目の前の由夢を見ていると罪悪感に飲み込まれそうになった。

それに抗うように、義之は平静を装いつつ由夢に謝罪の言葉を告げる。

「・・・約束、忘れちゃってたんだね」

義之と目を合わせることもなく、その空虚な目をテーブルに向けながら、ポツリと由夢の言葉が居間に舞う。

目線が注がれているテーブルの上・・・そこにある食べきれない程の料理は、おそらく由夢が作ったのだろう。

ケーキもよく見てみると不恰好で、初挑戦の苦心が目に見えた。

しかし、冷え込むこの季節。

いくら暖房が効いているとはいえ、6時の約束に合わせて作られた料理たちは、彼女の気持ちと共にすっかり冷め切ってしまっていた。

「何を言っても言い訳になるだろうけど・・・約束、忘れたわけじゃなかったんだ。勿論、破るつもりも・・・」

「いいよ。わかってたから」

「兄さんにとって、私との約束なんてその程度のものだもんね」

義之の台詞を途中で遮り、由夢が吐き捨てるように言う。

その全てを諦めたような、何の感情も籠もっていない声に、義之は思わず「違うっ!!」と叫びそうになったが、何とか堪えて誤解を正そうとした。

「・・・ごめん。でも、別に由夢との約束を軽んじていたわけでもない」

「なら、どうして?」

微かに顔がこちらへと向けられるが、その瞳は未だ義之を捉えていない。

「音姉が倒れた」

「っ・・・」

簡潔に事実を述べると、張り詰めたような空気が一層濃くなったような気がした。

由夢も少なからず動揺を受けたようだが、次の瞬間にはまたその顔から感情が欠落する。

「昼間、一緒に買い物に行ってそこで倒れたんだ」

「ずっと無理してたんだろうな。倒れた時はものすごい熱で、だから、今までずっと看病してた」

「・・・・・・」

「由夢との約束は覚えていたけど、俺には熱でうなされている音姉を放ってことなんてできない」

「約束破って、すまなかった」

義之は自分の非を認めた上で、素直に頭を下げた。

由夢の約束を破りたくなかったことと、破らざるを得なかったその理由は絶対的な自分の本心だと告げるように。

――昨日、不器用ながらも自分を誘ってきた由夢のことを思い出す。

そこはかとなく嬉しそうな、何かを楽しみにしているようなあの表情を裏切ってしまった。

たとえそこにどんな理由が存在しようとも、目の前の彼女を深く傷つけたことには変わりないから。

だから、ただ深く頭を下げる。

「また、お姉ちゃん、か・・・」

――室内の時間の流れが止まったような錯覚に陥った。

ポツリと宙に舞ったその言葉は、義之が望んでいたものではなく、ただひたすらに辛そうな声。

「いつも、そうやってお姉ちゃんばっかり・・・」

続けるその声は、震えていた。

部屋の灯りが点いていないので判別できないが・・・その声はまるで泣いているように聞こえた。

「・・・遅れたのはホント謝るよ。でも、ほら」

少しでも場の空気を、由夢の表情を和らげようと、義之は明るさを装って手に持っていた包みを差し出した。

店を何軒もはしごして、ようやく見つけたプレゼント。

「音姉と一緒に選んだんだ。音姉、これを選ぶために無理をしたんだぞ」

「由夢ちゃんをびっくりさせるんだって、体調を悪いのも隠して商店街中を歩き回ってさ」

まだ、由夢の誕生日が終わったわけではない。

ハプニングにより時間は遅れ、料理は冷め、祝う人数も一人減ってしまったが、その分は自分が盛り上げればいい。

「だからさ、機嫌直してくれよ」

その言葉は、これから二人でパーティーの仕切り直しをしようという意思表示。

――しかし、もはや義之の言葉は由夢には届いていなかった。

「もう、いいよ」

「ちょ、ちょっと遅くなっちまったけどさ。ほら、誕生会だってこれから・・・」

「もういいって!!」

「っ」

その悲痛な叫びと共に、由夢の双眸からは涙が零れ始めた。

一粒・・・二粒・・・。

頬を伝って流れ落ちる涙は、冷め切ったコーンスープに溶けて消えていく。

「・・・由夢」

ここ数年、見た覚えのない彼女の涙に、義之は胸が掻き毟られるような感覚に襲われた。

「結局兄さんは私よりもお姉ちゃんが大切だってことじゃない!」

「そ、そんなことはない!今回は音姉が体調を崩しただけだから優先しただけだ」

「それともお前は高熱出してぶっ倒れてる音姉を放っておけって言うのか?それこそ、できるわけ・・・」

「わかってるよ!!」

空気を切り裂くような由夢の叫びに、義之は言いかけていた口を閉ざす。

「そんなの、私だってわかってる」

「兄さんが間違ってないって、そんなのわかるもん!」

はぁ、はぁ・・・と荒い呼吸を繰り返しながら、目を閉じて気持ちを落ち着かせる由夢。

そしてもう一度目を開いた由夢は、何かに堪えるようにポツリと漏らした。

「・・・間違ってるのは私だから」

今回の件は、目の前の兄が悪いわけでも、家で寝ているであろう姉が悪いわけでもない。

ただ不運が重なっただけ・・・そしてもし音姫と立場が逆でも、優しい兄ならきっと自分を選んでくれただろうと確信している。

しかしそれを、頭は理解していても心は従ってくれない。

「ばかみたい・・・」

「一人ではしゃいで、楽しみにしてて」

「浮かれて料理なんかしちゃって、誕生日だからって・・・」

目の前の冷め切った料理の前に座り、帰ってこない二人を待っているのは酷く滑稽だった。

