「ふぁふ・・・おはよう」

義之が部屋を出て行ってから10分ほど経った頃だろうか。

眠たそうに目を擦りながら、由夢が階段を下りてくる。

「あっ、由夢ちゃんやっと起きてきた〜。今日約束があるんじゃなかったの?」

その目は少々赤く充血していたが、寝起きということもあり音姫は何も思わなかったようだ。

由夢も何事もなかったかのように接しているが、その目が赤い理由を知っている義之としては居た堪れない気持ちになった。

「それなんだけど、何か天枷さんに急用ができたらしくて・・・」

「えっ?じゃあ今日は家にいるの?」

音姫たちの会話が遠くのもののように感じる。

テーブルに着いている義之がぼんやりとしながら考えているのは、さっきの由夢の涙の事。

そして・・・不意に頭を過ぎった、あの言葉。

――「もう、あんなに悲しい思いはしたくないから・・・」――

それらが指す意味などわからないし、もしかしたらまったく関係ないのかもしれない。

だが・・・もし関係あるのだとしたら。

『今朝に俺が垣間見た、あの夢を本当に見ていたのは・・・』

「うん。まだ運んでない荷物もあるし、そうしよっかな?・・・ってことで兄さん、よろしく」

「ああ。・・・って、はい?」

別のことに考えを集中させていた義之は、生返事を返した数秒後に気付き、ニヤリとした笑みを浮かべている由夢を振り返る。

「もう遅いよ?今確かに返事したもんね」

「いや、確かに返事はしたが・・・何の話だ?」

「や、わからなければいいよ。後でゆっくり説明してあげるから」

「・・・音姉?」

「ん〜、まあ私から言うことでもないし、後で由夢ちゃんから聞いてよ」

「そういうこと。ほらっ、早く朝ごはん食べて食べて」

「あ、ああ。いただきます」

釈然としない気持ちのまま、とりあえず運ばれてきた味噌汁に口をつける義之。

「いただきます」

そしてその向かい側で同じく箸を持ち、合掌する由夢。

その光景は昔――朝倉家に居た頃から何一つ変わっていなくて、懐かしさを感じさせる。

『・・・。まさか、な?』

唇の端にひとつ、ご飯粒を付けている由夢に微笑ましいものを感じながら、義之は先程のふと湧いた考えをかき消すように、本格的に箸を動かし始めた。





D.C.U〜ダ・カーポU〜 SS

             「自由な夢を・・・」

                      Written by 雅輝






<18>  互いの距離





「で、俺は今由夢の部屋の中にいる」

「? 何を当たり前のこと言ってるの?兄さん」

「いや、言ってみただけだ。それよりも・・・」

義之が突然そんな奇怪な行動に出たのも、道すがらに聞いた”運んでほしい荷物”とやらを目の前にしたからかもしれない。

そう、由夢が「運んで?」とにこやかな笑顔で言ってきたのは・・・。

「由夢、冷静に考えてくれ。俺ひとりで、この中身が詰まった洋服ダンスを運べると思うか?」

「大丈夫だよ。兄さんは色んな意味で常識から外れてるから」

「・・・貶されてると解釈していいのか?」

「冗談だよ、冗談」

どこにでもありそうな6段ほどのタンスの前で、由夢が渇いた笑いを見せる。

やはり彼女も、さすがにコレを運ぶのは無理だと分かっているようだ。

「だいたい何でたかが2,3日の寝泊りで、タンスが丸ごと必要なんだよ?」

「や、それはだって・・・かったるいし」

「・・・はぁ」

由夢の言葉に、さすがの義之も呆れを隠せない。

『とうとうこいつのものぐさもここまで来たか・・・こりゃ純一さんを抜かすのも時間の問題だな』

姉妹二人の祖父である純一も昔から相当のものぐさのようだが、最近は由夢も女子高生とは思えないほどのめんどくさがりようを見せている。

「しょ、しょうがないじゃない。だってお気に入りの服はどれも違う段に入ってるし、奥に埋もれてるやつもあるし、めんどくさいよ」

義之のため息の意味が分かったのか、由夢が軽く頬を染めながら反論する。

「ん?何でわざわざお気に入りの服がいるんだ?正月早々、遊びに行くわけでもないだろ?」

「そ、それは・・・」

義之にとっては何気なく聞いた事だったのだが、由夢はその問いに言葉を詰まらせると、俯き頬をますます赤らめた。

『に、兄さんに変な格好を見て欲しくないなんて、言えるわけないよ・・・』

それならばいつも見せているダサジャージはどうなるんだと思ってしまうが、そこは乙女心、複雑なのだ。

「それは?」

「も、もうっそんなことはどうでもいいから、早く出て行ってよね!」

「お、おいおい。お前が呼んだんだろうが」

「いいから!兄さんは私の下着をそんなに見たいの?」

「うぇっ?わかったわかった。出て行くからそんなに押すなって・・・」

義之の背中をグイグイと部屋の外へと押しやった由夢は、安堵のため息を吐く。

しかしそのため息は同時に、後悔のため息でもあった。

「・・・やっぱり、駄目だなぁ」

部屋の真ん中で、ぽつりと呟く。

どうしても素直になれない自分。

義之という存在を”兄”としてではなく、”異性”として意識し過ぎるあまり、つい可愛くない態度を取ってしまう。

「ちょっとは・・・近づいたと思ったんだけどなぁ・・・」

クリスマスイブのあの日。

公園で会話を交わし、心持ち距離を縮めて帰った、雪が舞い散る聖夜。

あの時にほんの少しでも縮まったかのように思えたお互いの距離は、やはり自分の錯覚でしかなかったのだろうか?