昨日から準備して、今日も朝から仕込みをして。

でも、そんな期待は粉々に打ち砕かれたのだ。

「楽しい誕生日にしようって思って・・・」

ただ彼女が心から願っていたのは、大好きな兄と姉が自分の誕生日を心から祝ってくれる光景だけだったのに。

「わかってたのに・・・全部わかってたのに・・・」

傷ついた心から溢れ出る想いの本流が、止め処なく言葉となって紡がれていく。

「わかってたから、ずっと・・・ずっと嘘ついてきたのに・・・」

わかってた・・・それは、ずっと変わらない関係だったから。

嘘ついてきた・・・それは自分の気持ちに対して。結ばれることはないだろうと確信していたから。

自分と、姉。

兄がいつも大切に思っているのは、一番に大切に思っているのは・・・。

「あーあ、何で期待なんてしちゃったのかな」

赤い目を擦り、なげやりに言葉を紡ぐ。

義之との兄妹という関係が、そして音姫との姉妹という関係が、何より、二人との家族という繋がりが。

由夢の心に、重くのしかかる。

「・・・おやすみなさい」

由夢はすくっと立ち上がると、決して義之の方を見ようとはせず、就寝の挨拶だけをして居間を出て行こうとした。

――就寝の・・・とは言っても、今夜は眠れそうになかったが。

たとえそうだとしても、由夢にはこの場にこれ以上居ることが、そして義之の顔を見ることが堪え切れなかった。

「由夢っ!」

義之はハッと気を取り直すと、今まさに出て行こうとしている由夢を必死に呼び止めた。

ビクッとその背中が震わせると、由夢は顔をこちらに向けないまま襖の前で立ち止まる。

「二人とも、私の大切な家族だから・・・」

「えっ?」

「・・・さよなら、兄さん」

出て行く直前でポツリと言い残していった由夢の言葉の余韻だけが、冷え切った部屋と義之の心に残った。





「さよなら・・・ってなんだよ?」

部屋に一人残された義之は、決して回答など得られない疑問をあえて口にした。

しかしそれにより拭えると思っていた不安は、暗い室内に響いた自分の声によって何倍も大きくなって襲い掛かってくる。

「俺にとっても、お前達は家族なんだよ」

それは確かめるように、自分の立ち位置を見つめなおすように。

そうして先ほどの由夢の言葉を思い出そうとした義之の脳は、皮肉にもあの日見た夢の記憶を・・・その断片を思い出していた。



――「私の大好きなお姉ちゃん・・・」――

――「私の大好きなお兄ちゃん・・・」――

――「二人とも、私の大切な家族」――



「――っ・・・やっぱりあれは、由夢の夢だったのか」

中学に上がるまでは、まだ自分の事を「お兄ちゃん」と呼んでいた由夢。

以前思い出した記憶と繋ぎ合わせると、おそらく母親である由姫が亡くなった後のことだろう。

――あの頃は、悲しい思い出しか記憶にない。

由夢は泣きじゃくり、音姫はますます心を閉ざして、そして義之も家族を失う苦しみを味わった。

「家族・・・かぁ」

その頃の由夢の泣き顔が、今日の彼女の表情とダブり、また心が深く沈んでいく。

今まで、彼女達との家族という繋がりを悲しんだ記憶はなかった。

小さな頃から、それは当たり前の事だったのだから。

それが何故今は、これほどまでに歯痒く感じるのであろう。

「家族って、難しいもんだよな・・・」

「ね?由姫さん・・・」

誰もいなくなった、薄暗い部屋の中で。

血の繋がっていない自分に、本当の母のように温かく接してくれた女性(ひと)に対して。

不恰好なケーキと手に持ったままのプレゼントを眺めながら、義之は記憶の中の温かな笑顔にポツリと問いかけていた・・・。



第3部  29話へ続く


後書き

こんばんは〜、雅輝です^^

ようやくテストも終わり、今日は溜まってた鬱憤のせいで、一日中「夜明け前より瑠璃色な」をプレイしてましたよ(笑)

それ以外の時間は、こうして執筆に充てたおかげで、久々の週2UPができました♪


そして今回の話をもって、一応第2部は終了ですね。

ゲームでは「あさきゆめみしきみと」が流れているはずですが、この終わり方とあの曲は合わないなぁ(汗)

全体的に第2部を見てみると、あまりほのぼのに出来ませんでしたね^^;

予定ではもうちょっと義之との進展も見られたはずですが・・・まあこんなもんかな?


そして第2部の最終話ともなる今話の内容は、書いてて疲れるくらい”ど”シリアスになりました。

内容はほぼ本編をなぞった形ですが・・・風景・心理描写に気合を入れたのでかなり苦労しました。

二人を分け隔てる、家族という繋がり。

姉である音姫に嫉妬し諦めようとする由夢と、罪悪感を抱きながらも自分の中にある想いに戸惑う義之。

そういったものが読者の皆様方に伝わってくれると、作者としては大満足です^^


妙に後書きが長くなってますが、最後にもう一つだけ予告を。

12月24日・・・俗に言うクリスマスイブに、記念SSをUPします。

タイトルは「音姫の聖夜」。その名の通り、音姫がメインのクリスマス短編SSです。

出来るだけらぶらぶで仕上げてみましたが、やはりシリアスも入ってしまったのは癖ですね(笑)

12月初頭から書き始め、もう既に書きあがっているので、余程のことがない限りはUPする予定です。


それでは、次に会うのは「音姫の聖夜」の後書きでありますよう・・・。

失礼します〜〜^^



2006.12.21  雅輝