「お〜い、由夢〜!まだか〜!」

「っ!あ、も、もうちょっと待って!」

義之を外に待たせていることなどすっかり失念していた由夢は、慌てて一声返事をすると、お気に入りの服を手当たり次第バッグへと詰め込むのであった。







「腹減った・・・」

時刻は1時を少々回った頃。

ソファに寝転がりながら、先程までサングラスを掛けた司会者が送る昼の定番番組を見ていた義之は、それが終わると時計を見ながらぼんやりと呟いた。

「音姉にしては珍しく時間掛かってるなぁ・・・ちょっと様子でも見に行くか」

家事万能な音姫がここまで昼食に時間を掛けるのは、今までほとんどない事だった。

老人のように重い腰を上げ、彼女がいるであろうキッチンへと向かう。

「音姉、昼飯はまだ・・・」

そしてその中を覗いた瞬間、台詞の途中にも関わらず義之は絶句した。

我が家には自分と音姫しか料理を作れる人間がいないため、当然そこに立っているのは音姫しかいない。

一応さくらも作れるのだが、彼女はこんな年末にも仕事があるらしく、朝早く出て行ったようだ。

「あっ、包丁。そんな風に持っちゃ危ないよ。ちゃんと手を添えて、こう・・・」

「こ、こう?んん・・・難しいなあ」

「大丈夫、大丈夫。手は、ちゃんとネコさんの手にしてね?」

『だから、今目の前に広がっているこの光景は何かの間違いに違いない。うん、きっとそうだ』

キッチンで展開されている衝撃的な光景を目の当たりにした義之は、軽く2,3度頭を振ると目を閉じた。

次に目を開けた時には、全てが正しい形でありますように、と・・・。

「ほらっ、また余計な力が入っちゃってるよ?」

「だ、だってそうしないとなかなか切れないから・・・」

「・・・」

しかしそんな儚い願いも届かず、先刻の光景とまったく同じ。

変わっているのは、やけに危なっかしい手つきで切られていく人参くらいだろうか。

「・・・What are you doing now?」

不測の事態に混乱しているのか、何故か慣れもしない英語を使い出す義之。

「どういう意味ですか?それ」

「何だ、由夢。こんな英語も分からないのか?」

「分かるから聞いてるのっ!」

「わわっ、由夢ちゃん!危ないから包丁を振り回しちゃダメだよ!」

「うっ・・・」

「そうだぞ、落ち着け由夢」

「いったい誰のせいだと・・・」

悔しそうに漏らしながら、とりあえず包丁をまな板の上に置く由夢。

「では、改めて聞こう・・・”あなたは今、いったい何をしているのですか?”」

わざわざ先程の英訳そのままでもう一度問いかけてくる義之に、由夢はこめかみをひくつかせながらも答える。

「見て分からない?」

「分かるから聞いている」

「・・・」

また一段と、その愛らしい顔が不機嫌になる。

さすがにこれ以上からかうのは危ないと直感した義之は、何とか話を逸らしてみせた。

「あ〜、ところで今作っているのは何なんだ?」

「由夢ちゃんのリクエストで、肉じゃがを作ってるの」

その問いには、音姫が答えた。

「肉じゃが?いきなりそんな高度なものを・・・」

「で、できるよ!肉じゃがくらい!」

ムキになるのは由夢の性分と言っても過言ではない。

しかし人間、感情のままに行動するとろくな事がないのも確か。

そのまま人参切りを再開した由夢に、義之が心配して「気をつけろよ」と声を掛けたその矢先――。

「痛っ・・・」

軽快に聞こえていた包丁の音が止まり、由夢が少し顔を歪める。

どうやら指を少々切ってしまったらしい。

「ほら、言わんこっちゃない・・・音姉、救急箱取ってきて」

「うん、分かった」

早足でパタパタとキッチンを出る音姫。

「指切ったんだろ?見せてみろ」

「や、あ、あの・・・」

戸惑う由夢の手を強引に掴み、傷口を確かめる。

しかし切れているのは皮1枚程度であり、あまり深い傷ではないようだ。

「あ、あの、兄さん?」

「お前、しばらく包丁持つの禁止」

そう一言告げると、そのまま流れるように義之はその指をパクリと自分の口内に含んだ。

「へ?」

目をパチクリとさせ、奇妙な声を上げる由夢。

「や、あ、な、なな・・・」

しかし今のこの状況を理解するにつれて、その顔は真っ赤に染め上がっていく。

「ななななななな・・・・・・」

「ん?」

本当に何も分かっていなさそうな顔で、義之がその指を咥えたまま顔を上げる。

真っ赤に染め上がり、体中を震わせている由夢を見て、ようやく今自分がしている行動の意味に気付いたようだ。

「あ、わ、わりぃ」

慌てて口を離し、一言謝る。

「いや、その、癖っていうか、消毒しようと思って、無意識に・・・すまん!」

『何をやってるんだ俺は・・・。いくら無意識で、相手が由夢とはいえ、さすがにいきなり指を咥えるのはマズいよなぁ・・・」

来るであろう一発に、覚悟を決める。

しかし由夢の反応は、義之の予想とはまったく異なっていて――

「あ、あの、その、ありがと・・・」

咥えられていた指を恥ずかしげに見つめ、もじもじと頬を染めながら素直にお礼を言った。

そんな新鮮な由夢の様子に義之も、不意に高鳴った心臓を隠すように必死に平静を装い、声を返す。

「あ、いや・・・」

「救急箱持ってきたよー」

場が変な雰囲気になりかけた丁度その時、なんとも良いタイミングで音姫が帰還。

「って、あれ?どうしたの?二人とも真っ赤な顔しちゃって」

そんな音姫の不思議そうな声が、その場の空気を緩和するようにキッチンに響いた。



19話へ続く


後書き

今回は少々煮詰まりましたが、何とか18話UPです^^;

この話は色々と難しかった・・・まず”ほのぼの”自体最近あまり書いてなかったので、イマイチ納得のいく展開を作れなかった。

さらに前回に話を合わせなければいけないので、本編プラスαの部分も予定より多くなりました。

まあでも、ほとんどが本編の展開どおりですね。今回はあまり台詞等もいじっていません。

・・・決して手を抜いたわけではありませんよ?ただ今回は、こうした方が自然かなぁと考えたもので。

次回はこの続きからか、もしかするとまったく別の日に変わってるかもしれません。

ま、それは作者の気分次第で(笑)



2006.11.2  雅輝